第七回 カチワリ


 とある山奥の平地に不審にたたずむ小屋があった。それが夢幻亜人イリュージョノイドのアジトだと調査班からの報告を受けたオレ達は、その現場にいた。時刻は正午を少し過ぎた頃だった。木造の山小屋といった感じのその建物で、調査班の目視による調査から窓は四方に一つずつの計四つ、扉は南側に一つ、そして見れば誰でも分かるが煙突が一つある。すべての窓はカーテンで閉ざされていて中は分からない。

 いまオレは、一文字いちもんじみさきの三人で小屋から離れた場所の茂みに隠れて、小屋の様子を窺っている。一文字たちの眼鏡は夢幻亜人イリュージョノイドの反応を確認しておらず、調査班が持っているという夢幻亜人イリュージョノイドの気配を確認する機械でも反応が無いらしかった。

「もしかして、もう逃げられたのか?」とオレは言った。

「分からない。たまたま留守なのかも知れない」

 一文字がそう返す。

「全部で十五匹だっけ? オレが関わった六匹と、ほかの奴がたおした二体で合計八匹。まだ七匹もいるのに全員留守なんて有り得るか?」

「難しい判断だな。僕らの行動が奴らにばれていないのなら、奴ら……夢幻亜人イリュージョノイドが集合したところを一網打尽にできるかも知れない。だけど、もしも僕らの行動がばれているのなら、もう奴らは戻って来ないだろう。ここで大人しくしてるだけ奴らの逃げる時間を与えることになる」

「そんなこと考えたって無駄だ。さっさと突入して奴らがいれば斃して、居なければ痕跡を調べて、また捜せばいいじゃないか」

「確かに一理あるが、すでに逃げ出したのなら罠を張っている恐れもある」

「罠?」

「小屋に入った途端に……ドンッ! とか」

「それは……困るな」とオレは困った顔をして苦笑する。

 岬の携帯電話が震えた。岬が電話に出てなにかを話してから言う。

「小屋の内部には夢幻亜人イリュージョノイドは不在、かつアジトを放棄したと判断するそうです」

「なら、堂々と出るか」

 そう言って一文字が茂みから出た。オレと岬は奴に付いて茂みから出ると、どこに隠れていたのか、十人ほどの男たちも茂みから姿を見せた。

「あいつら、調査班か?」とオレが言うと、岬は「はい」と答えた。

 その調査班が小屋の周囲を確認して、内部を確認するまで待機する。無論、いつ夢幻亜人イリュージョノイドが現れてもいいように臨戦態勢だったが杞憂に終わった。

 調査班から様子を聞いた一文字から聞いた。

「この小屋には何人かが生活していた痕跡はあるらしいんだが、それ以外にめぼしい手掛かりは見受けられないそうだ。ただ、中は散らかっていて、その様子から小屋にいた連中は慌てて出て行ったらしい」

「ということは、夢幻亜人イリュージョノイドか?」

「その可能性は高い。まあ、本格的な調査はこれからだ。それに期待するしかないな」

「まあ、慌てて逃げたんなら、なにか一つくらいは手掛かりがあるだろうよ」

次に小屋の周囲を調べる。小屋から少し離れた場所で、調査班の男がなにかを大声を出したので行ってみる。シャベルを持った男たちがなにかを話していた。一文字がその男に割り込んで話を聞くと、オレのほうに来た。

「調査班が集団墓地を見つけた」

「墓地? 死体があったのか?!」

「ああ。墓の規模からして十人以下だろうが、それでも何体もの死体がある」

「オレは見ないぞ! そんなもの」

「見ないほうがいい」

 そう言っているところで、また調査班の男が叫ぶ。

「生存者発見! 生存者発見!」

 オレは思わず体が動いて墓地の近くによる。調査班の男が高校生ほどの女性を抱きかかえて、その足許には土塗れの死体が何体かあったのだが、オレは生存者のほうが気になっていたためか、死体のほうに意識は向かなかった。

「息も脈もあります!」と女性を持ち上げている男は言った。

 取り敢えず女性を地面に仰向けにして寝かせる。岬が彼女の頬を軽く叩きながら「ねえ、起きて、大丈夫?」と声を掛けると、ぼんやりとした様子で目を開けた瞬間、悲鳴を上げながら頭を守るように押さえた。

