第6話 邂逅


「なんかハウの奴、元気なくね?」

新羽田警備基地に駐留するSSTの当番詰め所の中で、ハウの同僚たちが顔を寄せ合って、小声で話をしていた。

「降下訓練でも潜水訓練でもこう、完璧ではあるんだけど、なんかこう、なんつうの、自動運転〜、みたいな感じでさ。」

「俺もそれ思った。突入訓練の時、普通だったらあの警棒でやられると『うおおおお、痛ええええ!おまえ、訓練でそれねぇだろ!』って感じなのに、今日のとか『おい、痛いよ!』ぐらいだったもんな。」

 5人ほど集まって、うんうんと頷きあう。そして部屋の隅へと視線を移す。当の本人は、床の上で大きめの段ボールを二つ折りにして、挟まって横になっている。口をへの字にまげ、上を向いて目を開いているのだが、全く反応がない。うち一人が意を決したように、小声でハウに声をかける。

「おーい、お前のプリン、食べちゃうぞ〜」

 その言葉に他の4人が、思わず戦慄して身構えるが、なんの反応もなかった。

 5人全員が見てはいけないものを見たという表情を浮かべ、顔を見あわす。そして先ほどの一人が忍び足で冷蔵庫に移動して、扉を開け、ハウの名前のついたプリンに手を伸ばすと、ハウは起き上がらないまま、目にも止まらぬ早さでヘルメットが投げつけた。ヘルメットは見事頭に命中し、相手はその場で轟沈した。

 ハウは段ボールの中で体をひねり、背を向けて、また動かなくなった。


 当番の勤務時間があがりになり、夕方にさしかかる頃、ハウは基地から最寄りの新空港アクセス線の駅へ向かって、川沿いをとぼとぼ歩いていた。

 自分はなんで今の職を目指したんだろう。漠然とした「海の中に残してきたものがある」その感情だったように思う。でもそれがどこから来たのかは思い出せない。高原の病院で、アタシがアタシであることを気付いたときには、その思いは自分の中にあった。それを知るために海の仕事を目指し、数限りなく海の中にも潜ってきた。しかしそこにはなかった。

 しかし、あの事件の時、咄嗟に飛び込んで自分の中には、それがあったような、おぼろげな感覚があった。あったのだ。しかし、相手が何処の誰か、おぼろげには分かっても、それを知る術もない。調べても答えは返ってこないだろう。それが自らを含め、特殊な組織というものだとハウには分かっていた。

 自分の手のひらを見て、握って見つめ、また開いて前に差し出す。

 ハウの頭の上を、リニアモノレールがかすかな音を立てて通りすぎていった。ハウが目線だけで、それが見えなくなるまで追いかける。川を渡る風が髪を揺らし、我に返って伸ばした手を見ると、そこにはメールのアイコンが点滅していた。


・葉山 エル・マール・アズール


 ハウが電車を乗り継ぎ、匿名のメールにあった位置座標に辿り着くと、空はもう夕暮れに染まり始めていた。そこにあったのは白い、そして小さなお城のような、海に面したレストランだった。アクセスのせいもあり、人はまばら。白い扉を押して入ると、客のいない換算としたフロアの向こうに海に張りだしたテラスがあった。ロマンスグレーのウェイターに席の希望を尋ねられ、テラス席を選ぶ。歩く視線の先、クラシカルな様式の窓枠の中、遠くまで澄んだ空気の向こう、歌にも唄われた島と、冠雪した山が妙に近い距離感で、絵画のように映えていた。

 ウェイターは席を引きハウを座らせると、手慣れた、しかし雰囲気のある所作でメニューを手渡す。ハウが「もう一人来ますので、それから…」というと、微笑みながら会釈をして、一旦厨房の方に消え、背の高いグラスと冷えた青い瓶とともに戻り、グラスを目の前に据えて穏やかな手つきで注いだ。

