第六回 トキシン


 夢幻亜人イリュージョノイドの出没情報が何度かあったのだが、そのつど行方をくらまされた。オレは一文字いちもんじみさきと共に、現場である某刑務所に何度も向かったのだが、どれも到着する前には夢幻亜人イリュージョノイドを見失ったとの連絡を受けて研究所に蜻蛉返りさせられた。

夢幻亜人イリュージョノイドの中で一体だけ、特殊効果エフェクトが不明の奴がいる」

 自動車の中で、一文字から聞かされた。

「そいつの可能性があるのか」とオレが尋ねたら、奴は「そうだ」と答えた。

 岬が言う。

「現在、こちらの世界に侵入したのを確認している夢幻亜人イリュージョノイドは全部で十五体います。コードネームは【№《ナンバー》8】のUnknown《アンノーン》。このアンノーンだけは、一度も我々に特殊効果エフェクトを見せていません」

「じゃあ、なにをしてくるのか分からないんですか?」

「はい」

 岬に代わって一文字が言う。

「もしかしたらの話だが、今回の夢幻亜人イリュージョノイドがその能力不明の奴かも知れないんだ」

「自分の存在を隠す能力なのかもな。それならアンノーンからニンジャに改名だな」

 そうオレが笑うと、「テレポートのような能力かも知れないがな」と一文字が言った。

 研究所に戻ると、オレはすぐに監獄のような自室に入れられる。暇なのですることが一切ない上に、娯楽の類もないので何時いつものように寝転んでボンヤリとして時間を潰していた。

 夢幻亜人イリュージョノイド出現の警報が鳴った。いつものように一文字がオレを迎えに来たのだが、奴は衣類を持っていた。

「これを和服の上に着ろ」と言われたので、しぶしぶ着る。その衣類を着た状態での変身を想定して、最初から和服の袖を下ろしておく。どこかの制服のようだが、一文字に尋ねると「看守の制服だ」と答えられた。

 廊下を移動しながらオレは説明を受けた。

「今回の夢幻亜人イリュージョノイドの出現場所も例の刑務所だ。ただ、以前とは状況が変わった」

「どういう事だ?」

「刑務所で死体が発見された」と一文字が言った。

「死体?!」

「ああ。囚人の死体で、合わせて三体もあったそうだ」

夢幻亜人イリュージョノイドに殺されたのか?」

「死因は不明だが、我々はそう考えている。すぐにその死体を回収して、うちの仲間が解剖して状況を調べるつもりだが、事件の流れによっては自殺か病死で処理するつもりだ」

「そんなこと出来るのか?」

「今のところ不審死だが、医学的なことで言い包めて、死体はサッサと火葬する。言い訳はそういうのを作るのが得意な連中が作るから、なんとかなるだろう」と一文字は言った。


 オレと一文字……そして岬の三人が刑務所に着く途中で、すでに夢幻亜人イリュージョノイドは居なくなっていたが、オレ達は囚人の不審死の調査をすると称して刑務所に潜入した。

 刑務所の職務室に入ると、須藤すどうという看守が「どうも」とオレ達に挨拶してきた。須藤もぶっきら棒というか愛嬌のない男だが、ほかの職員もこちらを遠巻きに睨んでいて、なんだかピリピリした空気だった。

「どうもうちの刑務所で、妙なことが起こってしまって申し訳ない」と須藤は言った。

「いえ。こちらとしても念のための調査ですから、深く気にしないで下さい」

 一文字がオレ達を代表して言った。

 すぐに死体があった場所へと向かう。須藤が案内してくれた。オレは「この刑務所の連中は、ピリピリしてるな」と小声で一文字に言う。

「お前は知らないだろうが、二ヶ月前に隣の県の刑務所で殺人事件が起こったんだ」と一文字は小声で返した。

「殺人事件?」

「ああ。脱獄に失敗した囚人が、取り押さえようとした看守の殴り殺したんだ。ほかの刑務所でも暴力事件が起こったり薬物を持ち込んだりと、いくつもの刑務所で事件が多発したんだ。だから、全国の刑務所が自分のところでは変な事件を起こしたくないとピリピリしてる訳だ」

「それで今回の不審死か。それにしても、物騒な世の中になったなあ」

「刑務所は犯罪者を閉じ込めておく施設だからな。物騒なことが起こっても、なにもおかしくはない」

「まあ、そうなんだが……」

 しばらく歩くと、「こちらです」と須藤が言って立ち止まった。

囚人が死んでいた部屋は一般の監房で、扉は外側から鍵を掛ける仕組みであることを除けば、一見普通の部屋に見えなくもないが、家具は低い机があるくらいでテレビすら無かった。

