第7節 じゃあ私が一つ、良いことを教えてあげましょう

「……浮舟。お前今日なにしに来たんだ?」


 龍崎はそう言って隣を並び歩く涼香に顔を向けた。


「なにって、妹さんの『カワイガリ』を弱体化させるための会議ね」


 涼香は視線を明後日の方向に向ける。さすがに自覚はあるらしい。

 龍崎と涼香は、葵との一件があったあと直ぐに家を出た。涼香は帰宅するために、龍崎はいたたまれなくなり家を出たのだ。


 2人が歩くのは夕暮れを迎えた古ぼけた路地。家々の陰が地面に張り付き、ときおり擦れ違う自転車のカゴには食材の入った袋、そしてどこかの家から漂う料理の香り。そんな住宅地の路地だ。


 と、そこで涼香がコホンと咳払いをした。


「まあとにかくヒュドラ君は引き続き妹さんにアプローチを続けて頂戴。まあ、もしどうしてもヒュドラ君がダメそうなら私が出る。たぶん堕とせるでしょうし」

「……おい。なんだ堕とすって。ラブか? そういう方面なのか?」

「さてね。でも……ヒュドラ君の妹さんだし、できればあまり私は関わりたくないけれど」


 そんな涼香の言葉に龍崎は首を傾げる。


「あ? なんで? 俺は構わないけど」

「……ヒョドラ君と私は知り合い。それがネックなのよ。いいのかしら? 『カワイガリ』を弱体化させる過程で、私は貴方の妹さんについてアレコレ根掘り葉掘り知ることになるかもしれない。でもそれ、ヒュドラ君にとって気持ちのいいこと?」

「…………それは」


 龍崎はそう言われて納得した。回りくどいが涼香なりの気遣いということなのだと。これが他人であれば、見ず知らずの人間の妹であれば、涼香は気を使うことはあっても罪悪感を持つ必要はない。

 と、そこで涼香は右手の人差し指をピンと立てた。


「じゃあ私が一つ、良いことを教えてあげましょう」


 涼香は軽く咳払いをして、龍崎に顔を向ける。


「基本的に人間の悩みっていうのはね、大きくわけると4つしかないのよ」


 と、自信満々に語る涼香。

 龍崎は「はあ」と言って続きを促す視線を送った。


「まず一つ目が人間関係の悩み。友人とか家族との関係などがこれにあたるわ。よくある悩みの一つね。二つ目は健康上の悩み。病気とか怪我とか……つまりは身体に関することよ。そして三つ目が将来に関する悩み。夢とか進路ってところね。人生設計と言ってもいいかしら」


 そこで涼香は言葉を区切ってから龍崎を見た。


「で、それから最後。4つ目はお金の悩み。金銭的な問題ね。この場合はお金に困っているという意味が大きいでしょうね」


 龍崎は、涼香の内容を聞いてから顎に手を当てる。


「なるほど。人間関係、健康、将来……あと金か」

「もちろん、将来に関する悩み×お金の悩みとか、混ざり合ってるものもあるけれど」

「……そう言われたら納得できるな。てか、詳しいんだな。そういうことに」

「ああ、これは『スレイヤー』教本から受け売りよ」


 そんな涼香の言葉に龍崎は怪訝そうな顔をした。『スレイヤー』教本とはなんなのかと。

 と、そこで涼香が脚を止め、つられるようにして龍崎も脚を止める。


「ここまででいいわ。駅はあれでしょう?」


 涼香が指先した先にあるのは、小さな駅。立ち食いソバ屋だとか、床屋だとか、総菜屋だとか、コンビニとファストフード店が周囲にあるだけの小さな駅だ。

 龍崎は返事の代わりにこくりと頷く。


「では、なにかあったら連絡頂戴……あ、それから最後に一つ」


 涼香はそこで言葉を区切ってから、龍崎に顔を向けた。


「言い忘れていたけれど『カワイガリ』が湧いた人間はときどき感情的になったりするわ。疑似的な反抗期みたく。だから妹さんがそんな風になっても気にしないで」

「反抗期みたく、なぁ。……でも想像できないな。葵のヤツ、それっぽいのなかったし」

「……そう。まあでも、覚えておきなさい」


 涼香はそう言い残してから踏み切りを渡り、改札の向こうへと消えて行った。

 そして龍崎はきびつを返して、歩き出す。

(しかし、反抗期ねー、反抗期。ま、兄貴だし。妹の反抗期とか余裕だ。やれやれ、ものわかりのいい兄貴を演じちゃいますかー)

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