 ウェイターが立ち去ると、グラスの向こうに目の前の景色が透ける。陽は島影にさしかかり、右手の浜では、かすかな音を立て白波が寄せては返すことを繰り返していた。やがて軽く目を閉じ、波の音と潮の香りを確かめるように深く息を吸うと、ハウの後ろから足音が聞こえてきた。石材の床を鳴らし、やがてそれはテラスの木の床を歩く、ヒールの音になった。ハウは目を閉じたまま、両手を膝の上でぐっと握る。足音は一歩、二歩とハウの方に近づいてくる。

 その足音が、ハウすぐ後ろに来たときに、声を上げて振り返って名前を呼んだ。

「パトロ!」

 そこには、長身で黒いパンツと体の線に沿ったブラウスを着た、ショートカットの女性が立っていた。

「…ご、ごめんなさい!」

「…ううん。そうよ。私。」

驚いた表情から眼を細め、パトロは微笑んだ。

「やっぱり!」

 ハウの顔が、ぱあっと明るくなった。

「…驚かないの?」 

 パトロはテーブルを回り込んで、自分で椅子を引きハウの前の席に座った。

「ぜんぜん。私、昔、長野の山の上の病院に居たんだ。そこで色んな人が色んなアバターを使うのをみたの。だから見た目が変わっても、誰だろうって分かるよ。」

 ハウはこみ上げる感情が急かすようにそう言った。そして、すこしパトロをじっと見ると、顔からARグラスを外し、それをたたんでパトロとの間に置いた。それは障害や事故、何らかの事情でアバターを使うものに対して、生身の人間が相手を自分と同じに扱い、五感のみでコミュニケーションをすることを表すジェスチャーだった。つまり、ハウは目の前に居るパトロも、またアバターであることをわかっている事も示していた。

「それにパトロ。アタシたくさんの人を見てきたから、本当に笑っているのか、プログラムを使って笑っているふりをしているのかも分かるよ。」

「…私は?」

「本当に笑っている。逢いたくってきてくれたって、思った。」

ハウはテーブルの上に手を置いて、少し息を勢いを付けて身を乗り出しそう答えた。パトロは子犬のようなハウの仕草に、顔を少し斜めにし、軽く握った手を口元に当て、ふふっと微笑んだ。そして目線だけをハウに戻すと、向き直って話しかける。

「逢って聞きたかったことはあるんだけど、まずは隊長から。パトロの協力で無事事件を解決できたことを感謝するって。そしてきちんと話したいことを話して鯉って言われた。」

パトロは頷いた。

「私からは…、あのとき助けてくれて、本当にありがとう。」

すこし目線を下に逸らし、話を続ける。

「私、昔ね、ダイビングの仕事をしてたことがあったの。その頃はいろんなことがあまり上手く行って無くて、仕事の合間に海の底に沈んでは、上を見上げて、あの光の中から誰かが迎えに来てくれないかなって思ったり、もし叶わないなら光の中に溶けていけたら、って思ってた。あのとき、私は海の中沈んでいくときに、その頃の私、恐れ、もろさ、儚さ、そしてなにもできない自分であった事を思いだして、すぐにアバターを切ろうとしたの。そうしたら仲間が、もう少しそのままで居なって言ってくれた…」

 ハウはじっとおだやかな眼でその眼を見ている。また視線をおぼろげにハウの方に戻す。

「もしかして、誰かが来るの?ハウが来てくれるの?そう思ったら、本当にあなたが来た。光が見えたとき、人魚のように手を差しのべるあなたが見えた。あの時は誰も来なかったけど、今度は来てくれたんだって。」

 ハウの瞳が潤んでいた。パトロはハウの眼を見返す。

「……なんで見捨てなかったの?アバターだったのに。」

「だって、それだってパトロじゃん。今居るその体だって、パトロじゃん。全部含めてパトロでしょ。自分が泣いているの、気付かないの?」

 パトロは自分の手の甲に、感じたことがない感触を覚えた。この体には、そんな機能があったんだということを知った。ハウは片方の手で自分の目尻を拭いながら、泣いているとも笑っているとも言えない、両方が入り交じった顔で、バッグの中からハンカチを取りだしてパトロに渡した。

