第五話



 それから更に二週間が過ぎた。


 この頃になると、流石に怪我とかもするようになる。


「――段々睡眠時間長くなってきてないか、お前?」


 僕の二の腕に包帯をぐるぐる巻きながら、咲耶姫は訊いてきた。


「? ここでの活動時間が増えることは良い事だろ」

「いや……そうなんだが、その……」

「?」

「いや、いい。――そら、終わったぞ」


 ぐるぐると腕を回して見る。特に痛みは無かった。


「よし、行けるかな。――次は?」

「次? ――ああ、次はまたファンタジーかなあ」

「またか……大戦争とか御免なんだけど」

「安心しろ。ちゃんと必要資源とか考えて種族も調製するから」





「…………」


 彼を送り出して八分。


 咲耶姫は白の本を片手に異世界の遥か上空に浮いていた。


「……っ、ああもう!!」


 何となく、イライラする。

 遅々として進まない異世界製作ではなく、あの少年に対して、だ。


 詳しく言うと、その危うさに。


「……はあ。今は、いいか」


 はあ、とため息を吐き、咲耶姫は眼下に広がる世界を眺めてみる。



 色合いは地球とあまり変わらない、青と緑と土色に覆われた世界。白色の世界に比べればずっと『世界』らしくはあるが。


「……今のところは、安定してるようにみえる、けど」


 いつも、こうして異世界を高度一万メートルから眺めている。ちなみに雲は彼女の視界には透過して見えていた。


 種族・資源・気候・生息地域の調整も今やれる限りを果たした。人類の生息域もちゃんと確保し、そして時間を十四年程進めてみたが、


「……ぱっと見る限り、大戦争にはなってない、な……」


 少年の方はどうだろうか。


「――中也―? そっちはどうだ?」

『あー? いや、こっちは特に何も。でもお前、こんな森林地帯に送られても……』

「ある程度ランダムだからな……ちと我慢して……」



 瞬間。

 大陸の中心の空から、全方向に光の矢が放たれた。



「――――ッ!!??」


 ぞわ、と背筋が粟立つ。


 それは、いかなる魔法によるものか。


 確かに設定として『魔法』は入れたが、


「こんなの、入れた覚えはないぞ……ッ」


 脳裏に、資料として読んだ旧約聖書の逸話が思い浮かぶ。

 ――邪悪なる都市は、火の矢によって焼き尽くされた――


 少女の形をした神様の顔が、絶望に歪む。


「……中也ッ!!」





「……??」


 うっそうとした木々の間を歩いていた僕は、木々の隙間から、何か光弾のようなものが空に打ちあがるのを見た。


「……あれは」



 思考よりも先に、結果が来た。


 打ちあがった光弾は空中で花火のように爆発し、光の矢を全域に降り注がせたのだ。



「――――ぁ、」


 光の豪雨が降る。

 今まで十分に人外、人智以上の現象を見てきた身ではあるが、これは――


「う――」


 ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!! と。


 光の奔流が、轟音を伴って周囲の木々を打ち倒す。文字通りの、矢の雨。


「……嘘だろ、おい!! 流石にこんなのは有り得なくないか!!??」


 逃げ場などない事が分かっていながら、木々の間を走る。


「咲耶姫!! 一体これは……」

『中也! 無事か!? まだ生きてるな!』

「あ、ああ」

『幸いと言うべきか、あと精々が十数秒だ。なんとしても生き残れ!!』

「いやいや、無理だろこれ!!」


 空を仰ぐと、未だに矢の雨は続いていた。

 喰らったら消し炭になるだろう。が、当たり範囲にムラがある。


 当たらない確率は高くはないが、決してゼロという訳ではない。


「…………」


 だから。



 光の矢は、当然の様に高確率の方を引き当てた。



「あ」


 ――駄目かな、これは。


 そう、少年は思った。





 ――駄目だな、これは。


 そう、神様は判った。





「――ぁああああ、ぎ、あぁあああぁああああ……ッ!!!」


 身体が爆発したような痛みが走る。

 首を動かすと、僕の腕と足、肩に複数本の光が刺さっているのが見えた。肉を断ち切られている痛みと、内部に矢がある異物感に苦悶の声を漏らしてしまう。


 そして、


「あー、うっせえな。女の子が全身に矢を受けてるってのに……」

「う、ぐうう、お、お前……ッ、さくや、ひめ……!!」


 倒れたこちらに覆いかぶさるようにしている神様には、その五倍近くの矢が刺さっていた。


 余す所なく、全身に。


「な、なんで……何を……」

「あー、あと数秒で世界が戻る。――そら、戻ったぞ」


 さぁ、と霧が晴れるように、世界は白色へと戻る。


