七章:奔走 9



[――電脳接続を確認しました]

[ミスター・グレンデル]

[ようこそ、電脳都市メガ・バースシティ・キョウトへ]



 電脳空間に侵入し、まず目に飛び込んだもの。

 グレンデルの仮面越しに捉えたのは――広く、そして、何処までも真っ白な空間だった。

 第三電脳都市の電脳統括領域セキュリティ・サーバーは、地平の果てまで白に彩られた空虚な場所で。その中でただ一つ黒があった。巨大な、まるで天にまで届くのではと思えるほどのそれ――超大型演算機関の中枢部が、ただ一つ悠然と其処に屹立している。


「今日は見上げる物と縁がある日だな」


 首が疲れるなと小さく零しながら、演算機関に歩み寄る。

 機関中枢部。操作装置の前に椅子が一つ。そして、其処に座る女性。

 女性――マター・リ=エイダ。

 人ではない。《電脳義体》でもない。超大型演算機関のマザーシステムが司る自立型思考義体メンタルモデル――それがマター・リ=エイダ。それが第三電脳都市の統制システムに与えられた名だ。


『ようこそ、ミスター。本日のご用件は?』

「制御システムへのアクセス権限を」


 端的に告げる。今は一刻の猶予もない。

 九角の用件を聞いたマター・リ=エイダが、僅かに目を伏せながら、恭しく頭を下げた。


『申し訳ありません。貴方にはその権限がございません』

「知っている。だが、問題ない」


 マター・リ=エイダの返答は判っていた。ので、九角は即座に右手を掲げて、プログラムを走らせる。

 ――自家製のA級のハッキングプログラム。作るだけでもなかなかに値の張る代物だが、出し惜しんでいる暇はない。

 一瞬だけ、マター・リ=エイダの構築情報にノズルが走った。

 反応はそれだけ。

 だが、変化は劇的だ。


『認識に不備があったようです。ミスター、どうぞこちらへ』


 寸前まで九角を拒絶していたマター・リ=エイダが、演算機関へ向かうようと促す。


「ありがとう」


 一言、述べて。

 九角は演算機関へと手を伸ばした。



[――接続開始。システムへ侵入します]

[プログラム選択]

[――解体術式ニューロマンサー起動]



 あらゆるシステムに侵入し、あらゆる電脳防壁をもすり抜けて、目的の情報へと辿り着く――現代最高峰のハッキングツールを起動する。

 ものの数分あれば、レイヤーフィールドのアクセス権限を奪取できる。

 そうともなれば一安心だと安堵の吐息を零――そうとして、周囲に視線を巡らせた。

 ――やはり、いない。

 それは、タワーの制御ルームに入った時から思っていたことだ。

 敵が――見当たらないのだ。何処にも。

 いるべきはずの相手。この場所で、何らかの手法を用いてノスタルギアとの接続を行っている――敵が、見当たらなかった。

 索敵プログラムを電脳統括領域全域に走らせているが――やはり、誰も《電脳義体》も検知されない。

 かといって、現実の九角の視界――《電脳視界》越しに見る空間索敵にも引っ掛かる気配はない。

(なら、敵は何処から操作している? 電脳都市の全権限を保有する此処のサーバーの電脳防壁は、世界でも最高レベル。外部からの接続はまず無理だ)

 もしただのクラッキングで此処の防壁をどうにかできるのならば、電脳都市を攻撃し、破壊し、その果てに情報を略奪する異分子情報体クリッターなど誕生しなかっただろう。

 故に、いるとすれば此処だ。この電脳空間に、レイヤーフィールドを降下させ、電脳空間という中継地点を通じてノスタルギアに繋がっている何者かが。

 すべての感覚を研ぎ澄まして、視線を縦横に巡らせて――ふと、それを見た。

 目の前の巨大な黒の一角。そこに彫られている文字。


「――【階差機関DIFFERENCE ENGINE】?」


 文字を読み上げ、九角は首を傾げた。

 階差機関の名は、それこそさわり程度にだが知っている。簡潔に言えば『世界初のプログラムが可能なコンピューター』だ。コンピューターの原型アーキータイプとなったものだ。

(そんなものの名前を、現世界最高峰の演算機関に付けるとは――)

 随分皮肉的だな、と口の端を釣り上げ――そうになった九角だったが、その瞬間に表情を凍り付かせた。


「待て……待て待て待て」


 まるで呪文のようにその言葉を口にした。冷静になれと自らに言い聞かせる。

(――階差機関。その開発者は、確か!)

 電脳ネットに接続。情報検索開始。キーワードは『階差機関』『製作者』。

 瞬時に、九角の目の前に情報窓が開く。

 階差機関の項目と共に、開発者の名前が表示される。


 ――チャールズ・バベッジ。階差機関、並びに解析機関の開発者。コンピューターの父であり、十九世紀を代表する数学者。英国天文学会の創立メンバー。

その名を見て――関係者項目の中に、その名を見つける。


 ――ハワード・H・エイケン。


 ああ、そうだ。

 奥歯が砕けんばかりに噛み締めながら――漸く、思い出す。

 九角の知るハワード・H・エイケン。一九〇〇年生まれの物理学者たる彼。その偉業の根幹にあるものは、バベッジの自伝『ある科学者のPassage from the Life 生涯の断章of a Philosopher』に記されていた言葉だ。

