第四回 スカー


 某大病院の職員専用の駐車場で、オレ……早田はやたたけしこと酒井さかい佳春よしはるは、一文字いちもんじと一緒に駐車している自動車の中で待機していた。一文字の携帯電話に連絡が入る。電話を切ると同時に、一文字は「もうそろそろだ」と一言いった。オレ達はほぼ同時に車から降りる。一文字は両手をズボンのポケットに収めて、オレ達は病院への出入り口に目をやった。跳ねるように立ち上がった短髪で、スポーツ選手のように体格のいい男が一人、こちらに向かって歩いて来る。年は四十代だと思われる。一文字たち公安の機密特殊科学捜査課はすでにこの男のことを調べていた。男の名前を太田おおたといい、フリーランスの一流外科医だそうだ。公安の特殊科学捜査課が調べているという事は、当然ながら夢幻亜人イリュージョノイドであり、オレ達の今回の標的である。

 駐車場に入った男も、すぐにオレ達が奴らの敵であることに気付いたのか、一文字が話しかける前にオレ達を鋭い眼光をこちらに向けた。

「太田さんですね?」

「お前らか? 我々の仲間を殺し廻っているのは。裸眼の男から同胞のニオイがプンプンするぞ」

 一文字は眼鏡を掛けているから、裸眼の男はオレのことである。

「話が早くて助かります。覚悟はいいですね?」

 一文字がポケットの中に入れていた銃と、オレを夢幻亜人イリュージョノイド化させる注射を取り出そうしたとき、太田が「ちょっと待ってはれないか?」と言って来た。

「命乞いか?」

 オレは思わず言った。

「そんなみっともない事はしない。だが、明日あしたは大切な予定があるんだ。だから、面倒事は明日あすにしてれないか?」

「予定? 予定ってなんだ!」

 オレが尋ねると、一文字が言う。

「そういえば、明日あす……お前はこの病院で難しい手術をするんだったな」

「手術?」

「そうだ。今の私は、一応は外科医なんでね」と太田。

「そう言って逃げる気だろう! それか、患者を人質にする気だな!」

「幼稚な想像に磨きを掛けるのは一向に構わないが、そんなつもりは毛頭ない。明日あしたおこなう手術は……まあ、専門的な話は省くが、どれも日本でも極一部の限られた医師しか行えない、極めて困難な手術で、しかも三件も入っている。命に関わる手術だから延期もできないし、今から私の代理を用意するのはまず不可能だ。そんな状況で、その手術を行う私がいなくなる訳にはいかないんだよ」

 オレは一文字の出方を窺うが、一文字もどうするか判断に迷っている様子だった。

 太田が続ける。

明日あすの手術予定の患者には、著名な学者と六歳の女の子がいる。学者のほうは日本を代表する一流の学者で、失うのは日本の科学界にとって重大な損失になるし、もう一人はまだ世界の素晴らしさもけがらわしさも知らない子供だ。この二人がどうなってもいというほど、お前たちが薄情で近視眼であるなら仕方がない。相手をしよう。逆に、彼らの命を優先してくれるのなら、私は必ず明日あすこの病院に戻って来る。仮に彼らの命を優先したいが私を信用できないというなら、何ならずっと私に付いて来ても構わないぞ」

「人間の治療のために、お前が必ず病院に戻って来ると、本当に信じると思っているのか?」

 オレがそう言うと、「人間だって犬や猫の治療のため尽力するだろう? 治療や救助において生物種の違いなど大した問題ではない」と太田が返した。これには言い返す言葉が出て来なかった。

