トリガーハッピーエンドレス

七咲リンドウ

最後の5分間

 月の隠れた明るい夜だった。人里からも文明からも離れた山奥の屋敷の縁側で夜空に星を数えていると静謐だった空気がぞっと張り詰めた。

 懐の冷たさを確かめる。

 脇に置いた刀を掴む。

 振り向くと血生臭さに身体が強張った。

 

 一月前、ここに来たときに父さんが言っていた「お前はいつか、あの娘を殺さなくてはならない」その意味が今になってようやく、現実として理解できた。


 縁側に並ぶ障子が片っ端から吹き飛ぶ。

 立ち込める血の匂いは掻き消されるどころか濃密になった。

 微かに感じる君の香りに、思わず奥歯を噛み締めた。

 睨んだ先は君が寝ていたはずの布団。

 君のいるべき場所に、おどろおどろしい姿の鬼が鼻息荒く立っていた。

 艶やかな黒髪は血濡れの怒髪天と二本の角に、雪白の肌は火の海を泳いだように焼け焦げ、汚れを知らない瞳は月灯りを受けて紅色に輝き、氷細工のような手は十本の刃となって、小鳥の囀りに似た声の代わりに僕を威嚇していた。


 君の名残は鬼にない。僕の気持ちは変わらない。

 僕は君を愛してる。君は僕を愛してた?


「君を殺す。今この瞬間この場所で、何度でも」

 大昔の戦争でたくさん人を殺すために作られた兵器も、戦争が終わればただの金食い虫だ。作られた鬼である彼女の家系を慰み者にしようとした者もいたけれど、鬼の力はあまりにも強大だった。

 だから、僕の家系が作られた。鬼を殺すために鬼に近い力を持った人間。僕たちは業物「鬼殺し」を一振りと、奥の手「黄泉還りの拳銃」を使う。その代の彼女が真に鬼となったとき、彼女を殺すのが生業だ。

 せめて人である間は幸せであるように。そんな建前を込めて殺してきた。


 駆け出したのは同時だった。僕と彼女が正面から肉薄する。

 「鬼殺し」の刀身と鉄にも勝る十本の爪が鳴り、肉を裂く。

 共に過ごした屋敷は切り刻まれ、血と肉と羽毛と火の花が咲く。


 一瞬の隙に僕が斬り込み、彼女の爪が半分になる。僕の刀も真っ二つに折れた。

 勢いを殺さず、肩を使って体当たり。でも、彼女が腰を反らしただけで僕は縁側まで弾き飛ばされてしまった。庭に立つ満開の桜の木に背中を強かに打ちつけて、肺の中身が押し出された。利き腕も折れていた。彼女の胸もこの木と同じくらい、硬くなってしまっていた。


 鬼となった彼女が迫る。明るい夜に、満月が顔を出す。

 月面が映す乙女の影と、彼女の笑顔を垣間見た。


 懐の冷たさを握り、構える。「黄泉還りの拳銃」は撃ち殺した者の時間を五分だけ遡行させる。今が何度目かなんて忘れてしまったけれど、このパターンは初体験だ。


 縁側から一緒に見たこの花に君がぽつりと「綺麗」と零した昨日のこと、覚えているかい? 僕にとってはもう、遠い昔のことに感じられるよ。


 石臼を引くような音が彼女の喉から聞こえる。

「アナタヲコロスワ。イマココデ。ナンドデモ」


 ああ、そうか。


 殺し愛たいと思っていたのは、僕だけじゃなかったんだね。

 見つめ合い、微笑み合い、頷き合い、引き金を引いた。

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