「…そうね。」

 二人の間に沈黙が流れた。途絶えた会話を波のさざめきが埋める。陽はいっそう傾き島の高さにまで下りてきていた。

 革靴の足音がして二人の前にコーヒーが運ばれてくる。ハウが気付いて見上げると、それはいつぞや研修で見たウェイターだった。無言でハウの前に丸いカップを、そしてパトロの前に六角のカップを置いて、会釈をすると去って行った。パトロのカップからは湯気が立っておらず、カップの中の模様をすかして見る事ができた。その形の異なるカップは、二人の立つ場所の違いの隠喩のようだった。彼女が誰であるのか、どこに居るのか、本当の名前はなんというのか。彼女自身の口から語られないということは聞くことはできないということだった。それは特殊部隊に身をおくものの身を守るためのルールだった。

 ハウはカップに手を添え、そんなことを考えていたが、一口飲むとそれを置き、あの日からずっとバッグの中に入れておいたものを手のひらに握った。

「あのね、お土産を持ってきたの。」

「なあに?」

 ハウの言葉に、同じようにカップに手を添えていたパトロが答えた。

「パトロって名前、パトローネだと思って、薬莢の事かなと思ったけど、あえてこっちにしてみました。じゃん!これ知ってる?」

 ハウは手のひらを指しだして、開いて見せた。そこには上下が黒く動画黄色い、小さな筒状のものがあった。

「…フィルムカメラのフィルムのパトローネ?」

 カメラがデジタルばかりになった中、水の中の撮影では色特性が良いと、いまだに使われる事がある。それ故にパトロはそれを見たことがあった。そしてそれがなんという名前なのかも知っていた。。しかし自分の名前、薬莢であるパトローネと、そのパトローネが同じ言葉であるとは思ったこともなかった。

「これをあげるね。この中に、長い紙が巻かれて入っています! その紙には、私を呼び出すための暗号キーが書いてあるから、必要になったときはいつでも呼んでね!」

 差し出されたそれをパトロは受け取り、両手を添えて胸の前に持って、

「…うん。大切にする。」

 と答えた。その姿は穏やかに祈りを捧げる乙女のようだった。

 ハウはそれを見て、いろいろな気持ちがあふれてしまいそうになり、顔を上に向けると、席を立って、テラスの端のほうに歩いて行った。島影の向こう水平線近くになった夕陽に、背を向け振り返ると満面の笑みでパトロに声をかけた。

 「夕陽が綺麗!」

 パトロは逆光になって良く見えないハウの顔をまぶしげに見つめ、穏やかな顔で答えた。

 「本当ね。」



・首相官邸 官房長官室併設秘書官室


 女性職員が、ドアの開いている部屋に入ってきて、形ばかりにドアをノックし、部屋に数人居るうちの一人に声をかけた。

「稲妻秘書官、一件リスケになりましたので、今から15分、入れますよ。」

「おお、ありがとう! 入る。入る。」

 稲妻はそう答えて、机の上にあった封筒を掴んで女性職員と共に部屋を出た。


「稲妻、入ります。」

 ノックをして部屋に入ると、長官の鹿島は電話中だった。手のひらで制して、ソファの方を指さす。

「ああ、うん。党の中の主要な意見集約と、万が一の時のための党側の対応と想定問答を練ってくれ。野党ならまだしも、身内に後ろから弓引かれた堪らんからな。必要なら時間を作って説得に行く。他の国があれだけ散々ぱらやられているのを見て、何もするなって方が異常だろ。とんちんかんなこと言う奴は、実例出して、じゃあどうするんだって、理詰めで言えばいいんだよ。頼む。」

 ソファに向かって歩きながらそう言うと、機密携帯を切った。そしてソファに歩み寄りどんと腰掛けた。上を向いて眉間を押さえ、大きく1つため息をつく。

「すまん。」

「いえ。先日の件、秋尾隊長がOKとのことです。それとこれ、例の身体検査です。遅くなりました。」

「ん。」

 鹿島は眼鏡をかけて、差し出された書類を読み始めた。

 

