5ー3 神さまに捧ぐ祈り

「南の山が噴火してから、今日で十五年。山の神は未だその息吹を天へと吐き出し続けている。我々に弛まぬ試練をお与えなのかもしれない」


 集会所に、カグさまの低い声が響く。

 あたしとナギさんは、村の人たちの塊の一番後ろに、並んで腰を下ろしていた。


「祈りを捧げよう。山の神の怒りを鎮め、いつかこの灰が降り止むようにと」


 背中を丸めて座る人々の後ろ姿を、ぼんやり眺めていた。

 火山灰のことを考えると、どうしても目の前が暗くなってしまう。他のみんなだってそうだろう。


 どこかお芝居のようだったカグさまの口調が、普段のものへと変わる。


「この頃は特に厳しい生活が続いているが、今日は皆に良い知らせがある。あの大地溝だいちこうを越えて、この地へと客人が参られた」


 カグさまに招かれたナギさんが腰を上げ、前へと出ていった。珍しい旅人の姿に、人波がさざめき立つ。


「紹介しよう。『砂漠の国』から来たナギさんだ」

「こんにちは、ナギと申します。お目にかかれて嬉しいです」


 澄んだ声が、凛と響いた。

 開け放った扉から爽やかな風が吹き抜けていく。ついさっきまで集会所内に漂っていた重苦しい空気が、さっと払われたような気がした。


「ナギさんはキャラバンとして『砂漠の国』の各地を巡り、食糧や物資を届ける仕事をされている。今回は、ルリヨモギギクの花の咲く場所を求めて旅をしてこられたそうだ。これを機に、かの地との交流を再開できればと考えている」


 あちこちから小さな歓声が上がった。


「異国から来たまれびとは神の使い。昔は『砂漠の国』のキャラバンをそう呼んでいた。ナギさんが『山鎮めの儀』の日にこの地を訪れたのも、何かの縁あってのことだろう」


 そう言われたナギさんは目を丸くした後、はにかんだようにふわりと微笑んだ。

 故郷では『神の化身』と呼ばれ、旅先では『神の使い』と言われる。その奇妙な偶然が、きっとおかしかったんだろう。


 初めて知った『賓』の本来の意味。何だかすごく納得した。

 どこかからか、溜め息が聞こえる。異国の服を着たこの美しい人に、その場の誰もが見惚れていたんだ。



 祭壇に組まれた井桁の炉の中から、大きな炎が上がっていた。その前にはサカキの枝を手にしたカグさまが立って、祈りのことばを詠み上げている。


 カグさまの家系は昔、代々神事を執り行う職務に就いていたらしい。防塵マスク越しでもよく通る声が、広場に響き渡っている。

 ほとんどの木々が立ち枯れした中、榊は今も葉を落とすことなく生き続けている数少ない樹木の一つだった。その生命力の強さから『盛木サカキ』とも呼ばれて、古くから神事に使われていたそうだ。


