第三回 ハナビ


 オレは機密特殊科学捜査課の研究所で、採血だのレントゲン検査だの、名称の分からない検査だの、なんなのかサッパリな検査だの、いろんな検査を延々と受けさせられた。芹沢せりざわ博士いわく「一流の病院でやる高額な人間ドックより精度がいい」らしい。

 下着姿で検査させられて、ようやく終わって服を着ようとしたとき、さっきまで着ていた服ではなく、落ち着いた色をした和服が用意されていた。

「前の服はどうした?」

 オレはその場にいた一文字いちもんじに尋ねた。

夢幻亜人イリュージョノイド化するたびに服を破られたら迷惑だ。だから、破れないように和装にする。上半身を脱ぐのはすぐだし、帯も急激な肥大化に耐えられるように作ってある」

 普通の和装に見えるが、ズボン状のはかまは幅の広く、夢幻亜人イリュージョノイド化しても破れる事はないだろう。上半身部分も腕を袖に引ッ込めて胸元から出す形で脱げば、服は腰の辺りで垂れて、スカートのような感じになるだろし、そうすれば当然ながら破れないから、元に戻ればすぐに着られる。とにかく、ほかに服がないから、オレは仕方なしにその服を着てみる。鏡を見ると、ださくはなかった。思いのほか小洒落た和装といった感じで、着心地も悪くなかった。いわゆる古都と呼ばれるような所では、こんな恰好かっこうをした人が実際にいるんじゃないかとすら思えてくる。

「それはない」

 一文字が断言する。つまらん男だ。

オレは自分の部屋に帰される。監視カメラと棚、ベッド、壁に取り付けられている受話器以外になにもない殺風景なあの部屋である。テレビやパソコンはおろか漫画本一冊ないのだ。外出の自由もないため、呼ばれるまでこの白い監獄の中に居続けなければ成らなかった。途方もなく退屈で苦痛だった。時計も窓もないので時間経過がまるで分からない。昼か夜かも不明なのだ。特にすることもなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけで、暇で死にそうになる。独房に閉じ込められた囚人だと、当初は自分を嘲笑っていたが、今はそんな気持ちすら起きない。インパクトとの戦いで自分でも十分に承知したが、夢幻亜人イリュージョノイドの力を得てしまったから、危険人物として隔離するのは仕方がないとしても、せめてテレビでも漫画でもゲームでもなんでもいいから、暇潰しの道具くらいは欲しいものだ。

目に焼きつくほどに、白い天井を見つめている。よく見ると所々に黒い点がある。汚れだろうか。まあ、天井なんてせいぜい極たまに埃を払う程度で、普段は掃除するような場所でもない。そんな、なんの意味もないことを延々と考えたり、眠気なのか何かすら分からないが、時たま意識が途切れさせている。夢幻亜人イリュージョノイドは何者なのか、オレの今後はどうなるのか、そんな難しいは考える気力すら起きない。こうやって洗脳されていくのか、なんてことも当然考える力はない。


どれだけ時間が経ったか分からない。と、例の警報が鳴る。夢幻亜人イリュージョノイド駆除のための出動の合図である。命懸けの戦いが待っているので、本来なら避けたい筈なのに、退屈だからありがたくすら思える。

ベッドに寝転んでいたオレは、上体を起こす。すぐに一文字が来るだろうと思っていると、案の定すぐにやって来た。扉を開けると同時に「さあ、行くぞ」と偉そうに言って来る。オレも「よし、行くか」と軽く答えて部屋から出た。どこかの寺にいたインパクトを駆除しに行ったときと同様に、オレはガレージに連れて行かれ、そのときに乗ったのと同じ自動車の助手席に乗り込んだ。ただ、以前と違ったのは、後部座席にみさき涼子りょうこが乗っていたことだ。彼女も一文字と同様に、夢幻亜人イリュージョノイド識別機能のついた眼鏡を掛けている。

