第一章第三節<Ring of power>
魔術に関する品を扱っている店は、都市の北西部にあった。
現存する魔術でも十分に作成可能な、応急処理に用いる止血鎮痛や感覚鋭敏による戦闘能力の上昇などの効果を持つ水薬を初めとして、数多くの品がところせましと並んでいる。
魔力を持たぬ者でも文字さえ読めれば疑似的に魔術を使うことのできる巻物などは、一度用いれば燃え尽きてしまうにもかかわらず都市部で店を営む一月分の収入並の値段がつけられている。
決して良心的とは言えぬそれらの品々のほとんどは、冒険者の手によって地下迷宮から持ち帰られたものであった。よほど酔狂な道楽者でなければ縁のないその店は、裏路地に小さな扉を持つだけの、知らなければ廃墟の壁に埋もれてしまうような場所であった。
さして広くない店内は、カウンターの端に置かれたランプの頼りない光だけで取らされていた。しかし当然と言うべきか、ランプ一つだけでは部屋全体にこもる夜闇を拭い去るだけの力はなかった。
もともと窓もなく外が昼であろうが陰鬱な裏通りである。
店の隅には押し退けられた闇が身を寄せ合い、時折魔の力に導かれ霊の一種が影から影へと飛び交っている。およそ異様な光景であったが、生者に害を成す力すらない霊を恐れる冒険者などいない。店を訪れる者はそのような霊を見ても、羽虫を追い払うように手で払いのけるのが常であった。
そんな店内に、四人の冒険者がいた。
今し方、店を後にしたばかりのセルクレイア。彼の傍らには酒場を飛び出してきたカルファインとザム、そしてアーヴァインの三人がいた。
ややあってくぐもった男の声がし、店棚の向こうの壁にかけられた垂布が揺れた。奥の倉庫に続く通路の扉がわりにと主人がつけたものだ。
「これだな」
倉庫から出てきた主人は、両方の掌を合わせて、大事そうに何かを持ってきた。
深い紫色に染められた絹布が何かにかぶせられている。恐らくは貴金属や宝飾品の類を傷つけぬように柔らかな布を重ねた台座に乗せられているのだろう。
主人はそれを机の上に置くと、ゆっくりと布を取り払った。
その瞬間、一同は息を呑んだ。
布の下から出てきたのは、迷宮で彼等が発見した指輪とは似ても似つかぬ代物であった。
指輪の立て爪に嵌め込まれた宝玉は緑の光が宿っていた。妖しいまでに美しい光はランプの光を圧し、四人の顔のみならず店の中を照らし出した。強い力を感じ取ったのか、店の隅に集っていた長い爪をもつ幽鬼らが甲高い声を上げて影の中に飛び込み逃げる。
透明に近い石の中で緑色の焔が燃えているのか、それとも緑色の石を通して見えているのか。禍禍しいが美しい。まさに、蛾を惹きつけてその身を焼く、焔の誘惑の力を持つ光である。
「すっげぇ……」
セルクレイアの口から、無意識に感嘆の言葉が漏れ出でる。彼が店に持ち込んだときには、これほどの光はなかったのである。本当にこれが、つい先ほど自分が手にしていた指輪だったとは、信じられないといった面持ちだ。
「大したもんだ、これは……そいつに金貨七十枚とは言ったがね、正直もっと高い値をつけるべきだったんじゃねえかな」
主人の男はそう言うと、黙って右の掌を指輪の上に翳した。
指と指の間から、宝玉の発する光は幾つもの筋となって、天井を照らし出す。
「まあ、見ていろ」
主人は、ゆっくりと掌を降ろしていった。
そして、指輪と掌との距離が、最初の半分ほどに縮まったときだった。
掌が何かに触れたように押し戻され、触れ合った個所で、閃光が弾ける。一瞬のことだったが、目を焼く光は鮮烈だった。
「このとおり……もう触れることもできん」
「大丈夫なのか!?」
カルファインは、主人を案じて身を乗り出した。
主人は口元に笑みを浮かべながら、太い指を開いて掌を見せる。暗がりではあったが、僅かずつ目が慣れてくるに従い、主人の手には傷や痣などは一切残っていないことがわかった。
「なに、痛みもなんもありゃせん」
「しかし、これを見つけたときは……」
こんな光も無かったし、それに拾い上げることもできた。実際、革袋から取り出し主人に見せたのは自分なのだ。セルクレイアは信じられないといった顔で詰め寄った。
「ああ、あんたが店を出る前まではな」
「どういう事だ」
落ち着いた声で、ザムが尋ねた。
「こやつが手放したとたんに、指輪が変貌したとでもいうのか」
「そう言ったつもりなんだがな」
机の上に肘をつき、主人はザムを見上げながら答えた。
ザムは一度背後にいるセルクレイアを一瞥し、嘆息まじりに続けた。
「わしが買い戻す。買い値が七十枚なら……百五十枚ならどうだ」
「そうもいかんのだよ」
地下迷宮から持ち込まれ、買い取られた品はほぼ倍額で棚に並ぶという商売をしている店だ。それを見越して金貨百五十枚という数字を口にしたザムだったが、さすがに驚きを隠せない表情になった。
「百五十では足りんというか」
「そうではない」
主人は肩を竦め、笑ってみせた。
「さすがにそこまであくどい商売はせん……売値は百三十枚だったが、もう買い取られちまってるんだよ」
カルファインは胸の内で毒づいた。知らせを聞いてからここに来るまで、時間を浪費した覚えなどない。となれば買い取った者はよほど良い機会に恵まれたか、それともセルクレイアが指輪を売るのを待っていたかだ。
そして金貨百三十枚という途轍もない値段を即決できる者など、そうそういるものではない。王族か、冒険者か。
彼の脳裏には思い当たる名が浮かんでいた。しかし、その名が本当であれば、この指輪の力をあの者が手にしたとすれば。
買手を訪ねるザムに、主人は一つの名を口にした。
「ラッセルだ」
その名は、カルファインの思い描いていたものと、同じだった。
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