第一章第二節<A cup of rest>

 都の北門を抜け、大通りに沿って少し歩いたところに見える、酒場「小鬼の踊り子亭」。


 大通りに面した、一際大きな建物である。横に長く伸びている建物は広く、酒と食事が楽しめる。明日をも知れぬ生活を続ける冒険者たちは、荒くれ者だが金払いはいい。邪龍に呑まれても、悪鬼に殺されても、前の晩にたらふく喰い、飲めていればいいと考える者たちだ。全盛期のころには通りにまで椅子を並べてもまだ足りぬと言われるほどに混みあっていたが、今はさすがに人の入りも減った。今では迷宮に挑む冒険者も減り、ごく浅い階層で金目のものを探す者たちが集まっていた。


 日没後、商店街が閉まり始める頃になると、この店には活気が出てくる。日没から翌朝までがもっとも賑わう時間帯だ。


 他に取りたてて娯楽施設もない住民たちは、仕事が終わるとこぞってこの店に足を運ぶ。酒と料理を楽しみながら、ある者は仲間と語り合い、ある者は博打に興じ、ある者は迷宮から持ち帰ったとされる品々に目を奪われる。


 空を仰げば、左右から建物が押し迫り、縦に細く削られた空も、群青から漆黒へとその色彩を変えつつある時刻だ。


 店の天井は紫煙で煙り、むせ返るほどの人いきれの中を何人もの給仕が忙しく駆け回っている。そんな活気に満ちた店の入り口を、今も一人の男がくぐっていく。


 年は二十代の半ばといったところか。居並ぶ男たちと背丈を比べても頭一つ分は優に超えている大柄な男だ。厚手の麻の上下を身につけているが、服の上からでも身長にひけをとらない、整った体躯を有していることは一目で分かる。


 とはいえ、この男からは無頼漢という印象は受けない。


 男の筋肉は戦いを知らぬ者が見ても美しいと感じるほどに均整のとれたものであったのだ。殊更に膨れ上がり、見る者を威圧するような体躯ではない。戦いの中で生き、数知れぬ修羅場を潜り抜けた歴戦の戦士としての肉体であった。


 さらには男であっても目を見張るほどの美丈夫であった。無造作に垂らされた少し長めの金髪と、青い瞳。整った顔立ちと合わせて、どこか高貴な雰囲気すら漂わせている。きちんと剃られ整えられた髭のせいもあるかもしれない。


 男の名はカルファイン。迷宮探索の生き残りの一人である。現在は、老剱士エルクス・ザム率いる集団の一員として探索を続けているのだ。


 カルファインは、「小鬼の踊り子亭」の人込みの中を真っ直ぐに歩いていく。店の右側、仲間が決まって集まる場所だ。


 一番右の席五つは、店がどんなに混んでいるときでも決して埋まることはない。他の冒険者らの場所も同じであった。冒険者らが座る席は開けておく。その日に店に来るか来ないかは関係ない。いつしか、それは青龍亭に足を運ぶ市民の中での暗黙の了解ごととなっていた。


 その理由は、都の住民らが冒険者たちをどのように見ているかにあった。何も乱暴狼藉を働いたというわけではない。住民らは、今なお都に留まり、地下迷宮に挑み続ける十四名には尊敬と畏怖の交じり合った視線を向けていたのだ。

 

 それは王家の人間たちが冒険者に向ける眼差しとは意味合いが違う。ほとんどの酒場の客には、自分たちの都の真下に地下迷宮が広がり、御伽噺にしか姿を現さぬ悪鬼らが蠢いているといった現実は到底信じられるものではなかった。しかし地下迷宮は厳然として存在し、そこに挑み続ける者たちがいる。彼等が地下迷宮から持ち帰る品はどれも美しく、また恐るべき力をもっているものばかり。自分たちの送る日々の暮らしとは全くかけ離れた時間と世界に生きる彼等に、誰もが羨望の念を抱いているのだ。


