七朝七夜:暁の丘現象~1~
旅路を塞ぐ者がいなくなったことで、四人は再び歩き始めた。
レーメは魔物に対し心残りを感じ、先程まで居た場所をちらりちらりと何度も振り返っていた。
歩みが遅くなっていると、数歩先から心配そうに様子をうかがうアーブに気付き、彼女は慌てて三人を追いかける。
近くに寄ると、ティオがファイから聞きそびれた事を話し始めようとしているところだった。
「で、さっき言っていた『暁の丘』現象ってなんだよ?」
「『暁の丘』で起きている現象の事ですよ」
魔術師の茶化したような簡潔な応対に、ティオはずっこけそうになった。
「そうじゃなくて! その現象ってどんなものだって聞いてんだよ」
少年をからかっているのだろうか。彼のむきになった反応にファイは軽く笑ってみせたが、すぐに真面目な表情で語り始めた。
「『暁の丘』は、生あるもの、すべての存在が命を落とす場所なんですよ」
「それは聞いたことあるけどさ。『暁の丘』の木はみんな枯れたりしてるんだろ?」
「草木だけじゃないんですよ」
他にも何かあるのか? そう思った少年と少女は同時にファイを凝視し始めた。
「植物だけじゃなくて、動物や人間だってそうなんです。その場所に一歩足を踏み入れただけで、みんな簡単に命を落とすんですよ」
「えっ?」
「命を落とす」と言う一言に、レーメは背筋を凍らせた。
「『暁の丘』は植物がすべて枯れてしまった、荒廃した土地だ」とは聞いていたが、そのような場所だと言う事は知らなかったのだ。
「それも、『暁の丘』に入った瞬間に命を落とす訳じゃありません。そこにいることで、じわじわと苦しみながら朽ちていくんですよ」
「それでは……先程の魔物は、命を落とす寸前に『暁の丘』から脱出する事が出来て、あのような姿になっていたのでしょうか?」
ファイの説明に、眉をひそめたアーブが顎に軽く手を添えて首を傾げた。
「そうですね。これまでに外見があれに良く似た魔物を見たことがあるでしょう? あれは、そういったものが息絶える前に『暁の丘』から逃げ出した姿なんですよ。命は救われますが、丘で受けた影響によって身体は元には戻りません」
「でも、あれは、救われたって言えるもの?」
レーメは苦虫を噛み潰したような表情で、ファイの意見に対して言葉を零した。
ただただ空虚に見えた魔物の眼差し。
それでも目があった彼女は、魔物の瞳の奥底から、命からがら逃げ出しながらも酷く続く苦しみにもがき、救いを求めているように感じ取った。
「ずっとあのままなんでしょう?」
「そうですね。もっと早く抜け出せていれば、あれよりはいくらかマシになっていたかもしれないですけど」
「まし……」
魔術師の他人事のような一言に、レーメは俯きながら呟く。
もし『暁の丘』現象を受けたものが、良く知る人物であるならば。その時、自分はどう思うのだろうか。
親しい人間が数少ないレーメではあるが、きっと穏やかな気持ちではいられないだろう。
先ほど魔物と対峙したときに抱いた恐怖のように、恐れを抱くことは間違いない。
つまり、『暁』が、正しくは『暁の丘』が嫌悪されている理由は、明らかではないだろうか。
「じゃ、じゃあ!!」
『暁の丘』についての思いも寄らない情報を耳にしたせいか、ティオが真っ青な表情でファイに問い詰めた。
「そんなだから、『暁』は嫌われてるってことなのか?!」
ティオの心配事はレーメが考えていたことと同じであった。
「そう言う事に、……なるんですよね」
ファイは若干曖昧に受け取れるように言葉を濁した。俯いて右手を強く握りしめているティオに少し戸惑いを感じているからだ。
「『暁』を知る事が出来れば、嫌われている理由も判って、それで……」
落胆が込められたティオの言葉に、レーメは俯いていた顔を上げて彼に向き直った。
不安事を考え抜いた結果、暗い想像ばかりが先走ってしまったティオの思考は混乱を極めている。
「『暁』が嫌われる前のように出来るかもしれない、って思ったのにさ!!」
『暁の丘』は命を奪う存在であり、それが理由で『暁』が嫌われている。
近づくことさえままならないのであれば、自分たちにできることはないのではないだろうか。
そう考えるだけで、落ち込んでいた二人の気持ちに拍車がかかる。
「オレたちにできることなんて……」
「……」
ティオが「ないんじゃないか」と口にしなかったのは、自分たちが無力であることを認めるのが怖かったからだろう。
いつも賑やかな少年が後ろ向きな考えをし始めたことをきっかけに、彼らの間には気まずい空気が流れ始める。
「…………」
口をつぐんでしまったティオのことを、声をかけることなくレーメはじっと見つめていた。
本当に自分たちにできることは何もないのだろうか?
それは先ほどの魔物に悲しみを見出した影響で、レーメは不思議と冷静に現状を受け入れていた。
先程の魔物も、自らの命が助かるかもしれないと思い、絶望の中にあるただ一つの見えもしない希望を掴もうと、ずっと彷徨っていたのだろうか?
あの魔物はどんな表情をしていただろうか?
いくら振り返ってもレーメ自身が燃やし尽くしてしまったため、魔物の姿はもう見つかるはずもない。
それでも彼女は振り向かずにはいられなかった。
その瞬間、彼らを包み込む沈黙を紛らわすかのように、強い風が彼らに纏わり着く。それもすぐにどこかへ流れ去ってしまった。
もう随分と離れていて見る事の叶わなくなった灰の粒が、風によって思い思いの場所へと空を舞っていた様に少女には見えた。
彼女の視線は自然と、その灰の粒子を追って空へと向けられる。
灰と化した事によって、魔物は『暁』に囚われていた苦しみから救われたのだろうか?
だからこそ、灰は風に乗って空を思いっきり泳ぎ廻る事によって、喜びを表しているのだろうか?
自分はこれからも、苦しんでいた魔物と同じように、『暁』によって長い間、心を苦しめていかなければならないのだろうか?
――そんなことは、ない。
少女はそれを声に出さずに口を開いた。
ティオと旅をして来たレーメは、これまでに無い程、未来への希望を夢見るようになっていた。
もしあの魔物が、苦しみから解き離れたとしたならば、自分もいつかはそうなるのではないか。
巡った街はまだ半分だけ。
まだ辿り着いていない地に、もしかしたら何か決定的な解決策が隠されているのではないだろうか。
ならば、少女はまだ諦められない。諦めてしまったら、彼女は変わることは出来ないからだ。
「まだ、判らない」
レーメは今度こそ、決意の言葉を声に乗せた。
灰のあった場所からティオへと視線を動かし、少女は彼を強い眼差しで見つめる。
思わぬ強気な発言に、残りの三人は驚き瞬きをしながら彼女へと視線を向けた。
「まだ、どうなるか判らない」
三人に見つめられたレーメは再びそう言った。
「まだ、半分しか街を見てない。だから、他に何か知らない事があるかもしれない」
決意を抱いた少女の瞳は、今までのように戸惑いを宿したものではなかった。
しっかりと旅の相棒たちを見据える様子には迷いがなく、意思の強さを秘めていた。
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