 オレ達はその監房に入った。オレはどこをどう調べていいのか分からず、きょろきょろと部屋の中を見回しただけだったが、一文字も岬も押し入れを確認したり窓に付けられている鉄格子が外れないかなど色々と確認していた。最後に一文字がオレに近づいてきて、「詳しいことは調査班が調べるから、オレ達はもう出るぞ」と耳打ちして、オレ達は職務室へと戻った。

 刑務所職員は、オレ達の顔を見るなり舌打ちしたり、溜め息を吐いた。最初は気付かなかったが、どいつもこいつも陰気な顔をしている。日当たりのいい部屋なのに、空気だけは陰っている感じすらする。

「オレらは嫌われてるみたいだな」

 オレが一文字に囁いた。

「まあ、囚人が死んで変な疑いを掛けられたら、多少は腐りたくもなるだろう」

「それにしても陰気だ」

「刑務所が明るく楽しい場所というのも、どうかと思うぞ?」

「まあ、そうなんだが……」

 気付けば、岬が須藤に話しかけている。

「看守の方が刑務所を巡回することがあると思いますが、その時間はいつ頃なのでしょうか?」

「さあ? 適当ですよ。時間が空いたときとか?」

 いい加減な物言いである。

「囚人の面会や食事の時間は?」

「食事は朝と、昼と、夜?」

「その時間は具体的には?」

「さあ?」

「監視カメラを設置していると思いますが、その映像を見るモニター室はどこにあるんですか?」

「モニター室? どこだっけ?」

 大丈夫か、この刑務所。

二人の様子を見ていた一文字が「まったく、落第点だな」と携帯電話を取り出すと、いったん廊下に出た。時たまこちらをチラチラ見ながらどこかに電話をしている。

 オレが須藤と岬のほうに視線を戻すと、「それよりお姉さん綺麗だね。独身? 彼氏とかいるの?」と恐らくは五十を過ぎているであろう須藤が、二十代半ばほどの岬を口説きだした。

「いや、そんなことより仕事の話を……」

「仕事の話なんかより、君の話をしたいな」

「えっ……と。あの……。仕事の話を……」

「そんな冷たいこと言わずに、今度一緒に食事でもしない? 連絡先も交換しよう。してくれないのなら、仕事の話なんかしない」

 見るに堪えん。

 こいつには仕事に対する、やる気がまるで感じられない。

 呆れた。情けない。惨めだ。見苦しい。見っとも無い。見ていて恥ずかしい。

 オレに怒りのような感情が湧き起こると同時に、こんなざまなら不祥事の一つや二つ起こるのも当然なという諦めのような気持ちも芽生えて来たのが、ここは刑務所である。万が一にも囚人が脱獄を許すような事はあっては成らないのだ。

 一文字が部屋に戻ってきた。「岬!」と呼んで、オレの前に来て言う。

「僕はこれからモニター室に行って、現在の状況と録画されているはずの映像を確認する。お前らは刑務所内を巡回して、不審な点がないか確認してくれ」

「モニター室の場所、分かるのか?」とオレだ。

「ああ。ここの間取り図を携帯電話に転送してもらった。岬にも送ったから、それを基に移動してくれ」

 一瞬、一文字が須藤を見た。

「それにしても、ここの連中は信じられないほどの無能揃いで呆れた。岬をこんなところに置いておくと、一向に話が進まないどころか邪魔すらしそうだ」

 同感だ。

 そういう訳で、オレと岬は二人で刑務所内を巡回することになった。職務室にいた職員に夢幻亜人イリュージョノイドがいないのは分かっている。オレと岬は、警備に当たっている看守たちや、監房にいる囚人たちの中に夢幻亜人イリュージョノイドがいないかを探し廻って施設の半分ほどを巡ったが、どうやら無駄骨になりそうだ。

