第27話 ムネモシュネ
ガイア帝国の海に面した都市シバの港には間をおいて次々と帆船が入港していた。
折からの嵐に遭遇して船団を組むこともままならず、広い海で離れ離れになった船が一隻また一隻と母港に戻ってくるのだ。
岸壁に横付けされた帆船からは、疲れた表情の兵士が負傷者に手を貸しながらボーディングブリッジを渡り、本国の土を踏んでいる。
しかし、負傷しながらでも帰ってこられたものは幸運だった。
ハヌマーンの率いる軍勢は大きな損害を出して兵員の数を大幅に減らして本国のガイア帝国に帰還した。
その日の遅くに接岸した帆船も降り立つ兵士は負傷者が多く、その中には金色の仮面をつけた司令官のハヌマーンの姿もあった。
「一体何があったのだハヌマーン、軍勢の半数近くも失うなどあってはならぬ失態だ」
投げかけられた叱責に、ハヌマーンはゆっくりと顔を上げる。
そして、自分を見つめる人物を判別すると仮面を外して畏まって答えた。
「ムネモシュネ様、面目次第もございません。敗北の原因はこのハヌマーンの責によるもの、処罰される覚悟はできております」
ハヌマーンが敗北を喫した知らせは既にガイア帝国に届いており、女王ガイアの娘ムネモシュネがハヌマーンを出迎えたのだった。
「古代のクリシュナの民の術を操る娘が現れ、マッドゴーレムを使ってわが軍を蹂躙したのです。その娘は一度捕えて、一族の所在を探ろうと思ったのですが、敵の別同部隊に奪回されました」
ムネモシュネは眉を顰めた。
「クリシュナの民など、とうに滅びたと聞いている。そなたは何か別のものを見間違えたのではないのか」
ハヌマーンは猿の顔をムネモシュネに向けると、落ち着いた口調で反論する。
奴は数十リーグのかなたから、わが軍の宿営地を焼き払おうとしました。術者の所在を突き止めなければ、その娘が操るマッドゴーレム一体の前にわが軍は壊滅していたはずです。
「面妖な、今後のこともあるから私が現地に赴いて調べてみる必要がありそうだな。そなたが敗れるからには訳があってのことであろう。詳細な報告は後程受けるから今は休養を取るがいい」
ハヌマーンは無言で礼をすると、部下に支えられながら病院区画に向かう。
幾多の戦乱でハヌマーンの武勇を見てきたムネモシュネは信じられない思い出その後姿を見送った。
嵐の後でどうにか母港にたどり着いた様子の帆船はそこかしこに損傷があり、再び出航するには整備が必要に思える。
辺境攻略戦は難航する気配を見せていた。
敵地に潜伏して調査と攪乱任務に当たった名将ガネーシャは行方不明となり、満を持して出陣したハヌマーンが大敗を喫したのだ。
ムネモシュネは手傷を負ったハヌマーンの猿の顔から表情を読み取ろうとしていた自分に気づいて思わず苦笑する。
ガイアレギオンの指揮官たちは動物の顔を移植したものが多いが、魔法で活着しているとはいえ、そこから表情を読み取ることには無理がある。
「ムネモシュネ様、我々の軍勢はどういたしますか」
ムネモシュネはジャッカルの顔を持つ副官、アグニの問いに我に返ると、物憂い表情で口を開いた。
「輸送船団からハヌマーンの部隊を下ろしたら、折り返し我々の部隊を乗せて出航したい。まずは船体の傷みを修理させてから物資の積み込みを急げ、兵員には出陣に備えて給油を取らせておけ」
アグニは無言でうなずくと、部下に指示を始めた。
ムネモシュネの配下の軍団は、ハヌマーンの軍団と並んでガイアレギオン軍の中核を構成する精鋭部隊だ。
港近くに集結した兵士たちは、ハヌマーン敗退の急報を受けて東部戦線から移動してきたばかりで疲労もたまっている。
輸送船団の修理と再編成の間に休息をとらせることは不可欠だった。
「アグニ、クリシュナの民とやら実在するということがあり得るのかな」
ムネモシュネの問いに、首を傾けて見せる。
「クリシュナ王国は、二百年以上前にヒマリアの軍勢に滅ぼされています。わずかに生き残った者は南に逃れて流浪の民になったと言われており、所在は明らかではありません、ただ」
「ただ?」
ムネモシュネはアグニが言葉を切ったので振り返った。
アグニは言うまいかと迷った様子の末に、ムネモシュネに告げる
「ヒマリアの民の間には、滅ぼされたクリシュナの王族が復活して攻め込んでくるという言い伝えが残っています。ハヌマーン殿が見たという術も我々にとって未知のものなら、クリシュナの末裔が関与していることもあり得ないわけではないかもしれません」
ムネモシュネはアグニのあいまいな発言が気に食わなかったが、ハヌマーンの報告を無視することもできない。
それゆえに、自分が現地に赴こうとしているのだが、得体のしれない存在が跳梁している土地に飛び込むのは気が重かった。
「この戦い、気を引き締めてかからねばならぬようだな」
ムネモシュネは嘆息するとシバの港の沖合に見える後続の船の帆を眺める。
嵐が過ぎた後の抜けるような青空の下で、白い帆は目に染みるように輝いていた。
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