「今回は彼女も同行する……というか、前に来なかったほうが特殊なんだが」

 運転席に座った一文字がそう言った。

「宜しくお願いします」と岬が会釈して来たので、オレも「どうも」と会釈を返す。

 車が発進して長いトンネルを走る。その途中で岬が説明を始める。

「今回出没した夢幻亜人イリュージョノイドについて説明を致します。夢幻亜人イリュージョノイドはオモチャ会社の倉庫付近で確認されました。現在はその倉庫に潜伏していると思われます。夢幻亜人イリュージョノイド特殊効果エフェクトについては不明です」

「分からないんですか?」

 思わず岬のほうを見ると「夢幻亜人イリュージョノイドを発見した調査員と連絡が取れません。現在は生死不明にあります」とのこと。

「そいつの携帯電話はどうなっているんだ?」と一文字だ。

「調べたところ、倉庫内部で使用されていますが、使用者が調査員かどうか不明です」

「電源が入っているだけか? それとも誰かと通信しているのか?」

「一応、通信しているようですが……」

「ですが?」とオレ。

「現在、その携帯電話でオンライン・ゲームをしているそうです」

「オンライン・ゲーム?」

「インターネットに繋げて遊ぶゲームだ」と一文字だ。

「そのくらい知ってる!」とオレは吐き捨てた。

こいつは絶対にオレを馬鹿にしている。

 一文字が話を続ける。

「普通、仕事中にゲームをする馬鹿なんていないし、ましてや夢幻亜人イリュージョノイドが居るかも知れないところで遊ぶ馬鹿はいないだろうから……つまり、そういう事だろう」

 殺されたという意味である。恐らくだが、夢幻亜人イリュージョノイドは調査員を殺害して携帯電話を奪ったのだろう。

 車はトンネルを抜けて一般道を走る。すでに空は真ッ暗だ。更にそこから車は走り続けて、例のオモチャ会社の倉庫に到着する。オレ達は適当な場所に車を止めて、車から降りた。

 倉庫は郊外に建っていた。大手のオモチャ会社の倉庫だけあって、思っていた以上に大きな建物だった。周囲には明かり一つない場所に建っているせいか、闇に浮かぶその建物は薄気味悪い気配を漂わせているようにも思えた。これでも昼間は近隣の各県にある工場で生産された玩具を一旦集めて、そのは全国のオモチャ屋に出荷するそうだ。

 岬が言う。

「手分けして夢幻亜人イリュージョノイドを捜しましょう」

 その提案に「よし。僕は早田はやたと一緒に行動する」と一文字が乗った。岬も「分かりました」と闇に消えて、オレは一文字と二人きりになった。

「なんでオレがお前と一緒に行動しないといけないんだ?」

オレはぼやいた。

「仮にお前一人で行動するとして、夢幻亜人イリュージョノイドと遭遇した時はどう戦うつもりだ?」と一文字が吐き捨てる。

「それに、お前が急に発狂して暴れ出したときは、お前を駆除する必要がある。駆除予定の夢幻亜人イリュージョノイドと遭遇したときに発狂されたら目も当てられないからな」と続けた。

「そうかい」

「じゃあ、行くぞ」

「おい、ちょっと待て」

「なんだ?」

「倉庫にスタッフは?」

「居ないはずだ。じゃあ、行くぞ」

 オレ達は倉庫の敷地に無断で入り込む。倉庫内には予想通り誰もおらず、当然ながら明かりはない。一文字が持参していた懐中電燈の明かりを頼りに辺りを窺いながら先へ進む。普通のオフィス、ベルトコンベアーが張り巡らされたフロア、段ボールが積み重ねられた部屋、モニターがたくさん設置された部屋、オモチャのサンプルが展示されている部屋まであった。

 オレ達は四階の渡り廊下に行き着く。一文字が先頭を歩いている。ちょうど真ん中辺りに差し掛かったとき、突然渡り廊下の下部で爆発が起こった。一文字は前方へ、オレは後方へと逃げた。