本名:如月美景(きさらぎみかげ)22歳

 出身:神奈川県鎌倉市

 家父長制の色濃い旧家に生まれる。幼少時より成績は優秀だったが、ある年、首席を逃したことに不満を持った父により、家庭内暴力が始まる。それ以降、父親とそれに絶対服状の母親からネグレクト。父による度重なる暴行もあり、通報により児童相談所が複数回保護ののち、親権停止。親族おらず引き取り手がなく、また隔離する必要が認められたため、遠地療養を目的として沖ノ島県ウタキ島の保護施設に収容。自然に親しみ、人とのコミュニケーションの回復を目的とする行動療法の一環として、保護施設職員の実家のダイビングサービスを手伝わせる試みを行うが改善せず。保護時からあったネガティブである状態と極めて攻撃的な状態の起伏が激しく、またその間での記憶の欠落も散見されたため、精神科医とカウンセラーによる診察を受けた結果、DSM−5診断において解離性同一症とされる。これに際して治療方針を転換し、当時初期段階であったBMIを用いた仮想空間での心理治療が行われ、症状の改善を見る。またそれにより約一年後、交代人格の消去に至る。以降定期的な診断とカウンセリングを行っているが、交代人格の出現は見受けられず、5年経過を持って完治と診断した。

 改善後はダイビングサービス業務にてコミュニケーション能力の著しい向上が見られたが、基本的には元来のおとなしい主人格が継承された。(以上、児童相談所、ウタキ島保護施設観察記録、職員からの聞き取りより)


 稲妻は鹿島が読み終わった頃合いを見て、手元の資料に目を落としながら話しかけた。鹿島は眼鏡の上から稲妻を見る。

「自衛隊へは、そのダイビングサービスに訓練がてら訪れていた自衛官やマリーンズの勧めで入隊したようです。動機としては世話になった職員が里親になったのですが、その里親に迷惑をかけられないからということと、生活に困らない各種資格を取得するためだそうで、頭が良かったこと、仕事がらで体力があったことなどから、自衛隊員は防衛大学校を薦めたそうですが、本人は一般曹候補生過程を選択しました。希望通り普通科に配属され、仕事で鍛えたタフネスさもあって部隊内での評価は良好。同僚の印象はクールで任務を淡々と遂行するというもので、これは先日の印象と同じです。ウタキ島時代に島のものから武術の訓練を受けていたようで、特に徒手格闘、短剣格闘に秀でていて、格闘徽章、射撃徽章、FF徽章、これは空挺ですね、を得ています。現在のサイバーコマンド電子物理戦部隊へは、自衛隊内で行われたサイバー部隊の選抜試験に合格したことからですが、同僚によれば入隊した当時からスキルがあったそうで、おそらくウタキ島時代に得たものと思われます。その後、政府認定ハッカーの資格も取得しています。ちなみに入隊当時の志望理由は『探し求めるもののためにスキルがいる』とのことで、面接官は資格取得や向上心を表す言葉としてとらえたようですが。それから、小学校時代の担任、児童相談所職員、保護施設職員、自衛隊入隊当初の上司に写真付きで確認しましたが、本人であることは間違いないそうです。戸籍にも怪しい部分は見られませんでした。背乗りの件はないかと。」

 稲妻が話終わったことで、鹿島は眼鏡を外してたたむと、唇をややとがらせ手でもてあそぶ。そして、ふう、と息を吐き背もたれに体を落としこんだ。

「で、お前の警察官僚としてのカンは?」

「現状は白寄りのグレーです。ウタキ島時代、とくにカウンセリング関係に疑問が残ります。通常は心を病んだ人間は何らかの余波が残ります。しかし如月の場合、その後の行動があまりに『問題がなさ過ぎます』。また交友関係の数も少ないです。ただ、内閣官房への併任を理由に、金や可能な限りの交友関係と連絡先を洗いましたが、怪しいものは見つかりませんでした。 そしてこの答えを満たす合理的な例もわずかながら存在します。」

