第5話 発火


第5章 発火


・第二京浜島、港湾管理会社


 午後4時半を過ぎるころ、自動運転車が港湾管理会社の駐車場に滑り込んできた。社屋は自社岸壁のそばに立っており、接岸した船から陸揚げもできる位置にある。おそらくもともと港湾管理会社ではなく、陸揚げした荷物を管理するための倉庫会社の建物だったのだろう。一階部分は広い倉庫で、その脇に3階建ての社屋が併設されていた。50mほど海路を挟んだ反対側にはビルがあり、その向こうには飛行機が飛び去る姿が見えた。

OL風の制服に着替えたハウとパトロがハンドバッグを持って車を降りると、その横、自動運転車の向こうを、風景を歪ませる長方形のなにかが、ロードノイズだけ立てて通りすぎ、敷地の一番隅へ移動していった。ハウはおぼろげなそれを目で追う。強い潮の匂いと空を飛ぶカモメの声がする。ハウはパトロの方に振り返ると、建物の入口を指して二人で歩き出した。しかし、すぐにパトロを手で制する。

ハウのARグラスの中で、入口の中のセキュリティゲートの横の貼り紙が拡大される。

「ロボット、アバターお断り!新羽田地区港湾企業組合」

ああ、ロボットに仕事を奪われると、根拠の無いヘイトをまき散らしている経営者らしい、と理解した。ハウはパトロに

「あっち向いて、なにか通話しているようにしてて。すぐに呼ぶからね。あとサイバースポット始めて。」

と言った。パトロはこくんと頷いてその通りにする。

パトロは先に入口に向かうと、インターホンに向かって

「派遣会社から、夜番の代行で来たんですが。私と、あともう一人来ます。」

 と告げ、持っていたカードも認証する。スピーカーで応答があってドアが開いた。そしてセキュリティゲートを通るとトイレを探すふりをして、ARグラスで一階の見える範囲の監視カメラとWIFIルーターの位置を探索する。カメラが玄関あたりだけを撮影している事を確認すると、トイレへの途中、廊下の中程にあるルーターの下に来て、壁の上にあるルータの型番を確認、軽くジャンプし背面の空いているLANポートに小さな無線LAN端末を差し込んだ。そして何事もなかったかのようにトイレに入り、数分後、通信でパトロに中に入るように言う。パトロが「貼り紙が」というが、「大丈夫」と言って、セキュリティゲートを通過させた。パトロは特に何も無かったことに驚いたのか、やや挙動不審なそぶりで入ってきた。


「この娘、手際良いっすねぇ。」

椎名がいる暗い部屋の中のモニター、右上にGEEKSと書かれたものに映る、ひげ面の男がそう言った。

「こっちも事前にハックしてアシストの準備していたんすけどね、自前でセキュリティシステムに侵入して、相方のアバターを生身に誤認識させて、セキュリティゲートを通しましたよ。ついでに社屋内のカメラ、全部掌握しましたね。」

椎名が笑いながらそれに答える。

「ははは。海保ではほぼ必要の無い技術だけど、どこで学んだろうねぇ。じゃあ作戦中、危なくない限り、見守りで。」

「了解っす。」

 そして椎名はその通話を秋尾に共有していた。秋尾はHUDの端にその映像を見つつ、建物の外側で準備を進める。自分に取ってはその手癖の悪さは、日常茶飯事なのだがと少しだけ思う。


 パトロはトイレのほうから歩いてくるハウに近寄ると、おずおずと

「あの、私もトイレ…」

 と言った。ああ、トイレ、ん、アバターがトイレ?と思ったが、パトロが小声で「排水…」と言ったので、理解すると同時に、アバターだとそんな風に恥じらうんだと、、不思議ななにかが湧いてきた。しかし突っ込むとセクハラコードに抵触すると、とりあえずその感情と詮索せずにおく。そう、あくまでも燃料電池用燃料の化学変化後の排水だ。

