第6話

 ――少しだけ、昔話をしよう。

 あれはまだ私が小学生の頃、田舎の実家に家族で暮らしていた小さいときの話。

 車がないとどこにも行けない田舎で、唯一の遊び場だった公園がある。私は近所の友達と、学校帰りによくその公園で遊んでいた。

 その中に一人、私の名前を最初に間違えた【タダシ君】も一緒だった。お節介で生真面目。私が何かしでかすと、心配して怒ってくれた人。公園で暗くなるまで遊んで帰ると、案の定鬼の角を生やして待ち構えていた母に「僕が一緒に遊ぼうって言って引き留めたんです。ゆなちゃんは悪くないんです」と言って一緒に怒られたこともあった。

 年は一つ上だった気がする。田舎の小学校は年が違っても合同で授業することが多いから、年齢なんて関係なかった。それでも一緒にいられる時間は楽しくて、いつも放課後を楽しみにしていた私がいた。


「また明日も遊ぼうね!」

「……そうだね」


 ある日の放課後もそう言って、公園の前で別れた。

 翌日、タダシ君は学校にも公園にも来ることはなかった。家に行ってみると「空家」と書かれた看板が家の前に立てかけられていた。――彼は、私に何も言わずにどこかへ引っ越してしまったのだ。

 それが当時の私にはショックが大きくて、一時期不登校にもなっていた。公園にも行けず、中学生になる頃には公園は潰され、新しい住宅街を作る計画が始まっていた。

 思い出の彼も場所も何も無くなった私には、居場所が無くなった気がした。



 ――時は戻り、リツとのお出かけを楽しんだ休日はあっという間に終わってしまった。

翌日教室に向かうと、隣の席の美鶴みつるさんが食い気味に聞いてきた。


「昨日はごめんね、大丈夫だった?」

「大丈夫って?」

「だから、デートしてたじゃん!?」


 誰とでも気軽に話せる美鶴さんは今日も元気だ。遠慮というものを知らない。あまりにも唐突な質問に、私はリツが話した内容に合わせることにした。


「えっと……本当に彼氏とかじゃなくて、幼馴染だよ。小学校の時の腐れ縁っていうか……お母さん達が仲良かったから」

「そうなの? でもあの距離感は……」

「い、田舎だと家族同然だから!」


 確かに昨日のリツとの距離は近かった気がする。だからといってデートと決めつけられては私も彼も困る。


「そっか……じゃあ、笹平ささひらちゃんは好きなの?」

「うぇい!?」


 美鶴さんの唐突な問いかけに、言葉にならない声を出してしまった。

 私が、リツを?


「……お兄さん、って感じかな」


 面倒見のいいお兄ちゃん。家では弟の世話が多くて、家族に甘えられる時が少なかった。そんな時、いつも隣には――。


「……違うよ、あれはリツじゃない」

「え?」

「ううん! なんでもないよ」


 ふと思っていたことを口に出してしまった。不思議そうな顔をする美鶴さんにごめんね、というと彼女は笑って見逃してくれた。

 タダシ君はリツじゃない。分かっていることだ。それなのになぜ今、彼の顔が浮かぶのか。


「…………まさかね」


 そもそも、タダシ君が今どこにいるのか、何をしているのか、私は何も知らない。お母さんなら知っているだろうか。

 スマホを開いて母にメールする。この時間は会社に出勤しているころだから、きっと夕方くらいに連絡が来るだろう。メールの返信は本日最後の授業を終えた頃に届いた。


『ただしくんのお母さん、確かアンタの学校の近くにあるケーキ屋で働いているよ。確か、フルールっていうケーキ屋さん』


 検索をかけてみると、学校からすぐ近くにあるらしい。何年も会っていないから覚えているかわからないけど、行ってみる価値はあるはず。私は学校を出て、地図アプリと睨めっこしながらフルールというケーキ屋へ向かった。

 学校から歩いて五分。『パティスリー フルール』と掲げられた看板は、ビルの二階にあった。一階には古着屋が入っており、隣の細い階段しか道はなさそうだ。

 看板にはオープンと書かれていたから、営業はしているはず。ドキドキする心臓を抑えながら、細い階段を登り、一番上まで行くと小さな扉があった。ドアノブには店の名前が入っている。慎重にドアを開けると、ベルの音が鳴り響いた。店内は狭く、ショーケースがすぐ目の前にある。パッとみた感じ、五畳くらいの広さだ。奥にはキッチンにつながっている扉が見える。ドアを閉めてショーケースの前に行くと、奥から一人の女性がマスクを外しながらやってきた。


「いらっしゃいませ! ……あら? もしかして……結菜ゆいなちゃん?」

「お、お久しぶりです!」


 ショーケースの向こう側に立った女性――この人こそ、タダシ君のお母さんだ。昔との面影は今も変わらない。ニッコリと浮かべた笑みは、私の記憶の中のタダシ君にそっくりだ。


「久し振り! 綾子りょうこちゃんから結菜ゆいなちゃんがこっちに来ているっていうのは聞いていたのよー! 随分大きくなったわねぇ」


 『綾子りょうこ』は私の母の名前だ。親子そろって、よく名前の読み方を間違えられる。ちなみに、タダシ君のお母さんの名前は『彩子あやこ』で、よく母と一緒になって混ざることが多いらしい。


「実は、この近くの専門学校に進学しまして……母から、ここで彩子さんが働いているって聞いたので」

「そうだったのね、なんだー……来ることをもっと早く知っていればお菓子用意していたのに」

「あ、買っていきます! それで、あの……」


 私は少し、小さく深呼吸をして、本題を聞いた。


「タダシ君は、元気ですか?」

「え…………そ、そうね」


 彩子あやこさんは視線をそらし、言いづらそうに口を開いた。


「実は――」


 ――病院で寝たきりなの。


 彩子あやこさんの仕事が終わるまで待たせてもらい、タダシ君が入院している病院に一緒に向かった。

 病室に着くと、私は目を疑った。規則的に聞こえてくる機械音、息をするたびに曇る呼吸器のマスク、ベッドに横たわって眠っている彼を見て愕然とした。

 小学生の頃の記憶でしかないが、ちょっと跳ねた黒髪やあどけない寝顔はあの頃と変わっていない。しいて言うなら身長が伸びて、私を見下ろすくらい大きくなったということだろうか。点滴とつながっている左腕は布団の外に出ており、彩子あやこさんがそっと叩いて彼に呼びかける。


「ただいま、今日は結菜ゆいなちゃんが来てくれたわよ。今、こっちの専門学校に通っているんだって」


 優しい声色で問いかけても、病室に聞こえてくるのは機械音だけ。

 彩子あやこさんの話によれば二か月前、大学の講義を終えた帰宅途中に、車道に飛び出した子供を庇って車と衝突した。子供は怪我一つなく無事だったけど、彼は昏睡状態に陥ってしまった。外部の怪我は治り、あとは彼が目を覚ますだけ。普通にごはんも食べられるようになれば、すぐ退院もできるらしい。――目を覚ませば、の話だけど。


「アンタ、ちゃんと起きなきゃだめよ……? 結菜ゆいなちゃんに、ちゃんと言いたいことあるんでしょう?」


 かすれた声が病室に響く。彩子あやこさんの肩は小さく震えていた。

 私は一歩、彼が眠っているベッドに近づいて顔をよく見つめた。そして、ベッドの柵に吊るされた患者の名前が書かれたプレートをみて、嫌な予感が的中してしまった。


「早く起きて……ただし


 【桐山律きりやま ただし】――それが彼の名前だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る