番外編「飲んで呑まれて」2

 レモーラまではお屋敷の一行と、奥様のお爺さんだという伝説級の(!)冒険者『鬼神のヴァルム』も一緒だった。

 『鬼神』と『天災』のコンビを間近に見て、浮かれずにいられる方法があるのなら教えてほしい。

 彼の連れていたのが、火山に棲むヌシだと教えられても、それ以上驚く余裕も無かった。ユエちゃんの周りは何でもアリだ。


 ◇ ◆ ◇


 久しぶりに足を踏み入れたルーメン主教のいないレモーラの教会は、月の無い夜みたいだった。

 掃除などは、雇いの者が変わらずしてくれているようで綺麗なものだったけど、礼拝堂はシンと静まり返っていて物寂しい。すぐ隣のアトリウムで、観光客が歓声を上げたりしているんだけどね。


 男神像の前で跪いて、胸に手を当てて祈りを捧げる。

 ルーメン主教が無事に戻りますようにと、僕にしては真剣に祈った。

 帰ってきたら、思い切ってお酒にでも誘ってみようかとも思い始めていた。


 アトリウムで代書の呼び込みに戻ると、何だか久しぶり過ぎて違和感がある。

 僕も随分毒されているようだ。

 数日過ぎると、代理の神官がやってきた。優しそうなベテランのお爺さんで、再開された礼拝は、なんだかアットホームな気配。

 僕は礼拝には参加せずに、アトリウムで仕事を取ってるから、礼拝の様子は扉越しにしか分からないんだけどね。


 ある日の朝一の礼拝が始まってから、若い女性が2人、アトリウムに入ってきた。

 ひとりは見覚えがある。洋裁店の見習いのヴィヴィちゃんだ。ユエちゃんと仲良くしてるので、顔は覚えていた。ここでも何度か見掛けているけど、そういえば話したことはないな、なんて考えてたら、礼拝堂の方を気にしながら彼女がこちらにやってきた。


「あの。ジョット、さん?」

「はい。代書の御用ですか?」


 営業用の笑顔で返事をすると、彼女は申し訳なさそうに首を振った。


「ああ、いえ、ごめんなさい。礼拝、やってるんですか? 主教様は帰られたのかな、と」

「ルーメン主教はもうしばらく戻れないみたいですね。代理の神官が来て、やってるみたいですよ」

「……代理の……」


 戸惑う少女たちに、声を潜めて付け足してあげる。彼女達みたいなのは、ルーメン主教自体が目当てのことが多いから。


「お爺ちゃん神官ですよ。残念ですね。恋文の代書も、しばらくはなさそうです」


 ちょっときょとんとしてから、彼女達は笑い合った。

 今日はもう途中だからと、彼女達は踵を返した。明日からも来るかどうかは怪しい。

 2、3歩行きかけて、ヴィヴィちゃんが振り返った。


「あの、ユエが帰ってきたか知ってますか?」

「ああ、みんな一緒に帰ってきたよ。もう仕事に出てるんじゃないかな」

「……ジョットさんは、毎日ここで?」

「僕? 朝は大体。昼からは酒場に行ったり、主教に頼まれれば他の仕事したりだけど」

「そうなんですね……じゃあ、あの、頑張って下さい」

「うん。ありがとう。今度は何か代書させて下さいな」


 彼女は笑顔を残して去っていく。若い子に「頑張って」と言われて、単純な僕は気分よく呼び込みを再開した。




 それから時々、ヴィヴィちゃんと話すようになった。

 と言っても、週に1度あるかないか、礼拝に来た帰りに世間話をするくらい。まだルーメン主教は戻って来てないから、時々来るのは確認なのかな、なんて微笑ましく思ってた。


 共通の話題はユエちゃんのことか、帝都の服飾の話。あんまり詳しくはないけど、なんとか伝わってるのはヴィヴィちゃんが聞き上手だからだ。


「ジョットさんはいつもシンプルですよね」

「あー。お洒落にかけるお金は無かったからさ。清潔感は心がけてるつもりなんだけど……あっちではパーティにも出たから、それなりの一張羅は持ってるよ。こっちではタンスの肥やしだけどね。何度も着ないから、それも流行を追わない昔からのやつだけど」