 パトロはトイレに入ると、足音を殺し、外に向けた窓の方に行き、音を立てないようにガラス窓を開ける。すると、窓の外から拳銃、グロック19が差し出された。差し出したのは秋尾だった。パトロは無言でそれを受け取り、音を立てないようにマガジンを確認し、スライドを操作して、ハンドバッグの底にしまい、上に財布などを置く。そして窓をゆっくりと閉めると、トイレの1つに入り、水を流し、手を洗い、トイレから出た。そのまま入口付近に居たハウのもとに戻る。ハウがパトロを見て「なにかあった?」と聞いたが、パトロは「ううん。」と答えたので、そのまま二人はサーバールームがある三階にあがった。

 社内に人気が無いことが気になりつつ部屋につくと、残っていた年配の事務員の女性が、今日は社長が急遽宴会をやると言い出して、他の人間は既に出発しているのだと聞かされる。その事務員も参加するために、社長が臨時の人材派遣をオーダーし自分たちを呼んだのだと説明した。事務員はハウに近づいてきて手を握りつつ、戸締まりなどの説明をする。突然のボディコミュニケーションに驚くが、握られた手には紙が渡されていた。相手はそのまま話し続けているので、相手との体の間で目立たぬように紙を開き、視線だけ降ろして見る。そこには「そう説明しろと言われています。よろしくお願いします。」と書いてあった。盗聴器などの可能性がある事を理解し、また事前にそのようなストーリーで椎名が準備を整えたことを推察する。おそらくこちらの対処スキルを確かめるために、最低限のことしか話さないのだろうということも。

 女性は「お茶菓子、自由に食べても良いからね、よろしくね。」と言って、足早に去って行った。ハウはパトロに歩み寄り、手を引いて、大きな部屋の奥のガラスの間仕切りの向こう、問題のサーバーがある前に移動した。その間にBMIとARグラスから、腕を伝って生体電導通信で状況を説明する。そして入口から見てテーブルが盾にできる位置にパトロを座らせると、「空気悪いねぇ、いれかえようか。」といいながら窓際に行き、打合せ通り数枚の窓ガラスを開けた。そこからお菓子とお茶のある棚に移動すると、後ろの窓際の方で小さくゴトッという音がした。振り返らず先ほど掌握したカメラで見ると、窓際の下の一角が、縦に長い長方形でやや歪んでいる。そこに環境迷彩板を付けた箱があるはずだった。

 茶器やポットがある棚を漁ると、アメやら小さなチョコやらが、やたらとため込まれていた。ハウは適当に掴むとパトロが座る机に戻る。隣に座り、自然な仕草で部屋を見回す。同時にARグラスで隠しカメラの探知を行い、なにも検知できないことを確認。続いて室内の3Dスキャンを行い、情報を作戦ネットワークに流す。

「準備整いました。」

 自分の中でとりあえずの準備が整ったので、椎名と秋尾に音声なしでそう告げた。

 それを受けて椎名が全チームの状況を確認し、今までの椎名とは異なる激のある声で号令をかけた。

「じゃあ始めよう。作戦開始!」


突然部屋の照明が消え、ハウとパトロの後ろの部屋から、ピー、ピー、と間隔を開けて警告音が鳴り始める。続いて「外部電源が遮断されました。UPSにより稼働継続中。5分以内に復旧しない場合は、自動的にシステムが、シャットダウンされます。」という人工音声と、それにかぶるように「インターネット回線が、使用できません。外部への、警告発信が、行えません。至急回線を、確認して、ください。必要に、応じて、保守契約の、会社に、電話での連絡を、行ってください」という人工音声が繰り返し出力されてる。しばらくすると電源は復旧する。それに伴い「電源が復旧しました。通常モードに復帰します。」という音声が流れた、後者のものはそのままとなった。

 その時、ARグラスの中にGEEKSと表示のウィンドウが開き、椎名との作戦指揮車の通信が共有される。

「おお、外部からもサーバーの稼働を見ているシステムがあったんすが、そっちの警告メールを途中でパクって転送してますね。本来の契約会社には行ってません。」

「こちらポイントB、偽装会社から1名出て、下の駐車場に向かっています。」

椎名が答える。

「ポイントBの対象とT1とする。ポイントBのチームはそのまま待機。GEEKS。対テロ作戦捜査時の特例に従って、N―FACEシステムを起動。顔認識で追跡。同時に偽装会社から出た車両をNシステム、ドローンと共に追跡。途中取得できる情報は流してください。」

