魔獣

「――あれだ」

「どれ!」


 木々の間を睨んで言うダンだが、セニーリにはなにも見えない。しかしやがて黒い影が近づいてきて、ダンは腰の剣を抜き。


「――ふっ」


 複数の影の一つに飛びかかっていった。


「ギャン!」


 すれ違いざまにまず一匹、狼のような真っ黒な四足獣は首から上を跳ね飛ばされ、土砂の入った袋を捨てたような水音とともに崩れ落ちる。

 そして残心する間もなく次の標的に目を向けた。

 しかし魔獣は連携を取り、一匹だけでは向かってこない。ダンの目には今のところ四匹。何れも一メートル前後の大きさで、まず間違いなく大人の魔獣だ。増える可能性も否定できなく、また魔獣が四匹というのはまったく油断ならない状態だ。

 狩人であれば命を拾うことに全霊を尽くし、武装した兵士であろうと負傷を覚悟せねばならない。

 ではジュラーの勇士はどうだろうか。


「二人共、そこから動くなよ」

「……わかった」

 

 道の真ん中でミィとセニーリは近寄って周囲を警戒する。その間にダンは武器を盾へと切り替えた。

 直径六十センチながら厚さは三十センチを超える、ダンのために特注されたもの。ジュラーではローとの決闘で破損したが、旅立つまでになんとか新しいのをまかなえた。

 それを左手で持つ剣の柄でコンコンと叩き魔獣へ威嚇する。音に敏感な獣は注視せざるを得なくなる。

 円周上にダンを取り囲み、木々の隙間から赤い瞳で様子をうかがう。それでいてダンはすり足で正面にいる一匹に接近していく。


「おいおい、不用意すぎねえか?」

「……黙ってろ」


 心配するセニーリをミィが注意する。こちらに気を取られては危険だ。ミィも一匹ぐらいなら対処できるが、それ以上は戦士でもない彼女には不可能である。

 距離の詰まっていくダンと魔獣、ダンが飛びかかるにはもう一歩前に出ねばならない。だがそれは魔獣にも理解できていた、進んだ瞬間にまた距離を取られるだろう。

 そうするとダンは剣の刃を立てて盾を打つ。ギィンという耳障りな金属音へと変化した。

 次の瞬間、一際大きく盾に剣を当てたところ火花と耳をつんざく高音が響き、セニーリとミィは耳を抑えた。

 人よりも優れた聴覚の魔獣も例外ではなく足が止まった。それを見逃さずダンが接敵する。

 後ろに下がる魔獣だが一手遅い、迷った挙げ句ダンに噛み付こうとしたが盾で顔を殴りつけられ、一瞬形がひしゃげて地面に落ちた後は動かなくなった。

 包囲が崩れた魔獣は左右からダンに襲いかかる。


「――!」

「うるさっ」


 ミィが文句をいうのはダンの獣のような咆哮で、片側の魔獣の動きを止めた、挟撃に失敗したもう一匹はあっけなく撫で切りにされていった。

 ひるんだ一匹と最後の個体はそれを受け、逃げ出していく。

 狩りではないのでダンも追いかけるようなことはしない。

 二人に合流したダンは、セニーリから称賛を受ける。


「すげえすげえ! こんな見事な狩りみたことねえよ! どうだ、俺と一儲け――」

「なにいってんだ」


 ミィに頭を叩かれそれ以上は言えなかったセニーリ。ミィはダンに向けてねぎらいの言葉を投げかける。


「……まあやるじゃねえか。合格に、してやってもいいぞ」

「そりゃ嬉しい、褒美は出るのかな」


 ダンに対しては素直ではないミィは感謝も控えめ。打ち解けつつあるとはいえ、最初の刺々しいコンタクトの弊害が残っている。


「なら食っていいぞ、……出来るもんならな」

「ええ……」


 露骨に嫌な顔をしたダン。何を隠そう、魔獣を食べることなどまず不可能だからだ。


「これが魔獣の死体か……、初めてじっくり見るぜ」


 セニーリが最初に倒したものの死体に近づく。

 薄皮一枚でギリギリ頭がつながっているそれは、当初は狼のような形に見えたがいまはその原型をなくしつつあった。

 大まかなシルエットは四足動物のままだが、黒毛の合間からドロっとした液体が滲み出す。ダンも近づいてきてそれを見る。


