四章:交錯 1

   


 あれから三日が過ぎた。

 あれ――電脳都市に電脳接続したはずなのに、何故か見知らぬ場所――ノスタルギアに迷い込んでから、三日が過ぎた。その間、何度も電脳都市に潜ったが、あれ以降ノスタルギアに迷い込んだことはない。

 そう考えると夢だったのかもしれないと思えるのだが、残念ながらそうではないのだ。

 透莉は自分の《電脳義体》の固有情報を閲覧する。

 《電脳視界》に表示される様々なパラメータ。その中でパスワードキーを有する閲覧制限情報。解体術式の一覧を眺め――その一番下に書かれているプログラム名を見る。


 ――《破戒ノ王手》。


(これさえなければなぁ……)

 組み込まれた術式を見据えるたびにげんなりとした気分になる。勿論透莉自身はこんなものを組み込んだ覚えは透莉にはない。にも拘らず、それは確かに透莉の《電脳義体》に組み込まれている。しかも、削除不能ノットデリートというおまけつき。

 かなり高度なプロテクトがかかっているのか、この三日のほとんどの時間をかけて消去できないかと試行錯誤したが、結果は言わずもながらである。

 そして頼みの綱ともいえた幼馴染くづのはというと――


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――


 数日、日本を離れる。

 何か問題が起きたら連絡しろ。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――


 という、実に短いメッセージを送りつけて以降行方を暗ましている始末である。


「せめて面と向かって言えっての……」


 辟易の吐息を零す透莉に向け、


「さっきからぶつぶつ独り言言って、どうしたのさ?」


 呆れの混じった科白が飛んできた。

 机に突っ伏したまま視線を持ち上げて、声の主を見る。見上げると七種響が半眼でこちらを見下ろしていた。


「なんだ、響か」

「なんだ、とはご挨拶じゃん。カウボーイ」

「僕は西部の荒野で一人暴れ回るような奇矯はしないよ」

「その代わり、電脳都市で怪物相手に暴れ回るんでしょ」


 そう言ってにかっと笑みを浮かべる響に、透莉は「それは君もだろ……」と苦笑いを返した。

 返事の代わりに、響は透莉の前の席に腰かけると、何かを探るような眼差しを向けながら口を開く。


「最近やけにぼーっとしてるじゃん。何かあった?」

「君が気にするようなことは、何もないと思うよ?」


 適当に返事を返す。すると、響は途端に険しい表情を浮かべて見せた。そして露骨なくらい不機嫌を露わにする。


「へぇー。私には言えないんだ。先輩には相談するのに?」


 何処か拗ねているような声音でそう言う響に、透莉は困り顔になりながら言った。


「九角は別だよ。昔っからの付き合いだし、トラブルに詳し――」

「え、何? 透莉、トラブってるの?」

「あー……」


 その指摘で、自分の失言に気付く。

しまった。と思った時にはもう手遅れ。目の前の少女は身を乗り出して透莉へと迫った。顔がホントに目の前にまで来ていた。鋭い眼光が眉間に突き刺さるのを感じる。


「何? 現実の話? 電脳の話? それとも両方? 何時からなの? どんなトラブル? さあとっとと白状しようさ。んん?」


 息継ぎなしに次々と質問を飛ばしてくる響。

 勘弁してほしいなぁ、なんて思いながら、透莉は響から視線を逸らす。身を乗り出してきていることもあって顔が滅茶苦茶近かった。

 響はこれでも学校内で結構な人気者である。成績は優秀。運動もできる。そして竹を割ったような性格なためか、男女の友人比は多分五対五。あるいは四対六くらいに性別関係ない交友関係を築いており、生徒会副会長という立場もあって、その人気は先輩後輩同級生問わずだ。

 そして結構に美人である。

 一部の男子には熱狂的なファンがいるらしい――ということを以前誰かから聞いた気がする。

 つまり、そんな少女の顔が急接近したら、別にそういう風に思っていなくてもドキッとしてしまうのが男というものだ。

 勿論、当の本人はそんなこと知りもしないという様子で首を傾げ「こら、なんで目を逸らす?」と問い詰めにかかってくる始末。

 実に、タチが悪い。いや、悪い意味ではなくて。ラッキーかな、という意味で。

 などという邪な考えを振り払うように――同時に詰め寄ってきた響から逃れるように、透莉は「よっこいしょ」とわざとらしく口にして、自分の席から立ち上がる。


「何でもないって。ホント、大丈夫だから」

「うわぁ露骨。滅茶苦茶怪しいんですけど」

「気のせいだよ。気のせい」

「ぶーぶー」


 口を尖らせて文句を垂れる響をあしらいながら、透莉は鞄を手にして教室を後にした――が、追及の手はやまない。


「待ってよ透莉~。アタシにも教えてよぉ」


 同じように鞄を手に教室を出てきた響が、今度は擦り寄るような声音でそう言ってきた。無視――はせず、適当な言い訳で誤魔化すことにした。


「ゲームの話だよ。バグが多くてさ」

「透莉そんなのやってないじゃん」


 一瞬で嘘が露見した。そして響の言う通りだった。ゲームなんてする暇があったら電脳都市に潜ってるほうがよっぽど充実できる。

 だけど言ってしまった手前、後には引けない。このまま嘘を貫こうとする。


「アナログゲームだよ。ゼロ年代に流行したボードゲームさ」

「どんなゲーム? 誰とやってんの? ボードゲームって、一人じゃできないでしょ……」

「あー……」


 言及されて、言葉が詰まった。というか、言葉が続かなかった。当然である。やっていない遊びについて言及されてしまったら、答えようにも答えられるわけがない。


「透莉ってさ」

「……何?」

「嘘つくの、下手っくそだよねぇー」


 言葉なく苦笑いする透莉に対し、響は呆れ顔で言った。

 まったく以て、その通りだった。


      ◇◇◇


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 エコー:で結局何があったん?