「了解っす。」

 偽装会社からは営業バンという雰囲気の車が、男を1名乗せて走り始めた。


 パトロは先ほど届いていた「トライデント」の箱の中に入っていたものの中から、大きめのハンドバッグに入れていたものを音を立てないように漁る。まず、3,40センチぐらいの黒い棒を出し、パトロに渡す。パトロはそれを頷いて受け取る。続いて小さなブロック状のものをいくつか取り出し、立ち上がって部屋の中をぷらぷらと歩き出した。そして時折しゃがんだり、また歩き出したりしている。数分経つと、またパトロの横に戻ってきた。


「さっき通過した地点のN−FACE,サーモグラフィーも持ってたんすが、面白いデータが取れましたよ。」

 交差点で止まるT1を光学的に撮影した映像と、続いてサーモグラフィーで撮影した画像が表示される。隣の車の人間とT1では、サーモグラフィの分布が明らかに異なっていた。

「これ『健康保険適応外』ってやつっすね。」

「そりゃあ、海外からのお客さんの可能性が高いからね。我が国の健康保険に便乗せず自費でやるのは関心だよ。生が残っている事を願うね。」

 GEEKSの発言への椎名の返事は、T1への皮肉だ。国で認められている生体換装機器以上のものを付けている、あるいは規格外のものを付けていることを指し、つまりはルールを守る、善良な国民ではないことを指する。そしてもし生体が残っていなかったら、それはアバターかオートマータであることを指し、この後の行程を一層複雑にすることを意味する。

 別のGEEKSがやや急ぐ口調で発言する。

「倉庫会社のシステムに異変あり。VPNを使っているので経路は不明ですが、偽装会社からの通信の送信パケットハッシュ値と、港湾会社受信パケットハッシュ値が一致。改正不正アクセス防止法要件にマッチ。あっさり入られたので、バックドアがありますね。人事管理システムに侵入成功……権限掌握……登録されているシステム保守会社の名義で、新規アカウントを作成。これでIDチェックはパスです。続いてセキュリティゲートに侵入…権限掌握…ああ、誰が通っても問題なしの結果を返すように細工しましたね。これで立ち入りはフリーハンドです。」

「事務員の娘さん、コピー?」

「アイコピー。」

ハウが電子音声で答えた。

「到着推定時間は三分後です。」

「ラジャー。」

ハウは手近な机を漁って、事務連絡用のノートを見つけ机の上に置く。

 

 秋尾はビルの外壁にへばりつきながら、スピア、ファルコン、ハッパー、ハウ、パトロに機械音声で通信は発する。

「ハッパー。この車は通せ。」

「了解ぃ〜。」

「ハウ、パトロ両名。対処のボーダーは銃だ。銃が出るかそれに等しい状況で、俺とスピアで対処に当たる。その時は身の安全を確保しろ。」

「…了解。」「はいい。」「了解!」

秋尾はファルコンの返事がなかったので、問いかける。

「ファルコン、何かあるか?」

「いえ、やたらとカモメが多いので、バードドローンが邪魔されやすいのですが、特には問題は…」

「そいつはドローンか?」

「いえ、分かる範囲では生ですね。」

「分かった、引き続き警戒しろ。」

ハッパーが割って入る。

「隊長。報告のあったバンで〜す。」

「来るぞ!」


ハウの前の電話が鳴り、ハウはそれを取り上げる。

「はぁい。」

「城東システムメンテナンスです。なんか回線が切れたみたいなので、いつもの富田の代わりに来ました。」

「はあ。」

「開けてくださーい。」

ハウが、当然のようにIDカードが認証されたのを見てドアのロックボタンを押すと、男がゲートを入って、アタッシュケースを手荷物用のスキャナーに、自分はボディスキャナーを通過した。警告音などは出ない。


