第37話 女王


「あら、可愛いお客様ね」


真紅の唇から心地良く、聞く者を虜にする声が発せられた。その魔性の音は広いリビングを反響し、この部屋の大きさを物語っている。壁や床一面には首をもがれたぬいぐるみが所狭しと並び、この部屋の異常さを物語っていた。

何より、部屋の中央にある大テーブルには大きさに反し、席に座っている人間は一人しか居ない。にも関わらず、独りクスクスと笑いその姿は、不気味を通り越し警戒するに当たるだろう。

しかし、この迷宮は不気味こそ常識。平穏こそが害悪の象徴なのだ。この世界からして見れば、なんて事はない日常茶飯事の光景だろう。


女王様クイーン、紅茶のおかわりはいかがですか?」

「ふふ、素敵な紳士様。でも今はアールグレイよりアッサムの方が良いの」


横から差し出された紅茶を振り払う様に投げ捨てる。空中に浮いたティーカップは、スローモーションのビデオを見ているかの様にゆっくりと黒白の床へ落ちていった。しばらくしてパリン、と乾いた音がまたしても部屋に響き渡る。

しかしその音を気にも止めず、無言で男は別のコップに紅茶を注いだ。

女はふふ、と世界中の男を手玉に取れる様な魅惑的にも取れる笑みを浮かべる。男もそれに応え、にこりと微笑み返した。


「とても可愛らしくて、素敵な客人。まだまだ小さくて何も知らない、純粋な心を持っているのかしら」

「そうだね、女王様クイーン。番人たちも気になっているみたいでね。少しちょっかいを出している様だ」


女王様クイーンと呼ばれた女は、成人一歩手前の危うい未成年の雰囲気を身にまとっている眼が覚める様に美しい女性だ。耳にはハートとダイヤマークのイヤリングが揺れており、口紅と頭にかぶっている小ぶりの王冠ともあい混ざり高貴な印象を受ける。

病的なまでに白い肌を見せつける様に、肩を出した煽情的な赤のマーメイドドレスもこの上なく似合っていた。


「でも、子供を招待した覚えはないわねぇ。穢れた大人ではないのなら、友達にしてあげましょうか」

「うんうん。それも良いと思うのだけれども、今彼らは遊戯をしている真っ最中みたいなんだ」


だから死んでしまうかもしれないね、と大きな帽子を目元まで被っている男は首を振って応えた。帽子には鎖やらトランプやらが多種多様に飾り付けられており、首を振るたびに金属音が部屋に響き渡る。


「あらあら、番人トランプさん達はいつも客人を殺してしまうからあまり好きじゃないわ」

「『殺してしまうなんて、最高にナンセンスよ!!』だからかな?」

「あんまり似てないわよ、紳士さん」


女王は赤と黒に彩られた爪を男の額に当て、軽く突き飛ばす。いわゆるデコピンというやつだ。紳士はおどけた様に、首をかしげる。


「相変わらず悪戯好きな猫さんなのね、紳士さん」

「……うん?なんのことかな」

「どうせ嘘をつくなら、もっと大胆な方が好みよ。ワイルドな男が良いわ」


女は紳士のネクタイを掴み、顔をぶつかる寸前まで近づけた。二人の唇が重なる瞬間まで近づいた顔は、お互いに笑っている。


「あの客人を連れてきたのは貴方でしょう?」

「……やれやれ、我らが女王様にはなんでもお見通しの様だ」


もう少しだけ、あなたが困っている可愛い姿を見たかったのに。そう言いながら男は先程の大人びた笑みから一転、幼子の様な笑みを浮かべた。


「ある人から推薦されたんだ。あの二人はきっと迷宮を面白くしてくれるってさ」

「……そう。確かに最近はお城に来る客人もめっきり減ったし。丁度いいわ」


掴んでいたネクタイごと男を突き飛ばし、イスから立ち上がる。女の瞳には一点を見つめ、紅色に燃え上がる炎が見えた。


「ここは私の王国、私の世界。その事をきっちり教えてあげないと。女王としての義務だわ」


女王様が求めているのは危険リスキーで楽しい王国。そこに居ていいのは友達と女王の操り人形部下のみ。叛逆者アリスは断頭台へ送られて、二度と地上へは戻れないのだ。

ここに迷い込んだ大人がたどる結末エンドは、生か死か。人形になるか、断頭台かだけなのだ。まぁ、どちらを取ってもバットエンドは免れないが。


「ねぇ、紳士さん。今宵はとっても面白いことが起きる気がするわ。私、楽しみよ」

「そうかい。貴女が喜んでくれるなら、僕も地上へ出向いたかいがあったと言うものだ」


女王は嬉々として、眼前に並べられた骸骨のオブジェを手に取る。この迷宮ではその骨が本物である可能性も否めないが、だとしても彼女は抱き上げただろう。他人の死など、彼女にとってはどうでもいい事なのである。


「ねぇねぇ、骸骨さん。子供たちは、ちゃんとお城にやって来れるかしら。太陽の光も、道しるべのビスケットもこの世界には無いのに」


話しかける素振りをする女王。しかし至極当たり前の事だが、骸骨のオブジェは生きている訳はないので話さない。ただカタカタと音を鳴らすだけであった。

二人しかいない薄暗い大広間に、頭蓋骨の音が悪戯に響いている。二人を歓迎するためか、それとも食い殺すための準備か。運命は神のみぞ知ってるだろう。








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