「一文字!」

 オレは叫んだ。

「騒ぐな。怪我でもしたのか?」

 一文字の冷めた声が煙の向こうから聞こえた。風に流される煙の奥で突ッ立っている奴が見えた。

「オレは大丈夫だ。お前は無事か」

「問題ない」

 一文字は渡り廊下を見る。さっきの爆発で中央部分は崩れ落ちていて、行き来はおろか飛び移るのも不可能だ。

「この爆発が、爆弾とかでなければ、恐らくは【№《ナンバー》3】のハナビの仕業だろう」

「ハナビ?」

「そう。名前通り、爆発を起こす特殊効果エフェクトだ。前向きに考えると、まあ……標的と遭遇する前に特殊効果エフェクトが分かって好都合だ。僕から岬に伝えておく。まあ、たぶん今の爆発は聞こえただろうがな」

「そうか……」

「ただ! 特殊効果エフェクトはあくまでも可能性の話だ。爆弾なんてその気になれば誰でも作れるからな。ハナビと思わせておいて……というのが、奴らの狙いかも知れない。油断するな」

 一文字がそう念を押す。

「ああ。で、どうする? どこかで合流するか?」

「そうだな。お前が夢幻亜人イリュージョノイド化して、こっちに飛び移るって方法もあるが、どうせお前は自分に注射は打てないだろう。単独行動をさせようにも、お前一人じゃなんの役にも立ちそうにないからな」

 ムカつく。

 一文字が周囲を見渡すと、東側に広い駐車場がある。一文字はそっちを指差して「あそこで落ち合おう。可能な限り早く来い。迷子になるなよ」と言った。

「お前もな!」と、オレ達は一旦別れた。

オレは走って駐車場へと向かう。この倉庫は西側から入ったので、進んで来た道を引き返さずに東側にあるであろう階段を探す。と、一瞬だけ人影が見えた。この倉庫のスタッフだろうか。子供ほどではないが小柄だった。スタッフが残っていたのか?

 いや、違う。恐らくは夢幻亜人イリュージョノイドだ。

 さっきの爆音を聞いて、かつ懐中電燈を持って走っている不審者のオレを見つけて、あんな悠長というか能天気に歩いている訳がない。

 オレは足を止めて、人影が入って行った部屋を恐る恐る覗いた。

 部屋の真ん中に机にはオモチャが並んでいる。ぬいぐるみ、電車や飛行機といった乗り物の模型、特撮やアニメのキャラクターにロボット。それ以外には何もない。なんの部屋だ?

 一文字と合流してから、再びここに来るか。それともオレだけで行動するか。

 そう悩んでいると手を叩く音が何度か聞こえてきた。

「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」

 女の声だ。夢幻亜人イリュージョノイドか? 不審者にはまず間違いない。

 今のオレが持っている物といえば懐中電燈くらいである。武器なんて持っていないし、通信手段すらない。この部屋から階段は近い。やはり、いったん一文字たちと合流すべきだと、オレが階段のほうに目を向けた瞬間、階段の天井で爆発が起きて、落ちてきた瓦礫がれきが階段を塞いでしまった。と同時に別の場所からも爆音がする。オレが上って来た階段の方角である。ほかにも幾つかの爆音がとどろいた。恐らくは全ての階段が塞がれたのだろうとオレは悟った。

「おじさん、隠れんぼしよ。おじさんが鬼ね」

 足音がしたかと思えば、すぐに静まり返った。

 隠れんぼ? 奴はオレをからかっているのだろうか。とにかく、奴が見逃してくれるのであれば、オレは下りられる場所を探しつつ、爆音を聞き付けた一文字ないしは岬が来るのを信じることにする。あの不審者がオレと戦う気がないのなら、オレも単独で勝ち目のない戦いをするつもりはない。

