12. Didier Deschamps

 左のスクリーンでは三次元モデルが、環のダンスを忠実に再現していた。

中央のスクリーンにもいくつかの像が並び、タイムカーソルが動いていく時には、確かに左のスクリーンと同期しているのを感じた。

そして右のスクリーンでは、前回の調整そのままの音声データがめちゃくちゃな音を奏でていた。

翔太は右手を使って、いくつかの音素の音量を上げたり下げたりして調節した。

それでだいぶ聞きやすくはなったが、それはとても音楽として聞けたものではなかった。

翔太は思い出したように、もう一度右手を使って、ある音素の音量を調節した。

それは環の声、つまりラップだった。


 しばらく翔太はタイムカーソルを進めたり戻したりして、細かい調整をくり返しながら、新しいそのダンスを見ながら、ダンスの音とラップを聞いていた。

前回のアルゴリズムを流用したために、音楽としてはめちゃくちゃになっていたが、しかしそこには何かパターンの萌芽を見出せそうな気がした。

翔太の直感は、これが美しいものになると告げていた。

環のダンスデータのすさまじく膨大で複雑な組み合わせのパターンの中から、ネットの力を借りて秩序を見つけ出す。

そしてパターンに沿って、音を配置し、ネットの演算と翔太の直感を組み合わせながら、環のダンスを美しいトラックに変えていく。

つまり環の体が楽器になる。


 環があの富久町の高層タワーの足元でおこなったダンスとラップが、そのまま曲になる。

実はあの時、翔太が環のために組み上げたアルゴリズムを使って、環は自分の「ダンスの音」を聞いていた。

それは環のダンスと直感を邪魔しないために、極限までシンプルで主張の弱いものとして翔太が組み上げたものだ。

環は自分のどの動きが、そのアルゴリズムの中でどの音を鳴らすかを、反射的に聞いて意識しながら踊っていた。

そのおかげで、いくつかのパターンが作りやすくなった。

もう一つ、おまけに言っておくならば、環はラップをしながら、ネットの力を借りていた。

環が一つのフレーズを口に出すと、次のフレーズに適切と思えるいくつかの言葉の候補が視界の隅に現れるのだ。

それは今までの環のラップのすべてを聞いてきたネットが提案するものだから、いかにも環のラップにふさわしそうな言葉が並ぶ。

すさまじい速さで展開するダンスとラップの中で、体全体と耳を使いながら環は自分のダンスを統率していた。

そして、視界の隅に次々と現れては消えていく言葉を参考にしたり無視したりしながら、ラップを繰り出していたのだ。


 さて、環のダンスの全体をとりあえず眺め終わった翔太は次に取り掛かった。

それは環自身の感覚を追体験するようなものだ。

環があの時にダンスをしながら聞いていたアルゴリズムに基づいた「ダンスの音」と、ビート(「11/10 16:21」のビートで、右のスクリーンにポップアップで取ってある)を、翔太も聞きながら、三次元モデルがその踊りを再現するのを見る。

その気になれば環の主観視点からの映像データも見ることができるが、翔太はそれにはあまり興味がなかった。

その映像から、特に何かインスピレーションを得られるとは思わなかったのだ。


 それが終われば、翔太は環の体の動きから美しい音楽を抽出する作業に入っていく。

その複雑で高度に知的な作業は、難儀だが、やり応えのあるものになるだろう。

美しいトラックとラップの組み合わせが完成したら、今度は翔太のダンスをクールに見せるビデオを作り上げ、音と合わせる。

これは、最高のレコードになりうる。


「ツイート。環から新しいレコード来た。」

 翔太が声に出すと、視界に確認のポップアップが出たので、右手の人差し指で承認する。

このツイートを見れば、翔太の十三万人のフォロワーたちのいくらかが勝手に拡散してくれるだろう。

記事を書いてくれる人もいるかもしれないし、いくつかのキュレーションサイトにも拾われるだろう。

そしておそらく馴染みの映像クリエイターの何人かから連絡が届くはずだ。

世間は次なる傑作を、インスピレーションの宝庫を待ちわびている。

口をあけたひな鳥のようにファンたちを飢えさせておいて、最高のレコードを届けるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

感情をインストールしてください -emotion-not-installed- kc_kc_ @ndounganye

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