第5話 隠居生活開始



オーガの森─────


魔王は小鳥のさえずりに目が醒める。辺りを見回すと、なんと森の中で寝ているではないか。

書物でしか読んだことのなかった『森』に感動をしながら、今の状況を確認する。すると、自分の身体を見ていて違和感に気づいた。


「……ふむ。確かに転生された様だが……」


近くにあった湖をのぞいて見ると、人間の姿をした自分が映っていた。頭に生えていたツノや身体中の筋肉が綺麗さっぱり無くなっていた。前の面影は青紫の瞳と銀髪の髪。それと前の世界で、四十代ごろに止めていた身体年齢だけだ。


「ふむ、人間ごときになるとはな。……だが隠居生活にはピッタリだ」


この世界に来た魔王は事務作業に追われる必要も勇者を育てる必要もない。徹夜もしなくて良いし、胃薬飲む程の仕事もない。

そこにあるのは体験した事のない無限の自由だ--なんてすばらしい世界だろう。一人で拍手喝采のスタンディングオベーションを行いたい気分だ。


「……魔力はどうなっているのだろう?少し簡単な魔術を使ってみるか」


湖に片手のひらを向け、呪文を唱える。


「『氷結アイス』」


氷属性の最弱呪文だが、唱えた直後湖だけでなく周りの森までもが凍ってしまった。驚いて逃げ出すモンスターを横目に魔王は頭を抱える。


「……やりすぎたか。この様ではすぐに人間共にバレてしまう」


隠居生活を穏やかに過ごしたい魔王にとって人間に魔王とバレるのは、何としてでも避けたい事柄であった。


「仕方ない…。『解除リセット』」


そう唱えると、周りの氷の結晶と化した森や湖が一瞬で元の風景に戻る。


大体の人間や魔族は一度放った魔術を取り消す事は出来ないが、魔王は別で何度でも解除出来る力を持っていた。


「しっかしまぁ……安全そうな森だ。本当に隠居生活に最適だな」


小鳥がさえずり、太陽の光が差し、木の実まで実っている。こんな所などおとぎ話の挿絵でしか見た事がない。魔王城から見える景色は歪んだ森や、不気味なモンスター、闇色の空と真反対だった。


「だが、もう少し森の奥に行ってみるか。ここでは光が明るすぎる」


普段、太陽の光に当たらないところで暮らしてきた魔王にとって森が明るすぎた。太陽の暖かな光が、大変不愉快極まりない。


「『空中浮遊レビテーション』」


指をパチンと鳴らすと、紫の光が全身を包み五メートル程浮いた。森を見回し、暗い場所を探す。


「うーむ。どこか洞窟の様な所があれば良いんだが……」





しばらく飛んでいると山のふもとに洞窟があるのを見つけた。


「おお、あれが良いな。降りてみるか」


地面に降りてみるとモンスターがあまりいないのが分かった。それに人間が訪れた匂いもしない良い物件だ。


「ほぉ、なかなか良いではないか」


洞窟の中に入ってみると適度な温度、室温だここに住んだら快適だ。ほんの少しだけカビているが、魔法でどうにかなるだろう。


「よしっ!我の住処はここに決定……ぶっ!」


油断して歩いていたらブヨンとした何かに激突しまった。その場で尻餅をつき、カビが尻に付いてしまった。


「……お、おお。これは」


そこには自分の身長の二十倍以上であろうゴリラの様なモンスターがいた。しかし驚く事はなく冷静に状況を考える。

--なるほど。だから周りに人間はおろか、モンスターも居なかったのか。どうやら此処らの縄張り主の様だ。



「ギシャァァァァァァァァァ!」

「ほぉ、威勢が良いな」


いきなり魔王に大きな腕を振り上げて来るモンスター。とっさに避けると、パンチが当たった壁は容易く貫通した。


「ふむ、この身体で当たったら死んでしまうかもな。……しかし




敵ではない様だ」


ニヤリと笑うその顔は確かに全知全能の魔王であった。紫色の瞳が赤に変わる。


「ギシャ……!?」


モンスターは目の前にいる武器も何も持たない男に怯えていた。モンスター自身もなぜかわからない……野生動物の本能というのか。


「今ならまだ魔物のよしみで許そう。……さっさと出て行け……目障りだ」


しかしこの男から逃走する事は、今まで森を治めていたボスである自分のプライドを傷つけてしまう。


「ギシャァァァァァァァァァ!!」


もう一度威嚇で吠え、全力の戦闘体系で構える。身体から数えきれない腕を生やし、四方八方から男を襲う。


「ふむ。我のオーラに屈しないとはその心意義は褒めてやろう。だが……喧嘩を売る相手を間違えすぎだ、愚族よ。『氷結アイス』」


洞窟の内側が全て凍り、モンスターも氷漬けになってしまった。氷の近くに寄り、少し悲哀の混じった目で魔物を見る。


「魔物にはあまり手を出したくなかったが……すまない。しかし我の隠居生活の為だ。悪く思うな、猿よ」


トンッ、と氷を叩くとモンスターごと木っ端微塵に割れた。キラキラと輝いた氷は一瞬で消えてしまう。

瞳が赤から紫へ、どんどんと戻り出す。


「さて、猿も片付けたし……。そろそろ家を作るか。『錬金術グリース』」


すると洞窟の地面がガタガタと動き、どんどん家に形を変えていく。同時にただの石が家具や生活必需品などに変わっていく。生活は全て召使いに任せていた。だが自分一人でもできる様、本を読んである程度の知識を頭に入れておいたのだ。


錬金術──────

一つの物質からもう一つの物質に変える魔術と、形だけを変える魔術がある。出来るのは限られた高等魔族のみ。


「……こんなもんか」


しばらくすると二階建ての立派な家ができた

中に入ると、高級そうな家具がたくさん置いてある。フカフカのベッドに身を投げ、魔王は幸せそうに呟く。顔は前世では想像できないほど、たるみまくっていた。


「……これでしばらくは働かないで暮らせそうだな」



魔王の隠居生活ニートライフは始まったばかりである。

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