3 眠気覚ましのミントティー

 鳥達が屋根の上で鳴き交わす声に、ルウンはパチっと目を開ける。

 初めての事がたくさんあって、昨夜は胸がドキドキして中々寝付けなかった為、気がつけばほとんど眠らないままに朝を迎えていた。

 ”ルン”という新しい響き、久しく感じることのなかった自分以外の温度、二人分のカップと多めにパンを詰めたバスケットに、耳に届く”美味しい”という声。

 思い出せばまた胸がドキドキしてくるから、それを何とか押さえ込んで、ルウンはベッドから起き上がった。

 いつも通り顔を洗って着替えを済ませると、空のカゴを手にして外に出る。

 扉を開けた瞬間差し込んだ朝日に、ルウンは思わず目を細めた。

 今日も、空は気持ちよく晴れ渡っている。

 洋館の裏に向かって歩き出したルウンは、いつもの場所にその姿を見つけた。

 商売道具が入っているという大事なバッグを枕に、トーマは体を丸めて目を閉じている。

 足を止めて耳を澄ませば、微かに安らかな寝息が聞こえた。

 ルウンは止めていた足を動かして裏に向かうと、畑に水をまいてから鶏小屋に向かい、卵を拾ってカゴに入れ、掃除をして餌をやる。

 裏での仕事を終えて来た道を戻ると、眠りこけるトーマをまたチラッと見やってから館に戻った。

 ここからは、自分の朝食作り。

 スープは昨日作ったものが汁だけまだ残っていたので、そこに千切りにして炒めたキノコとニンジン、ネギ、サヤエンドウを加えて器に盛る。

 卵は半熟のスクランブルエッグにして、パンとサラダを添えたら完成。

 それらをテーブルに並べて、ルウンは早速食べ始める。

 スクランブルエッグにはケチャップをたっぷりかけて、サラダにはオリーブオイルにワインビネガー、塩と胡椒を合わせて作ったドレッシングを。

 寝不足の気配なんて一切感じられない程、今のところルウンの動きはいつも通り。

 朝食を終えたあとは、食器を片付けてからテーブルを拭き、部屋の中をぐるりと見渡す。

 昨日の今日では、あまり目立った汚れも埃もないけれど、それでも一応軽く床を掃いて、テーブルや調理台を拭いておく。

 このあとは何をしようかと悩んだルウンは、もう一度朝食の席に戻ってテーブルに頬杖をつくと、ぼんやりと窓の向こうを見つめた。

 そうして何もせずただぼうっと、窓からの景色を眺め続ける。

 こんなふうにぼんやりと過ごす時間も、ルウンは午後のお茶の時間と同じくらいに好きだった。

 不意にこみ上げてきたあくびを手の平で覆い隠していると、遠くの方から鳥達が鳴き交わす声が聞こえてくる。

 少しずつ忍び寄ってきていた睡魔が、鳥の声に蹴散らされるようにして遠のいていく。

 目をこすって体を伸ばし、すっくと立ち上がったルウンは、キッチンへと向かった。

 今日のお茶は、スッキリするようなものがいいだろうと、棚の端から端までを順番に眺めていく。

 幾度か行ったり来たりを繰り返していた視線を一箇所に定めると、ルウンはそこに向かって伸び上がるように手を伸ばした。


 *


「ああ……今日もいい天気」


 ついさっき目が覚めたばかりのトーマは、寝起きのまだぼんやりする頭をバッグに載せたまま、空を見上げていた。

 目を凝らせば、青空に溶けてしまいそうな薄らとした月が見える。

 その月を何となしに見つめていると、不意にルウンの姿が頭を過ぎった。

 月明かりの下で見た、神秘的な美しさを持つ銀色。

 午後の日差しの下で見せた、はにかむような笑顔。

 口数は少ないが、時折たどたどしく紡がれる言葉。

 油断していると、勝手に頭の中を駆け巡ってしまうストーリーを何とか脇に押しやって、トーマは大きく体を伸ばす。

 その伸ばした指先がコツンと何かに触れて、トーマは首を反らすようにしてそちらを向いた。

 逆さまに見える視界に、靴の先が映る。

 起き上がってもう一度、今度は上半身を捻るようにして振り返ってみれば、立ち尽くすルウンと目があった。


「あっ、おはよう」


 笑顔で挨拶すれば、「もう、お昼……」と返ってくる。


「僕、朝苦手なんだよね。これでも早い方だよ。天気がいい時なんて、次の日まで起きないこともざらにある」


 ルウンが不思議そうな顔で首を傾げるので、トーマは説明を補足する。


「僕の生活リズムは、筆の進み具合によって変わるんだ。ノっている時なんかは、寝ないで書く。でないと、後で書けなくなったりすることもあるからね。その代わり、筆がのらない時は、割りと寝ていることが多い」


 そこまで言ってトーマは、途端にバツが悪そうな顔で頭をかく。


「でも寝る場所を借りているわけだし、昨日は美味しいお茶も貰ったから……借りっぱなしでなにもしないのは良くないよね」


 ぼそぼそと独り言を呟くトーマに、ルウンはキョトンとした顔を向ける。


「これからは、お礼になにか手伝わせて。男手が入り用なこととか、一人じゃ大変なこととか、なにかない?」


 トーマからの申し出に、ルウンは驚いたようにふるふると首を横に振る。

 このあとにする事といえば、使い終わったティーセットの片付けや、夕食の準備くらいのもの。

 わざわざトーマに手伝ってもらうようなことは何もない。


「そっか……。あっ、でも!これからは人手が必要になったら遠慮なく声をかけて」


 屈託のない笑顔と言葉に、何と返事をしていいか分からず、ルウンは黙って立ち尽くす。

 しばらくして、思い出したように後ろを振り返って、それからまたトーマに向き直った。


「お茶の時間……だから」


 ポツリと呟かれた言葉に、トーマはルウンが振り返った先を視線で追いかける。

 テーブルの横、地面に敷かれた淡い黄色の布の上に、お盆に載ってカップが二つ、それにバスケットが置かれているのが見えた。


「僕の分も、用意してくれたの……?」


 ルウンはコクリと頷く。


「なんだか悪いね。突然やってきた身で、昨日に引き続き今日まで、お茶の時間に招待してもらえるなんて」


 そう言いながらも嬉しそうに笑って、トーマは立ち上がる。


「でも実を言うと、昨日のお茶が凄く美味しかったから、密かに楽しみにしていたんだ」


 おどけたように笑ってみせるトーマに、ルウンも僅かに頬を緩める。

“美味しい”という言葉が、ストンと心の中に落ちてきて、じんわりと中から温もりを放つ。

 ほかほかしていて、どこかくすぐったい――でも、全然嫌な感じはしない。

 胸を満たす温かさにほんの少しだけ戸惑いながら、ルウンは先に立って歩き出す。

 トーマはルウンから少し遅れて、程よい距離を開けてからあとに続いた。

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