 鹿島は自分の膝のあたりに目を落とし、呟いた。

「空(くう)か…」

「利己、つまり生き物としての自己保存本能を越えていれば。」

「…人は全てを失って、あるいは自らの心の中を探し求め過ぎたが故に、虚無の縁下り立ったとき、無に堕ちて帰らぬ者と、ただあるがままにある、空の境地に至る者がいる。如月がそれだと? それなりに長い人生で、坊主と剣術家、二人ぐらいしか見たことが無いのに?」

「長官。長官はあのとき如月に、濁ったものを見ましたか?」

「…いや、…まるでわいの田舎の山のわき水のようやった…。」

「…ウタキ島時代の如月の事は引き続き調べます。今は、あそこまでされて見た、ご自身の直感を信じられては?」

 鹿島はもてあそぶ手を止め、稲妻を見ると、少し顎をあげた。

「よし。あいつらに賭けよう。いざとなれば、私の首で総理はお守りする。」

 稲妻は身を乗り出し、ニカッと笑って、

「では、そのように。」

と答え、ソファから立って素早く頭を深く下げると、小走りに部屋を出ていった。



・海上保安庁 新羽田警備基地


「隊長、もう、なんで突然制服なんですかぁ?」

「いいから早くしろ!」

 パトロと逢って数週間後、ハウは当番明けの待機命令から、突然制服を着て外出する準備をしろと言われ、訳も分からずバタバタと制服に着替え隊長の敷島のもとに駆けてきた。

「うわ、基地長の車じゃないですか!いいんですか?」

「いいから早く乗れ!。運転手さん、お願いします。」

黒塗りの国産のセダンが、かすかなモーターを響かせ走り出し、すぐ最寄りの出入り口から湾岸高速に乗った。

「なんか式典でもあるんですかぁ?」

「まぁそんなもんだ。」

「じゃあもう少しおめかししてくれば良かった。もう、ぷんすか。」

「仕事なんだから、おとなしくしろって。」

 ハウはほおを膨らませて、窓の外を見た。敷島も反対側の窓の外を見ている。車はしばらく走り、いくつかの橋を越え、検問所があるトンネルを越えると、巨大な倉庫群ある島へと到着した。ハウはそこに見覚えがあった。政府機関合同のテストベッドで、新機材のテストや訓練を行う場所だった。ハウもその特性を買われ、たびたびここで新機材のテストを行ったことがあったのだ。

 車は旅客機が入るほどの巨大な倉庫の前に止まり、敷島とハウはそこで下りた。二人が倉庫の中へ歩いて行くと、仮設のセキュリティゲートが設置され、そこでセキュリティチェックを受け、ゲートを抜けると待ち構えていた職員に、敷島が話しかけた。

「海上保安庁の敷島と白井です。」

「お待ちしておりました。君、敷島隊長をご案内して。白井さんはこちらにお願いします。」

敷島は別の職員に誘導されるまえに、ハウに「絶対おとなしくしていろよ。ウロウロするなよ。」と言い聞かせた。ハウは口を尖らせながら「わかりましたよう」と行って、職員に案内された。

 ハウは倉庫の中央付近に着くと、地面にテープで×と印を付けられている所で、ここに立っていて下さいと指示される。ハウは「はあ」と生返事をすると、おとなしくそこに立った。隊長は壁際に案内されたようだ。

 他にも何人もの人が案内されていたが、さほど間を置かず、倉庫の入口から大きな何かが2台、視界をゆがめタイヤの音だけを鳴らし、ハウの横を通りすぎていった。さらに倉庫の前に大型のバスが止まると、砕けた私服の人間が十数名と、ワイシャツにスラックスの人間が同じく十数名下りてきた。

 バスで到着した人々は、ハウからやや離れたところに整列した。その間に倉庫の大きな扉が徐々に閉じられ始める。やがて扉が閉じきると鈍い金属の音が倉庫に響いた。間を置かず後方で車両の重めのドア開く音がする。ハウが肩越しにチラリと見ると、先ほど入ってきた何かの環境迷彩板がOFFになり、装甲輸送車が一台見え、もう一台の方は電導音を響かせて、長方形の車体が双腕の工作車のように変形しているのが見えた。そして装甲輸送車の後ろから、黒い突撃服を着た目出し帽の集団が飛び出してくるのを見た。