故人の手記を読み、その言葉から自らを後継者と信じ疑わなかった狂人。

彼の信奉した人物の生み出した物の名が、こうしてここに刻まれている――それだけで、疑う余地はなくなる。

 やはり、敵は此処にいるのだ。それも、ずっと以前から。下手をすれば、この《マター・リ=エイダ》が造られた時から。

(……一体何者だ? どうすれば、そんな芸当を可能にする)

 そうして何気なく視線をさ迷わせて――開きっぱなしにしていたバベッジの項目。その関係者一覧の中にある一つの名前を見た瞬間。

九角は、自らの致命的なミスに気付いた。

 ハワード・H・エイケン。彼と並ぶ、あるいは彼以上のバベッジを信奉する人物。



 ――エイダ、、、ラブレス、、、、



 エイダ。その名を見た瞬間、九角は弾かれたように背後を――そこに立っているはずのマター・リ=エイダの自立思考義体を見る!

 ――いない。

 そこにいるはずの、人型のプログラム。マター・リ=エイダそのものたる女性は、ついさっきまで立っていた場所から姿を消し、


















『どうかしましたか? ミスター・グレンデル。いえ、支神九角』











 声は、背後から。

 瞬間――振り返り様に、右腕を振るう。

 機械義肢――クリッターの構築情報をも粉砕する五指の刃爪が、マター・リ=エイダへと襲い掛かる。

 解体術式を自動励起リモート。攻撃プログラムを選択。

 同時にマター・リ=エイダもプログラムを起動する。九角の爪が届くであろう予測個所に防壁が展開された。

 しかし、そんなものは無意味だ。高密度解体術式を組み込んだ爪の前では、その程度の防御など紙切れ同然!

 迷いなく、九角は爪を振り抜いた。

 プロテクトを突き破り、爪の接触と同時に攻撃プログラムがマター・リ=エイダを――


「――ぐあっ!」


 寸前、悲鳴を上げたのは九角だった。

 義手の爪がマター・リ=エイダに届くよりも早く、右手から全身に駆け抜けた凄まじい激痛に、九角は崩れ落ちるようにその場に膝をつく。


[――異常事態発生]

[《電脳義体》に対する利用者権限がありません]

[直ちに電脳離脱処理を行ってください]


 《電脳視界》に表示された言葉に目を通し、愕然とする。

(《電脳義体》を――奪取された、、、、、!)

 有り得ざる事態だ。

 まさか自分が――ランナーたるグレンデルが《電脳義体》を奪われるなんて。


[――異常事態発生]

[《電脳義体》の利用者権限がありません]

[――利用規約違反に伴い、貴方を強制電脳離脱します]


(言われなくてもそうする!)

 胸中で叫びながら、九角は電脳離脱処理に入る。

 だが、システムがそれを受託しない。

 九角の電脳は、そのすべてが目の前のマター・リ=エイダに――いや、エイダ・ラブレスに奪取されていた。

 仮面の奥で目を剥く九角に向けて、エイダはにっこりと、満面の笑みを浮かべて。


『さようなら。ミスター・グレンデル。どうか、綺麗な赤い花を咲かせてくださいな』


 その言葉の直後、九角の視界がブラックアウトする。

 気づいた時にはもう、視界は現実の物へ――電脳を離脱したのだ。

 思わず、安堵の息を零し、仮面の下で流れる冷や汗を拭おうとする。

 だが――できなかった。

 動かない。いや、動かせない、、、、、

腕も、足も、首も。全身が、ピクリとも動かない。動かすことができなかった。まるで金縛りにあったような。自分の身体が、自分の物でなくなったような――

(まさか――)

 電脳の身体だけではなく、

 ――現実の、身体まで?

 その疑問が脳裏を過った直後。突然、九角の身体が動き出した。九角自身の意思を無視して、彼の身体はゆっくりと建物の外へ向かう。

 これではっきりした。今、自分の現実の身体は、《電脳義体》諸共完全に乗っ取られたのだ。

 いや、正確には電脳没入中に行われる運動制御プログラムをハッキングされ、強制的に身体を動かされている。

ハッキングを受けたのは恐らくはあの時――トーリの攻撃を防ぐために展開された防御プログラムと接触した瞬間だ。

 あれはプロテクトなんかじゃない。攻性防壁アイス――それもハッキング対象に致命的なダメージを与える致死的攻性防壁ブラックアイスだ。というのが正しいのだろうが、そんな状況分析は今の状況においては何の意味もなさない。

(――ああ、くそっ!)

 九角の意思に関係なく、九角の身体は建物の外延へ。先ほど九角が苦労して上って来た階段に出た。そして、そのまま階段を歩いて降りる――なんてことはなく。

 ゆっくりと、落下防止の手すりに足をかけた。そして超大型演算機関を設置するために改装された、地上四〇〇メートルの高さから眼下を見下ろし――

 此処に来て、不意に脳裏を過ったのは、

 あの異貌都市で出会った、師の娘の言葉。


『――レーヌ、、、オルディナトゥール、、、、、、、、、に気を付けて』


(……ああ、今更思い出しても遅いだろ、俺)

 現実逃避にも似た感覚で自分に突っ込みを入れた――その直後。

 支神九角は、

 地上四〇〇メートルの高さから、

 ――虚空へと身を投げた。



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