二幕:覚醒 3
「――トーリ!」
名を呼ぶ声。
誰のものかはすぐに判った。
痛む体に鞭を打って振り返ると、そこには壁に手を当てて肩で息をする黒衣の少女――アゼレアが立っていた。
「――なんで……」
此処にいるんだ。
そう言葉を続けるよりも先に、少女は口元に不敵な笑みを浮かべてみせる。
「君を助けに来たんだよ」
「莫迦なこと言ってないで、早く此処を離れろ……僕の努力を無駄にしないで――」
「――トーリ」
説得の科白を阻む強い声音に、思わず続けようとした言葉を飲み込んでしまう。
鋭い眼光がトーリを射抜く。翡翠の双眸がまっすぐとトーリを見据え、アゼレアは凛然と立って口を開く。
「私は、君に訊こう。トーリ――生きたいかい?」
「……当たり前だ」
固唾を飲んで答える。
生きたいなんて、当たり前だ。死にたくなんてない。
立ち上がり、少女を正面から射抜く。
「いきなりわけの判らない場所に放り込まれて、いきなりあんな鉄の塊に追っかけまわされて、挙句に異なる次元の世界だって? ふざけるなよ、くそったれ。冗談じゃないよ。こんなところで死んでたまるか!」
痛みも忘れて豪語する。憤慨する。怒号する。
すると、アゼレアは不敵な笑みを浮かべた。
「ふふ……好い答えだよ、ミスター・トーリ。ならば私は、そんな君の力になろう」
意味ありげな言葉を口にすると同時、アゼレアは無造作に、無遠慮に、自ら身にまとっていた黒いコートの留め金を外す。
そうして肌蹴た少女の胸元。本来ならば目を逸らすべきだろう。だが、そうすることができなかった。
それは何も、少女の裸身に目を奪われたからではない。
人間にあらざるもの。光り脈動する心臓のよう何かだ。
息を呑む。
「この世界に、純粋な人間なんてもはや一人としていない。私もそうなんだよ……」
自嘲する少女がトーリの手を取った。握られたのは――左手だ。黒い鱗に覆われた、異形の手をアゼレアの手が握り、そっと……脈動する光へと導く。
「アゼレア?」名を呼び、言外に意図を問う。すると、少女が笑った。
導かれるがまま、その左手で――
――少女の
刹那――
何かが――
流れ込んできて――……。
――この子を頼むよ、トーリ。
誰かの声が、脳裏に響いた。
その声が誰のものか判らない。
だけど、その声に応えなければならないと思った。
故に――。
「――
自然と――。
気づけば自然と、吾知らぬうちに、トーリはその文句を口にしていた。
知らぬはずの言葉なのに、まるで生まれた時から知っているようにすらすらと。
トーリはその言葉を、その名を――口にする。
「……
瞬間、それは顕現した。
トーリの左腕から、まるで迸るように零れるどす黒く、禍々しい粒子の螺旋。
自らの腕を見て呆けるトーリ。対し、アゼレアはその腕の変異を目の当たりにして安堵の吐息を漏らすと、まるで糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。
「アゼレア!」
慌てて駆け寄り、少女の身体を抱える形で支える。腕の中で苦痛を耐えるように顔を顰めるアゼレアが、トーリの左腕を見てから元気な笑みを浮かべた。
「はは……まさかまさか。リーク・ミディス……触れることそれ自体を禁忌とした干渉術式か」
「クラッキング・コードだって?」
アゼレアの口から発せられた、聞きなれた言葉。トーリにとって馴染み深い言葉だ。
尋ねるトーリに、黒衣の少女はその表情に疲弊の色を湛えながらも頷いて見せる。
「そう。干渉術式。万象の理に割り込み、自らの望む形に書き換える力。世に魔術なんて呼ばれている力さ。そして君のそれは――」
アゼレアの言葉を遮るように、突如として響く破壊の音。二人の立つすぐ横を突き抜けたのは鋼鉄の腕だ。
――エネミー・オブ・クローム。鋼鉄の怪物が、此処にきて追いついたのだ。
巨身が繰り出す破壊の余波が、粉塵を巻き上げて二人を叩く。
トーリが振り返り見上げた先には、こちらを見下ろす赫眼。圧倒的強者が弱者を見下すが如き眼光で、鋼鉄の怪物はトーリをその視界に捉え――次の瞬間、怪物は背から生えた巨大な刃を一斉にトーリ目掛けて放つ。
迫る巨刃を見据える。
(――どうする?)