「大丈夫。あなたを助けに来たの」と彼女に言った岬は、オレ達に「少し離れて下さい」と指示したので皆がそれに従う。

 オレと一文字は、二人の会話が聞こえる距離から彼女らの様子を見守った。

「まず、あなたの名前を教えてくれるかな」

 岬が彼女に尋ねた。

渡部わたべ……絵美えみです」

「絵美ちゃん。ねえ、絵美ちゃん。なにがあったのか、教えてくれる?」

「な……なにが、あったか……」

 絵美の顔色が段々と悪くなるのと同時に、表情がゆがみ涙目になっていく。彼女の息も荒く激しくなっていった。

「絵美ちゃん、ごめんね。無理しないでいいよ」

 そう言って岬が絵美の背中をさすりだす。

「ば……ばけもの。化け物が……」

「化け物?」

「オレンジ色をした、頬に三角の傷が入った筋肉質の化け物。白髪で紫色のモヤシみたい細いな化け物」

 スカーとトキシンだ。絵美の声が涙に染まっているが、彼女は続ける。

「あいつら、あいつらがほかの人を切り刻んで内臓を取り出したり、変な毒を入れて苦しめたりしてた。ほかにも熊みたいなゴリラみたいな熊みたいな醜くてけがらわしい化け物が――」

 このあとは嗚咽おえつしてなにを言っているのか分からなかった。岬は「もう大丈夫だからね。安心して」と声をかけながら絵美を優しく抱き締めて、絵美もそれを受け入れた。

 絵美の言ったゴリラのような熊みたいな化け物とは、恐らくはオレが融合してしまったビーストのことだろう。彼女は少なくともオレが夢幻亜人イリュージョノイドと融合する以前から、奴らに囚われていたことになる。

 オレ達も調査班も、この場で渡部絵美から聴取するのは不可能だと判断し、公安の研究所に戻ることにする。その道中、車に揺られるオレの意識は段々と不明瞭になっていった。


 そう言えばこんな事があった。

 オレの自宅の庭で、息子の佳秋よしあきが虫籠に使う小さな水槽に水を入れたかと思うと、土も入れて陸地を作っていた。やや大きめの石を入れたり、背の高い草を植えたりもしている。

 オレは息子に「なにをするんだ?」と尋ねた。息子は「蛙を飼うの」と答えた。

「捕まえられるのか?」

「怖いから無理」

「怖いのに飼うのか?」

「うん」

 子供はよく分からない。オレは更に訊いた。

「蛙の餌はどうするんだ?」

「蛙ってなに食べるの?」と息子は、オレの顔を見て尋ねた。

「さあ。小さな虫とかかな?」

「蟻とか?」

「いや、蚊とか蠅とか飛ぶ虫じゃないか?」

「どうやって捕まえるの?」

「さあ。たぶん生きてないと蛙は食べないと思うから、簡単には捕まらないと思うぞ? それに捕まえられても、餌の虫は虫籠の蓋の隙間から逃げ出しそうだしな」

「蛙は生きてる虫しか食べないの? 動かない虫は美味おいしくないの?」

「蛙からしたら、そうなんだろうな。まあ、お父さんは蛙について考えたことがないから知らないけど」

「人間の御飯は食べないの?」

「聞いたことがない。たぶん食べないだろう」

「ふーん」

「蛙も餌がないとお腹が空いて死んじゃうぞ。それにお前、蛙に触れないのに、どうやって捕まえるんだ?」

「…………。やっぱりめた」と虫籠の中を見て少し悩んだ息子は、その中身を全て捨てていた。

 そのあとはどうなったのか、よく覚えていない。


 公安の研究所には取調室のような部屋もあり、渡部絵美はそこで岬と雑談をしながら待機している。オレは隣室からマジックミラー越しに、その様子を見ていた。そこに一文字がオレのいる部屋に入ってきて言う。

早田はやた、渡部絵美の身元が分かったぞ」

「どんな奴なんだ?」

「失踪届が出ていたから簡単に調べが付いた。あの子は一言で言えば不良娘だ。地元で不良の吹き溜まりと揶揄される高校の三年生だが、最近……喫煙がばれて停学処分を受けている」

「そうか。ちょっと話は変わるんだけど、この件が終わったらあの子はどうなるんだ?」

「用済みになった渡部絵美をどうするのかは保留だ」と一文字は言った。続けて言う。

「今の我々の技術では、記憶の封じ込めは出来ても、消し去ることは出来ない。もっとも記憶喪失みたいに、ほかの記憶を巻き込んで消滅させることは出来る」

「自分がどこの誰かも分からなくなるのか」

「まあ、解放するのなら仕方がない。記憶が欠けている人間が、非現実的なものを見たとか言っても誰も信じないからな。不良娘みたいだし、夢幻亜人イリュージョノイドのことや僕らのことを薬物中毒者の妄言と思わせる手もある」

