ごきぶりが怖いんです

寿和

第1話

俺は本当にごきぶりが嫌いだ。あの艶のある背中を見ただけで、瞬間に気が遠くなる。何匹もいた時には、もう、泣きながら部屋を飛び出した。でも、そんな生活も終わりだ。俺は社会人になって、憧れの地に引っ越したからだ。北海道、噂では聞いていた。あれが、いないと。たいした学もなく、これといった特技もない俺だったが、何とか小さな食品卸しの会社に就職することができた。社員数人の会社だったが社宅もあり、すぐにでも引越したかった俺にはありがたかった。社宅に引っ越しを終えたその日の夜。うとうとし始めた俺は、かり、かり、かり…という物音で目が覚めた。…この音は…。冷や汗がにじみ出てくる。あれがいないと聞いていたのに、うそだろ。物音は小さなキッチンのシンクの下から聞こえている。のぞきたくない、でもこのままではとても怖くて眠れない。見たくない、でも、怖い。怖い、どうしよう。寝ている間に体を這われたら!俺は戦う術をもたないまま、意を決してそっと扉を開けた。手が震えている。「ぴぅあ!!」表現できない声が出た。シンクの下では、薬指のない右手が、排水口のつなぎ目をかりかりと引っ掻いていた。俺はそっと扉を閉じた。良かった、ごきぶりじゃなかった。俺は安心して再び布団にもぐりこんだ。

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ごきぶりが怖いんです 寿和 @nene091

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