第25話 チャンドラーの微笑み

パシッ。


ガネーシャが見詰める盤面に勢いよく駒が指された。彼の矢倉囲いは横合いから攻められて、もはや形をとどめていない。



次の一手を差しあぐねたガネーシャは長い鼻で歩をつまむと一歩進めた。



「フフッ、鼻を使って意表を突こうとしても無駄ですよ。」



チャンドラーは端正な顔に笑みを浮かべる。



「ち、違う。意表を突こうとしたのではなく、お茶目なまねをして受けを狙っただけだ。」



ガネーシャはどうでも良いようなことを言い張った。




その間にチャンドラーは持ち駒から金を取ると、ガネーシャの王将の横に打った。



「王手。」



ガネーシャは盤面を見ると慌てていった。



「ちょっ、ちょっと待った。」



「待ったは無しの約束です。」



チャンドラーが冷たく言い放つと、ガネーシャはうなだれて言った。



「負けました。」



これで三連敗だ。ガネーシャは暇つぶしに手作りした将棋盤と駒を使って遊んでいたのだが、いつの間にか相手役のチャンドラーが上達して勝てなくなっていたのだ。



「今日はこれぐらいにしよう。久しぶりに地上に出てみないか。君もたまには日に当たらないといけない。」



チャンドラーはうなずくとパンパンと手を打ちながら言った。



「トンキー。ワンリー。エレベーターを動かしてちょうだい。」



別室から、トンキーがうなり声で返事をするのが聞こえた。ガネーシャの居室は城の地下、ダンジョンの最深部にあるが。探検に来た冒険者が入り込めない箇所に城の最上階に直結するエレベーターが設けられていた。



エレベーターの動力源は、ガネーシャの腹心の象の魔物達だ。



ガネーシャとチャンドラーがエレベーターのケージに乗り、合図を送ると2頭の象の魔物は勢いよく弾み車を廻し始める。



エレベーターはするすると登り始め、程なく城の最上階に着いていた。



ガネーシャとチャンドラーはエレベーターホールに降り立つと、さらにはしごを登って城の屋上に出た。



エレファントキングの城はもともと土地で栄えていた民の王族が住む城だった。



二百年ほど前にハインイリッヒ王の祖先が東方から侵入してきて、激しい戦いの末、土着の民族は滅ぼされた。



それ以来、城は長い年月の間荒れ放題となっていた。ガネーシャ達が城に居座って、地下にダンジョンを作ったのはつい最近の話だ。



城から見渡した景色は昨夜のうちに一変していた。


夜の間に雪が降ったのだ。



城の周りの平原は白一色に埋め尽くされ、遠くに広がる森も雪化粧していた。



「ガネーシャ様、雪ですよ、雪。触っても大丈夫かしら。」



「もちろん大丈夫だ。この気温ならせいぜい霜焼けになるくらいだ。」



南国生まれのチャンドラーは初めて雪を見たようだ。おそるおそる指先で雪に触れる彼女を見ているとガネーシャの茶目っ気が首をもたげてきた。



その辺の雪をかき集めて雪球を作るとチャンドラーを呼ぶ。振り返った彼女の顔にガネーシャの投げた雪球が見事にヒットした。



最初は何が起きたか理解できなかったチャンドラーは、事態を把握すると自分も雪球を作り始めた。



「ガネーシャ様ひどいです。」



チャンドラーは特大の雪球をガネーシャに投げ返す。



彼女とガネーシャの雪合戦はしばらく続いた。



雪合戦の次のお約束は雪だるまだ。二人は雪球を転がして特大の雪だるまを作った。その辺にあった木ぎれで顔を作ろうとしているチャンドラーを身ながらガネーシャは思った。



三次元の大人の女なのに何故自分は普通に接することが出来るのだろう?。もし自分が象顔の魔物で無ければ手を出せそうな気がする。



漆黒の髪の毛に雪のかけらをくっつけたままで雪だるまの顔を作ろうとしているチャンドラーは美しかった。



ガネーシャは無言で佇んでいた。自分で理由を付けては、新しい事に手を出すのを逡巡するのがガネーシャの性分だ。



雪だるまを仕上げたチャンドラーは城の屋上バルコニーから雪に覆われた世界を見て歓声を上げている。



ガネーシャはバルコニーの端に立つチャンドラーに言った。



「もうすぐヒマリア正規軍がここに攻めてくるはずだ。君が望むなら自由の身にしてやろう。部下の魔物に南方まで護送させてもいいよ。」



チャンドラーは雪景色を見詰めたまま動かなくなった。長い時間が経った後に彼女はゆっくりと振り返った。



「何故あなたはそのようなことを言うのです。私のことをお嫌いなのですか。」



「いや、そんなつもりではないのだ。」



「私が生まれた国は隣国に滅ぼされました。町並みは焼かれ、男達は殺され、女や子供は奴隷として売られたのです。私には帰る所など何処にもありません。私は助けてくれたあなたに使えるのが神の御心に添うと思っていたのです。」



チャンドラーの頬には涙が流れていた。ガネーシャは慌てて言った。



「私と一緒にいたいのならいつまでも一緒にいてくれればいい。気に沿わないのにここの穴蔵にいるのならば解放してやろうと思っただけだ。」



ガネーシャの言葉を聞いて、チャンドラーは明るさを取り戻した。



「本当ですね。」



ガネーシャはうなずいた。



魔族が人の街を襲撃しても全てを滅ぼすような真似はしない。かつて繁栄したであろうこの城の主やその民は跡形もなく消え失せ、廃墟が残っているのみだ。



恐ろしいのは人と人の争いかも知れないとガネーシャは思った。



気を取り直して、景色を眺めようとしたチャンドラーは、雪原の彼方に動く者が居ることに気がついた。



それは隊列を組んで行軍してくる人の軍勢だった。遠目にも見える長い隊列はその軍勢の多さを物語っていた。



「ガネーシャ様、こちらに向けて攻め寄せてくる者が居ます。」



「ハインリッヒ王の軍勢だな。懸賞金目当ての冒険者ではらちがあかないと思って正規軍を繰り出してきたのだろう。」



ガネーシャは自分が仕掛けた罠に敵の本体が食いついたことを知ってにやりと笑った。



「チャンドラー地下に降りよう。奴らとの戦いに備えなければ。」



エレベーターホールへのはしごに向かうガネーシャにチャンドラーが寄り添う。



城の周辺には再び雪が降り始めていた。

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