「そうか」とオレは返したが、内心オレは自分が公安を去るときに無事に帰してもらえるのか心配になった。オレの記憶や脳味噌はいじり回されるのか、そもそも約束を守って帰してくれるのか。一文字がチラッとオレの顔を見た。そして話題を変えるように言って来る。

「渡部絵美はほかの夢幻亜人イリュージョノイドについても話したそうだが、ハナビだのカメレオンだの、どれも駆除済みの奴らばかりで、新鮮な情報は無かった」

「アンノーンかいう奴の能力は分からずじまいか」

「そいつの能力が分かれば夢幻亜人イリュージョノイドへの対策も立てやすくなるんだがな。なにせ一体ごとに特殊効果エフェクトがまるで違うから予想の付けようがない。それともう一つ、簡易的な検査の結果なんだが、あの子には知能低下とパニック発作の傾向が見られた」

夢幻亜人イリュージョノイドと関わったトラウマか?」

「それもあるだろう。ほかにも生き埋めによる酸欠、実験台にされたことによる物理的・化学的な影響。それに血液検査では危険薬物の反応もあった。夢幻亜人イリュージョノイドに拉致された時期を考えると、自分で摂取したというよりは実験台にされた結果だろう」

「奴らからすれば、人間は実験用のネズミと同じか」

 そう言って、オレは渡部絵美を見続けた。岬と絵美との会話はオレ達に聞こえている。

「奴らのアジトを知っています」

 絵美が言った。

「今ならまだ覚えているから案内できます」

「地図でどこだか書ける?」と岬が尋ねるが、「地図ではどの辺か分からないけど、何度も連れて行かれたから行きかたは分かる」と言い「どうしても早く行かないと!」と途中から興奮しだした。

 岬が絵美をなだめている最中さなか、オレは一文字に言う。

「どうする? あの子の話が事実なら、夢幻亜人イリュージョノイドどもは今そこにいるかも知れない。急ぐならいま行くべきだ。あの子に案内してもらうか?」

「本来なら部外者は使いたくないが、今回は仕方がないか。しかし、恐怖心を植え付けられている相手のところに、自分から案内しようなんて思うか?」

「オレの子は、蛙が怖くて触れないくせに飼おうとしていたぞ」

「それで、どうなったんだ?」

「捕まえかたと、餌をどうするのか訊いたら諦めた」

「そうか」


 オレと一文字と岬は渡部絵美を連れて、夢幻亜人イリュージョノイドのアジトに使っていた小屋の場所に戻る。山の中なので周囲は森に囲まれていて、いくつもの獣道があった。絵美はそこから一つの道を選んで「こっちです」と歩き出した。昼間なのに薄暗い道を歩き続ける。道は右に曲がったり左に曲がったりと、迷路を進むように歩けば歩くほど位置や方角が分からなくなってくる。

「まさかだと思うが、夢幻亜人イリュージョノイドが不意打ちとしか仕掛けて来ないだろうな?」

 オレは小声で一文字に言った。

「その可能性は十分にある。だが、遠くでだが調査班やほかの駆除班も同行している。奴らの気配を確認すればすぐに連絡が来るから、余程の事態にならない限りは大丈夫だろう」

 ふと木々のない開けた場所に着いた。朽ちかけた古い洋館があり、庭にある黒い金属製の門は開いている。

「こっちです!」と、突然に絵美が走り出した。

 オレ達は慌てて彼女を追いかけようとするが、突然に目の前に巨大なたけのこを思わせる氷の壁が地面から生えてきた。

夢幻亜人イリュージョノイド反応あり!」と岬が叫んだ。

 一文字がオレの襟を掴むと注射を打って、オレは夢幻亜人イリュージョノイドのビーストに変身する。すぐに周囲を見る。氷の壁がオレ達を囲んでいた。化け物になったオレからすれば、氷ごとき大した壁にはならない。オレは全力で殴って氷の壁を破壊する。だが、砕け散った氷の下の、わずかに地面に残った部分から鋭い槍のような氷がオレに向かって伸びてきた。オレはすぐにそれを避けるのだが、その槍から枝が生えるようにして、また氷の槍がこっちに向かって襲い掛かって来る。オレはその槍を破壊して、氷の木とも言える槍を破壊して、地面の氷も踏み潰して粉砕する。その隙間から、ほかの壁から生えてくる氷の槍を回避しつつオレ達は氷の囲いから脱出する。だが、氷は地を這う大蛇のようにオレ達の行く手を阻むようにうごめいた。オレは氷を全力で殴って破壊し続けて、その隙間から一文字たちが脱出する。