 現在オレがいる階は四階である。さすがに飛び降りるのは危険だ。オレは廊下を走ってめぼしいものを探したが、気の利いた物はなかった。と、外に続く非常階段を見つけて、オレはその扉を開けた。が、すでに非常階段は破壊されていた。

「クソッ……」とオレは思わずこぼした。

「置いてけ堀はイジメだよ」

 後ろから声がした。凍り付くのと同時にオレは慌てて後ろを向く。が、誰もいない。

「誰だ! どこにいる!」

「ここだよー」

 間抜けた声だ。遊んでいるとしか思えない。

「どこだ!」

「…………」

「返事をしろ!」

「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」

 歌の調子に合わせて手を叩く音が、廊下に響き渡る。

――クソガキ。

 廊下の向こうで影が動いた。

「そこか! 化け物!」

 オレは身構えつつ懐中電燈を影に向けた。

「早田さん! 私です!」

 影の主を凝視する。顔に光を当てると岬が立っていた。

「岬さん」

「爆発の音を聞いてやって来ました。早田さん、何があったんですか?」

 オレは彼女に経緯を伝えた。岬も恐らくは、その不審者が夢幻亜人イリュージョノイドのハナビだろうと推測する。

「しかし困りましたね。私は一文字と違って、あなたを夢幻亜人イリュージョノイド化させる薬を持っていません」

彼女が一文字に連絡を取ると、どうやら一文字も爆音を聞いてこっちに向かっているらしかった。

「早田さん、ほかにその不審者についての手掛かりか何かはありますか?」

 携帯電話を切った岬が、オレに訊いてきた。

「そうそう。奴はオレに隠れんぼをしよう、みたいなことを言ってました」

「隠れんぼ

?」

「ええ。それに人のことを『おじさん』呼ばわりしやがって」

「………………。その不審者が見えたとき、小柄だったんですよね? なら、夢幻亜人イリュージョノイドの幼生かしら?」

 岬が考え込んでいる間、オレは暗い周囲を警戒する。奴の影はない。

 どこからともなく例の手を叩く音がした。

「またか」

「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」

 やはりあの不審者の声だ。

「女性の声……。子供というほど、幼い声ではありませんね」と岬。

「そうですね。どうします?」

「決まっています。音がするほうへ行きましょう」

 銃を構えたミサキが先頭に立って、声と音がするほうへ歩を進める。

「当たり前ですが、これは罠かも知れません。十分に注意して下さい」

「はい」

 ある扉の前でオレ達は立ち止った。扉には『執務室』とだけ書かれた札が付いている。

「♪鬼さん、こちら。手の鳴るほうへ」

 オレ達は扉の左右の壁に背を付けた。

「早田さん。すみませんが、扉を開けて下さい。その瞬間に私が部屋に入ります」

「大丈夫ですか?」

「丸腰の貴方あなたを、危険な目に遭わせられませんから」

 そう言ってミサキが笑った。オレはドアノブを掴み、岬と目を合わせる。彼女がうなずいた瞬間に、オレは扉を開けた。岬が素早く部屋に流れ込む。オレも後に続いた。

 オレ達に背を向けている小柄の女がいた。学生ほどの年齢と思われるその女の髪は、茶色く肩に届くか届かないかというほどの長さで、癖毛なのかパーマなのか分からないが波打っている。左腕で彼女の上半身ほどの大きさをした、青い首輪を付けて立派な角を持った鹿の縫いぐるみを抱きながら、右手で携帯電話をいじっている。入った当初は無音だった部屋に、携帯電話から音楽が流れ始めた。何かのBGMの中に効果音らしき音もあるから、恐らくはゲームの音だと思われる。