 カグさまが燃え立つ炎に向かって枝を振るう。祈りの詞が終わると、側にいた男の人が供物を炉の中に投げ込んだ。供物は村で採れた米や麦などの穀類だ。

 あたしはナギさんと一緒に、人垣の一番後ろからその様子を眺めていた。


——ナギさんは、神さまを信じる人なんですね。


 ここへ来る途中ナギさんにそう尋ねたのは、あたし自身が神さまを信じていないからだ。

 もし本当に神さまがいるのなら、どうしてあたしたちはこんなにも厳しい暮らしを強いられているんだろう。

 どれだけ願ったところで、救いが訪れることなんてない。

 どれだけ祈ったところで、嘆きの声すら天には届かない。

 胸に抱いた希望が絶望に塗り替えられてしまうのなら、初めから期待しなければいい。

 あたしはずっとそうやって、いろんなことを諦めながら生きてきたんだ。


 だけど、あたしは気付き始めていた。

 確かに、神さまはいないかもしれない。

 でも、だからと言って何もかもを諦めてしまったら、何一つ変わらないままなんだ。


 誰かの幸せを願う。それが誰かの力になる。


——それを『神』というものに投影しているのなら、ちゃんと意味があることなんだよ。


 焚き上げの煙が、高く空へと昇っていく。その先に何があるのか、あたしにはまだ分からないけれど。


——お母さんの病気が良くなりますように。


 あたしは生まれて初めて、神さまに祈った。




『山鎮めの儀』が終わって、燃え尽きた炉の後片付けをみんなで行い、解散となった。

 陽は既に西の山の稜線に沈みかけている。辺りには宵闇が漂い始めていた。


「今日はありがとう。また明日、サクの家に行くと思う」


 ナギさんは今晩カグさまの家にお世話になるらしい。

 明日また会えるんだ。そう思ったら胸が高鳴った。


 村人の何人かが近づいてきて、ナギさんに声を掛ける。


「なぁ旅人さん、『砂漠の国』の話を聞かせてくれよ」

「大地溝を越えてきたって本当?」


 ナギさんはたちまち取り囲まれてしまう。あたしはそっと人の輪から外れた。

 今までずっとあたしの隣にいたんだけどな。何だかお腹の底がちりちりする。


 あたしの気分を汲んだかのように、ゴゴゴ……とまた地鳴りがした。

 ふと思い出す。そうだ、カグさまにこのことを話さなくちゃ。

 カグさまは広場の端で他の人と話をしていた。少し躊躇ったけれど、伝えるべきだろうと、足を向ける。


 その時、ひそひそと話す声が耳に入った。


「……余所から来た男を連れ込むのは血筋なのかね」

「ほんと、嫌らしい母娘おやこだよ」


 シノおばさんの他にもう一人、誰か女の人。ちらちらこっちを見ながら、聞こえよがしにあたしとお母さんの陰口をきいている。


 いつもだったらいちいち傷付いて、俯きながら立ち去っていたところだった。

 だけど今日は、なぜだか少しも気にならない。

 お母さんもあたしも、余所からやってきた人と出会ったことがきっかけで、自分の力で歩いていこうと思えたんだから。

 あたしは顔を上げて、しっかり大地を踏み締めながら、二人の側を行き過ぎた。


 異変に気付いたのは、その時だった。思わずその場で足を止める。

 続いている。地面の震えが。

 じっとしていても感じるか感じないかほどの微かな振動が、今も確かにこの身に響いてくる。

 突風が駆け抜けていく。空気までもがびりびり震えている。

 一瞬にして総毛立った。理屈じゃ説明できない何かが、あたしに訴えかけている。


——風を見て。大地の声を聴いて。


 これは、まさか。


——噴火の前には、長めの地鳴りと、大きな地震が来る。空気も……いつもと違う、震え方をする。あんたには、分かるはずだよ。


 来る。間違いなく。


 あたしはシノおばさんたちを振り返った。二人はびくりとして、あたしを睨む。


「な、何さ……何か文句でもあんのかい?」

「建物の中へ、入ってください」

「はぁ?」

「いいから早く!」


 まだ広場に残っている村の人たちの方に向き直って、あたしは声を張り上げた。


「あの、みなさん! 早く建物へ……集会所へ、戻ってください!」


 突然おかしなことを言い出したと、みんな訝しげにあたしを眺めていた。でも、そんなの気にしている場合じゃない。

 やがて、それまで長く続いていた地鳴りが激しい振動へと膨れ上がった。

 足元がぐらつき、シノおばさんが倒れて尻餅をつく。他の人たちもいよいよ慌て始める。


 あたしは声を枯らして目一杯に叫んだ。


「早く! 山が——」


 直後。

 大地を丸ごと揺るがすほどの轟音が、辺り一帯に響き渡った。

 肌を焦がすような熱風が叩き付けてくる。


「わっ!」


 あたしはとうとうその場に崩折れた。地震に抗って、どうにか顔を持ち上げる。

 その時、視界に飛び込んできた光景に、思わず言葉を失った。


 なぜなら、南の山が、真っ赤なマグマを吐き出しながら、信じられないぐらいに大きな噴煙を上げていたんだ。

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