 廊下を歩いていると、当然警報が鳴った。すぐに岬の携帯電話に一文字から「囚人が脱獄しようとしている」と連絡が入った。

「すぐに現場に向かってくれ!」と、携帯電話から一文字がした。

「一文字さんはどうするんですか?」

 岬が言うと、「陽動作戦の可能性もあるから、僕はモニター室に待機する。警戒を怠るなよ」と返して来た。

 電話を切ると同時にオレ達は現場へと向かった。オレ達は看守らより早く現場に着くと、刃物を持った囚人の何人かが意味不明の叫び声を上げて襲い掛かって来た。オレはアクション俳優時代に身に付けた空手と柔道の技で、一人を蹴り飛ばしてもう一人を投げ飛ばした。オレは岬を見ると、合気道のような動きで囚人二人を簡単に倒してしまった。だが、オレが倒した奴も、岬が倒した奴もすぐに立ち上がって襲い掛かって来る。まるでホラー映画のゾンビである。

「いい加減やめろ!」と叫んでも、相手は意味不明な声を上げるだけで意味がない。

 オレは囚人が握っている刃物を奪い取って窓の外に投げては、押し出すように蹴り倒すのを繰り返す。岬もオレと同様に刃物を奪ってから攻撃するが、次々に挑んでくるので一人一人を取り押さえている暇が無かった。少し間を置いて三人の看守が、とろとろと歩いてやって来た。

「なにしてる! 走れ!」

 オレが叫ぶと、看守らはやる気なさげに走って来て、オレ達が倒した囚人たちをチンタラと取り押さえる。と、屈強な男がオレに挑み掛かって来た。二メートル近くある大男で、しかも見た目通りに力が強い。オレとその男は互いに相手の両手を握って押し合うのだが、オレはその大男に力負けして、上からゆっくりと押し潰されそうになる。

 岬は看守たちが取り押さえた囚人らを、傍の監房に押し込んで鍵を掛けると「なにをしてるんですか! 早く手伝いなさい!」と看守らを怒鳴った。一瞬きょとんとした看守らは舌打ちして、オレと力比べをしていたその大男をどうにか取り押さえる。この男もまた、緊急処置として近くの監房に入れて閉じ込めた。

 どうにか治まったかと思いきや、岬の携帯電話が鳴った。一文字からだ。

早田はやたさん! 脱獄を企てた囚人の一人が外に出たそうです!」と岬が、オレに言った。

 囚人が脱獄を図って暴れだしたのは三階であったが、一文字からの報告を聞いた岬は「囚人は外の壁を這って屋上に向かっています」と告げた。オレと岬は、役に立ちそうもない看守らを放置して、階段を上って屋上へ向かう。その間も岬は一文字からの報告を聞いていた。

屋上への扉には鍵が掛かっていなかった。オレ達が外に出ると、ちょうど囚人が壁を登り終えたところだった。岬が囚人の男を見る。岬の掛けている眼鏡には夢幻亜人イリュージョノイドを識別する機能が付いているが、その囚人に対しては反応しなかった。

「どうやら、普通の人間のようです」と岬は言った。

 生き物としては普通の人間だろうが、普通の人間は壁を這って登って来ない。

「お前! 大人しく捕まれ! さもないと容赦しないぞ!」

 オレがそう声を上げたが、囚人の男は不敵に笑みを浮かべるだけだった。

 オレは囚人に挑み掛かったが、身軽な奴らしくオレの伸ばした手を簡単に避けた。しかも足も速い。岬も仕方がないと思ったのか、拳銃を向けて光弾を撃ったが、後ろに目でも付いているのかと疑いたくなるほど容易にかわす。しばらく屋上でオレと囚人の追い駆けっこが繰り広げられたが、岬は囚人の移動パターンが読めて来たのか、光弾の筋が段々と囚人の移動を妨害する軌道を描くようになり、最後には足の近くに着弾したために囚人が転んだところを、オレがなんとか取り押さえた。男はヘラヘラを奇妙に笑いながら、呂律が回らないのか言葉とは呼べない何かを言い続けていた。

 岬が一文字に連絡する。

「囚人を確保しました。いえ、違います。はい。そうですか。分かりました」

 電話を切ってオレに言う。

「もうすぐ看守がこちらに来るようです」

 オレが屋上への出入り口を見ると、間抜けな顔をした二人の看守がボケーッとしながらこちらを見ていた。

「もしかして、あれか?」

「みたいですね……」

 心許こころもとないが、取り敢えず囚人を彼らに引き渡した。

 ここからどうするのか。また見回りに戻るのか、それとも一文字の戻るのか、なんてことをオレが考えていると、岬の携帯電話が鳴った。それに出た岬が携帯電話をスピーカー機能に切り替えると、一文字の声がする。

