死と誓い 前



 幼い頃の、夢を見ていた。


 あれから成長して更に可愛いらしくなった彼女が、微睡まどろみのなか囁きかける。


『今すぐ、抱き締めて』


 そう言った彼女は怯えていて、期待しているようだった。

 今すぐ、会いたい。今すぐ、抱きしめたい。そして、安心させたい。

 衝動にかられ駆け出そうとするが、体が鉛のように重かった。


「しおり……さん。栞さん!」


 パチっと視界が明瞭になると、今見ていた景色から現実に移り変わり、僕の体はベッドにあって、機械に囲まれていた。

 正確なテンポを刻む心電図の音、腕に繋がる点滴。

 逐一更新されるモニターの生体情報に異常は見られない。


「Waking up assistant. ID KAMUI」

『お呼びでしょうか。奏様』

「ああ神威カムイ、今日の日付と時刻を教えてくれ。あと、僕の手術はどうなった?」

『今日は2055年4月20日。只今の時刻16時26分です。奏様の手術は急遽左肺のBAE(選択的気管支動脈塞栓術)を挟みましたが、その四日後に予定通り肺癌摘出手術は行われ、右肺は問題無く人口肺と取り換えられました。術後は合併症も無く極めて良好に有ります。医師の診断によれば、完治したとのことです』


 眠りについてから、一週間が経っているようだ。

 そうか、ようやく僕は、自由を手に入れたのか。


 生まれながらに僕はがんに侵されていた。現代に至っても癌と人類の闘いは続いている。

 しかし、最近になって癌は治せる病になった。アネモネラウイルスの研究によって副次的に得られた医療技術の成果である。

 が、アネモネラウイルス事態の進展は殆ど無い。


 究極の地球外生命体は人類を滅亡の危機に晒しつつも、人類の急速な発展に寄与しているという盛大な皮肉。

 地球の今後はこのウイルス一つに握られている。あとはアネモネラさえ消えてしまえば、世界に平和が訪れるに違いないと何度考えたことか。

 もうお前は、地球にとって必要無いんだ。

 お前は、僕が消し去ってやる──。


「栞さんの様態が気になる。神威、アクセス権限を君に与える。chord 5555を使用してくれ。一週間分のカルテ開示を頼む。あ、あと看護記録もよろしく」

『了解しました。カルテ情報にアクセス──ダウンロードを実行します。……クラウドに保存しました。スクリーンに表示します』


 僕専用のAI、KAMUIは一般に流布るふしているものとは違い、僕の父さんが初めて作った原点の人口知能だ。

 巷に流れているAIはこのKAMUIをベースとして一般的に使えるようにしたものである。


 父さんの名前は遠坂とおさか総司そうじ、世界的権威で数々の肩書を背負っている。

 AIの父にして、この高度医療機構総合病院の理事長を兼任し、アネモネラウイルス撲滅の為に設置されたWJC(世界共同研究センター)の一人だ。

 その父の息子である僕は親の七光りという立場を十分に活用し、本来覗くことの出来ない病院の個人情報にアクセスする事ができる。

 勿論、誰にも知られてはいけない秘密だ。やっている事は犯罪なのだから。


 幼い頃に無邪気な子供を装って理事長室で遊んでいた僕は父さんの資料を読みあさり、誕生日プレゼントとして貰ったKAMUIに極秘資料を大量に記憶させた。

 だから、栞さんの生体情報にもアクセスできるという訳だ。


「ありがとう神威。一頁目から流してくれ」

『了解しました』


 そうして壁に備え付けられたスクリーンに栞さんのカルテと看護記録が流れる。

 嬉しいことに、看護記録によると栞さんは僕を心配して見舞いに来てくれていたようだ。


 嬉しい。なんて可愛いんだろう。今すぐ会いたい! 好きだ、本当に僕は栞さんのことが好きだ。会いたい……。

 そんな幸福を感じていたのに……、僕は絶望に突き落とされる────。


「え……4月17日、盲目と判定……。4月19日、脳死判定─────────‥‥‥‥」


 脳死、それは人として生きていない状態。

 生きているけど、死んでいる。

 死──。


「嘘だッ!」


 思考が停止し、何も考えられない。

 だけど、体は勝手に動いて、走り出していた。

 後ろに聞こえる僕を失った機械たちのブザー音を置き去りにして、彼女の部屋へひた走る。

 ナースステーションを横切る時、「遠坂くん!?」と叫び声が聞こえた気がしても、無視をした。今は、構っている余裕がなかった。

 あまりにも勢いをつけすぎて止まることが出来ず、ドンっと病室のドアにぶつかってしまう。


「はぁっ、はぁっ。栞、さん……」


 音もなく横にスライドされるドアの先には────無機質な空間が広がっていた。

 まるで過去が無かったかのように無駄なものが一切なく、ベッドは整理され新品同然に保たれている。


「嘘だ、……嘘だッ!」


 部屋の入り口に戻り名札を見れば、空白しかなかった。

 