 ハウはテロ訓練かと思ったが、走って来た目出し帽の集団が、自分の真横に来て整列したので、とりあえずヤバめの人たちを招いた式典なのだと認識して直立不動で居た。

 やがて職員が演壇とマイク、そして国旗を用意し始めた。用意し終わると、倉庫の脇にも設置されたマイクに向かって職員が歩み寄った。

「只今より、内閣官房情報セキュリティ室事案対処チームの結成式を行います。」

 ハウは心の中で?マークをたくさん飛ばして考えるが、なんのことだかよく分からない。式典を間違えたのかと思ったが、目の端で隊長を見ても特に慌てているようにも見えない。

「内閣官房長官訓示!」

 えっ、と思ったハウの目の前の右方向から、官房長官の鹿島が演台に歩み寄り、立ち止まって国旗に一礼すると、演台に上った。

「一同、礼!」

 鹿島は右手を胸に当て、整列した者は敬礼をする。ハウも条件反射で敬礼をした。

「2020年。世界各国に鉄の流星が降ったあの日から16年が経った。世界はめざましい復興を遂げ、半年後に迫った東京復興五輪を持って、世界は平穏を取り戻したことを祝いあうはずだった。しかしここ数年、エレクトワールドから襲来する謎のブラックハッカーにより、サイバー攻撃のみならず、物理的打撃を与える各種サイバー物理戦が展開され、プロパガンダによる健全な思考の浸食、選挙への干渉のみならず、テロによる国民不安の醸成、アバターやオートマータを使った民衆の扇動、争点のねつ造と衝突の演出による、国家と国民、そして国民と国民の分断を図る攻撃が絶え間なく行われている。その攻撃が単なる悪意のハッカー集団によるものか、それとも国家的攻撃なのかは未だ結論を得ないが、我々がやるべき事は明快だ。これらをことごとく阻止し、我々、そして世界はこれらの一連のテロには屈せず、その攻撃は我らの生活には影響を及ぼし得ないということを明確に証明して見せる事だ!その為の君たちはここに集められた。」

 鹿島は演台に手をついて、整列した全員を見回す。そして続ける。

「我々はその阻止に向け可能な限り隠密に行動し、機先を制し、そして常に柔軟であり、いかなる事態をも対処も可能とするため、時に警察官・海上保安官、時に自衛官として、時に各省庁の上に立つ内閣官房の機関として、非公然の形を持たぬ組織としてにこれに当たる。その意志は明確で強固だ。」

 鹿島が倉庫の端の方に目をやり、右手の指で合図する。照明が落とされ、鹿島の背後の倉庫の壁にプロジェクターの光が投影される。

「今日、このときより我々はこの名を名乗る。」

 プロジェクターの光の中に文字が映し出された。

「サイバーコマンド・アイアンナイト!」

 鹿島の声が倉庫内に響く、そしてそれに応える野太い声と拍手が鳴り響いた。

「鉄の意志を持ってこれを成し遂げる国民の騎士。その意味をこの名に込める。そして同時に、皆も覚えているだろう、我々の多くの家族、友人、掛け替えのない人々の命を奪った、あの鉄の流星の夜を二度と起こさせないという想いを込めるものだ。」

 もう一度鹿島はメンバーの顔を、ゆっくりと眼で追った。

「たのんだぞ!諸君!」

 鹿島はそう締め括り、もう一度右手を胸に置いた。全員がそれに敬礼で返した。


 式典が終了し官房長官が去ると、ハウ事情が飲み込めずその場に立ち尽くした。んんん?結成式?自分はなんで呼ばれたのと思った。

 横に立っていた目出し帽の突撃服が、ハウの方を見て好意的に笑ったのは分かったが、話しかけるまえに、その場を去って双輪輸送車の方に歩いて行った。その人物と入れ替わりに、目出し帽の集団の後ろに方に居た人物がハウに近づいてきた。その人物は突撃服では無く、どこかで見た姿をしていた。いや見たはずだ、港湾会社の事件でハウが着ていたナイトアーマーだ。ただバイザーの部分はスモークになり表情は見えない。