「よかったっすね。半生ですよ。アタッシュケースの中身は、確認出来る範囲では銃器はないっす。」

椎名が答える。

「白井君、敵は規格外の機体。腕に自信があるようですよ。」

「了解しました。」

ハウは素っ気なく答えた。


ハウは作戦ネットワークに対して自分の視界を共有した。監視カメラで侵入してきた人物のスキャニングを行う。自らが保有するアシストAIが、目を義眼と判定する。最大拡大すると、虹彩の周りに文字が書いてあるのが見えた。

【Carl Zeiss Distagon T☆ 2.8/15】

ハウは星がアスクタリスクで「ない」ことに気付く。

「ヴェルネラブルスキャン。」

アシストAIに対してそう指示をする。間を置かずAIが返答する。

「Hit。Trace Buffer Over Flow 256。」

ハウは口の中で「256」とつぶやき、部屋の中を見回す。

GEEKSのリーダーが、椎名に対して、チャットに切り替えて会話を続ける。

「くああ、しびれるなぁ、この娘。T1が義眼だと分かると、その義眼がパッチモンであることに気付いて、システム的脆弱性を即座に調べたんすよ。」

椎名は直接返答せず、くっくっくっと笑う。当然それは先ほどと同じように秋尾に共有されている。こういう動的な対応の素早さは、ドールに似ていると感じる。

 ハウは先ほどのお菓子があった場所に来ると、棚にあった色とりどりのキャンディーが入っているガラスの容器を持ち上げる。

「スキャン、カウント キャンディー」

 そういって自分の前でガラスの容器を三方から見られるように動かすと、

「APPROX.350」

 と表示される。ハウはそれを持ってパトロの元に戻り、手を握って再び生体電導通信で言った。

「一つ目の合図でこれを相手にぶちまけて。二つ目の合図でこれね。」

そういって、ガラスの容器、次に黒い棒を指さした。パトロ意味を理解して頷く。

すると廊下を歩く音がして、男が部屋のドアを開けて帰ってきた。

「あのう、城東システムメンテナンスの鈴木ですが、いつもの富田の代わりに来ました。」

「あなたどなたですか?この事務連絡帳にも顔写真や名前はないし、会社に電話して確かめたら、そんな名前の人はいないって言われましたけど。」

男は舌打ちをすると、何も言わずにハウの方に向かってきた。ハウはその男に向かって足早に歩き制止しようとする。

「ちょっと、勝手に入らないでください。一体どこのひ」

「どけっ!」

男は持っていたアタッシュケースをふりかざして、ハウを窓の方向に跳ね飛ばした。ハウは悲鳴を上げて、そのまま窓際までよろめく。そのハウのARグラスに椎名からの声が入る。

「犯罪要件を満たしましたね。白井君、存分にやりなさい。」

「パトロ!」

パトロは立ち上がって、容器の中身をぶちまける。大量のキャンディーが男に降りかかった。男は視界を確保しつつ身構えたが、一秒ほどで周りを確かめるような仕草をし始めた。ハウがBMIから先ほど準備したトラップに指示を出すと、複数の噴射音がして、男とパトロを隔てる位置に向かって、事務机が10個ほど折り重なった。そのいくつかは男に激しくぶつかる。ハウはそれを確認すると、スナップ留めにしていた制服の上下剥ぎ取り、大きな声を上げた。

「ナイトアーマー!!」

ハウの後ろで電子音がして、何かのケースが開く音と共に、空間に黒い口が開く。

「ENCODE!!」

 黒い口から黒いものが、忍び寄るという言うには余りに素早く背後から取り付き、無数の牙状の影を咲かせたかと思うと、ハウの全身をくまなく包み込んだ。頭を含め、黒く鈍く光る、全身パワードスーツのハウがそこに立っていた。ハウは顔の見えるバイザーからパトロを見ると、小さく頷いた。パトロは言われたとおりに、黒い棒を投げる。ハウはそれを体の前で腕を振って、束の部分を握ると、体の横で一度縦に大きく振った。棒は金属音を響かせて、1m以上の長さに伸び、手元につばが開き、長い特殊警棒の形を成す。そしてハウの前に、ホログラムの海上保安庁バッジが表示される。ハウはグラスの中に執行許可が表示されているのを見て、男に向かって声を上げた。