「このぐらいならまだはぎ取れるけどな」

「……幾らになるんだ」


 セニーリはミィに聞いた。


「綺麗なものなら金貨五枚くらいかな。まあ買う奴は気持ちわりい貴族様だけだけどな」


 魔獣の毛皮は悪しきものとして扱われ、市場に出回ることはまずなく時折闇の間で取引されるにとどまる。そのかわり値段は破格で、それを目当てに山に潜る人間もいる。その多くは帰ることなく命を落とすのだが。


「なるほどねえ、まあ今は持てねえし。諦めるか……、肉は食えないのか?」

「こんな具合だからな」


 ダンは切り裂かれた頭部をどけて断面を見せる。

 体からにじむ粘性の液体を、さらに煮詰めたようなドス黒さが魔獣の肉の色だ。


「うげえ、これじゃ食えねえわけだ」

「ジュラーでは物心ついた時から、どれだけ飢えても魔獣の肉だけは食うなって教わるんだ」

「食ったらどうなるんだ?」

「さあ。食った瞬間死ぬだとか、誰に聞いてもはっきり教えてくれなかったよ」


 中には食べた者自身が魔獣に変わるというものもあった。

 そう聞いたセニーリだが、そう考えても自分は口にしないだろうから聞き流した。


「これに名前ってあるのか」


 クルマーリュ周辺に魔獣は少ない。そのためセニーリは魔獣の知識に疎い、だから質問攻めにしている。

 仕方がなくミィが教えるが、歩きながらだと言った。

 今度はミィとセニーリが並んで歩き、その後ろにダンがつく。

 そうしてミィが話し出す。ダンもジュラーの常識とは違う、ジン帝国周辺の認識に興味があるので黙って聞いていた。


「最初に言うとだな、魔獣に名前ってのはないんだよ」

「なんでだよ」


 先ほどと同じく、セニーリが尋ねる。


「さっきみたいに、魔獣ってのは形も見た目も真っ黒で“あやふや”なんだよ。似てる個体はあっても全く同じものはいないんだ」

「なんで……」

「それは学者様にでも聞きな。あたしはそのへんは知ったもんじゃない」

「つかえねえ」


 横面を叩かれたセニーリ。


「ただ、大まかな呼称はあるよ。さっきみたいな四本脚は『アシダール』、『飢饉』って意味らしい。大昔に、あれのせいで村の食い物が全部食い荒らされたからだってよ」


 他にも鳥の形をした『死の雨』、水辺にいるとされる『濁り』、噂だけが残り誰も見たことがない『天災』。

 呼称には地域間でばらつきはあるが、こうしたものがジン帝国の周りで目撃されている。

 そうした説明の中で、セニーリはぽつりと言った。


「……魔獣ってなんなんだ。ただの動物と違うのかよ?」


 ミィは肩をすくめ、教会などでは悪魔の使いとも言われ、一説には『違うどこか』から来たともとされる書物の記述があるという。


「うーん、意味わからねえ」

「おい、あたしがこんなに懇切丁寧に説明したのに……。まあこれに関しちゃあしょうがねえけどよ。実際誰もはっきりと言えねえんだから」


 話が一区切りというタイミングで、それまで黙っていたダンが発言する。


「切れば死ぬ、殺しても食えない。それでいいじゃないのか」

「わーお」


 セニーリが唖然とするが、やがてそれも一つの真理かと変に納得した。事実、今は彼らの後ろに残るのは死体だけなのだから。


「あ、忘れてた」


 ミィが言う。


「だから悪魔の使いなんて言われるからな、魔獣の皮とか爪とか持っていると教会の連中に睨まれるぜ」


 『それで一人異端審問にかけられて殺されたやつがいたっけなー』というミィの一言を聞き、死体を漁らなくてよかったぜと言ったセニーリは、懐に隠していた小さな破片のようななものを道端に投げ捨てた。






 その後は大きな問題もなく、少々の雨に足を止められるくらいだった。

 そうして一行は七日の旅路の果て、ジン帝国の首都であるシュレーナへとたどり着いたのだった。

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