「パーティ? なんか、想像つきませんね」

「だよね」


 ひと笑いした後、ヴィヴィちゃんは顎に手を当てて、ちょっと考えるようにして控えめに言った。


「秋にお祭りがあるでしょう? よかったら、うちで何か新調しません?」


 まだ暑くなってきたところだけど、新しく仕立てるなら早いうちに頼んだ方がいい。

 

「お洒落して、参加しろって? 一緒に行く相手もいないの見透かされてる? それとも、ついでに夏物も買えってことかなぁ。商売上手なんだから」


 腕を組んで、ちょっと拗ねて見せると、ふふ、と笑われた。


「ロレットさんに、そろそろ顧客取る練習しろって言われて……ごめんなさい。無理にとは言いませんから」

「まぁね。今ちょっと懐は温かいから、買えなくもないんだけど……」


 うーん、と真面目に考える。彼女の働く店は、僕にはちょっと高級だ。

 ユエちゃんは試作品とかも着て宣伝も兼ねてるので、少し安く買えるらしいのだが。


「コートは欲しいと思ってたんだよね……一度見に行こうかな」

「本当に? いつにします? 私、迎えにきますよ」


 にこにこと、ほんわりした笑顔だけど、計算高い商売人が見える気がした。まだ成人して数年だと思うんだけど。


「いやいや。店、そこでしょ? ねぇ、絶対逃がさないって見えるんだけど。僕、ユエちゃんみたいにスポンサーいないからね? フルオーダーなんて買えないよ?」

「ふふ。勉強させてもらいますから。平日の午後がいいです? それとも、休息日?」


 タジタジしながら約束を交わして、苦笑した。帝都で稼いだ分、全部持ってかれそうだ。




 見立ててもらったコートが出来る頃、ルーメン主教は戻ってきた。

 日中はまだ暑いものの、朝晩は清々しい風が吹くようになっている。

 ヴィヴィちゃんは週1だった顔出しを週2に増やして、礼拝が終わる頃やってきては、ちょっとお喋りをして、礼拝後に僕に個人的に仕事を頼みに来る主教を間近で堪能していた。

 女の子の好きなことに対する感度って、凄いものがあるなって感心する。


 帰って来ても色々忙しそうな主教が落ち着いてきた頃、夕方に急遽頼まれた代書を手掛けながら、何気なさを装って酒に誘ってみた。

 本当は、結構緊張してる。


「ルーメン主教、あの……よかったら、たまには……飲みませんか?」


 手でコップを傾ける仕種をしたら、少し驚いた顔をして、それからとても柔らかく微笑んだ。

 主教はいつも薄く微笑んでいるけれど、それは僕の営業用の顔とそう違わない。けれど、今のは多分、そういうのとは違う、ような気がする。それが、とても綺麗で、彼を天の御使いだと表現する人がいることにとても納得した。


「……いいですよ。酒場に行きますか? 私の部屋の開いたもので良ければ、ここでも出せるのですが」

「私物を頂くのは気が引けるので、面倒でなければ酒場に行きましょう」

「わかりました。ルベルゴの酒場で大丈夫でしょうか……」


 騒ぎを起こした身としては、少し気が引けるのかもしれない。


「大丈夫ですよ。あのくらい、冒険者同士なら意外とあるものだし、あそこの親父さんはわかる人ですから。上客を逃さないですよ」


 ウィンクしてやると、ルーメン主教は「そういうものですか?」と小さく笑った。

 それからシスターに食事がいらない旨を告げてくるからと、執務室を出て行った。


 快く受けてくれたことに、ほっと息をつく。

 あんな顔を向けられると思っていなかったから、少しドキドキしていた。男でも彼を『誘う』というのが、少し解るような――い、いやいや。解るな。解っちゃダメだ。見かけはどうでも、口と性格の悪さは本物!