「一文字! この氷を操る化け物はどこだ!」

 オレは氷を砕き続けながら叫んだ。

「この特殊効果エフェクトは【№《ナンバー》13】のカチワリという――」

「名前なんてどうでもいい! その化け物はどこに居るんだ!」

「ちょっと待て!」

 一文字らも迫り来る氷の対処で一杯一杯なのか、なかなかカチワリとかいう奴の居場所を見つけられない。

「化け物! ビビッてないで何処どこにいるのか言ってみろ!」

 オレが青い空に向かって叫ぶと、「ここだぞ、化け物」と声がした。氷の動きが止まる。オレが門の真横の柵の上を見ると、さっきまで居なかった男がいた。肌は水色、額には白くて大きな三角形と、同様に両頬には逆三角形の模様が入っている。

「あれがカチワリです」と岬が叫ぶのと同時に、一文字と共に拳銃をカチワリに向けた。

「おい、カチワリ! そんなとこに居ないで、こっちに降りて正々堂々オレと戦え!」

「カチワリって、随分とださい名前だな。もっと無かったのか? せめて吹雪とかヒョウ《氷・雹》とか。いっそアイスみたいな単調な名前でもいい」

「頭をかち割られるから、カチワリでいんだよ」

「そりゃ怖い。そうそう。早くオレを斃さないと、さっき走って行った女がどうなっても知らんぞ?」

 岬の携帯電話が鳴った。カチワリは余裕でもあるのか、岬に「どうぞ」と言いたげに手を軽く差し出す。岬が電話に出て叫ぶ。

「建物内に複数の夢幻亜人イリュージョノイド反応があります!」

「そういう訳だ」とカチワリは笑った。続けて言う。

「オレを斃さない限り、お前らもお前らのお友達も、あの建物には入れない。さっさとしないと、あの女はどうなるかな?」

「その前にお前を斃す!」

 オレは叫んでカチワリに飛び掛かるが、奴の前に氷の壁が現れる。オレはそれを殴って粉砕しようとしたのだが、氷を砕いて開いた穴がすぐに塞がってオレの腕は氷に閉ざされた。オレはすぐにその氷を蹴り割って地面に落ちて、カチワリがいたほうを見るのだがすでに居ない。が、滑り台のような細く長い板が横に出来上がっている。

「早田さん! カチワリはスケートのように氷の壁を移動しています!」

 岬の声が聞こえたので、急いでその板の軌道を目で追った。奴は氷で螺旋を描いてオレ達を囲いつつ、滑ることで一文字らの銃撃をかわし続ける。光弾で付いた疵もすぐに氷で修復された。氷の螺旋にはいくつもの足が地面を突き刺していて、それを一本二本をへし折ったところであいつが地面に落ちそうにもない。

 オレが奴を目で追っていると、ふとオレの両腕を腹になにかが突き刺さった。吐血したオレの目に、地面から生えた氷の槍が三本見えた。一文字と岬がその氷を銃撃でへし折ってくれた。オレは自力でその三本の氷を抜いて、その場に捨てる。

「早くしないと凍死する前に死んじゃうぞ?」

 カチワリが廻る螺旋から無数の槍が、オレ達を囲うように迫り来る。オレは螺旋を粉砕すべく飛び上がると同時に、その螺旋から氷の槍がオレに向かって伸びてきた。空中にいたため回避できずに突き刺さる。

「早田!」

「早田さん!」

 すぐに一文字たちが氷の槍を光弾で折ってくれた。オレは地面に落ちるのだが、今度は右脚がやられた。無理に立ち上がるが、やはり自由は利かない。

――勝ち目がない。

 オレは確信した。

 寒気がする。体が震えた。

 素早く移動する奴には攻撃は当たらず、無理にしようものなら致命傷になってもおかしくない反撃を受ける。しかも奴はその気になれば全方向から、逃げる隙間もないほどの規模で攻撃できる。しかも死角である地中からも可能だ。

 今までの奴は、遠くからの攻撃が危ない場合は接近戦に持ち込んで斃してきた。逆に接近戦が危ない相手には、距離を取って攻撃してきた。だが、奴に対しては有利な間合いを取ることが出来ない。足場を潰して近づこうにも、奴はその足場を自在に作って逃げられる。奴が氷を作るより早く、奴の氷を破壊するなんてオレには無理だ。こんな奴にどうやって斃せというんだ。