「海上保安庁だ!暴行罪、および公務執行妨害の現行犯で逮捕する!投降しろ!」

 男は突然視線が定まり、ハウの方を向いて見据える、しかし動かない。ハウは予備動作無しに地面を蹴って瞬間で男と間合いを詰め、警棒を上段から男に振り下ろす。男はアタッシュケースを持った右手を振り上げそれを防ごうとするが、ハウの警棒の軌跡は途中から弧を描くと、アタッシュケースを横になぎ払い、男の手はその勢いに抗うことができず、ケースは横方向に飛んでいった。男は体が開いた勢いを利用し、左腕で殴りかかろうとする。ハウは警棒を反時計周りに回転させ、下からすくい上げる。男の上体が反った所に、続いて右足の関節を横からたたき付けると、バランスを崩させ、足で男を壁方向に蹴り飛ばした。男は壁に背中からぶち当たり、大きな鈍い音と、コンクリにひび割れを起こし、片膝をつき、前のめりに倒れそうになる。だが返りきる前に反対側の足で壁を蹴ってハウに突進してきた。ハウに対して右、左、道とパンチを繰り出すが、動作が大きすぎ、ハウは警棒の正面で捉えて当てさせない。三度目の左パンチの時、ハウは半身にして上から警棒を振り下ろし、腕を肘のあたりから金属骨格が歪むほど強烈に打ち据えた。

 その時パトロが叫ぶ。

「ベルトソード!」

 スローモーションの視界の中、気付くと男が右手をベルトのバックルのあたりにやり、掴んで引き抜こうとする。ハウはとっさに上半身を後ろに反らし、ベルトの引き抜きのタイミングと合わせて、そのまま数回背面方向に回転して間合いを取った。

 男は目線をハウからパトロに移し、机を越えてソードでパトロを貫こうとする。パトロが、ずっとテーブルの下、見えない位置で構えていたグロックを、相手に向けようとすると、ハウは、うおおおおと声を上げて、瞬きの間に間合いを詰め、相手の足を片手で掴むと、一回転分勢いを付け、パトロとは反対の方向に向かって投げ飛ばした。男は仕事机の上を、置かれた書類などを巻き上げながら、飛び石のように飛んでいく。ハウは辛うじて起き上がった男に向かって、また突進すると、警棒を上段から振り下ろして、今度は男が防御しようとした右手の骨格を歪ませた。すかさず警棒の束を男の顎に掠らせると、男の顔が歪む。間髪を入れず片手で男の胸ぐらを掴んで起立させ、足払いをかけて180度回転させると、そのまま頭を下に地面にたたき付けた。

「ハウ、もういい、確保だ!」

 外壁に張り付き状況を観察していた秋尾が、窓から入ってきてハウを制止しようとしたが、ハウは聞こえない様子のまま、地面に転がった男の上で、両足を仁王立ちになり、生体である首もとのあたりに逆さに構えた警棒を、突き降ろした。男がわずかに、うぐっとうめき声を上げると、次にバチバチっと電撃音がした。警棒のスタンガン機能を作動させたのだ。

「おい、ハウ!」

 秋尾は前から回り込んで、ハウの肩に手をかける。ハウは秋尾に顔を向けたが、その眼光は鋭く、明らかに獣のそれだった。

「…イ…カフ」

 ハウが小さく何かを言った。秋尾はそれが聞き取れなかった。

「…ECM、スタン、カフ。こいつ、…たぶんインプラント」

 ハウが、フー、フーと獣の息をしながら右手をゆっくりとさしだして、そう言った。秋尾はECM・スタンガン機能付きの手錠をよこせと言っているのだと理解したが、ギョロリと秋尾を見た眼光に気圧され、とっさにそれに反応することができなかった。

「ハウ!」

 気付くとパトロがハウの所にやってきていた。ハウが振り返ると、パトロがスタンカフをさしだしていた。ハウは息を吐くと、男の胸ぐらを掴んで持ち上げ、その背をパトロの方に向けて言った。