 冷静さを取り繕うように、僕は目の前の仕事に集中した。


 どうにか5刻の鐘までに最後の1枚を仕上げて、まだインクの乾かないそれを持って執務室を出る。

 何かの写しだったのだが、仕事用の物か彼の個人的な物か判らなかったから、確認しようと思ってのことだった。


 礼拝堂に続くドアを開けると、シャン、と鈴のような音が響いた。

 誰もいない礼拝堂に黄色く色付いてきた陽が差し込む中、祭壇の前で小さな錫杖を持ったルーメン主教が聖句を紡ぎ始める。


 謡うような言の葉に、流れるような所作。

 金属の輪が立てる、重さを感じさせない澄んだ音色。

 青銀の髪がふわりと揺れて、光を散らす。

 

 主教の周りから、空気までもが洗われていく気がした。


 僕は息も殺すようにして、その場で動けないでいた。

 中央の降臨祭もまともに出席したことはなく、大聖堂で行われる礼拝は人の波に揉まれているだけ。産まれた街の主教も、聖句を唱えるだけの形式的で簡素な礼拝しかしておらず、錫杖の音など初めて聞いたかもしれない。


 朗々と響く声が辺りに染み渡り、溶けて、濃度を上げていく。ルーメン主教が深く深く礼をとると、今度は痛いくらいの静寂が降りてきた。

 まさに、神に捧げる祈り。


 衝撃だった。

 中央が……いや、総主教が、彼を戻したがるのがよく理解できた。

 他の大主教幹部はさぞ嫌だろう。比べられるのだ。『神の愛し子』と。


「お待たせしましたか? すみません。今日は簡易に済ませたのですが……」


 ふっと空気が軽くなって、気付くとルーメン主教が祭壇から下りてきていた。


「え? か、簡易? 今ので?」

「ええ。……?」


 礼拝には数えられるほどしか出たことが無い。でも、確証を持って言える。見る者もいないこの空間で行われたそれを簡易と言ってしまったら、他のものは立つ瀬がない。

 不思議そうにしばらく首を傾げていた主教は、あぁ、と苦笑を浮かべた。


「私は他の教会の方みたいに応用が利かないのです。結局、やり慣れているようにやる方が楽なので」


 ――お高く留まりやがって。下々には合わせられないってか!


 どこかで耳にした声が甦る。


「ほ、他の教会での礼拝はどう思ってます? 出られたこと、ありますか?」


 彼に並んで聞いてみる。


「とても合理的ですよね。心がこもっていればいいのではないですか? 一緒にやろうとすると、どうしても習慣の方が出てしまうので、最後の方はおとなしくしていましたね」

「……最後の方?」

「ここに来る前は、中央の教会をあちこち転々とさせてもらってましたよ。ご迷惑だったようで、どこも長続きしなかったのです」


 迷惑というか……あれを見せられたら、信者は教会ではなく彼につくよね。

 本人が、あれは普通だと思ってるし、他者の信仰の深さや心持ちには興味がない……

 そうなのだ。興味が無いのだ。だから、軽んじられたと思う者が出てくる。


 絡繰りがようやく見えてきて、フォルティス大主教の苦労が解るような気がした。僕やユエちゃんに、彼を頼むと頭を下げる気持ちも。

 アトリウムへと出たところで、ルーメン主教の視線が僕の手元へと落ちた。


「ところで……それは?」

「あっ。そうでした。教団の書類なのか、個人の物なのか判らなかったんで、確認しようと……」


 差し出された手に書類を渡そうとしたところで、それが突然吹き込んできた風にあおられて、舞い上がった。


「わ。え。ちょっと!」


 ひらひらと踊るような紙切れを追いかける。噴水は止まっているけれど、水時計は動き続けている。池には水が循環していた。

 何度か指先で逃げられて、池の縁石にまで登って飛びつく。


「ジョットさん!」


 そのまま、みごとに池に落ちた。

 手の中の書類だけは高く掲げて死守したけれども!