 ああ、この人のスーツだったのかと漠然と思っていると、その人物はハウに向かって近づいてきて目の前に立ち、ハウが胸ポケットに指していたARグラスを抜き取り、開いて電源を入れ素早くハウにかけた。ハウが咄嗟の事で反応できずにいると、電導接触通信でハウのグラスの中に暗号メッセージが表示された。ハウは驚いたが、とりあえずそのメッセージに適合する秘密鍵を探す。鍵が適合してメッセージが表示された。

「必要だから、あなたを呼んでみた。ちょっと早すぎた?」

そしてハウがその鍵の適合者欄を見ると、そこにはパトロの名前があった。ハウがその名前の意味を理解して、思わすグラスを取ると、その人物が

「ナイトアーマー! クォーターDECODE!」

 とコールした。アーマーが首もとまで後ろ側に解除され、そこにはハウが知らない、でも思え描いていたとおりの顔と、優しい微笑みがあった。

「今日からよろしくね。バディ。」

 パトロが拳を作ってハウの胸をぽんと叩くと、ハウは直立不動のまま、みるみる涙をあふれさせ、大声を上げたと思うとパトロに全力で抱きついた。

「うえええええ、バドロォおおおおお」

 パトロは驚いたが、すぐに両手でハウを抱きしめかえし、手のひらで背中をぽんぽんとたたいた。

「ドール、こいつが新入りか?」

 恰幅の良い目出し帽の男が、パトロにそう尋ねた。

「そう。あと、今日から私、コードネームはパトロだから。」


 秋尾は装甲輸送車の横に立ちながら、それを見ていた。

 秋尾はここまであえて、「流れに逆らわず、流されるがまま」に動いてきた。激流にあっては、それがもっとも合理的な対処手段であると、自衛隊の訓練でも知っていたからだ。たしかに、癖のある人物がプレイヤーだが悪意を感じることもなく、不合理な危険も無く、ましてや与えられた装備、環境、身分は十分すぎるものだった。できすぎと言えばできすぎであり、ただ、そのかわりになぜという疑問は、あえて横に置いてきた。

 しかし今日、官房長官の訓示、そしてあたえられた隊の名前でその霧は一気に晴れた。

 アイアンナイト。

 2020年のあの日に物心ついていたものは、その夜の名前を知らぬ者はない。あの夜には多くの謎があるのだ。

 ミサイルの炸裂と共に起こった、全ての通信喪失「グレート・エレクトロ・ブラックアウト」から、世界が目と耳と口を取り戻したときには、できあがったストーリーとそれを擁護する発信が世界に満ち、疑念を語ることはすなわちそれを起こした国家を擁護するものと、レッテルを貼られ指さされることになった。

 しかしエレクトロワールドに逃げ込んだそれを忘れぬ者たち、そして忘れずともその手段は良しとせぬ者たちの、姿の見えぬ戦いに挑むという宣言なのだと、そう秋尾は理解した。我々はその武器になるのだ。

 サイバーコマンドの結成から、なぜ自分が指揮を執り、そしてなぜこの特殊な性格とスキルを持つ部下達が集まったのか、ずっと疑問に思って居たが、物語はその遙か以前から始まっていたのだろう。そして今日、ようやく物語のキャストの欄がすべて埋まったのだ。そしてその欄に自分の役名があると言うことは、たぶん、自分にも自分が理解し得ない役割があるのだろう、異能の部下達とは違う凡人たる自分にも。そう思った。


 秋尾の部下達が、ドールに抱きついていたハウを持ち上げると、狩りで捕まえた獲物のように、頭の上に掲げて装甲輸送車の方に動き出した。目出し帽を被っていることもあり、まるで山賊の集団のようだ。