「…打って…」

 そう言われたパトロはこくりと頷いて、執行にあたり自分の前にホログラムの紋章を出す。

「午後5時2分。確保。」

 パトロはそう言ってスタンカフを撃ち、カフから伸ばしたワイヤーを首にもかけ、ECMを起動させた。ハウは興奮状態から覚めつつあり、ぼうっとそれを見ていたが、やがて、そのホログラムの紋章が、各省の司法警察官のそれでは無く、純粋な警察官のものである事に気付いた。

 男を連行するために、秋尾とパトロが男の腕を掴んで階段の方に向い部屋から姿を消すと、時を置かず、通信でタクシーが「行ったぞ!」と叫び、建物の外からタイヤの悲鳴、次に爆発音がし、続いてクラッシュ音、そして「仕留めましたー!」というハッパーの声がした。

「…ああ」

 そう小さく口にして、ハウはポイントBでも作戦が同時進行していたことを思いだした。


 ハウがパワードスーツを脱着して、一階に下りたころには、既に所轄の警視庁のパトカーなどが多数到着していた。おそらくポイントDから来ただろう、SSTのゾディアックボートも岸壁に係留されており、見知った顔の隊員も上陸していた。椎名もその場におり秋尾と会話している。取り押さえた男は制服の警察官が腕を掴み、男のそばにはパトロが立っていた。

 ハウはBMIを使ってパトロに話しかけようとしたが、回線が使用できない状態になっていることに気付く。ふとECMを起動させているのだから、電波が使えなくて当然な事に気付き、おそらく起動しているだろう、レーザーメッシュ通信に切り替える。

 通信が確率して、パトロや秋尾隊のメンバーのアイコンがアクティブになったところで、誰かの声が響いた。

「リモートアニマル!」

立っていた男の後ろに鳥の影が降下すると、金属音がして男の手が自由になり、男は腕を掴んでいた警察官を、振り向きざまに水平に蹴って岸壁から海に落とし、次に小柄なパトロの首に腕を回し、もう一方の腕で手を拘束して、自分と警察官達の間に立たせた。

「来るな!近づいたらこいつを」

 と行ったところで、パトロがオートマータで人間ではなく、人質の価値はないと思ったのか、舌打ちをして、首の拘束を解いて腕を掴んだまま、思い切り海に向かって投げ、自分は反対方向に走り出した。

 すぐさまグラスからスピアのアイコンの表示で「スナイプ!」と声が響き、ほぼ同時に男の片足の膝のところが吹き飛び、銃声がして、男は前のめりに倒れ込んだ。一斉に警察官達が駆け寄り、男を再度取り押さえた。その中にいたSSTの隊員が

「お前、たぶん逃走用の潜水艇をあてにしていたんだろうけどな、そいつは俺たちが抑えたぞ!」と怒鳴る。男は抗がおうとしていたが、その言葉を聞いて力が抜け地面に押さえつけられた。


 椎名はBMI経由の通信で

「GEEKS、なにか出たか?」

 と質問した。

「ええ、野郎、送信しましたよ。」

 というGEEKSの返信を受けて、

「じゃあそれをポイントCで照合。」

 と指示を出した。


「パトロ!」

 強化機体のパワーで投げ飛ばされたパトロは、10数メーター向こうの海に着水し、沈み始めていた。ハウは岸壁に走り寄ると、SSTが係留していたゾディアックボートに飛び乗った。SSTの隊員が

「あれ、ハウじゃん」

と言っているのを無視し、係留ロープを切ってエンジンをかけると、

「ゾディアック借りるよ!」

と大声を残して、パトロがいた地点に向かった。


 しまったと思った瞬間には投げ飛ばされて、なすすべもなく海面に着水する。機体自体は短時間なら防水のはずだが、そもそも海中の通信手段は無いし、比重があるので泳ぐことなどできない。ショートしないのが不幸中の幸い、ぐらいだった。視界が完全に水に没すると、通信回線アイコンが消える。ルームDのアバター用ベッドで操作をしていたドールは、隊員のみへの通信で、