「あら」


 人込みの中から聞き覚えのある声を耳にし、カルファインは振り向いた。


「カルファイン様、今お戻り?」


 声をかけたのは、給仕をしている娘の一人だった。「赤毛のラミュー」と呼ばれる看板娘である。今も何処かの卓に料理か酒杯を届けた帰りなのだろう、大きな盆を脇に抱えている。


「頑張ってるな」


 カルファインに微笑まれ、ラミューは照れたように俯く。


「俺の分も運んでくれ。いつもの奴でいい」


 カルファインは腰の革袋を探り、銅貨をラミューに握らせた。掌の感触に違和感を覚え、ラミューは指を開いてみた。


 カルファインがいつも注文している酒の種類は決まっていた。何も言われないときにはいつも同じ酒を持っていくことになっていたのだが、渡された金額はそれよりもずっと、二倍近くも多い。


「それで好きなものでも買え」


 察しの悪いラミューだったが、カルファインの言葉を聞くなり、ぱっと明るい顔をする。


「最優先でお持ちしますね!」


 言うが早いか、たちまち人込みの中に消えるラミューを見送ると、カルファインはやっと目的の席に辿り着いた。


 座っている仲間は二人だった。


 一人は、白いものが混じりかけた頭髪を香油で後ろへと撫で付けた男性である。額に刻まれた皺や肌等を見ても、彼の年齢を窺い知ることができる。だが、彼こそが、カルファインとその仲間たちを束ねる男であった。名はエルクス・ザム。カルファインと共に前衛として剱を振るっている。


 この年齢にして、今なお冒険者を務めている者は稀である。その多くはとうの昔に引退を決め込むか、さもなくば命を落としているのが関の山だ。それゆえ、彼の技量には目を見張るものがある。この年まで、一日たりとて筋肉の鍛練を欠かしたことはない。そして何よりも、彼の双眸の輝きは鋭かった。気迫だけなら若い戦士も持っているが、ザムの眼光は老練さが宿っていた。


 ザムはこの都に来てからまだ半年。しかし今や、ザムの名を知らぬ者はいない。


 何故なら、ザムは戦士ではなかったからだ。


 彼は剱師シュベールト・マイスターと呼ばれる称号をもつ者であった。重量のある剱と振るう膂力で戦う戦士とは異なり、「太刀」という武具を用いることが知られている。


 戦士の持つ剱と比べると、圧倒的に薄い刀身の「太刀」とは、ごく限られた者のみが手にすることができると言われている。言い伝えによれば、剱師の技を完成させた者が太古の昔、十五本の太刀を製造したとされているが、今となっては確かめることもできもない。


 ザムは、こうして見れば、「太刀」と出会うことのできた幸運な者の独りであると言う事ができよう。彼の持つ「太刀」の名は<朱羅>という。漆塗りで黒光りする鞘に、金箔によって燃え盛る刀を掲げて宙を舞う悪鬼の姿が描かれている。


 ザムの向かいの席に座るのは、対照的に若い。少年、という言葉が、最も相応しい年頃である。ザムとは対照的、と称したのは、何も年齢だけを比べたのではない。この少年の、冒険者としての役割までを含めた意味合いだ。


 少年の名はアーヴァイン。


 その年齢からは想像もできないほどの魔術の才能を、アーヴァインは有していた。天賦という言葉がもっとも似合う。数十年の歳月をかけてやっと辿り着ける域の力を、アーヴァインは僅か十二歳で習得していた。常人ならば、その生涯を費やしてもなお辿り着けぬであろう境地も、アーヴァインならば生あるうちに垣間見ることは十分に可能であろう。幼い躰に宿る強力な魔術の影響だろうか、アーヴァインは普通の人間とは大きく異なる外見を持っていた。


 南方人種を思わせる色黒の肌に、知性と無垢とが同居する、好奇心に満ちた大きな瞳。そして、雛鳥の綿毛のように揺れる頭髪は、白銀色だ。その存在感は、大人たちに混じっても決して薄れることはなく山羊の乳の入った杯を両手で抱えている。