「きゃー!ちょっとまって!どういうことぉおおおお?」

 ハウはそう叫んだが、山賊共になすすべもなく連れられ、秋尾の前を通り、装甲輸送車の後部から車内に投げ込まれると、装甲輸送車と、そして走行形態になった装甲工作車は、環境迷彩板をONにして周辺の風景に偽装し、すぐさま倉庫から走り去っていった。

 秋尾はその場に立ち尽くした。

「……俺、どうやって基地に帰るの?」

 目出し帽を脱いで呆然としていると、海上保安庁の制服を着た男性が秋尾に近づいてきた。それはハウの上司の敷島だった。

「あの、秋尾隊長ですよね。先日メールでやり取りさせていただいた、自分は海上保安庁の…」

 秋尾は素早く敬礼して答えた。

「存じ上げています。敷島隊長。この度はご無理を聞いていただきまして、ありがとうございました。白井君の調査書の備考欄も拝見いたしました。大変感謝しております!」

敷島も敬礼を返した

「…秋尾隊長。大変厚かましいとは存じますが、お願いがあります。」

 秋尾はそれが職務上の言い渡し事項ではないと察して、姿勢の緊張を解き、両手を体の前に揃えて立った。

「白井は、自分が言うのもなんですが、異能の海上保安官です。もちろん書きました通り、はたからみれば暴走癖のあるやっかいな隊員です。場合によっては他の隊員の身を危険にさらすことがあることも否めません。しかし、あの報告書を書いてから、ずっと基地長が言ったことの自問自答を繰り返していました。振り返ればあいつの暴走は、決して茫然自失でも、己を見失っているのでも、ましてや攻撃の快楽に溺れている訳でもありません。おそらくわたしたちが理解出来ないゾーンで、最適解を追い求めて行動しているのだと思います。ただ、それが一人で完成するものではなく、たぶん同等の能力があるバディが居て初めて完成するものであり、今の他の隊員達とはレベル、というよりはベクトル、いや考え方の異なる次元にその答えがあるのだと、日に日に思うようになりました。」

 敷島は制帽を少し強く握っている。

「しかし、ご存じの通り組織というのは個の資質に負うものであってはなりません。一人ではなくバディで、そしてさらにチームでその高みに到達して、始めてそのありようが認められるものです。それに先日の作戦のハウの映像を見れば、その行く先は、おそらくサイバーの世界とは縁遠い我らSSTにはなく、かといってSSTが彼女一人のために、職務として求められていない姿に変わる事も難しい。」

 敷島は握っていた制帽を、両手でその前後を支え被る。

「お答えいただくことはできないと思いますので、私の独り言です。どうか白井が存分に力を出し切れるようにしてやってください。白井の事をお願いします。それはきっと私たちの国を守る力になると思います。」

 タイヤの音が近づいてきて、秋尾の後ろで見えない箱状のものが止まる。秋尾はBMI通信で車内に呼びかけた。

「ドール、ちょっと外へ」

 風景が歪んだ空間の一部が動いて、中からナイトアーマーのドールが現れると、秋尾の横にやってきて、敷島を見て足を鳴らし敬礼する。秋尾はドールの肩に手をやって敷島に答えた。

「大丈夫。大丈夫です。」

 敷島も足を鳴らして、ドールに敬礼を返した。

 ドールの後方、ドアのあたりからハウが首を出して周りを見回し、敷島を見つける。

「隊長!また、遊びに行きますね!」

 敷島はハウの方をギロッと見て、怒鳴るように言った。

「うるさい!お前はもう、一人前になるまでSSTの敷居をまたぐな!」

 言い終わると、きびすを返して去って行った。ハウは叱られた犬のようなさみしそうな顔でそれを見送った。

 秋尾は装甲輸送車に乗り込もうとすると、ハウの肩を叩いて

「お墨付きももらったし、早くSSTに遊びに行けるように、スパルタで鍛えてやるからな」

と言った。ハウと「ええええ」と驚いたが、秋尾が続けて、「いいおやっさんだな」というと、尻尾を振るような雰囲気で大きく頷いた。

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