結末

 


 長かったような、一瞬だったような。

 倒れている男達の数が増えていた。

 立っているのは、私と、ユオ・クルッツだけ。


「……ステラ」


 奴が硬い声で、私を呼ぶ。

 このまま私が黙り続けたとして、「それとも、エステルと呼ぼうか?」なんて、皮肉げに言われたら堪らないので、すぐに返事をする。


「何だよ」


「……」


 呼んでおいて、奴は喋らない。痺れを切らした私は、踵を返して歩き出した。


「システムは停止してある。今のうちに逃げるぞ」


「……ああ」


 大分離れて、後ろを奴がついてくる。この距離が、そのまま心の距離なような気がした。



 建物を出た。本当はすぐに解散したかったのだが、奴は数日監禁されていたのだろうから、一人で帰すのも心配である。

 でもやっぱり気不味い。

 奴は男だ、大丈夫だ、と言い聞かせて、「解散しよう」と言おうとしたら、後ろから抱きしめられた。


 !?


「ステラ。ステラステラステラステラステラステラステラ、ステラ……」


 気味が悪い! 連呼するな!


「助けに来てくれて、嬉しかった。ありがとう……」


 奴の色気のある声が耳元に届く。


 あれ、いつもと変わらない……というか、むしろいつも以上だ。

 声からして喜んでいる。浮かれていると言ってもいい。

 意味が分からない……実はばれていないのか? そうかな?

 だって、エステルだと分かっていたら、こんなに甘い声出さないもんな。さっきの写真も、決定的な物じゃなかったのかも。

 うん、そうだ、そうに違いない。何だ、良かった…………



 安心したら、力が抜けた。

 奴にもたれ掛かかってしまう。


「ステラ!」


 奴が抱きしめる腕に力を入れ、支えてくれる。心配そうに、顔を覗き込まれた。奴の端正な顔が、近くにある。

 奴の方が疲れているだろうに、腕は危なげ無く固定されている。


 ああ……なんか、無性に。


 私は奴の顎に、指先を沿わせた。奴は目を見開いて、私を見ている。

 違う。私が見たいのは……。


 指はそのままで、私は顔を近付ける。布越しに、口づけた。

 いつもは奴によって布は取り払われているが、今日は、私の好きにする。


 顔を離すと、奴は一瞬、呆然としていた。しかしすぐに、甘い笑みに変わる。心底愛しいと言うように、私を見た。


 この顔だ。これが見たかったんだ。


「ステラ、準備は整ったか?」


 準備……一緒に住みたいって話か。

 嬉しそうに聞いてくるが、現実問題、準備は進めていない。

 あれこれと理由をつけて誤魔化してきたが、さすがにネタ切れだ。どうするかな……。


「もう、待ちきれないんだ。明日迎えに行ってもいいか?」


 迎えに、と言っているが、正確には私が奴の所に向かうのだろう。店もあるから、一緒に住むのは無理なんだが。


「無理だ」


「待てない」


「いつになくしつこいな」


「ステラに嫌われてはいないみたいだからな。助けに来てくれた上、キスまで貰えて、愛が振り切れた」


「無理なものは無理だ」


「じゃあ、明日会った時に、答えを出してくれ。いつになったら一緒になってくれるのか」


 一緒になる、って、まるで結婚みたいな言い方だな。一緒に住むってだけの話だが。明日会った時か……夜、奴の所に行くまでに、何とか方法を考えないと。

 どうしよう、ろくな方法が浮かばない。


 切羽詰まっているのに、不思議とあまり焦っていなかった。

 奴は無事だし。

 まあ、明日会った時考えればいいか。日中いい考えが浮かべば、それでもいいし。


「……分かった」


 明日の自分に丸投げして、私は了承した。








 開店時間、間近。

 私は欠伸を噛み殺していた。

 昨日はすぐ帰らずに、奴の部屋に寄っていたから、結局戻ってから寝る時間を取れなかったのだ。非常に眠い。寝てないと言っても、別に色っぽい理由からではない。相変わらす奴はキス以上はしない。男だと思って腰が引けているのだろうか。女慣れはしていても、男慣れはしていないだろうからな……真実は分からないが。