「まあ、堂々と人体を調べられるという点では、お前がお医者さんごっこをする利点はある」

そう言って一文字が携帯電話を取り出し、どこかと連絡を取った。小さな声で何度も囁いたかと思うと、すぐに電話を切ってポケットに入れた。そして太田に言う。

「わかった。こちらとしても、その二人を死なせる訳にはいかない。お前は行動を自宅と病院の行き来に限定するのなら、お前の頼みを受け入れる」

「構わない。どうせうちと病院の往復しかしないからな」

 太田は自分の自動車のもとへ歩き出す。

 オレは「おい、いいのか!」と一文字に訊いた。

「仕方がないだろ」

「けど、逃げたり手術中の患者を人質にする気かも知れないんだぞ」

「そのときも仕方がない。それなら患者はどっち道死ぬんだ」

 自動車の音がしたかと思えば、太田が運転する自動車が動き出し、そのまま駐車場から出て行った。

「おい。あいつが逃げて行ったぞ。いいのか、追わなくて」

「放っておけ。調査班があいつを追尾するはずだし、すでに奴の自宅には盗聴器を付けている。それに、この機にあいつが仲間と接触だの連絡を取れば、こちらとしても都合がいい。それじゃあ、帰るぞ」

 オレは納得できないというか、なにか歯痒はがゆい気持ちがあったが、その日はそのまま撤退した。


 翌日、オレと一文字は自動車に乗って病院へと向かう。不満気に窓の向こうを見るオレはふと、自動車を運転している一文字に声を掛ける。

「なあ。あの太田が、本当に患者を助けると思っているのか?」

「さあな」

夢幻亜人イリュージョノイドは、駆除が必要な化け物なんだろ? しかも人間に似てるだけかと思えば、まさか他人そっくりに擬態するなんて」

「そうだ。概要は芹沢せりざわ博士から聞いているだろ?」

「いや、聞いてない」

 オレは一文字を見た。

「そうか」と一文字は少し黙った。

「お前が交通事故で意識不明だった時期……もっと分かりやすく言えば四ヶ月前に、小笠原諸島の火山に隕石が落ちたというのは知っているか?」

「いや、知らない。……火山に隕石が落ちたって、大丈夫だったのか?」

「大騒ぎにはなったが、無人島の火山だし人が住む島からはかなり離れているから問題ない。まあとにかく、隕石が火山に落下した時、どういう訳だか、この世界と異次元世界を繋ぐワームホールが発生したらしく、奴ら夢幻亜人イリュージョノイドはそこからこの世界に侵入して来たらしい」

「ホントか? それ」

「僕だって最初聞いたときは信じられなかった。それでその隕石は火山の奥深く、恐らくはマグマに沈んだが、衝突の際に砕け散ったと思われる隕石の欠片かけらは、一応我々が回収している。発生したワームホールは、こちらの技術で塞いでいる」

「そんなこと出来るのか!」とオレは驚いた。

「民間には公表してない技術を使ったんだ。それ以上は僕も知らない」

「へえ。それで、夢幻亜人イリュージョノイドはなんでこっちに来たんだ?」

「明確な理由は不明だ。だが、遭遇当初から我々人類に強い敵意があるのは分かっている」

「そうなのか?」

「さあな。侵略目的だと匂わせる奴もいたが、やはり不明だ。一応、お前を含めて五体はキノコの形態では回収出来ているが、通常の姿での捕獲は出来ていないからな。動機は本人たちから聞くしかないが、キノコだと訊きようがない」