「先に言っておくが、火事を起こしてオレの氷を解かそうなんて無理だぞ。そんな大規模な炎になる前に消すからな。氷の正体が水だということを忘れるなよ」

 そう言ってカチワリは笑いながらオレの周りを高速で滑っている。オレはどうしていいのか分からず、ただただ茫然と立ち尽くした。

「じゃあ死んで連れを返してもらうぞ!」

 オレに向かって太い氷の槍が突撃してくる。オレの体は動かなかった。と、一文字がオレに体当たりをして一緒に倒れ込んだ。オレと一文字は槍の軌道から外れた。仰向けに倒れているオレの上に一文字がいる。

「大馬鹿者。なにをボンヤリしてるんだ」と一文字がオレを睨んだ。

 オレは一文字の向こうから太い氷の槍が再び迫って来るのが見えた。オレは咄嗟に一文字を蹴り飛ばした。オレは体を横に転がして氷の槍を躱そうと思ったのだが、そのとき氷の矛先は花が咲いたかのように広がった無数の花弁はなびらやいばが迫って来る。どこに逃げても無数の槍に突き刺される。倒れているから槍より速く動けない。

 生まれて初めて、オレは死んだと思った。

 その刹那せつな、氷の花は爆発して無数の破片の吹雪が散った。

 なにが起こったのか分からなかった。

 オレは急いで立ち上がって、カチワリを見た。奴の氷の螺旋を滑るのをやめて、遠くの茂みを見つめている。

「そこか」とカチワリが茂みに向かって氷の槍を伸ばすのと同時に、複数の方角から大きな光弾がカチワリ目掛けて飛んできた。ほかの駆除班の銃撃である。それを回避するためにカチワリは再び氷の螺旋を滑るのだが、その道を複数の光弾が破壊する。かつてスカーを斃したときに使用した大型の銃器による攻撃なのだろう。カチワリが氷を作るよりも早く、奴の氷を破壊していく。そのせいで奴の注意はオレ達ではなく、遠くにいる駆除班に向いたため隙だらけだった。一文字らも銃撃に加わる。ほかの駆除班と比べたら威力こそ劣るが、カチワリの行動を妨げるのには十分だった。お陰で動きが予測しやすくなる。

 オレは奴に向かって突撃する。銃撃回避でキリキリ舞いだった奴は、オレの拳が奴の頬を捉える寸前までオレに気付かなかった。殴り飛ばされた奴は、氷を作って逃げようとするのだが、それを一文字らの光弾で妨害したために自分で作った氷の壁と衝突し、そのまま地面に落ちた。オレは奴の顔面を思いっきり拳でかち割った。力尽きた奴の体は動かなくなって泡を噴き出してけていく。

「駆除終了。キノコの回収を頼む」

 一文字が携帯電話でどこかに連絡したかと思うと、すぐさまオレに「建物の中に入るぞ」と命令してきた。オレは一文字と一緒に建物に入ったのだが、玄関では幸せそうに頬笑んで倒れている渡部絵美がいた。

「寝ているのか?」

 オレは一文字に訊いた。奴は絵美の頸に触れて瞳を確認すると「死んでいる」とだけ返した。すぐに一文字の携帯電話が鳴ったのでそれに出る。一言二言なにかを話した一文字は「もう夢幻亜人イリュージョノイドの反応はない。逃げられたようだ」とオレに告げた。まだ携帯電話で相手を話している。

 オレは洋館から出た。カチワリのキノコはすでに回収されていて、奴の作った氷は綺麗サッパリ消えていた。岬がオレに近づいて、「お疲れ様です」と人間に戻る薬を注射してくれた。人間の姿に戻ったオレはスカートのように垂れていた袖に腕を通して辺りの様子を見た。調査班らしき数人が集まってなにかを話していた。

 一文字が洋館から出てきた。

「ほかの夢幻亜人イリュージョノイドどもはどこへ行ったんだ?」

 オレは一文字に尋ねた。

「地下通路を通って逃げたようだ」と一文字は答えた。

「地下通路? なんでそんなものが?」

「さあ? 穴を掘っただけの粗末な作りらしいから、拉致した連中を使って掘ったんじゃないか? それか、お前と融合する前のビーストや、カチワリやほかの夢幻亜人イリュージョノイドどもを使って逃げ道を確保したとか。どっちにしろ途中で下水道と繋がっていて、どこへ逃げたのか不明だそうだ」

 そう言って一文字は溜め息をいた。

「唯一の生存者には死なれるわ、ほかの夢幻亜人イリュージョノイドどもには逃げられるわで、散々な結果だった」と続ける。

「全くだ」とオレの脳裏を、幸せそうに死んでいた渡部絵美の笑顔がよぎった。

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