第40話

 翌日、早朝にチャリオットとの訓練を終わらせたヴィートはクライグ伯爵家へと向かった。


 「お久しぶりですヴィート様。本日はお忙しい中ありがとうございます。」

 「久しぶりエクレム。指輪の件で来たんだけど。試着が1週間って短くない?大丈夫?」

 「はい。当家の伝手で女神教より鑑定魔法使いを紹介していただきまして、その品質が保証されたのです。」

 「なるほど。今日オーレリアは?」

 「お嬢様は午後にはお戻りのはずです。それまでは当家でおくつろぎ下さい。」

 「ニコラスの具合はどうだい?前来た時には随分具合が悪そうだったけど。」

 「はい、その際の風邪が長引いてしまって。最近やっと体調が良いご様子で私ども一同安心しております。」

 「そっか。会えるかい?」

 「ええ、ヴィート様のご来訪を心待ちにしておいででしたから。是非お願いします。」


 エクレムに連れられてニコラスの部屋まで向かう。案内を終えたエクレムは静かに退室していった。


 「やっほ、ニコラス。調子はどうだい?」

 「あ、お久しぶりですヴィートさん。最近ようやく風邪が収まって、少し調子がいいです。」

 「大変だったな。もう少しの辛抱だぞ。治療の目途が立ったからな。体内の破れた魔力管を治して、余剰魔力を吸い取る指輪をつければ健康な人間と同じように生活できるはずだ。」

 「ありがとうございます。姉上からもそう言われました。」

 「……どうした?表情が暗いな。不安かい?」

 「いえ、不安はありません。前来てもらった時も身体が随分楽になりましたから。」

 「じゃあどうして?」

 「……僕の身体をいままでいろんな治癒士が診てくれました。でも誰も原因が分からなかった。そんな僕の身体をヴィートさんは治してくれる。でも僕にはヴィートさんに返せるものが何もないんです。」

 「気にするなニコラス。俺たちは友達だろう。おんぶにだっこは良くないけど、本当に辛いときは頼っていいんだ。」

 「でも……。」

 「それにお礼はクライグ家から出てるしな。金貨100枚しっかりいただいてるよ。」

 「サビーナから聞いたのです。探査魔法、治癒魔法、希少な魔道具全部合わせて金貨100枚は安すぎるって。」

 「そうか。俺は相場の事は知らないんだが、気になるならいつかニコラスが大人になって偉くなったらその分返してくれればいい。出世払いって奴だ。」

 「……はい。頑張ります!」

 「よしよし。それじゃ、ここ数日の話でもしようか。」

 「今回はどんな冒険だったのですか?」

 「ここしばらくはスラムに潜入してきたんだ。というのも……。」


 王都に広がっている噂を含めて、事の発端であるソニーとバックとの出逢いから話をした。途中、スラムの話になった事で侍女のサビーヌが「ニコラス様に聞かせる内容としてふさわしくない。」と介入したが、ニコラスが強く聞きたがった事で結局すべてを話す事となった。


 「……という訳で、最後はフローリアンに丸投げになっちゃったけど、スラムでの騒動を収めて帰って来て、めでたしめでたしってお話さ。」

 「じゃあその胸につけているのが?」


 そう言ってニコラスはヴィートの胸に輝く花のブローチを指差す。細工の緻密さや配された美しい石がいかにも高級ですとアピールしており、隣に揺れる銀級ギルド証が少し見劣りするほどだ。


 「そう、金クロッカス章……とかいうやつ。もらって損するようなもんじゃないからもらったけど。ちょっと派手かな?」

 「凄くきれいです!憧れます。」

 「やっぱり貴族的には勲章って憧れるもんなの?」

 「はい!ウチはずっと昔から王家に仕えているので歴代の当主が頂いた勲章を保管する展示室があるのです!」

 「名門貴族、って感じだな。庶民にはあんまり縁がなさそうだ。」

 「ヴィートさんならわかりませんよ。過去には魔物の大発生に冒険者が活躍して勲章を頂いたってこともあったそうですし。」


 そんな話をしていると部屋の扉がノックされ、程なくしてオーレリアが入室してくる。

 「やあヴィート。待たせた。」

 「いや、構わないよ。それで治療を始めるかい?」

 「なにか必要な物などはあるだろうか?あれば用意させるが。」

 「魔法を使った治療だから特に必要ないよ。ニコラス、不安なら寝ててもらってもいいけど。眠らせる魔法も使えるようになったし。」

 「いえ……頑張ります。ヴィートさんがこんなに良くしてくれているのに僕は寝っぱなしなんてできません!」

 「気にしなくていいのに。ま、そんなに痛くないはずだから。安心してくれ。それで指輪は?」

 「はい。ここに。」


 側で控えていたサビーヌが指輪を懐から取り出し、ヴィートに手渡す。いよいよ治療が始まるのだと周囲の空気が変わった。


 オーレリアは無事に済むように祈り、ニコラスは何が起きても構わないと覚悟を固め、サビーヌは本当に大丈夫なのか信じ切れずに渋い表情を作っている。ヴィートも周囲の空気に飲まれ少し緊張していた。たまらずローランドが檄を飛ばす。


 『落ち着けヴィート。なんてことはない。普段の修行を思い出せ。』

 『ローランド。』

 『平常心を保て。異常事態にこそ冷静にだ。そのための修行だったろう?』

 『……すまない。もう大丈夫だ。』


 ニコラスの手を握り、体内の魔力の流れを感じ取る。常人の数倍はあるニコラスの魔力を吸いつくし傷ついた魔力管をあらわにした。


(破裂してバラバラだな……これを裁縫の要領で繋いで行けばいい訳だ。)