「太田を駆除する前に訊いておくべきだな」

「余裕があればな。まあ、嘘を答えられる恐れもあるが……」

「それにしても、そんなッ飛んだ生き物が、今日は難しい手術をする外科医とは。大丈夫なのかね」

 そう言ってオレは、再び窓の向こうに目をやった。まだ長いトンネルである。

「太田の……いや、この言い方だと語弊があるな。太田に化けた夢幻亜人イリュージョノイドの手術技量は完璧らしい」

「こっちに来て四ヶ月なのにか?」

「奴らの知能は無礼なめられない。擬態して一ヶ月もすれば、その対象と全く同様に振る舞える」

「物真似がうまいだけだろ?」

「そうかも知れないが、以前ボクが戦った夢幻亜人イリュージョノイドも、周囲は別人が入れ替わったことに誰も気付かなかった」

「インパクトか? それともハナビか?」

「違う。ゲンガーと呼ばれていた奴だ」

「ゲンガー?」

「そうだ」

「お前、あいつらたおした事があるのか!?」

 思わずオレは一文字を見た。

「ああ」

「だって、前の二体はオレ一人で斃したようなもんだぞ」

「お前が戦っているときに攻撃したら、銃弾がお前に当たるかも知れないだろ。それでいいのなら、今回から僕も積極的に攻撃させてもらう」

「いや、めてくれ……」

 一瞬沈黙が生まれたが、オレはすぐに「で、そのゲンガーってどんな奴だったんだ?」と尋ねた。

「自分の分身を作り出す特殊効果エフェクトを持った奴だった。」

「ドッペルゲンガーってやつ? もう一人の自分のお化けみたいな」

「そうだ。【№《ナンバー》2】の夢幻亜人イリュージョノイドだ。作った分身でこちらを攪乱したり攻撃して来た。そのとき、奴が擬態していた人物の演技は完璧だったし、奴の関係者の中で別人が成り済ましていることに気付いた者はいなかった」

「ほう。で、どうやって斃したんだ?」

「ゲンガーの分身を攻撃しても本体には影響がない。だが、識別機能の付いた眼鏡の前では、大した効果のない特殊効果エフェクトだった」

「分身には反応しなかったのか?」

「そうだ。だから簡単に本体が分かった。ゲンガーも勝ち目がないと思ったのか一旦は逃げて、また違う人物に擬態をしたんだが、初めて化けた奴だったせいか、随分とお粗末な感じがしたよ。僕は、その擬態に気付かない振りをして、奴の油断を誘い――」

「隙を衝いて斃したと」

「まあ、そんな所だ。ほかにもカメレオンという奴がいた」

「変色能力か」

「そうだ」

「まんまだな」とオレは思わず吹いた。

「分かりやすいことは重要だ」

 思いのほか真面目に返された。

「この夢幻亜人イリュージョノイドはほかの駆除班が仕留めたから詳しくは知らないが、透明になっても識別反応が消えなかったそうだ」

「眼鏡越しなら、透明人間ならぬ透明亜人の居場所が分かったのか」

「そうだ。正直われわれの前には無意味だったそうだ」

「お気の毒」

 オレが小さく笑うと、ちょうどトンネルを抜けた。そのの一文字の説明を要約すると、夢幻亜人イリュージョノイドが別人に成り替わる際、一応はその人物の観察や調査などが必要になるそうだが、一度でも成り切ってしまえば、まずばれる事はないらしい。もっとも、さっきも言っていたように擬態したばかりだったり、よほど親しい間柄なら違和感に気付いて見破れる可能性はあるそうだ。

「まあ、普通の家族や友達程度では無理だろう。イジメを苦にしても自殺するまで、苦しんでいたことに気付けないほど鈍感だからな」

 そう一文字が言ったあと「まあ、結果を知った後知恵としてなら、心当たりの一つや二つはあるかも知れないが、正直無意味だ」と結んだ。


 オレ達が病院に到着して十分ほど経つと、太田が運転する自動車がやって来た。車と止めて降りた太田と目が合った。

「逃げずに来たようだな」

 一文字が言った。

「当然だ。患者が待っている。何なら付いて来るか? 病院の職員には私の友人が見学に来たと伝える」

 オレは一文字のほうを見る。一文字がオレの耳に口を寄せた。

「僕らが何もせずとも、調査班が奴の言動を確認するが、まあいい。こいつに付いて行こう」

「大丈夫か?」

「ああ」

 そうしてオレ達は、太田の友人という形で病院内に入った。その途中、手術を受ける患者の家族と思われる五十歳ほどの女性かこちらにやって来て、太田に挨拶をする。

今日きょうは主人を宜しくお願いします」

 女性はそう言って太田に頭を下げた。

「任せて下さい。最善を尽くします」と、太田は小さく笑って返す。

「では、準備がありますので」と女性と別れて、オレ達は歩き出した。

「さっきの女性は誰なんだ?」とオレが尋ねると、「今日きょう手術する学者の奥さんだ」と太田は一言だけ返した。今度は、四十歳ほどの男女がこちらにやって来て、さっき同様太田に挨拶をして来た。