「OFFする。だれか後で回収しておいて。」

 と言った。回線を切って専用のBMIとHUDをはずそうとすると、ファルコンが

「ちょっと待った。そのままでいたほうがいいかな。」

 と言った。理由が分からず、真っ暗になったHUDと、通信回線の状態を表すアンテナアイコンにXがついているのを見ていると、やがてXマークが消え、回線種別Lでアンテナが一本立った。視界が回復する。

 目の前に海面から差し込む光が見え、その中にライトを持った人影が迫ってくる。やがて人影はパトロの横に降り立ち、向けられたライトの反射光でそれが水中マスクをしたハウであることが分かった。ハウの顔からは、先ほどの険しい表情が消え、泣きそうな気持ちと、安堵する気持ちが入り交じった表情をしていた。ライトは水面から伸びたケーブルの先であり、おそらく光による水中高速通信用のものだと分かった。それをアバターが自動的に認識して通信を確立したのだ。

 ハウは装着した水中作業用のジャケットBCDから何かを取り出し、取っ手らしきものをパトロに握らせる。握ったことを確認すると、口にくわえていた小型のボンベから、取っ手の反対側についていた袋状のものに空気を入れ、膨らませ始めた。その一連の動作は、パトロ自身も昔から知っているものだった。水中から浮上用のフロート。それがある程度の大きさになると浮力を持ち始め、取っ手を握った二人を水上へと浮上させ始めた。浮上するにつれ光が次第に大きくなり、水面近くになると、目の前に夕暮れに染まる空が、水面の漣に歪んで見えた。二人が水面に到達し、水の上に顔を出すと、準備をしていたSSTの隊員達が二人をボートに引き上げた。先に引き上げられたパトロに、後から引き上げられたハウが倒れかかる。ハウはすぐに起き上がってパトロに飛びついて抱きしめた。そしてハウが泣き始めると、パトロはハウの背中に手を回して、躊躇し、しかしゆっくりとでもしっかりと抱きかえした。

「…あったかい。」

パトロの口から言葉こぼれた。ハウはいっそう強くパトロを抱きしめた。

ゾディアックは岸壁へと移動し、二人は岸にあがる。二人はお互いの顔を見あわせ、パトロは渡されたタオルで水を拭い、そして背伸びをしてハウの顔と髪を拭う。そしてそのままじっとハウを見つめた。

「…私、昔ね、ダイビングのお仕事をしていてね」

 その口調は今までのおどおどしていたパトロとは違う、でもパトロである誰かだった。その瞳の向こうにハウはやっと彼女を見た。しかし話を続けようとしたときに、秋尾が二人の会話を遮った。

「白井君、ご協力ありがとう。作戦、そして研修はここまでだ。また後日、連絡する。」

 秋尾はパトロのそばにやってきて、パトロを促した。パトロは少しためらったが、それに従う。歩き去る途中、後ろを一度振り返った。そして迷彩を解いた装輪輸送車は彼女が乗り込むと、音を立てず、ハウを残して走り去っていった。

 ハウは迫ってきた夜の岸壁に立って、髪をなびかせていた。まだパトカーや警視庁の警察官や鑑識のチームがその場にはたくさん居たが、会話が中途半端に途切れてしまったことで、たった一人でその場に取り残されたような気持ちになった。ARグラスの中を見ると、情報の共有は解除され、パトロのアイコンもなくなっていた。

しばらくするとSSTの同僚がやってきて、彼女に「引き上げるぞ」と促した。そうだ、自分はSSTの人間なんだ。ハウはそう思いだして、同僚達の方に歩き出した。


 やや夕暮れの頃、横浜のマリーナの桟橋を見渡せる駐車場には、食品配送会社のトラックに偽装した大型バンが止まっていた。中にはGEEKSより派遣され、対象を光学的およびネット経由で監視している2人と、重武装した私服警察官2名。他の警察部隊は警戒されないように、偽装トレーラーで表通りに潜む形になっている。他にも軽武装の私服警察官が、併設されたショッピングモールに複数配置されていた。

バトラー達は、中間地点にある、別のマリーナから高速クルーザーで海を周り込み、マリーナの外に待機している。バトラーはハーフパンツにビンテージ風の柄のアロハ、コングは地元サッカーチームのユニフォームのレプリカを着て、救命胴衣を付け、ARグラスをサングラスモードにしていた。