 そして、世界が消えれば当然矢も消える。

 僕の手足から、血がどくどくと吹き出す。同時に、


「く、うぅ、あー、ははは……、キッツいなあ、おい」


 少女の全身から赤色が滝のように吹き出す。ずたずたになった紺の制服が、一瞬で赤黒く染まる。


 ばしゃ、と少女が僕の上から白色の――白色だった地面に倒れる。

 彼女は殆ど動かない体で、目だけを動かして傍に膝をつく僕を見る。


「生きてる、な。ははは……」

「…………」


 どうして。

 何で。

 そう訊く前に、彼女の方が先に口を開いた。


「あー、もう……理由訊きたそうな、顔だな、おい」

「当たり、前だろ……」


 彼女の手元には、白の本があった。


「――お前、言った、だろ。現実世界で、世の中に馴染めない人々を救うための世界を、創る、って……」

「…………」

「僕のために死ぬとか、おかしいだろ。理論が、通って、ない」


 僕はぎり、と奥歯を噛む。


「馬鹿か、お前は……ッ! 目的と手段を、二度もすり替えるとか……、本当ッ!!」


「――いいや」


 その言葉に。

 咲耶姫は、そっとかぶりを振った。


「何も、間違えていないさ」

「……お前、」

「私は、何一つ間違えちゃ、いない」

「…………」


 ずるり、と咲耶姫の腕が上がる。

 ぽん、と優しく血濡れの手のひらが、僕の頭に置かれる。



「私が救いたかったのはな、最初から――お前ひとりだよ、中也」



「…………」

「そうだ。毎夜、一日に一度だけから出て、街を少し歩き回るだけのお前を見た時から――、私が救いたい相手は一人だったよ、中也」

「な……」

、だっけか? 命を捨てたみたいに、死んでるみたいに夜空を眺めていたお前を、救いたかったんだ」


 二年前。


 不治の病にかかった僕は、ずっと、今日に至るまであの部屋で――あの病室で、引き籠もっていた。


 身体は動いたので、両親の頼みもあって、夜に少しだけ外出することだけはできた。


 ずっとずっと。

 いずれ来る死に、心を麻痺させようと、同じ景色と人の営みをただ、眺めて――


「そう、だよ」


 僕は血の中で崩れるように笑う彼女の上体を、痛む腕で持ち上げる。


「そうだよ、僕の命は、あともって半年だ……!! だから、だから、最後にお前を手伝って、人を救うために、異世界を残そうと……そう、」


 ――思っていたのに。


「なのに、助けたかったのは僕だけ、って、そんな、のは無いだろ……。僕は、」


 どうすれば、いいんだよ。


「そーだな……」


 じゃあ、と咲耶姫は微笑む


「――お前が異世界を創ってくれよ」

「――――、」

「目的を失った私の代わりに、人を救ってくれよ」

「無理、だ」


 半年後に、死ぬんだぞ。


「いいや、無理じゃない」


 死にゆく身で、彼女はきっぱりと、強い口調で言った。

 そして、彼女は白の本を、僕に差し出す。


「――はい。やるよ、これ」

「……は?」

「私は、これを手に入れて神になったんだ、きっと。うん、それは覚えてる。これを手に入れて、――お前が神様になれよ」

「――何を、」

「そうすれば、お前は魂と肉体を切り離せる。この世界に魂を固定すれば、お前は生き続けられる」

「んな事言ってんじゃねえよ!!」


 怒鳴ると、彼女は透き通るような眼でこちらを真っすぐに見た。


「――どうせ、私は助からないしな」


 それに、と神様のような少女は続ける。


「それに、な。私はもう、死んでるようなものだ。死の瞬間を、二百年も延ばしたようなものだ」


 だから、


「私を、正しく死なせてくれよ、中也」

「…………っ、あ」

「異世界の主人公には、してやれないけど――神様だ。上出来、でしょう?」


 白の本を掴む咲耶姫の手が、落ちる。そして、本は下にあった僕の手に落ち、所有者が移動する。



「…………」

「――――」



「……咲耶姫」


「――ん、何?」


「少し、前に。僕の病室に来てくれた、よな」


「……そう、ね」


「――ありがとう。この二年間で、あの病室に来てくれたのは、お前だけだったよ」


「寂しい奴め」



 ふ、とほんの小さく笑って。

 神様だった少女は、目を閉じた。


 僕は暫く彼女の身体を抱きかかえて。

 そっと、降ろした。



「……酷いな、本当」


 まるで、呪いだ。


 でも。


 もし、僕が。

 彼女の夢を、異世界の夢を、見続けられるのなら。


 それを、僕が叶えられるなら。


「……僕は、生きるよ。咲耶姫」


 白い本を、手に取る。



 僕の夢を、見続けるために。

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