「うちの娘を宜しくお願いします」

「お願いします」

「奥さん、旦那さん。大丈夫です、任せて下さい。先日もお伝えしたように、娘さんに行う手術は、確かに難しい手術ではありますが、私は同様の手術を多く行っています。安心して下さい」

 太田と夫婦は幾つかの言葉を交えたあと、まだ話し続けようとする夫婦に「申し訳ないが、手術の準備があるので」と太田が告げて別れた。その場を去る太田を、夫婦は名残惜しそうに見送っていた。信頼されているのだろう。いや、わらをも掴む気持ちで見る、命綱といったところか。

「さっきのは六歳の女の子の親か?」とまたオレだ。

「そうだ。不妊治療を経て生まれた子供だそうだ。待望の子供で第二子も望めないから、その分愛情も深いのだろう」

「そんなもんかい」

 そのあとも少し歩いて、太田がある扉を開けた。

「この部屋で私が行う手術が見学できる。ほかの医師にもお前たちのことを伝えておくから、不審がられる事はないが、見学目的でほかの医師が来るかも知れん。そのときは、適当に話を合わせておけ。では、三十分後に手術を行うから、大人しく待っていろ」

 太田がそう言い残すと、どこかへ去って行った。オレ達は素直に太田が執刀する手術を待った。思ったより早く、患者が手術室に運ばれて来た。五十歳ほどの男で名前は知らないが、例の著名な学者だそうだ。そのあとに手術着を着た太田が入って来た。化け物と知らなければ、非常に堂々とした信頼に足る医師に見えた。

 手術が始まる。胸から腹を裂かれるのを見て、オレは思わず目を背けた。ほんの少しだけ一文字を見る。奴は平気なのか表情一つ変えずに手術を見つめていた。

「どんな感じだ?」

 医学に不案内なオレは訊いた。

「正直、医学は専門外だが、それでも太田が稀代の天才だと分かる」

 毒舌家の一文字がそう言うほどだから、相当な腕なのだろう。結局オレは手術の様子をろくに見ることが出来なかった。手術が終わると、一緒に手術を行っていた医師や看護師らが太田を称賛していた。

「まだ二つもあるのか」

 オレが漏らす。

「次は薬物中毒者の男だそうだ」

「薬で病気になったのか?」

「いや、病気自体は恐らく関係ない。それに発病は刑務所に入った後だ」

「囚人か?」

「ああ。多数の窃盗と危険薬物の保持・使用・売買での逮捕らしい。生活保護受給者のくせに趣味はパチンコ、しかも証拠不十分で不起訴になったが違法賭博などで散財していたらしい」

「窃盗と薬物の上に、そんな事まで……。絵にいたようなクズだな。けど、生活保護を受けていたんなら、金なんて無いだろ? 治療費はどこから出ているんだ? 隠し財産でもあったのか?」

「税金だ」

 一文字がハッキリと答えた。オレは思わず「呆れた」と天を仰ぐ。

「ただでさえ見たくないのに、今からそんな奴の手術を見ないといけないのか……」

 オレがそうこぼすと、一文字は自動車の鍵をオレに手渡して「見たくないなら車に戻ってろ」と言った。オレは素直に自動車に戻る。その途中で、太田がさっき出会った学者夫人に感謝されている所を目撃した。

「本当にありがとう御座いました。お陰で主人は助かりました」

 そう言って夫人は何度も頭を下げている。

「いえ。私は当然のことをしたまでですし、これからは術後の容態を見なければ成りません。それでは、次の手術の準備がありますので私は失礼します。あなたも早く旦那さんの所へ行って下さい。まだ夢の中だとは思いますが、貴方あなたのことを待っている筈です」