チーム全体は、ハウのパワードスーツからの視界共有で状況は把握出来ていた。戦闘が始まってからは、誰も一言もしゃべらなかったが、その後椎名名から、「この後どこかでT1を通信可能状態にする」と連絡があり、確保の段取りを確認していた。

対象はマリーナの桟橋に係留した、船舶番号から見るにレンタルしたであろうクルーザーの後部に、キャンプ用のパイプ椅子を出し、パソコンを操作している。回線はマリーナに併設された会員制のものと、携帯電話回線を用意しているようだが、不安定さを避けるためかマリーナの回線を使っていた。当然GEEKSは既にこれをマリーナのシステム側で監視していた。

 椎名からのカウントダウンが出て、バトラーはクルーザーの自動運転を開始した。マリーナ側に開けさせた、対象の係留場所の目の前に船が向かう。バトラーは救命胴衣の内側スタンカフを隠し、コングは腰の後ろにグロック19を、クーラーボックスの中に伸縮ストックのMP5SDサブマシンガンを準備する。

 船が自動的に係留場所、対象のクルーザーの目の前に来て留まると、バトラーは桟橋の上に下りて、コングから係留ロープを受け取り、手際よく舫いを結んだ。コングは下船の準備をしているように振る舞い、バトラーは腰を叩いて、向かいのクルーザーに居る初老で貫禄がある体型の男に声をかけた。

「近頃は、なんでもかんでも自動運転で、おもしろみがないですなぁ。」

 対象は目線だけをバトラーに向けて、その他には無反応だった。

バトラーにGEEKSから「T1からの発信パケットのハッシュ値が一致しました。」と通信が入る。バトラーは対象がピクッと震えたのを見逃さず、今度は北洲語で話しかけた。

「もし、ご予定が流れたんでしたら、ご一緒しませんか?」

対象は眉間にしわを寄せバトラーを見るのとほぼ同時に素早く立ち上がり、背中から何かを引き抜こうとした。しかし現役のプロフェッショナルに勝つことはできず、動作を終えるよりもコングがグロックの銃口を相手に据える方が早かった。コングがモールに配置された警察官に「避難させろ!」と指示を出す。二人の後方で客が騒ぎ出す声が聞こえた。

「あなたがどなたか分かりませんが、少なくともあなたが先ほど、このマリーナの公衆ネットワークにアクセスするときに、使ったアカウントの方では無いと知っています。その時点であなたは我が国の法を犯しており、我々はあなたにお話をする権利があります。」

 バトラーが相手に向かって、足を踏み出す。

「部下を拘束されても最後のメッセージを受け取るまで、信じて待ち続けた事に敬意を払います。どうか我々と一緒に来てくれませんか?」

 バトラーはにっこりと笑った。その後方で、重武装した警察官が2名が桟橋を走ってくる音が聞こえた。対象は一瞬だけそちらに目をやる。バトラーは通信で「止まれ!説得中だ!」と命令する。警察官の足音が止まる。

 バトラーは両手を開いて、相手に見せてもう一歩前に出た。その時、対象が身震いしつつ大声を上げた。バトラーとコングはその姿にデジャブを見た。

「近づくな!貴様等が撃とうが撃つまいが、我らの行く手を阻むものは、すべて退ける!我らの名は『暁のラザロ』!愚かなる人形共め、この名を脳なき器に刻め!」

 バトラーがコングに咄嗟に「飛び込め!」と指示を出す、二人はほぼ同時に地面を蹴って、反対側の水の中に飛び込んだ。


 バトラーの視界と黒煙があがるマリーナの状況を見ながら、秋尾は嫌でも思い出さざるを得ない記憶を反芻していた。PKOで遭遇した自爆テロ。いや、単に予告なく行われるのではなく、PKOの部隊を誘い込んだ上で、待ち伏せというのはあまりに演出がかった自爆。数年の時を経て、その波がとうとう自分の国にも到達したのだと秋尾は足元から這い寄る寒さを感じた。

 秋尾は二人のトータルバイタルサインが正常であることが確認し、胸をなで下ろした。


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