獄炎の女帝はリベンジしたい

RAY

獄炎の女帝はリベンジしたい


「アト五分。アト五分」


 つややかな黒い羽をばたつかせて、黒い天蓋てんがいの掛かったベッドの端に留まったガブリエルは、体内時計で術式が発動する時間を確認する。


 オニキスのような、漆黒の瞳が見つめる先には、彼の主人マスター・エウリュアレが一糸まとわぬ姿で眠っている。均整の取れた、褐色の肢体からは妖艶ようえんな雰囲気が漂い、鼻筋の通った、美しい顔立ちは眠っていてもしっかりと存在感を示している。


 見た目はいつもと変わらない彼女だった。


 漆喰しっくいの壁には窓はおろかわずかな隙間さえなく、一筋の光すら入ってこない。にもかかわらず、エウリュアレの穏やかな表情が見て取れるのは、全身がほのかな青色の光に包まれているから。

 燃え盛る炎を自由に操り「獄炎の女帝エンプレスオブフレイム」と畏怖される、魔族きっての術師が、冷ややかな氷を彷彿ほうふつさせる光をまとう姿はどこか違和感が感じられる。


 それには、深い理由わけがあった。


 外見は大きめのカラスにしか見えないガブリエルはエウリュアレの使い魔。彼女に仕えてかれこれ百年が経つが、このときほど主人マスターのことを心配に思ったことはなかった。


 それは、ガブリエルがエウリュアレに施した術式――能力覚醒術アウエイクが吉と出るか凶と出るか、彼自身にもわからなかったから。

 能力覚醒術アウェイクは、ガブリエルの固有術式で、術師の体内エネルギーを使って新たな能力を覚醒させるもの。ただ、成功する確率は極めて低く、失敗すれば、既存の能力を喪失するだけでなく、命を失うことにもなりかねない。それゆえ禁術指定がなされている。


 能力覚醒術アウェイクを施された者は、全身がズタズタに切り裂かれるような激痛に見舞われ、その後、意識を失うように眠りにつく。四時間が経過しなければ、成功か否かはわからない。

 エウリュアレとて例外ではなく、しばらくの間、その美しい顔は苦痛にゆがみ、耳をつんざくような叫び声が城内に響き渡っていた。


 ガブリエルの黄色いくちばしから一つため息が漏れた。


★★


 前日の夜、日付けが変わった頃、城の正面の扉が開く音がした。

 ガブリエルは、勇者と一戦交えたエウリュアレがいつものように深紅の戦闘装束バトルドレスすそをひるがえしながら、涼しい顔で凱旋するシーンを思い浮かべた。


 獄炎の女帝を倒して名声をあげる――これまでもそんな考えを抱く勇者が後を絶たなかった。しかし、エウリュアレは能力の半分も出すことなく、そんな連中を完膚かんぷなきまでに叩きのめした。


 ただ、今回は状況が違った。


 主人マスターを出迎えようと入口へ飛んで行ったガブリエルの瞳に、信じられない光景が映る。

 扉の前にエウリュアレがうつ伏せの状態で倒れていた。床が戦闘装束バトルドレスと同じ、真っ赤な色に染まっている。血の量が半端ではなく、深手を負っているのは火を見るよりも明らかだった。


「何ガアッタ、マスター! シッカリシロ、マスター!」


 ガブリエルは、城の周りを警護する土人形ゴーレムを呼びつけ、傷付いたエウリュアレを寝室へと運ばせた。


「……完敗だった……あの勇者おんな……見たこともない……氷の術を使いおった」


 ベッドに寝かされたエウリュアレは、荒い呼吸をしながら、途切れ途切れの言葉を吐き出す。顔には、怒りとも悔しさとも取れる、やり場の無い感情が滲み出る。

 黒肌妖精ブラックエルフが回復術を施したことで一命は取り留めたものの、体力と魔力の消耗は激しく、安静が必要な状態だった。


「考エルナ、マスター。ユックリ休メ、マスター」


 労いの言葉を掛けるガブリエルだったが、自分が激しく動揺しているのがわかった。敗北したエウリュアレを見るのが初めてだったことに加え、その相手がただの人間だったから。


「……ガブリエル、頼みがある」


 沈黙が続いた後、エウリュアレが視線をガブリエルの方へ向ける。燃え盛る炎をたたえたような、深紅の瞳が何かを訴えかけている。


「あの勇者おんなは、わらわ深傷ふかでを負ったことを知っておる。彼奴あやつも無傷ではないが、わらわに比べたらかすり傷だ。おそらく、夜明けとともにとどめ刺しに来るだろう。わらわは迎え撃たねばならぬ。そのためには、彼奴あやつに対抗できる力――氷の力が必要だ。ガブリエル、お前の能力覚醒術アウェイクを施してはくれぬか?」


 ガブリエルは自分の耳を疑った。

 確かに能力覚醒術アウェイクが成功すれば、エウリュアレは、炎だけでなく氷の属性も操ることができるようになる。攻撃力が上昇するのはもちろん、これまで苦手としていた氷属性を自分のものとすることで、防御力も大きく上昇する。

 ただ、それは、競馬で言えば、最低人気の馬に全財産を賭けるようなもの。あまりにもリスクが大きく、主人マスターに施すことなどできるわけがなかった。


「駄目ダ、マスター! 危険ダ、マスター!」


 ガブリエルは首を横に振って、エウリュアレに考えを改めるよう促す。失敗すれば、命があったとしても炎の能力を失う。そうなれば、勇者との戦いに勝ち目はなく、遅かれ早かれ死に至ることに変わりはない。