「それでは失礼します」と言い残して、太田がどこかへ去って行った。夫人はその後ろ姿に深々と頭を下げていた。

駐車していた車に戻ったオレは、いつものように助手席に座る。まだ二件の手術が待っているため、相当長い時間が掛かる筈である。オレはボンヤリとしているうちに意識が薄れていった。


 車の扉をノックする音で意識を取り戻す。明らかに機嫌が悪そうな一文字がいた。

「早く出ろ。馬鹿」

 そうオレに吐いた。

「仕事中に寝る馬鹿がどこにいる」

 確かに、これはオレが悪い。オレは急いで車から降りた。

「で、手術はどうなったんだ?」

「ほかの二件とも無事に成功した。いい勉強になったよ」

「そうか。まあかった」

「そんな事より、もうすぐ奴が来るぞ。【№《ナンバー》6】スカーが」

 スカー。奴の特殊効果エフェクトは触れたものを裂くといったものである。しかも紙や布といった物だけではなく、鉄だって切れる。厳密には『切る』というよりかは『結合を解く』といった感じのものらしい。奴は周囲の医師に気付かれないようにしつつ、この能力を使って高度な外科手術を行っていたのだ。

 オレは呼吸を整えて奴を待つ。と、五分も経たず奴がやって来た。太田ことスカーは、オレ達から距離を取って立ち止った。

昨日きのうも言ったが、覚悟はいいな?」

 一文字だ。

「私を殺したいのなら殺しても構わない。ただ、私は私を守るために戦う。それと、命乞いではないが考えて貰いたいことがある」

「なんだ? 言ってみろ」と今度はオレだ。

「私が死ねば、今日助かった連中のように救えなくなる命もある」

「なら、お前が成り切っている太田医師を殺さなければかったんじゃないか?」

 一文字の問い詰めに、スカーは一瞬黙る。

「……今日の手術の一人目と三人目はともかく、二人目のようなクズは救う価値のない命だった。薬物中毒の窃盗犯、しかも税金をしゃぶるギャンブル狂だぞ。正直、医師として此奴こいつを救いたくなった」

「なんの演説だ?」と一文字。

「社会生物である人間の価値は、如何いかに社会に貢献しているかという事だ。私は医師として、毎日何人もの患者の命を救っている。だが、その救った連中の中には、死んだ所でどうといったものでない、むしろ死んだほうが社会貢献というべきゴミ同然の命もあったのは事実だ」

「だから、助けて欲しいと?」と今度はオレだ。

「まあ聞け。確かに私が太田医師に成り代わらないのが一番好かったのだろう。だが、私の力がなければ救えない命もあったのも事実だ。現に太田医師が出来なかった手術も、私なら可能だ。お前たちは私を駆除したくて堪らないらしいが、それは人間社会において決して有益ではない。私以上に価値のない人間など幾らでもいる」

「見苦しい言い訳だが、せっかくだから遺言として聞いてやる。続けろ」と一文字が言った。

「人間とは社会の血液たる金を使ったり稼いだりするだけでは、決して社会貢献にはならない。分かりやすい例は犯罪者だろう。ほかにも作家やスポーツ選手が挙げられる。犯罪者は説明不要だろうが、奴らは社会秩序を乱し、他人の権利を侵害することで利益を得ている。作家や漫画家・芸術家は、所詮は奴らの妄想を絵や文字・音楽にして、それを金に換えている。奴らの作ったものは暇潰しにこそなれ、実質的価値は皆無であり資源と時間の無駄遣いだ。スポーツ選手だって、早い話が趣味のお遊びで稼いでいるだけだ。どれだけ真剣にやろうが、人気のない競技なら、どれだけの成果を上げても誰も称賛しないし、する価値もない。人気があり、かつ金になる娯楽だから職業として成り立っているだけで、本質はただの道楽だ。似たようなものに芸能人がいるな。それにまだあったな。芸能人や有名人の挙動をストーキングして散撒ばらまくことで記者を名乗る連中が。あれもたちが悪い。社会的価値が一切ない情報の上に、やっている事はただの悪質なストーカーであり、場合によっては犯罪であり、それ以前に行動そのものが異常だ。奴らの労働ごっこなど、金を生むから生かされているだけで、本来なら存在する価値など何処どこにも無い。奴らの存在は人間社会にとって無益だ」