 慌てて飛沫がかかってないか確認する。……何とか、大丈夫。字は滲んでない。

 池が深くなくて助かった。水の中で座り込んだ姿勢のまま、長く長く息を吐いた。


「大丈夫ですか? 外へのドアが少し開いてるみたいですね……小石でも引っかかってるのかもしれません」


 差し出された手に書類を預ける。


「いやぁ。濡れなくて良かった」


 ルーメン主教は少し困惑した顔をして、書類を反対の手に持つと、もう一度手を差し出した。


「ずぶ濡れではありませんか。この程度、後で自分でやり直しましたのに。風邪をひかれると困ります。着替えをお貸ししますので」

「あは。ありがとうございます」


 素直に厚意に甘えることにして、彼の後についていった。




 渡されたのはタオルと、神官が普段着ている黒い服一式だった。立った襟が慣れなくて、窮屈な感じがする。

 上着が少し長いな、と思っていたら、様子を見に来た主教が腰帯で調節してくれた。当たり前なんだろうけど、慣れた様子が意外だった。彼が誰かに着つけられているのは、いくらでも想像できるんだけどね。

 ふふ、と含み笑いがする。


「女性の衣装も出来ますよ。ああ。誤解なきよう。ベッドの後に慣らした訳ではありませんからね。総主教のお手伝いをしていましたから。彼女はなんでも私にやらせたので」

「それ、僕、なんて返せばいいんですか」


 ふふ、ともう一度笑って、身体を反転させられ、肩越しに姿見を確認された。


「お似合いですよ」


 言いながら、半端に濡れた髪に手が伸びる。


「……少し、目を瞑っていて下さい。いいと言うまで開けないで下さいね」


 不思議に思ったけど、頷いて従った。

 少しすると、暖かい風が吹いてきた。ルーメン主教の指が髪の間を梳いていく。

 帝都で見た、髪を乾かす道具かなと思ったけど、目を瞑らせる意味が解らない。何か普通でないことをやっていると考えた方がいいのかもしれない。


 ルーメン主教はきっと魔法が使える。詠唱は聞いたことが無いけど、そうとしか思えない現象は目にしたことがある。ユエちゃんは考えるだけ無駄って言って、あっさり受け入れていたっけ。

 だから、僕も考えるのをやめる。


 短い髪は程無く乾いたけど、ルーメン主教は何やら僕の前髪を横分けにしていた。ほんの、短い間。すぐにぐしゃぐしゃとかき混ぜて、いつものように無造作に整えてくれる。


「いいですよ」


 目を開けると、いつもより寂しげな微笑みが迎えてくれた。

 

「ルーメン主教に髪を整えてもらうなんて、なんか、凄く贅沢ですね」

「そうですか? ふふ。今の格好をお母様に見せられたら、喜ぶでしょうかね」

「母に? あー! ダメです。そのまま神官に転職しなさいって言われます。僕、代書屋辞める気はないですから!」

「それは困りますね。書類作りを手伝ってもらえる手が減ってしまいます」


 くすくすと笑っているけれど、その瞳は落ち着かないように少し遠くを見ていた。

 結局、酒場に行くのは諦めて、その代わり「泊まっておいきなさい」と着替えをした部屋を軽く整えて、彼のお酒を持ってきてくれた。

 案の定、安い酒ではなく、年代物の香りのよい蒸留酒だった。

 拝むようにしていただく。今日ばかりは酔えそうにない。


 とりとめのない話をしていたけど、アルコールが回ってきてもやっぱり酔えなかった。ルーメン主教の隣の部屋で眠るということに、妙な緊張を感じているのを悟られたのか、主教は部屋に戻る前に冗談めかして「子守唄を歌いましょうか」と僕の前に膝をついた。

 小声でも耳当たりのいい声の歌い出しに、懐かしさがこみ上げてくる。


「あ、それ、母が良く歌ってました」


 重ねて一緒に歌いだすくらいには、やっぱり酔ってたのかもしれない。

 主教は一瞬歌を途切れさせたけれど、続いた歌に合わせてまた歌ってくれた。

 どこまでまともに歌ってたのか、気が付くと意識は落ちる寸前で、僕は頭を主教の肩に預けていた。


「…………フェエル……」


 ルーメン主教の囁いた名前を知っているような気がして、でも、眠気に抗えずに僕は夢の世界へと旅立ったのだった。

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