「間違いありません。夢幻亜人イリュージョノイドです」

 女に銃を向ける岬が断言した。そして声を張って言う。

「両手を挙げて大人しくしなさい! こっちを向いて、持っているものを放しなさい!」

 女は岬を無視してゲームを続けている。携帯電話の画面に、触角のような前髪をした女性キャラクターらしき影が映ったと思うと、彼女は唇を画面に押し付けた。

「もう一度言います。こっちを向きなさい!」

 女はゆっくりとこちらを向く。女は中学生か高校生ほどの年齢に見えるが、どちらの表現もしっくり来ない。幼い感じの大学生とも、大人びた中学生とも取れる容姿なのだ。女は銃を向けられているのにもかかわらず、なにか余裕でもあるのか頬笑んでいる。

「遅かったね。待ち草臥くたびれたよ」

 また視線を携帯電話に戻すと、ピコピコ何かやっている。

「爆発を起こしたのは貴方あなたね! それをめて、床に置きなさい!」

 女の子は呆れた様子で鼻から大きく息をいた。

「僕ね、ゲームとか縫いぐるみとか大好きなの。だから放さない」

 岬の銃から光弾が発射される。それは女から大きく逸れた威嚇射撃だったが、女は眉間に皺を寄せて岬を見た。

「言うことを聞きなさい!」

 女が一瞬携帯電話を見たかと思うと、デレッと頬笑み、それを再び口許くちもとに寄せて音を立てる。そしてまた此方こちらを睨むと、今度は誰もいない方向に携帯電話を軽く投げたと思えば、それが爆発した。オレは思わず茫然としてしまう。

「間違いない。やはり貴方あなたはハナビね」

 岬は気丈だった。

自棄やけでも起こしたか?」

 オレのその言葉に、なぜかハナビは笑みを浮かべた。

「大切なものは、案外少ない。遊びは遊び。オモチャは所詮オモチャ。大きくなってお飯事ままごとをする女の子なんていないし、ヒーローごっこをする男の子もいない。居たらただの子供」

 ハナビは抱いていた鹿の縫いぐるみの首を掴むと、やはり爆発が起こって胴体が床に落ちた。頭部はどこかへ吹ッ飛び、周囲には縫いぐるみに入っていた綿わたが舞う。

 彼女は続ける。

「大切なオモチャが壊れるとつらく悲しい。けど嬉しい。だって、オモチャに縛られていた時間から解放される。自由になる」

「ここに来た目的はなに?!」と岬。

「…………」

「答えなさい!」

「遊ぼっか」

 ハナビがそう言うと、普通だった肌の色が淡い黄色に変わる。目許めもとの……特に涙袋のある辺りと、鼻筋がピンク色になる。両手の中指の爪の付け根から腕に掛けても同様にピンク色の筋が見えた。

「爆発が来ます。気を付けて下さい」

 岬が言った。先手必勝と言わんばかりに、岬はハナビに向かって光弾を放つ。ハナビは机の上にあった置き時計を投げて爆発を起こした。オレは両腕を前に出して防御するが、岬は構わず光弾を撃ち続ける。煙が消えた時にはハナビは居なくなっていた。

「逃げたか?」

「恐らくは机の後ろに隠れただけです。気を付けて下さい」

 岬が机に向かって光弾を撃ち続ける。よほど威力があるのか、机の板が薄いのか分からないが、光弾によって机には幾つもの穴が開く。と、突然、机の後ろにあった本棚で大きな爆発が起こる。オレは勿論もちろん、さすがの岬も一瞬だが防御の態勢を取った。と、岬の足にキャラクターの入った丸いオモチャのカプセルが当たる。

「早田さん! 逃げて下さい!」

 岬が身を退しりぞきながら叫んだ。オレも咄嗟とっさに部屋から出ようとするが、その猶予なくカプセルが爆発した。

「うわあ!」

 オレと岬は一緒に部屋から吹き飛ばされて、オレが彼女のクッションになるような形で向かいの壁に体を叩き付けられる。

「うう……」

「ああ、ってえ」

 すぐに岬が、オレに倒れ込んでいたことに気付く。

「あ! すいません! 大丈夫ですか?」

「オレは大丈夫です……」

 岬が先に立ち上がって、オレも彼女に引き上げられる形で立ち上がる。オレ達は部屋に目を向けて、岬は銃を室内に向ける。

 爆煙が消えると、ハナビは笑みを浮かべて此方こちらを見ていた。そしてオレ達のほうに向けて指を差すと、オレ達の背後にあったガラスが一斉に爆発した。小規模の爆発ではあったが、ガラス片が降り注ぎ、オレも岬も自分の頭を庇いながら身を低くした。その状態でハナビを見ると、やはり笑っている。