 思った以上に長い。スカーはまだ続ける。

「貴様らはどうだ? 死ぬしかない連中を救う新種の知的生物を殺すことが正義なのか? 殺人だのなんだので牢屋で飼われている犯罪者をドンドン殺したほうが、私はよっぽど正義であり意義ある行いだと思うが?」

 オレはなんて言えばいいのか分からなかった。だが一文字は言う。

「僕は、なにを仕出かすか分からない生き物を追い払うことは正義とまではいかないが、意味ある行動だと思うね」

 それを聞いたスカーが鼻で笑った。

「帰りたくても帰れないんでね」

 そう言って苦笑する。

「ところで、なんでお前はこの世界に来たんだ?」

オレの問いに、スカーは少し間を置いた。

「お前たちのお仲間は、宇宙だの月だの行っているが、それは『人類の夢』などといった安っぽい綺麗事に満ちた理想ではなく、なにか野蛮でやましい事でもあるのか?」

 そう訊き返されたらオレはなにも返せないのだが、一文字は「論点をり替えようとする、聞いているこちらが赤面したくなるほど酷い言い訳だな。もう満足か?」と吐き捨てた。

「所詮は公僕か。奴隷ゆえに考えることさえ出来なくなってしまったのだな。哀れなもんだ」

 スカーの体色が橙色だいだいいろに変わる。一文字は素早く銃と注射器を取り出したかと思うと、即座にオレの首に薬を打った。スカー同様、オレも上の和服を脱いで夢幻亜人イリュージョノイド化する。オレが変身してスカーを見ると、奴の左右の頬には灰色の三角の枠のような模様が浮き上がっていた。

「裸眼のお前」

 オレのことだ。

「お前には私の同胞が入っている。なので、特にお前は確実に仕留めさせて貰うぞ」

 スカーが突進して来る。一文字が応戦して光弾を連射するが、奴は器用にかわしたり特殊効果エフェクトで弾をいて負傷を免れる。

「奴に触れるな! 退け!」

 一文字が叫び、オレ達はスカーの突進を躱して距離を取る。

「光弾まで割いて躱すとは……」

 一文字が零した。車の隣に立つスカーがこちらを睨んで来る。

「どうした? 私を斃すんだろ? なぜ逃げる?」

 スカーが自動車のサイドミラーに手を掛けたかと思うと、それを切り取って握り締めた。するとサイドミラーは粉々になって、スカーはそれを此方こちらに向かって撒き散らす。床に落ちたその破片を見るとどれも四角形になっており、ただ力任せに握り潰した訳ではないのが分かる。

「バラバラにしてやるから、さっさと掛って来い。それとも何か? 今までのは虚勢で、もう勝ち目がないからって逃げ出すのか?」

 そう不敵に笑って続ける。

「人の言葉を『見苦しい』だの『赤面する』だのほざいておいてそのざまか。どっちが恥ずかしいのか分からんな」

 一文字が舌打ちする。ここは病院の駐車場である。毒物はもちろん爆弾やほのおを使った乱暴な真似は出来ない。スカーが今度は車の窓を指でなぞる。ガラスがの形で切り取られて、それを一文字に向けて投げた。一文字はそれを素早くける。同様に車の破片でを作ったかと思うと、今度はオレに目掛けて投げて来たので躱した。

 一文字が握り拳ほどの大きさをした玉を、スカーに向けて投げた。奴はそれを素早くけてその軌道を目で追った。壁に当たった玉から煙幕が出る。スカーは呆れた顔をして一文字を見た。

「愚かだな。私の力を見た直後に、あんな玉を投げられたら、中に何か入っていることは丸分かりだ。私があの玉を切って、煙幕で視覚を失った直後に攻撃するつもりだったのだろうが……」と少し間を置き「本当に思っていた以上の馬鹿共だな、お前たちは」と言い放った。