 自身の魔力を糸のように細くし魔力管を縫い付けていく。つながった魔力管を治癒の魔力で細胞を接合したら終わりだ。また破裂すると元も子も無いのでかなり強固に補強している。


 かなり神経を使う作業だったが、幸いにも破れている個所はそう多くなく、1時間半程度で全ての破裂個所を治療し終えることが出来た。その間ニコラスはくすぐったかったようで体をもぞもぞと動かしていたが、痛みは無い様で真剣な顔をして終わるのを待っていた。


 「とりあえず、破裂していた魔力管は全部修復できた。ニコラス手を。」


 指輪を構えてニコラスに手を出すように言う。サイズが丁度合いそうな親指に指輪をはめた。大人用の指輪だから仕方ないが慣れるまで違和感があるだろう。


 「おめでとうニコラス。今日から新しい人生の始まりだ。」

 「ヴィートさん、なんだか夢みたいで現実感が無いんです。もしかすると死ぬまでベッドの上で過ごすんじゃないかって……大人になれずに死んでしまうんじゃないかってずっと考えてたのに……ヴィートさんが来てくれてあっという間に僕の身体を治してくれた。本当に夢じゃないんですよね?」


 ニコラスの吐露された心情にオーレリアとサビーヌの表情が固くなる。弱音や不安を口にしてもどうにもできないと、困らせるだけだとわかっていたニコラスは内心を秘密にして誰にも漏らさなかったようだ。まだ幼いにも関わらずどれだけの我慢をしてきたのか。ヴィートもそのニコラスの想いを感じて胸がいっぱいになった。


 「頬をつねってみるかい?」

 「痛いです。しっかり、痛いです……。」


 徐々に現実感が出てきたのか頬をつねりながらニコラスの眼から涙があふれる。眼と頬を真っ赤に腫らしながら泣き続けるニコラスにそっと腕を回し抱きしめた。


 「ありがとうございます、ありがとう……。」


 泣きながらもヴィートに繰り返し、感謝を告げるニコラス。ニコラスの頭を撫でながら、行き当たりばったりで始まったニコラスの治療計画だったがうまくいって良かったとヴィートは心底思った。


 しばらくたって、ニコラスが泣き止み、恥ずかしがったニコラスがヴィートから離れると少し遅めの昼食をとる事になった。


 食堂に移動し、オーレリアとニコラス、ヴィートが席に着くと昼食が運ばれてくる。分厚く切られた燻製の鮭が湯気を上げ、焼いた芋が添えられている。黒パンにチーズに真っ白なシチュー。何と言っても目を引くのが鹿のステーキ。一度煮込んだものを焼いているらしく見ただけで柔らかそうだと感じる。


 本来は貴族家でも昼食はそんなに力を入れないのだが、本日ニコラスの治療を行うと聞いたシェフが張り切ったようで今日の昼食は幾分豪華な物だ。治療が駄目だったら慰めに、うまくいけばお祝いにと考えたらしい。


 最後にワインが注がれ昼食が始まった。

 「本当に何度感謝してもしたりないよヴィート。今日は夕飯まで食べて行ってほしい。父上が是非にとの事だ。」

 「まぁ暇だからいいけど。堅苦しいのは勘弁な。」

 「ああ、身内だけだからマナーは気にしなくていい。シェフにはとびきり豪勢にするよう伝えておくから期待してくれ。」

 「姉上!僕も一緒でいいですか?」

 「うん?……ニコラスの体力的にはどうだろうか。どう思うヴィート?」

 「昼の間ゆっくり休んだら大丈夫だ。ニコラスの身体はもう悪くない。後は今までの生活で落ち切った体力を徐々に戻せば同い年の子達と同じ、いや魔力をうまく扱えるようになれば他の子以上に元気になるはずだぞ。」

 「僕、頑張ります!」

 「まあ焦らないようにな。今までの分を取り返さなきゃいけないから1、2年はかかるだろうし。」

 「それじゃニコラスはこの後一休みだな。ヴィートは食べ終わったら中庭に来たまえ。私と試合しようじゃないか。」

 「……なんかやる気凄くない?」

 「君は私と再戦の約束をしておきながら今の今まで騎士剣道場に顔を見せなかったじゃないか。ここでその鬱憤を晴らさせてもらおう。」

 「あーいや、いろいろ巻き込まれたり必要な買い物があったりで忙しくて……。」

 「ふふふ。謝る事は無い。親の世話になってる私とは違ってヴィートが忙しい事は理解してるさ。ニコラスの事も骨を折ってもらったしね。ただ私もかなり修行したから、成果を見せるのが楽しみなのさ。」

 「かなり自信あり、って感じだな。マシアスにかなり強くなったって話は聞いてたけど。どんなもんか見せてもらうとしますかね。」


 そうして昼食をとり終わると中庭に移動となった。ニコラスも試合を見たがったが夕食に向けて体力を回復させることになった。治癒魔法の魔力はヴィート持ちだが実際に治すのはニコラスの細胞であるため体力の消耗はもちろんある。


 一般的な治癒魔法は体力の消費はしない。これはヴィートが“傷が治るのは細胞が増えるためだ”と知っているからだ。細胞を増殖させるため消費魔力は少ないが被魔法者の体力を使う。


 逆に一般的な治癒魔法は“何故か知らないが治る”ものであるため魔力の消費はかなり大きいが被魔法者の体力は消耗しない。温かい、優しい光をイメージし患部に語りかけるように魔力を練り……あとは魔力量でゴリ押す、という訳だ。魔力量で言うならヴィートの方がこのやり方に向いているのだがこればかりは無意識に刷り込まれた物であるため改善は難しいだろう。



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