「突然二階の囚人たちが、集団で苦しみだした。携帯電話に位置情報を送ったからすぐに向かってくれ」

「それって、夢幻亜人イリュージョノイドの仕業なのか」とオレだ。

「断言できないが、その可能性は高い。それに、不審な清掃員を確認した。清掃員がいたら調査してくれ」

「それってどんな人ですか」と岬だ。

「見た目は華奢な男の清掃員なんだが、煙草をくわえている。それに、囚人が苦しみだしたのは、その清掃員が来てからなんだ。モニター越しだと、奴が標的なのかどうか分からない。だが、その清掃員が夢幻亜人イリュージョノイドの一体である【№1】のトキシンである可能性が高い。注意してくれ。僕もすぐにそっちに向かう」

 ここで電話が切れた。

「トキシンって、毒でしたよね?」とオレだ。

「そうです。とにかく現場に向かいましょう」

オレ達が急いで現場に駆け付けると、一文字が言っていた清掃員がいた。髪はやや短髪で直毛である。それにしても、華奢だとは聞いていたが、触れただけで折れてしまいそうなほどに細い体をしていた。そして、そいつの足許には何人かの囚人が泡を吐いて倒れている。

その男は大きく煙草の煙を吐き出すなり、オレ達に向かって「遅いじゃないか。人殺し」と言った。

「早田さん。あいつは標的です」

 岬が拳銃を清掃員に向けるなり、そう言った。つまりあいつは夢幻亜人イリュージョノイドのトキシンなんだろう。

 オレは言う。

「おい、お前! ここでなにをしていたんだ!」

 奴は煙草を吸いながら笑っている。そして煙を吐き出しながら言うのだ。

「オレの毒が人間に対してどれだけ有効か確認するためには、大量のサンプルが必要になる。一体二体じゃ個体差の可能性があるから、数十数百体は欲しいところだ」

「そんなことが許されるとでも思っているのか!」

 オレがそう言うと、奴はゲラゲラ笑いながら言う。

「そうだ。思ってるとも。犯罪者や囚人なんて、所詮は生きていく価値のない連中じゃないか。だから、こんなところで閉じ込められて社会から隔離されているんじゃないのか? 社会生物にも拘わらず、有害ゆえに閉じ込められている連中は、早い話が同種から見たゴミだ。存在する価値などない。こういう連中は死んだほうが社会のためだ。オレはそんなゴミ共を生体実験のサンプルとして利用して実感台を得る。そしてお前たちはゴミ処理が出来る。お互いに対して有益じゃないか。これこそ真の互恵関係だ」

「単なる差別主義的な考えかたじゃないか!」

 オレがそう怒鳴ると、なにがおかしいのか奴は高らかに笑いだした。

「差別? 人間が遺伝子に刻まれている本能的にして、思考の基準となる基本的概念じゃないのか。大人の男が不幸な事故や事件で死んだとしても冷たいが、若い女や子供が同様のことで死んだとなると目の色を変える。例えば、飛行機の墜落や大型船の沈没といった大規模な事故だな。男たちが何人死んでも犠牲者が出たで終わるが、女や子供から犠牲者が出ると、わざわざ何人死んだのか親切丁寧に報道する。犠牲者百人のうち十人が子供でした……といった感じで。男が女に暴力を振るわれたら情けない、逆に女が男に暴力を振るわれたら可哀想。同じ事象でもよくまあ、こうも態度が変わるとは興味深いじゃないか。

 そこで疑問なんだが、この感情はどこから湧き立つんだ。男より弱い女は大切、だが女より弱い男はどうでもいい。男が優位に立っているから、上位に立つのも概念の基準になるのも当然といった発想か? それとも男の命や存在に大した価値はなく、軽々しく使っても問題のない存在でしかないという発想か? お前たちからすれば、これは差別でもなんでもないんだろ? 信仰や強迫観念か? まあ、どっちにしろオレらからすれば、差別主義に基づく考えかたにしか見えないんだが、お前らは差別だどうだとうるさい割には、なぜそこに触れないんだ? 分かりやすく雄と雌のめごとを選んだが、似たような事例は探せば幾らでも湧き出てくる。その点について、あんたはどう思う?」

「お前がどう思おうが勝手だが、だからって勝手に人を殺していい訳がないだろ!」とオレは言った。

「なんでダメなんだ? お前らはオレの仲間を殺し廻っているじゃないか。それはいいのか? それに、お前たちに人間は娯楽のために生き物を殺すだろう。魚を釣るために生きた虫なんかを餌にして、しかも針に突き刺して水の中に入れる。溺れ苦しむ虫は魚に喰われるか溺死するしかない。それは可哀想じゃないのか? 気の毒に思わないのか? 心は痛くならないのか?」

