5ー4 繰り返す運命の日

 集会所の柱はみしみしと音を立てていた。天井からは塵がパラパラ落ちてくる。

 まだ陽がある時間帯のはずなのに、辺りは妙に薄暗い。それが何だか不気味で、嫌な予感ばかりを掻き立てる。


 儀式の直後で村人全員がまだこの近くにいたのは、不幸中の幸いだった。カグさまの呼び掛けでみんなどうにかこの建物に避難して、今に至る。

 小さな子供が泣いている。それぞれが身を寄せ合って、じっとうずくまっていた。


「ね、ねぇ……ここは大丈夫なの?」

「湖が、山の手前にあるだろ。火砕流は全部あそこに流れ込むはずだ。十五年前もそうだったんだから」

「いや……そのせいで前より湖が小さくなってるんだ。そこに流れ切らない火砕流が村へ向かってくる可能性が高いって、月から来たあの学者さんが言ってただろ」

「そんなのに飲まれたら、ひとたまりもないぞ。早く逃げよう」

「外なんて出たら岩石が飛んでくるよ。前の噴火の時、うちのじいさんは石つぶてに当たって死んだんだ」


 みんな口々にそんなことを言う。不安が不安を呼んで、誰もが震えていた。


『月から来たあの学者さん』とは、きっとお父さんのことだ。

 離れ離れになってしまった、あたしのお父さん。

 だからこれまでずっと、母娘おやこ二人で寄り添って生きてきた。

 お母さんは無事だろうか。そわそわして、居ても立ってもいられない。よりによってこんな時に一緒じゃないなんて。


「落ち着きなさい。私が様子を見てこよう」


 みんなを代表して扉から外を覗いたカグさまが、すぐに強張った表情で戻ってくる。


「……塵埃が酷い。火山礫がいくつも飛んできている」

「そんな……」


 次の瞬間、ドン、という激しい音が鳴り響いた。

 心臓がびくりと跳ねて、思わず小さく悲鳴が漏れる。誰か女の人が、きゃあ、と鋭く叫び声を上げた。

 何かが屋根を突き破って落ちてきたようだ。集会所の床にめり込んだそれは、大人の頭ほどの大きさの岩だった。まだ熱いらしく、しゅうしゅうと煙が立ち昇っている。

 穴の空いた天井からは灰が降り込み始めていた。むわっとした火山の臭いが濃くなってくる。


「こっ……ここも、もう駄目かもしれない」

「でも外はもっと危険よ。こんなのがいっぱい飛んでくるんでしょ?」

「い、嫌だ……死にたくない!」


 パニックはますます大きくなった。それを宥めようとするカグさまの言葉は、人々の声に掻き消される。


 喧騒の中でも、あたしの肌はずっと大地の振動を感じ取っていた。

 地面も空気も、未だに細かく震え続けている。

 肌が粟立って、冷や汗が止まらない。

 嫌だ。こんなところ、一秒だっていたくない。


「サク、大丈夫?」


 ナギさんが手を握ってくれた。心臓はますます足を速める。


「あ、あの……ずっと、揺れてるんです。地鳴りもちょっとずつ大きくなってる……」

「サク、どうかしたか?」


 カグさまが顔を覗き込んでくる。


「サクは他の人に分からない地面の震えを感知できるんです」

「何だって?」

「さっきも、サクは地震が起こるより前に声を上げていました」

「あぁ、確かに……」


 村の人たちはずっと狼狽えたままだ。あたしたちの会話は誰にも聞こえていないようだった。


「まだ揺れているというのは?」


 カグさまにそう問われて、あたしは尻込みした。

 ナギさんがあたしの肩をぽんと叩いてくれる。その後押しで、思い切って口を開く。


「あ、あの……嫌な予感がするんです。きっともうすぐ二回目の噴火が起きるって……」

「それは本当か?」


 カグさまの語調が心なしか強くなった。

 また一瞬、怯みそうになる。だけど、もう無視することはできない。

 この身に流れる血潮が、必死になってあたしに伝えようとしていることを。


 あたしはカグさまに向き直って、きっぱりと言った。


「来ます。必ず」


 カグさまの目が、じっとあたしを見つめる。その視線を、しっかり受け止める。


「……分かった。以前トワさんと南の山や湖の様子を見に行った時に、火砕流が村まで来る危険性を確認していたのだ。……風はこちら向きだな。火山礫の飛来に関しても、サクの家の方まで逃げれば恐らく安全だろう」

「……し、信じてくださるんですか?」

「ミカもそうだったろう。昔、ミカから山の振動の話を聞いたことがあるのだ。ここは火山地帯だからか、地面の蠢く音がする、と。そういう特別な力を持つ血筋なのだろう?」


 胸がじわりと熱くなって、涙が滲んだ。

 信じてもらえた。あたしと、お母さんのことを。


「それに、この建物自体もかなり老朽化している。もし倒壊でもしたら一瞬で全滅だ。そうなる前に——」


 その時誰かが、あっ、と声を上げた。

 見れば、さっき岩の落ちた周りの床から、小さく炎が立っている。


「早く火を消せ! 火事になるぞ」


 何人かの男の人たちが、脱いだ上着で扇いで火を消そうとする。だけどそれは、古い木の床を伝ってあっという間に燃え拡がっていく。こうなっては、簡単には鎮火できない。


 カグさまは立ち上がり、村の人たちを見渡して言った。


「皆の者、よく聞きなさい。もうすぐ噴火の第二波が来る可能性が高い。この場所には火砕流が流れ込んでくる恐れがある。そうなる前に外へ出て、丘の方向へと逃げるのだ」


 えっ、とどよめきが起こる。


「カグさま、二回目なんて本当に起きるんですか? 外は危険なんでしょう? さっきの噴火が収まるまで、ここにいた方が安全では?」

「この建物も長くは保たない。手遅れになる前に脱出すべきだ」

「火山礫も火砕流も、どっちも嫌だ……!」

「でも、柱や屋根が潰れたら……それに、この火事だって……」


 カグさまがさらに声を張り上げる。


「静粛に! 山の神に祈りなさい。落ち着いて行動すれば大丈夫だ。さぁ、列に並んで、順に外へと出るのだ」


 その言葉によって、ざわめきは収まりつつあった。

 だけど、入れ替わるように聞こえてきたのは、悲愴なすすり泣きの声だ。


「もうやだ、怖いよぉ……」

「無理です……足が、足がすくんで……」


 みんなの動きはまちまちだった。

 おろおろしながら外へと向かう人。腰を抜かして座り込んだままの人。そして今なお拡がりつつある炎を頑なに消そうとしている人。

 こんな状態じゃ、全員が安全に移動することなんてとてもできないだろう。

 さっきからずっと火山礫が屋根に当たる音がしていて、天井も柱もみしみし軋んでいる。この建物が壊れるのも、本当にもう時間の問題なんだ。


「神さま……どうかお助けください……」


 縋るような誰かの声に、胸が詰まる。

 こんな時なのに、神さまに祈るしかないなんて。


「神さま、ね」


 ナギさんはそう呟いて、何かを考えるような仕草をした後、あたしを見た。


「サク、今から僕の言うことに協力してくれる?」

「え? どうしたんですか?」

「君の力が必要なんだ」


 真剣な眼差しに、思わずどきりとしてしまう。

 そうして切り出されたのは、あたしにとってはとても信じられないようなことだった。

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