「じゃ、もういいや」

 ハナビが言った。彼女から笑みが消えている。オレ達は急いで立ち上がる。

「なにがもういいんだ!」

 オレは怒鳴った。

「ゲームばかりしていると目が悪くなる。そこまでするのは愚かなこと。たかだか一瞬の娯楽のために、目を悪くして何時いつまでも祟られるなんて、心から馬鹿馬鹿しい」

「オレ達は、お前と遊ぶために来たわけじゃないぞ!」

 ハナビは呆れた様子で小さく息をく。

「ゲームの主人公は、命懸けで頑張っているんだろうけど、プレイヤーからすれば単なる遊び。主人公もほかの登場人物も単なるお人形。お人形遊びなんだから、こっちが命を懸ける必要も、無理に時間をく必要もない。単なる暇潰し。その一瞬が楽しければそれでいいの。だから、オモチャは未来に要らない」

「オレ達がお前のオモチャだと言うのか!」

「そうだよ。だから君たちも、もう要らない」

 ハナビが岬に向かって指を差した。と、岬が持つ拳銃が爆発し「きゃ!」と思わず手を放した。

「バイバイ」

 ハナビがもう一度、岬を指差そうとしたとき、廊下の闇から声がした。

「岬! 受け取れ!」

 岬が声のほうを見る。ハナビの視線も同じ闇を指す。何かがこちらに飛んで来たと思った瞬間、岬はそれを掴み、オレの首許くびもとを掴んで引き寄せると、掴んでいたものをオレに刺した。

「上着を脱いで下さい」

 岬に言われるがまま、オレは和服の袖を脱ぐ。上着がスカートのように垂れ下がった。インパクトと戦った時のように、オレの心臓が激しく高鳴った。

「来たぞ!」

 オレの体が、筋肉が膨張し全身の毛が逆立った。顔が獣になる。夢幻亜人イリュージョノイドビーストに成ったのだ。

「遅いぞ、一文字!」

 オレは闇の中にいるであろう一文字にそう叫んだ。

「愚痴る暇があれば、さっさと行け!」

 一文字の声が返って来た。言われるまでもなくオレはハナビに突撃する。もちろん捨て身という訳ではなく、奴の特殊効果エフェクトが爆発なら、接近戦に持ち込めば自分を爆発に巻き込まないためにも、爆発を控える筈だと考えたのだ。

「君は最後に取っておくつもりだったのに」

 そう残念がるハナビにオレは飛び掛かり、鋭い爪を振り下ろすが、サッとけられる。休まず殴ろうとするが、やはりヒラリとかわされる。オレが攻撃して、ハナビが躱すという動きを何度か繰り返したとき、オレの右手の拳が壁を強く殴りつけた。無論ハナビはそれをけたが、左手の攻撃範囲にとどまっている。奴に背後はない。左右にも動けず、下に行こうものなら会心の蹴りを食らわせてやる。

――勝った。

 オレは確信し、左手を横に払って攻撃しようとした瞬間、ハナビがオレの右腕を掴む。

――しまった!