「…………」

「それと同じだ。姿こそ似ているかも知れないが、オレらとお前は別種の生き物。お前たちがどれだけ虫を殺しまくっても、オレらの仲間を殺しまくっても心を痛めないように、オレらはどれだけ人を殺しても心は痛まない。だから、お前たちの理屈なんぞ知ったことじゃない。この点はお前らと一緒だ」

「化け物の下らん戯言たわごとに付き合うヒマが会ったら、さっさと戦ったらどうだ」

 オレたちの背後から声がした。一文字だ。トキシンに銃口を向けて言う。

「当初の事象と、貴様の能力には差異がある。これはオボロと戦ったのと同様だったが、やはり複数の夢幻亜人イリュージョノイドが組んで行動しているのか。お前、誰と組んで刑務所にやって来たんだ?」

「さあ?」とトキシンは惚けた。

「そいつの能力はなんだ?」

「意味不明。混乱しちゃう」

「まあ、言っても言わなくても運命は同じだ。みっともない姿になってもらうぞ」

「オレ一人相手に三人掛かりだなんて、卑怯だとか恥ずかしいとか思わないのか?」

「卑怯だなんて毒を使う奴に言われたくない。それに、お前いわく人間は差別主義的な生き物なんだろ? ならば一切問題はないはずだ」

「あ、そう」

 一文字がオレの首に注射して、オレは夢幻亜人イリュージョノイドのビーストの姿に変わる。トキシンも作業服を破るようにして脱ぎ、不敵に笑って煙を吐き出しながら本性を現す。髪は白、肌は紫、両目には黄色い三日月型の模様が楕円形を描くように現れた。咥えていた煙草を床に落として踏みにじる。

「早田さん、気を下さい。トキシンに触れられただけで、その部位は猛毒に侵されます」

 岬がそう言うと、一文字も「息にも毒があるそうだ」と教えてくれた。当初に予定していない特殊効果エフェクトを持った夢幻亜人イリュージョノイドとの戦闘とはいえ、オレはそんな奴を素手で殴らないといけないのか。

 トキシンが足許で倒れていた囚人に向かって息を吐いた。オレはてっきり囚人たちは死んでいるものと思っていたが、奴の息を浴びた囚人は唸り声を上げながら口から泡が溢れ出てきた。どうやら、息に毒があるというのは本当らしい。

「気を付けろよ」などと、トキシンは余裕が満ちていた。

 一文字らが銃撃すると同時に、その光の筋を器用に避けながらトキシンがオレに突撃して来た。オレも奴に挑み掛かって、その顔面に思いきり右手の拳を打ち込んでやろうとすると、それをも躱して、奴はオレの腕を掴んだ。途端、変身して生えていたオレの体毛が抜け落ちて、しかも妙な煙まで出てきた。オレは慌てて左手で奴を殴ろうとしたのだが、それも躱される。だが、一文字らの光弾をけるためにトキシンはオレから退しりぞいた。しかし、奴に触られたオレの腕は赤くなっている。最初は腫れ上がっていると思ったのだが、よく見ると皮膚が融けたようだった。しかも患部だけではなく右腕全体が焼けるように痛い。右手の指を動かすだけなのに、腕の痛みが全身に響き渡る。

「触られただけで、これかよ!」

「早田、奴には無理に近づくな! 囚人を盾に使って対処しろ」と一文字は言った。

 やりたくはないが、仕方がない。

 奴の吐息には毒がある。オレは息を止めて奴に挑み掛かった。援護する光の筋の間を駆け抜けてトキシンに殴り掛かるが、奴はオレに殴られるよりは光弾に当たったほうがいいと思っているのか、幾つもの光の筋と筋の間を掻い潜ってオレの拳をけ続ける。オレは足許に倒れていた囚人の首を左手で掴んで持ち上げた。泡を吐きながら白目を剥いて気絶している。いや、死んでいるのかも知れない。オレは囚人の顔をトキシンに向ける。

「うん。見るに堪えない汚い顔だ」とトキシンは笑んだ。

 囚人を盾にしてトキシンに突撃する。オレの妨害をしないように光弾の筋が減り、その分だけトキシンに自由が生まれた。だが、一文字も岬も光弾でトキシンを妨害するように銃撃してくれるお陰で、オレは囚人越しにトキシンを攻撃する機会が生まれる。

――これでも食らえ!