 だがアーヴァインの瞳は伏せられたままだ。ザムを見るでもなく、カルファインを温かく迎えるでもなく、沼に淀む澱を見つめるが如くに、暗く沈んでいた。


「遅かったな」


 カルファインの姿を認め、ザムを上げた。こちらからでは背を向ける格好で座っているアーヴァインがようやく振り向いたが、すぐに姿勢を戻す。


「済まん」


 カルファインはザムの正面に回り込み、アーヴァインの隣に腰を下ろす。


「セルクレイアには、会わなかったのか」


 セルクレイアとは、ザムの元で剱師として修業をしている若者の名だ。質問に対して首を横に振り、カルファインは近くの給仕に肉料理を注文する。


 地上に戻ってから、セルクレイアは魔術を施された品の鑑定、売買を一括して取り行なう店へ、魔族が持っていた指輪の鑑定を依頼しにいったのだ。アーヴァインがその存在を認め、指輪に宿る魔力を確認している。ただの指輪であろう筈もなく、放っておくには惜しい品であった。


 が、遅すぎる。カルファインが、武具の店から戻ってきても、まだ帰ってこないのだ。


「鑑定に戸惑っているんだろう」


「お前のほうは」


 ザムに問われ、カルファインは頷いた。


「珍しい剱が一本、入っていた」


 店に見知らぬ品が入るということは、自分たち以外の冒険者が持ち寄ったということに他ならない。また、迷宮第四層の捜索が始まってから一月以上が経過している。ということは、第四層の魔物の中でも希少な宝を持っていたものと遭遇し、奪い取ったということだろう。


「買っておいたから、宿に届けられるはずだ。口でどうこう言うよりは、直接見た方がいいだろう……明日が楽しみだ」


「お前、子どものような顔をしておるぞ」


 ザムに指摘され、カルファインは苦笑する。確かに、今の自分は新しい玩具を買ってもらった子どものようだ。


 今までカルファインが使用していた剱は、かつて第三層の捜索中に発見したものであった。


 武装した等身大の石人形が持っていたもので、闇の中では刀身が淡い光を放つ剱である。材質は鉄らしいのだが、強度を向上させ、かつ重量軽減の中級位古代文字が刻み込まれている。戦闘の際に、アーヴァインが唱えた呪紋の直撃を受けても、傷は愚か曇り一つ見られなかったという代物だ。


 だがカルファインの心境を理解できぬというわけでもない。ザムも微笑みながら杯に残った酒を一口飲もうとした、その時だった。人混みの中から、一人の青年が顔を出した。


 黒い髪を短く刈り込んだ、明るい印象を持つ青年である。年齢よりもやや幼く見えるが、彼もまた冒険者の一人。指輪の鑑定を頼まれていたセルクレイアだった。


「遅い」


 振り向きもせず、険しい表情のザムが短く言い放つ。が、当のセルクレイアは全く聞いている素振りも見せずに、席につく。


「やっぱりただの指輪じゃなかったよ」


 単に魔術が施されていると分かっても、それがどんな類のもので、どれほどの力があるか、容易に判別できるものではない。最低でも一、二時間。場合によれば一週間待たされることもあるくらいだ。


 カルファインは興奮した様子のセルクレイアを見つめ、視線でその先を促す。尋ねているのは、店がつけた概算価値であった。


「金貨七十枚」


 途方もない値段である。金貨一枚あれば、一般的な家庭が不自由なく一月は暮らせるほどの価値をもつ。それが七十枚ともなれば。


「わかった……あとは僕が試してみるから」


 そのときになって初めて、アーヴァインが口を開いた。


「ご苦労だった。指輪はあとでアーヴァインに渡しておいてくれ」


「え?」


 セルクレイアの動きが止まる。表情からは何を言われているのか理解できていない様子だ。


「だから、アーヴァインが調べてみると言っただろう」


 カルファインが繰り返し、説明しようとしたときだった。


 ザムが乱暴に立ち上がる。その気迫に押され、セルクレイアは反射的に身を引いた。


「まさかとは思うが……売ってきたのではあるまいな」


 正面からねめつけられ、セルクレイアは蛇に睨まれた蛙のごとくに視線を離せず、ただ首を縦に振るばかりである。


「……愚か者が!」

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