 トーリ:言っても信じないから言わない。

 エコー:言ってみないと判らんじゃん?

 トーリ:……電脳都市に接続したら、異世界に迷い込んだ。

 エコー:……脳みそに蛆虫湧いてる?

 トーリ:ほら、信じない。

 エコー:信じない、ってのは違うね。正気を疑ってるだけ~。

 トーリ:余計タチが悪かった!

 エコー:ww

     ホントかどうかは別としてさ。私はそういう展開、結構好きだなー。

 トーリ:本気で言ってる?

 エコー:割と。夢があるって思わない?

 トーリ:いざ実際に体験しても同じことが言えたらいいねー

 エコー:うわ、この人すっごい上から目線なんですけど!


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「夢だったらどれだけ良かったことか……」


 《電脳視界》のチャット画面を閉じながら、透莉は天井を仰ぎながらそう呟いた。

 本当に夢のような体験だった。

 まだ、鮮明に思い出せる。鋼鉄の都市。蒸気に呑まれた街並み。灰色の空。そして――言葉にし難いクロームの怪物。クリッターに似た何か。エネミー・オブ・クローム。


「よく生き延びれたものだよな、ホント」


 独り言ちて、苦笑零して。同時にふと思い出すのは、ノスタルギアで出会った少女のこと。

(……アゼレアって言ったっけ、あの

 不思議な娘だった。

 飄々とした物言いをした黒衣の少女。鋼鉄の怪物を前にしても物怖じせず、それどころか透莉を助け、更に戦う力を与えてくれた。

 ――《破戒ノ王手》。

 そう呼ばれる、干渉術式。暗色の螺旋(ひかり)を纏い、触れたものを蝕み破壊する異能。

 ふと、左手を見据える。

 そこにあるのは、生身の腕だ。

 そこにあるのは、自分の腕だ。

 機械義手でもなければ、鱗に覆われた腕でもない。

 だが、確かにこの左手に宿っていたのだ。そして恐らく、今も。その証拠が、《電脳義体》にインストールされた謎のプログラム。干渉術式と同じ名を持つ解体術式プログラム


「……試してみるか」


 意を決する。

 三日間、何度も試すかどうか悩んだ。悩みに悩んで、漸く決意する。

 有線を取り出して自分の電脳端子に繋ぎ、据え置き型の大容量大型演算機関メインフレームに接続する。

 目を閉じて――意識操作開始トライアルスタート

 自らの電脳を、意識を、電脳都市へと接続する。



[――電脳接続を確認しました]

[ミスター・トーリ]

[ようこそ、電脳都市メガ・バースシティ・キョウトへ]


 ――電脳没入が完了し、《電脳視界》にメッセージが表示された。

 恐る恐る、目を開く。

 開けた視界には、見慣れた電脳都市の風景が広がっていた。無事に接続できたことに安どの吐息を零す。

 接続先は、電脳都市で所有しているセーフ・ハウスだ。トーリが出入りを許可しなければ誰も足を踏み入れることのできないアパルトメントの一室である。

 トーリはそのまま《電脳義体》のパラメータを立体画面で表示。パスワードを打ち込んで、電脳義手に組み込んでいるプログラムを一覧で映し出す。

 最早何百回、あるいは数千回は見直したそれを視界に捉え、トーリは盛大に溜息を吐き、意識操作を開始。


[プログラム選択――解体術式]

[《破戒ノ王手》起動]


 《電脳視界》に、プログラムが正常に起動したことを知らせるメッセージが表示される……しかし、何も起きなかった。

 左手の機械義手を見据える。何の変化もなかった。変形するわけでもなければ、暗色の螺旋が腕の周りに展開されることもない。

 ――不発。


「……なのかなぁ?」


 思わず語尾に疑問符をつけて、トーリは左腕を振ってみる。

 勿論、何も起きない。試しに部屋の壁に手を当ててみたが、壁を破壊することはなかった。

 なんだか拍子抜けした気分になり、トーリは思わず落胆してしまう。

 いや、勿論落胆する必要など何処にもないのだけれど。こう、言葉にし難い脱力感めいたものを覚えてしまった。


「なんか無駄に時間を浪費した気分だなぁ……」


 言って、トーリは電脳離脱の操作を行った。今回は《破戒ノ王手》の性能を確かめるためだけに電脳接続したわけで、ほかに何か目的があるわけではない。かと言って、クリッターを探すという気分にもなれなかった。ので、早々に電脳都市を去ろうと思ったのである。

 電脳接続したときと同じように意識操作。電脳離脱を開始し――



 ――そして、浮遊感に襲われた。



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