一瞬、脳裏に過ぎったのは自問。
疲弊しているアゼレアを抱えていては、回避は不可能だ。ならば――
答えを見出すに要したのは刹那。
トーリが動く。
アゼレアの身体を守るように右手だけで抱きかかえ、トーリは迫る巨刃に対し、躊躇うことなく左手を振るった。
やぶれかぶれの最後の悪あがき――ではない。
確信があった。
何故かは判らない。
ただ、そうするべきだと思った。
何故ならば、この左腕は――己が用いる唯一の武器なのだから!
振り下ろされた巨刃と。
トーリの左腕が纏う禍々しい螺旋がぶつかり合い――
――巨刃がまるで融解したかのように、その形を崩す!
その現象に驚愕したのは鋼鉄の怪物。クロームでできた無貌が、まるで動揺したかのように揺れ動くのを見て、代わりにトーリは不敵に微笑んで見せた。
――《破戒ノ王手》。
リーク・ミディス。即ち、
「……ミダス王の左手、か」
トーリの禍々しい漆黒の腕に展開しているこのどす黒い螺旋。原理は不明だが、どうやら触れるものに対して何らかの影響を及ぼすものらしい。それもあれほど巨大な質量を持つ刃を一瞬で融解させるほどの、強い干渉能力を持つ程に……。
「物騒過ぎるだろ、これ……」
思わず本音が零れた。しかし――
「まあ、これなら……やれるな」
ぐっと、強く左手を握り締める。その様子に、腕の中の少女がくつくつと笑った。
「悪い表情をしているよ、トーリ」
「そりゃ失礼」
指摘されて、初めて唇の端が吊り上っていたに気付いた。ので、軽口を叩いて肩を竦めて見せる。
だが仕方がない。今まで好き勝手されてきたのだ。ならば、少しくらいその仕返しをしたって、
「――文句は言われない……そうだろう?」
言って、眼前の異形を見上げる。赫眼と視線が交錯する。その瞬間、鋼鉄の怪物が動く。
残っていた二本の刃が煙るような速度で放たれる。左右から迫る斬撃を前に、しかしてトーリは先程までの不利を感じない。
左腕。
触れるすべてを蝕むという異能を宿す手。
異形の腕が纏う、暗澹なる螺旋が物語る。
――さあ、力を揮え。
内なる声に従って、トーリはエネミー目掛けて疾駆する。
先程までとは違う躍動感。優越感。何よりも眼前に立ちはだかる鋼鉄の暴君が、今となっては駄々を捏ねる幼子に見えるような錯覚に口角が釣り上がる。
剣撃の嵐を前にしてなお、トーリは引くことはない。
意識を集中して剣閃を捉え、左腕を一閃!
左腕――纏う暗色の螺旋が踊り、トーリたちを両断せんと襲い掛かった刃が、ただの手刀によって容易く両断される!
すると、此処にきて初めて、鋼鉄の怪物が後退した。後ずさった。
あの暴虐の化身がである。
何処からともなくやって来て、歩む先々に玩具を壊すように人々を殺戮し続けていた鋼鉄の怪物が、今――目の前に立つ白い少年から、小さな人間一人から逃げようとするその光景。もし成り行きを見守るものがいたのならば、感嘆の声を上げただろう。
一歩。
あるいは半歩。
自分を脅かす何かに相対したエネミーが後退さるに対し、トーリは一気に異形との距離を詰めていた。
迫る脅威を振り払おうと、鋼鉄の爪牙が、残る巨刃が頭上から迫るが――最早そんなものに脅威など感じない。
たかが物理攻撃。対抗する術があるのならば、クリッターの電脳攻撃に比べれば対処は容易。
腕撃を躱し、巨刃を受け流し、もう一方の腕を左手で捥ぎ取る!
鋼鉄の猛襲をものともせず、黒衣の少女を抱えたまま、白衣の少年がエネミーをねじ伏せていく。
そして懐に飛び込むと同時。
左手を持ち上げると、その胴体部に爪を立てて――思い切り引き裂く。
暗色の螺旋を纏った鋭利な爪が、まるで濡れた紙を破くようにあっさりと、エネミーを守っていた鋼鉄の体躯を突き破る!
そしてそこに広がる光景に、トーリは驚愕すると同時に不敵に笑んだ。
「ああ……何処までも似てるんだな。お前らって」
何に?
決まっている。
電脳の怪物に。クリッターに。
固く守られた装甲の内側に宿るのは、脈動する鋼鉄の塊。まるでクリッターの電子核のような
「僕はお前みたいに
左腕を振り上げる。
「――一撃で、終わらせる!」
黒鱗に包まれた左手の、暗色の螺旋。
《破戒ノ王手》と呼ばれる力を纏う穿撃が――まっすぐに鋼鉄の心臓を捉えた。
そして――。
一瞬の静寂の後――。
この世の終わりを思わせるような絶叫を最後に、鋼鉄の怪物がゆっくりと地面に崩れ落ちたのである。
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