(2)「待たせたね、僕の兄弟」

 上がる息をそのまま、イズキは村に駆け戻った。

 昼の村は男手がほとんど出払って、人気は少ない。それでも先ほど街の人びとが行き交っていた村から、ほとんど人影が消えていた。

 切り株と、切り株と、枯れかけた木と、その合間を縫うように小さな家がちらほらと点在している、ただ中で。

 呆然と佇んで、イズキは周囲を見回した。

「なんだ……?」

 顔を巡らせれば、視線の端でさっと誰かが動く。小さな家の窓の向こう。

 家の中に村人がいるのだ。ほとんどの村人が、家の中に閉じこもっているのだ。

 この短時間に、何かが起きた。

 家の中の住民に話を聞くのは後だ。

 外に誰か残っていないかと、イズキは足を進めた。声をかけられたのは、後ろからだった。

「あんた、ハンターさん!」

 振り返る。麻の服を着た女性が、酷い顔色でイズキを伺っていた。

「さっき、キットを連れて歩いてただろう。あの子は無事なのかい」

 彼女の台詞に、少年の顔を思い浮かべる。飄々とした少年は、森の中に置き去りのままだ。

「大丈夫です。彼は安全な場所にいます」

 何かが起こったらしい村よりも、少なくとも森は安全だろう。完全に身の安全が確保されているわけではないことを承知で、イズキは言った。

「ですから、あなたも家の中に入ってください。何があったんですか」

「判らないよ、突然何人かが暴れ初めて――」

 言い置いて近くの家に入っていった女性を見送って、イズキは村の奥に進んだ。小さな村は、それほどかからずに縦断できてしまうだろう。

「……何人か、ね」

 口の中で呟く。女性の言葉が事実であれば、吸血鬼は一人ではないことになる。

 広場が見えてきたあたりで、イズキは家の横に座り込む若い女性を見つけた。

「大丈夫ですか」

 駆け寄って、息を飲む。

 女性のすぐ近くに、男性が倒れていた。女性は男性に縋りついて、彼の体を必死に揺らしている。

「あなた、あなた……!」

 男は女性に揺さぶられるまま、眼を覚ます様子はない。うつぶせに倒れているために、顔色は判らない。

「ちょっと、揺らさないで」

 イズキの声にも反応しない女性の肩を掴んで、強く言いつけた。女性の横に並んで男性の襟元を探る。

「首筋に吸血痕」

 肌は温かい。首に触れて脈を確認する。

「生きてる。失血で気を失っただけか」

 男性の肩を持ち上げて、強引にひっくり返した。晒された顔は青白い。

「――けど、腕の肌色は悪くないし発汗もない」

 これならば、ショック症状も起きていないだろう。大柄な男性なのが幸いだった。

「済みません、村人を呼んで頂けますか。あなた一人ではこのひとは運べないでしょうし、僕は」

 吸血鬼を探します。

 続けようとした台詞が、途切れた。泣きじゃくっていた女性が顔を上げる。

 女性の瞳は、赤い――。

「お、っわ!」

 吸血鬼の飢餓状態を示す瞳に反応するよりも早く、女性がイズキに食らいついた。寸前で顔を押しのけて拒んだが、バランスを崩して倒れ込む。

「ぁー……」

 女性の声帯が、明らかに理性を失った声を発した。

「血、……ハンターの、ち……」

 がちっ、とイズキの眼の前で歯がかみ合わされた。村人には珍しく彩られた唇に、牙だけが白い。

「く、っそ、馬鹿力め」

 抱きしめるように、女性がイズキの体を引き寄せる。押しのけるイズキの力が負けて、二人の距離がぎりぎりと近寄っていく。

 たらり、とイズキの頬に吸血鬼の唾液が垂れた。

「やべっ、」

 吸血鬼の体液は、人間には毒だ。内包する魔力量によっては麻薬のような効果をもたらすし、場合によっては神経毒のような症状が出る。

 危機感が、イズキの意識を吸血鬼を押しのける腕から逸らした。僅かに腕の力が緩んで、二人の距離が近づく。

「のど、」

「うわマジか止め――」

 どすり、と。

 吸血鬼の胸元で鈍い音が響いた。女性の体が急に弛緩して、イズキの上に倒れ込んでくる。

「なんだ――」

 女性の胸から、何かが生えていた。

 透明な、水の杭。呆れるほど見覚えがある。

 手足のように水を操る魔術を、イズキは知っていた。

 ――けれど、違う。

 確信を持って、顔を上げる。同時にイズキに寄りかかった体が、さらさらと崩れていく。

 命が、崩れていく。

 風に、攫われていく。

 その、向こうで――。


「待たせたね、僕の兄弟」


 青い髪の青年が、にこりと微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る