「黙れ! 化け物!」と、オレは袖に隠していた玉をスカー目掛けて投げまくった。奴はそれを器用にけ続ける。七個ほど投げて、今度は自分の足許に投げつけて煙幕を起こした。

「いい加減諦めろ。情けないぞ」

 オレを包んだ煙が消えた頃には、オレは周囲の車の陰に隠れている。夢幻亜人イリュージョノイド化して図体が大きくなっているため、両手を前脚のようにして移動する。スカーが、一文字がいたほうに目を向けるのとほぼ同時に、一文字がスカーの足許に玉を投げた。当然ながらスカーは煙幕をけるために移動をする。そのタイミングでオレが玉を投げる。それをスカーが躱すタイミングで一文字が光弾を放ち、スカーがそれを切り割いて回避する。それを何度か繰り返していると、突然スカーが足を滑らせた。逞しい図体が地面に叩き付けられて、両手で床に触れたときに、奴はようやく気付いたようだ。

「なんだこれは!」

 奴の顔や両手、そして体中に無色透明のヌメヌメとした気持ち悪い液体で濡れていた。煙幕の入った玉に仕込んであった液体である。要は、煙幕はただの注目させるためのおとりだったのだ。

 オレは奴が足を滑らせたと同時に走り出していた。隠し持っていた金槌を握り締めて

奴に殴り掛った。奴は右手で金槌の頭を掴んだと思えば、途端に金槌の頭が奴の特殊効果エフェクトによって木端微塵に粉砕された。直後、奴の左手がオレの右腕を掴んだのと同時に、蜘蛛の巣を思わせる放射状の傷が拡がって血が溢れ出した。スカーに殴り掛ってから、まだ二秒程度しか経っていない刹那である。奴は笑ってオレを見ている。と、その瞬間、奴が顔を傾けたかと思えば、奴の目許めもとが横に吹き飛んだ。オレはしたり顔をしながら目を閉じた。

「はあああ」

 腰を下ろしたオレは、大きく息をいた。スカーの目許が吹き飛んだのとは逆の方向には、普段の銃よりも大型の銃器を持った一文字が立っている。一文字はオレが奴の注意を引き付けているあいだに、頭部を狙って光弾を撃ち込んだのだ。この銃器は威力が凄いのだが、大型であるために携行しづらいために自動車に隠していたものだった。スカーの体から泡が噴き出し、だんだんけていって最後には例のキノコだけが残った。

「思ったより簡単に片付いたが……全く。頭にち込んでいれば、即死だったのに。しっかり狙え」と、一文字が冷たく言い放つ。

「囮になった挙げ句に、腕を斬られた人間に対して言う言葉とは思えん」

「仮に骨や神経に達していたとしても、その程度の傷ならすぐに治る。現に血も止まっているから、心配することは何もない。それに、今のお前は夢幻亜人イリュージョノイド……化け物だ」

 一文字がオレの首に何かの注射を打つ。獣になっていたオレの体がヒトへと戻っていく。どこに隠れていたのか、スーツ姿の男が何人かすっと現れた。

「なんだ此奴こいつら。もしかして見られた?」

 そう戸惑っていると、「安心しろ。うちの駆除班の連中だ。キノコの回収と、後片付けをしてくれるんだ」と一文字が教えてくれた。

「なんだ、仲間か。もしかして顔馴染み?」

「ああ。万一、僕らがスカーにやられたら、彼らがスカーを始末した。あの液体は可燃性だからな。危険だからやりたくはなかったが、火をければ奴は火達磨だるまで一発だった」

「そうかい」と、オレはスカーの成れの果てであるキノコを見た。

「……こいつが居なくなって、困る患者はどれだけ居るんだろうな」

「深く考えないほうがいい。まあ、そもそも此奴こいつ……スカーは無免許だ。手術できる立場にない」

 その言葉に、オレは「確かに」と苦笑した。

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