 考え事をしている内に、開店時間だ。今日はお祖父様も朝から張り切っている。朝起きた時、ちゃんと私がいることを確認して、目に見えて安心していた。心配をかけて、本当に申し訳ない。


 お祖父様の顔を見ていて、とんでもないことを思い出した。

 そうだ、盗聴機械とかは洗いざらい撤去したけど(本当にあった)、お祖父様は、奴から恋人の話を聞いて、知っていたのだ。まず間違いなく、私がその恋人だと気付いている。盗聴野郎でさえ分かったのだから。お祖父様は何も言わないけど、本当はどう思っているのだろう。打ち明けたほうがいいかな……。

 でも、全部話すわけにはいかないし、奴が何処まで詳細に話しているか分からないから、嘘はつけないし……。


 私がまた悩み始めた時、店のベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 お祖父様と私が、同時に挨拶する。入って来た客を見て、悩みの種は多いな、と笑顔がひきつってしまった。


 三、四度目になる、ユオ・クルッツの来店だった。

 まだ何か用があるのか?

 奴はつかつかと靴を鳴らし、お祖父様の前に立った。無駄に威圧感がある。ユオ・クルッツは、にこりともせずに、淡々と言った。


「店主。貴殿の孫娘に求婚したい」


 お祖父様はぽかんとしている。私も、意味が分からない。

 突然何を言い出す?

 一瞬、え、浮気? とか思った自分の恋愛頭を殴り付けたい。

 奴は私の方へ体を向けた。私は思わず固まってしまう。


「エステル・アーカーシュ。君に結婚を申し込みたい。いつ受け入れてくれるだろうか」


 いつ?

 期限を突き付けてきた。

 いやでも、私には恋人がいまして、それは目の前にいて、じゃあいいじゃんって、そうじゃなくて。

 私の恋人は奴だけど、奴の恋人はステラだから、って、どういうことなんだ。思考が纏まらない。


「今日聞かせてくれる約束だ、ステラ」


 ステラという名前を呼んだ瞬間、奴の顔が甘く崩れた。

 私はその時、全てを悟った。


 ユオ・クルッツに、片手で手首を恭しく持ち上げられる。

 銀の腕輪をつけている方の腕だ。

 もう一方の手で、袖をまくられる。

 そこには、奴の恋人の証があった。

 私は奴の動作を、ただ眺めていて、どうしていいか分からないまま、顔が熱くなっていくのを、抑える方法ばかり考えていた。


 ユオ・クルッツが、腕輪を優しく撫でてくる。

 手が震えた。

 駄目だ、お祖父様も見ているのに。

 こんなんじゃ、まるで、まるで……。


「ステラ。それとも、エステルと呼ぼうか?」


 昨日想像したのと、同じ台詞。

 だけど、想像したのと、全く違う響き。

 皮肉げではなくて、甘やかすような、何でも叶えてくれそうな言い方。


 返事も出来ないで、頭の中で、ユオ・クルッツの言葉を繰り返す。

 なんて、甘美な音だろう。

 私は、余所行きの笑顔を張り付けることも、無表情でいることも難しかった。

 だって。


「君が好きなんだ。一緒に暮らそう。いっそ、今日からでも」


 止めのように、ユオ・クルッツの甘い声が浸透していく。


 だって、嬉しいんだ。


 体が言うこときかないくらい。

 勝手に顔が笑ってしまうのだ。


 プロポーズされて、喜ぶなんて。

 ……まるで、私が、奴を好きみたいじゃないか?


