ばせばる

@MixNutS

第1話

 照り付ける太陽。熱を帯びた土。ベンチから沸き立つ声援。点々としたスタンドから注がれる僅かな視線。――何度、忘れようと試みても消えることのない記憶。忌々しい記憶。


 1アウト満塁。点差は2点。僅かながらも勝っていた試合。右手から放たれたボールはキャッチャーのミットから大きく外れ、遥か後ろのフェンスを響かせた。1点、更にもう1点とランナーが矢次に帰ってくる。次の一球を投じるまでに茫然とした感覚を拭う事は出来なかった。中指と薬指をすり抜ける球の感覚が、いまだに右手を縛り付けている。抜けた球は瞬く間に頭上を越えていった。その快音と共に俺、平 竜平(たいら りょうへい)の高校球児としての生活が幕を閉じた。


「――竜平!」


 講義終わりのチャイムが鳴り終わるや否や、後ろから少し高めの声で名前を呼ばれる。目覚めたばかりで視界が定まらないまま振り返ると、女房の多嶋 竜也(たじま たつや)がにこやかな顔でこちらを見ていた。もちろん、同性結婚をしているとかそういうわけではなく、竜也とは大学の野球部でバッテリーを組んでいる。俺がピッチャーで、こいつがキャッチャー。


「なんだよ、タツ。部活になら行かないぞ」


「いい加減来いよ、とは言いたいが今回は別件だよ」


「別件? 珍しいな、部活以外の話なんて」


「折り入って頼みたいことがあってね。


 竜平、小学生に興味ないか?」


 てっきり部活へと引っ張り出される、そう思っていた俺は竜也の問題発言に面を食らう。こいつ真正だったのか。


 春だしな、こないだのニュースでも変質者の出没が取り沙汰されていたし、冬の間に溜まった欲望が湧き出てしまうのかなぁ。


「いいか、タツ。小学生に関わればこのご時世笑いじゃ済まされない。そういうのは2次元だけにしておけ、な?」


 こういう特殊性癖者を怒らせてはいけない。迂闊な発言に過剰反応して果ては犯罪に走る可能性だってある。必要以上に刺激せず、正常な思考へと導いでやらねば、。


「人を異常性癖者みたいに扱うなよ。小学生って言っても男の子だぞ」


「余計やばいじゃん」


 一切違わず異常性癖者だった。バッテリーを組んでいた相手がショタコンだったなんて。友人の意外な一面に不安が募る。


「お前はすぐ人を変質者にしたてあげるな。そうじゃなくて、少年野球のコーチに興味ないかってことだよ」


「いや、言い方に問題がありすぎるだろ。最初からそう言えよ」


「素直に言ったら絶対断るだろ。だから小学生という魅力的な餌で釣ろうかと」


 こいつもこいつで人のことを何だと思っているんだ。というか、魅力的な餌とか言いやがりましたよこいつ、明らかにショタコンだろ。そもそも、どうせ断られるって分かっているならなぜ持ち掛けるのか。甚だ疑問である。


「頼むよ、親父が倒れて俺が監督やることになったんだよ」


「親父さんが? あぁ、タツの親父さんって少年野球の監督やってるんだっけ」


「そうそう! ただの過労らしいんだが、しばらくは安静にしていないといけないみたいでさ。監督をやるのはやぶさかではないけど、一人じゃ何かと不安でな」


「なるほど、要するに自分の手には余るから協力してほしい、と」


「そういう事です! 何卒宜しくお願い致します」


 竜矢が深々と頭を下げる。こいつがこんなにものを頼んでくるなんて珍しい。だけど、いや、だからこそ何をやらされるか想像できない。怖すぎる……。


 「丁寧に頼まれても無理なものは無理だ。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだし、そもそも俺には人に教える技術なんて持ち合わせていない。特に小学生なんて、今後の人生を左右する重要な時じゃないか。そんな簡単に引き受けられるわけないだろ」


 そうだ、俺が子供たちに教えられることなんて、なにも無い。所詮、甲子園に出場することが出来なかった、予選敗退の戦犯投手。そんな奴に教わる子供の気持ちを考えてみろ。戦犯に教わるなんて小学生が可哀想だろ。もしかしたら、頑張ってもこいつみたいになるかもしれないという不安を与えてしまうかもしれない……そうなったら……怖い、鬱だ。


 「そんなことないよ、お前の技術を小学生に教えて欲しい。そうじゃなきゃいくら人手に困っているからって無理に誘わない」


 俺が陰湿な考えを手繰らせていると、急に真面目な顔をしてまともな事を言ってくる。そんな竜矢に違和感とほんの少しの恐怖を感じた。何かこいつには思考を読まれている。こう感じた事は何回かあった。自分の弱みを自然と握られているような気がする。


 「それに、誰がノートを見せているのか、誰が課題を教えてくれているのか、考えてごらん」


そう言って竜矢は手にしたノートをこちらへ差し出してきた。さっきまで黒板に書かれていた文字列は綺麗にふき取られていた。自分のノートは当然、白紙。状況を考えてこれ以上反論する気になれず、差し出されたノートを黙って受け取った。

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