「嘘だぁああ! ぁあぁあぁあああああッ!」

「どうしたの遠坂くんッ!?」


 パニックに陥った僕の手を強く握り、揺さぶるのは担当の看護師。異常を目にして駆けつけてくれたのだろう。


「か、香織、さん…………! しお……り……さんが! 栞さんがぁ!」


 栞さんの名前を出すと、看護師さんは苦い表情をする。

 この時の僕は絶望していた。

 脳死判定を受けたあと、もう既に栞さんはこの世に居ないんじゃないかと思ったから。


「こっち、きて……」


 ぎゅうと握られた手首が痛い。

 僕はなされるまま看護師さんに引っ張られ、連れて行かれる。

 いったい、どこに……。


「ここは……」

「ICU、集中治療室よ」

「え……」

「ここに居るの、彼女は。特別なんだからね。いってらっしゃい」

「…………あ、ありがとう御座います……」


 ここに、居るのか……。良かった、また、会えるんだ……。

 そう思うと、涙が溢れていた。


 そっとドアに手を触れると、ゆっくりと中の景色が広がっていく。

 中は透明な壁に仕切られ、個室のように部屋が何個かあるみたいだった。


「一番奥よ」


 機械に包まれるように人が横たわっているのが分かる。

 それを横目に五回程通り越すと、突き当りになった。

 ここが、栞さんの部屋……。


 部屋といっても壁は透明で、もう既に栞さんを包む機械は見えていた。

 それと、横にいる女性も……。


「あら、貴方は……」


 椅子に座っていた女性は立ち上がり、軽くお辞儀をする。

 後ろにいた気配が消えたかと思うと、ここまで案内してくれた看護師さんが去っていくところだった。


「貴方が、奏くん……ですか?」


 僕の知らない僕を知っている女性。

 この人が、栞さんの……お母さん……。


「は、はい」


 知らず知らず上ずる声。緊張していた。


「どうぞ、お掛けになって。娘から沢山お話を聞かせてもらったの。好きな人が出来たってそれはもう、……幸せそうで…………」


 娘の幸せな姿を思い出したのだろうか、あとに続く言葉を口にしようとして、抑えた嗚咽が漏れ出す。


「本当に、ほんとうに……幸せそうで…………娘は、しおりは、人生で一番輝いていました。栞の幸せは……わたしの幸せでもありました。最後に貴方と出逢えて、しおりは……栞はッ! 幸せだったとッ……思います…………」

「…………………………………………」


 何も言葉が出せない。ただ、抑えが効かずに頬を伝う涙が、互いに言葉以上の意味を持って伝わっている気がした。

 栞さんのお母さんが落ち着くにはそれなりの時間が掛かった。だからこそどれだけ愛していたかも伝わってきて、僕は自分だけがどん底に落とされた気分になっていたのを物凄く恥じた。


「聞いていた通り優しい人ね。そうだ、私がいたら邪魔になるわ。外に出てるから、娘の顔を見ていってちょうだい」


 嬉しそうだった。

 なんでも、娘を笑顔にしてくれた僕にとても感謝しているらしい。

 そんな……僕はただ、彼女に惚れただけだ。

 わざと廊下ですれ違ってみたりするような気持ちの悪いやつなんだ。父さんに無理を言って彼女をここに転院させたのも、彼女が望んでいない被検体としての新薬投与も僕が勝手に手配し、振り回した。

 こんなの、知られてしまったら嫌われるに……違いない。


 感謝しているのは僕のほう。癌と闘う日々で生きる気力を貰った。

 日々は彼女と過ごすためにあった。

 彼女が、栞さんが居なければ灰色の人生が色づく事はなかった。

 恋を知ることも、無かったんだ。


「栞さん…………」


 一歩、また一歩近づく。

 次第に顕になる風貌。そこには美しいまま眠る、僕の好きな人がちゃんと存在していた。

 もう、会話をすることも出来ない。だけど、この胸を鳴らす鼓動は収まるどころか、どんどん高鳴っていく。

 そっと、華奢な手を握る。

 強く握れば壊れてしまいそうな手。でも、熱は確かにあった。

 僕は死なんて認めない。僕は、貴女を死なせない。


「栞さん、まっててね。僕が必ず──生き返してみせる」


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