 囚人に頭突きをさせるようにしてオレはトキシンに殴り掛かった瞬間、トキシンは囚人に向かって息を吐きつけた。と、囚人が呻き声を上げて震えたものだからトキシンに逃げる隙が生まれた。オレは思わず囚人を落とすと、奴は今度はオレに目掛けて息を吐きつけようとしたため、囚人を放置して退しりぞいた。オレが盾にした囚人は奴の毒にあたって、陸に揚げられた魚のようにピクピクと痙攣けいれんしている。あんな風に動かれたら盾としては使いづらい。ほかにも囚人は倒れているのだが、死んでいるのか気絶しているだけなのかはオレには分からない。次に盾にする奴でハズレを引かないようにしないと、まともに攻撃できない。

 一文字たちの銃撃がんだ。どれだけ撃っても見事に躱されるため、銃弾の無駄だと判断したのだろうか。

「一向にキノコにならないな」と一文字がぼやいた。

 キノコねえ。トキシンがキノコになったら、やっぱり毒キノコになるのだろうか。じゃあ、以前斃たおしたハナビは爆弾キノコか。物騒だな。

 キノコ、キノコ。……キノコ。

 よし。オレは腹を括った。

「一文字、岬さん。あとは任せたぞ」

 オレはそう言って盾も持たずに突撃した。奴の毒でまともに使えなくなった右腕を伸ばしてトキシンを掴もうとする。と、奴がオレの手首を掴んで顔をオレの顔に近づけた。その瞬間に手首が落ちたかと思うほどの激痛が走り、思わず声を上げた瞬間に、奴は猛毒を含んだ息を思いきり吐きつけて来た。目の前が真ッ暗になった。なにも見えない。目も鼻も口も喉も肺にまで激痛が走る。オレは奴に掴まれているのをいいことに、今度はこっちが奴の腕を掴んだ。なにも見えないので半ば勘ではあるが、オレは左手を右肩の上に移動させて、トキシンを引ッ張って動かすのと同時に、奴の頭とオレの左手の拳を衝突させるような形で打ん殴ってやった。

 オレは口からなにかを吐いた。そのあとは知らない。


 研究所のオレの自室で目が覚めた。誰かがいる。だけどよく見えなかった。

「気付いたかね」

 芹沢せりざわ博士の声だ。彼は続ける。

「岬くん達から聞いたが、随分と馬鹿な真似をしたようだな」

 オレはボンヤリと博士の影を見た。

「まだ焦点が合っていないようだな。毒が完全に抜ければ元に戻るだろう。先に言っておくが、トキシンは無事に駆除・回収した。囚人たちは残念だったが、彼らは薬物を持ち込んだ挙げ句に、みんな急性の薬物中毒で死んだことにする事になった。先に死んだ三人も同様だ」

「そうですか……」

 オレはそう答えたが、まだ意識はハッキリしていない。

「囚人の話はそれでいいとして、問題は今回の君の行動だ。捨て身というか無茶な戦いかたをしたそうだが、そんなようでは命がいくつあっても足らんぞ」

「ですが博士。夢幻亜人イリュージョノイドは死んでもキノコになって復活するんでしょ? ならば私も、キノコになって復活するはずです」

 博士の表情は見えなかったが、呆れたような溜め息が聞こえた。

「あれは純粋な夢幻亜人イリュージョノイドに限っての現象で、奴らと融合しただけの君では発生しない。君は夢幻亜人イリュージョノイドではなく人間なのだ。君は意識が無くて知らなかっただろうが、今回……君は本当に死にかけたんだぞ。いま君が生きているのはビーストの生命力もあっただろうが、輸血などの色んな処置をはじめ、実験段階にある特殊な薬品の効果によるものだ。しかもこれを投与したのも博打だったし、恐らくもう一度投与すれば君はショックを起こして間違いなく死ぬだろう。蜂に刺されるのは二回目以降が危ないというあの現象でだ。ゆえに万が一、今回と同様のことが起こってしまったら命の保証はできない。君は奥さんとお子さんを生き返らせるために頑張っているのだろう。ならば、無事に生きて家族と再会しないと。我々は君を失って悲しむ、君のご家族の姿なんて見たくないのだ」

「そうですね。すみませんでした……」

 そう言ったオレの意識は、再び途絶えてしまった。

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