 そう思った時には遅かった。オレは爆発で吹き飛ばされて机に叩き付けられただけではなく、右腕も千切れて何処どこかへ飛んだ。

「ぐわああああ!」

 思わず叫んだ。赤い血が腕から飛び散る。痛いだけではなく胸までも悪くなる。

「早田! 僕に考えがある! もう一度、奴に飛び込め!」

 一文字が叫んだ。少し意識が朦朧としたが、オレはその声を信じてハナビに飛び掛かった。ハナビの視線がオレにではなく部屋の入り口に向く。それと同時に、白い煙らしきものがハナビに向かって噴射された。オレの爪を立てた攻撃を、再びハナビが躱す。ハナビを目で追ったとき、偶然だが消火器をハナビに向けて噴射している一文字が見えた。その消火剤でハナビの顔が隠れる。だが、首から下は朧気だがなんとなく見えた。奴からすれば視界を封じられたようなものだ。オレはハナビに抱き付くような形で襲い掛かり、左腕が彼女の首を掴んだ。オレは野生をあらわした獣のようにハナビの肩に噛み付いた。顔いっぱいに汚い緑色の血が付いた。

 オレの視界が光で真ッ白になった。奴は自爆するつもりだ。そう悟ったが、回避行動は取れなかった。高熱と爆音は覚えている。だが、そこから意識は途切れてしまう。


 オレは意識を取り戻すと、以前に見た白い天井があった。捜査課の研究室にある自室の天井である。どうやら、オレはまだ生きているらしい。

「気が付きましたか?」

 女の声だ。まだ視界がボンヤリとしていて、人影は分かるが誰かまでは分からない。ジッと見つめていると、次第に形がハッキリしてくる。どうやら岬のようだ。

「あのあと、どうなったんですか? ハナビは?」

「あの爆発後、ハナビはキノコの形態となり、無事に駆除・回収が出来ました。ハナビが自爆したとき、周囲に消火剤が充満していたお陰で大した爆発にはならず、致命傷を負わずに済みました」

「そうですか……。あの倉庫はどうなりましたか?」

「全焼させた」

 一文字が視界に入った。

「全焼?」

「ああ。どこかの放火魔によって倉庫は全焼。中途半端に爆発の跡が遺るよりは、そのほうが此方こちらとしても都合がいい。その捜査もこちらの息が掛った連中がする。夢幻亜人イリュージョノイドや僕らに関わるものは何も出ない。しばらくは管轄の連中には幻の犯人を追ってもらう事になるがな」

 確かにそのほうがいのかも知れないが、本当にここの連中はえげつないことを平気でする。

「オモチャ会社は大迷惑だ」

 オレは右手で自分の目を覆った。すでに体はヒトの形に戻っている。ふと気付いた。

「なんで腕が?」

「お前を回収後、この研究所で縫合手術をしたからだ」

 だからってすぐに器用に動くものだろうか? なにかで自分の腕の縫合とはいえ、長い期間はリハビリが必要だといった感じの話を聞いたことがある。

オレは不思議そうに右手を見つめた。グー、パー、グー、パーと動かしても全く問題はない。チョキも無論問題ない。千切れた箇所を見たとき、オレは表情にこそ現れなかったが驚いた。縫合の跡も千切れた跡も一切残っていない。千切れていたことが嘘のようだった。

「驚異的な回復力だな」

 一文字は呆れた様子で言った。

「お前が取り込んだビーストの力で、まさか此処ここまで回復するとは、僕らも芹沢博士も思わなかった」

 ビースト、夢幻亜人イリュージョノイドの力……。

「じゃあ、今はゆっくり休め」

 そう言い残して一文字が部屋から出ようとする。

「それでは失礼します」と岬も、一文字に付いて一緒に部屋から出て行った。

 静まり返った部屋で、オレはふと考える。

 腕が飛んだとき、確かに見たオレの血は赤かった。奴らの……夢幻亜人イリュージョノイドの血は緑色である。オレが死ななかったのは、腕が無事に治ったのは夢幻亜人イリュージョノイドの力である。

 オレはいつまで人間に、人間に近い存在として居られるのだろうか。

 仮に本当に夢幻亜人イリュージョノイドになってしまったら、オレはどうなるのか。

 ぼんやりと考えていたのだが、まだ疲れていたのか、オレの意識は薄れていった。

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