「お祖父様、私、頷いても良いですか?」


 ずっと一緒にいると、約束したばかりだ。

 お祖父様が駄目と言えば、行かない。

 お祖父様を悲しませてまで、行きたくない。


「……私が許可を出さないと思って、そんな悲しい顔をされたら、駄目だとは言えないよ」


 不安が顔に出ていたようだ。

 表情の制御がきかない。


「……幸せにしてもらいなさい、子供の顔を見せに帰っておいで」


 後から思えば、この時のお祖父様の対応はすんなりいきすぎていた。私が奴と恋人関係だと気付いた頃から、既に心構えはしていたのかもしれない。

 返事をする前に、私はユオ・クルッツに抱き上げられた。


「ステラ! 昔から、子供の頃から、君だけだ、愛してる。エステルの時の話し方も可愛い。どっちで呼ばれたい? 今はエステル?」


「か、可愛いって……好みじゃないって言ってただろ! 二回も!!」


「ああ……そうか、気にしていたのか? すまない、節穴だったんだ。今はこんなに可愛い。それと、やっぱり口調はそっちが素なのか?」


「はっ!!」


 しまった、つい地が出てしまった。まずい、お祖父様の顔を見られない。違うんです、違わないけど、お祖父様にはエステルが素なんです!

 あわあわしている私を見て、ユオ・クルッツは言う。

 今の私は、相当分かりやすいらしい。


「君は、お祖父さんが大好きなんだな」


 奴の口から、そんな優しい言葉が出るとは。


「ところで、何故男だと偽っていたんだ?」


 色気のある奴が、いっそ無邪気に聞いてくる。

 面倒な話題を選びやがって……。

 お祖父様がぎょっとしてこっち見ているだろうが!



 奴に抱き上げられている状態でも、今は開店中だ。

 当然、他の客もやってくる。


 ベルが鳴って、まずいと思ったときには遅かった。

 まず常連から始まり、今日に限って新規の客もたくさん入ってくる。ユオ・クルッツは営業妨害も甚だしく、店に居座り続け、来る客全てに私と結婚することを喋ってしまった。

 皆一様に、お祖父様みたいにぎょっとして、明らかに噂と違う奴の緩んだ顔を見て、これはマジだと、噂を持ち帰って行った。


 絶対明日の新聞に載る。


 ぐったりする私とは逆に、奴は今にも踊り出しそうな程機嫌がいい。


「エステル」


「何だ」


「エステル?」


「だから、何だ」


 小声で会話する。


「エステル……」


 奴が小動物のような愛らしさでしょげるので、意図に気付いていた私は、仕方がなく汲んでやる。


「ユオ」







 ユオ・クルッツは、ルックスは極上だが、性格は最悪な下衆野郎だ。

 恋人になるまでは、そう思っていた。

 祖父の店を潰されたくなければ身売りしろと言われ、私は奴の暗殺を決行する。

 だけど、夜に会った奴は、昼間とはまるで別人のようだった。


 最初は大嫌いだった。でも奴は、恋人にはとことん甘くて、私は、奴を嫌いでいることが難しくなっていく。


 逆に、嫌われるのが怖くなって、いつの間にか、好きになってしまった。


 私が暗殺を決行しようとした日。ユオを殺せなくて良かった。

 ユオがあのまま死んでいたら、私はユオに恋をすることも、それが叶う事もなかったのだから。


 私が組織を抜けた日。まだ子供だったユオを助けて良かった。

 あの時怪我を負わなければ、お祖父様と出会うこともなかった。それに、ユオが私に恋をしてくれることも、なかっただろうから。


 人生、何が起きるか分からない。




「ユオ、私も」


 例えば、結婚しても、素直に好きだって言えないとかな。


「私も……」


「いい、エステル。分かっているから」


 昔の癖が抜けない私の代わりに、ユオがたくさん言ってくれる。


「素直じゃないステラも好きだ」


 ユオは語りかけるように、膨らんだ私のお腹を撫でた。

 もうすぐ生まれてくる子供が、ひねくれ者に育ってしまいそうで、心配だ。私に似ない事を祈る。


 私も、まだ見ぬ我が子に語りかけた。

 生まれてきてくれたら、まずは、私の大好きなお祖父様に会いに行こう。


 あなたもきっと、大好きになるよ。




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アーカーシュ護符店の孫娘 三島 至 @misimaitaru

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