「危険なのは百も承知だ。しかし、このままでは彼奴あやつには勝てぬ。かと言って、このまま尻尾を巻いて逃げ出すことはできぬ。それはわらわにとって屈辱以外の何物でもないからな。お前が本当にわらわのことを思ってくれているのなら、頼みを聞いてくれ」


 口調こそ穏やかだったが、エウリュアレの瞳には覚悟が見て取れた。「命と尊厳を賭けて勇者へのリベンジを果たす」。そんな思いがひしひしと伝わってきた。


 使い魔として最優先すべきは、主人マスターを守ること。そう考えれば、能力覚醒術アウェイクを施すことはそれに逆らうことととなる。主人マスターの命令であっても従うことははばかられる。


 今のエウリュアレであれば、力づくで勇者の目が届かない場所に連れて行くことは可能だ。どれだけののしられようが、ガブリエルは憎まれ役を一手に引き受ける覚悟はある。ただ、そんなことをすれば、彼女は、一生涯、屈辱と後悔の念に苦しみ続けるだろう。


 ガブリエルの中で激しい葛藤が湧き上がる。彼は悩んだ。これまで生きてきた中で一番と言えるぐらいに悩んだ。そして、何が得策なのかを考えた。


 激しい呼吸を繰り返しながらエウリュアレの方へ視線を向けると、彼女の瞳は真っ赤に燃えあがっていた。そこには、溢れんばかりの闘争心と獄炎の女帝エンプレスオブフレイムとしての尊厳があった。


 ガブリエルは思った。「主人マスターの尊厳を守れない者が従者を名乗るのは烏滸おこがましいことだ」と。彼は自分が何をすべきかを悟った。そして、もし主人マスターの身に不本意な何かが起きたとき、運命をともにすることを改めて誓った。


「ワカッタ、マスター。ヤルゾ、マスター」


 ガブリエルの漆黒の瞳にも覚悟がみなぎる。

 それを目の当たりにしたエウリュアレはフッと穏やかな笑みを浮かべた。


わらわは良い従者を持った。ガブリエル、礼を言うぞ。ただ、おかしなことを考えるでない。お前にはこれからもずっとわらわの世話をしてもらう。覚悟をするとしたらそっちの方だ」


 ガブリエルの心の中を見透かしたような一言だった。

 熱いものがこみ上げるのをグッと押さえながら、ガブリエルは能力覚醒術アウェイクの術式を唱え始めた。


★★★


「アト三分。アト三分」


 術の効果が現れるまできっかり四時間。それが明らかになる瞬間がすぐそこまで迫っている。同時に夜明けも間近まで迫っていた。


 ベッドに横たわるエウリュアレの肢体は相変わらずほのかな青い光を放っている。しなやかでありながら力強さが感じられる様は、生と死の狭間を彷徨さまよっている者のそれとは思えない。


「アト一分。アト一分」


 能力覚醒術アウェイクを施したのは、置かれた状況や様々な要因を熟考した結果の決断。まさにガブリエルがで判断したもの。「何があっても後悔はしない」。ガブリエルは心の中で自分に言い聞かせた。


「ガンバレ、マスター。頼ンダゾ、マスター」


 体内時計がカウントダウンを開始する。心臓が早鐘のように鳴っている。呼吸が苦しくて堪らなかった。自分のものではないような気がした。


 カウントがゼロになる。

 その瞬間、エウリュアレの両の瞳がカッと見開いた。時を同じくして、ガブリエルの目はその瞳に釘付けになった。


 エウリュアレの瞳の色が変わっていた。 

 燃えるような、真っ赤な左目は今までと同じ。右目だけが氷のような、冷たい青色になっている。

 エウリュアレの瞳は、左右の色が異なるオッドアイになっていた。


「スゴイゾ、マスター! ヤッタゾ、マスター!」


 主人マスターの全身からみなぎる、凄まじいエネルギーに、ガブリエルは術式の成功を確信する。


 エウリュアレはシーツを身体に巻いて静かに起き上がった。そして、手のひらを上にして両手を左右に広げると、術式を詠唱し始めた。

 瞬時に、左右の手のひらから直径一メートルほどの球体が現れる。左手の赤色の球体と右手の青色の球体はゆっくりと上昇を始め、頭上で一つになる。炎と氷が渦巻き、大理石の表面のようなマーブル模様を描いている。

 高密度のエネルギーが凝集したそれは、小型の核爆弾という形容がピッタリだった。


「ガブリエル、よくやってくれた。やはりわらわは正しかった。必ずや成功すると思っておった。お前はわらわのために悩み考えてくれた。そして、で最善の選択をしてくれた。それが正しくないわけがなかろう」


 術を解いたエウリュアレは視線をガブリエルの方へ向ける。美しいオッドアイが満足げに輝いているように見えた。


「もうすぐあの勇者おんなはここに現れる。わらわの直感とお前の直観がリベンジを果たすときが来る」


 エウリュアレは口元を緩めながらベッドから降りると、いつもの戦闘装束バトルドレスに袖を通す。身体じゅうからオーラがほとばしる――が、次の瞬間、彼女は動きを止める。人差し指を唇に当てて何かを考えるような仕草をする。


「ドウシタ、マスター。問題ガアルノカ、マスター」


 心配そうに尋ねるガブリエルに、エウリュアレは小首を傾げて独り言のように呟いた。


わらわの服装はこれでいいのか? これでは炎のイメージしかないのだが……。それに獄炎の女帝エンプレスオブフレイムという二つ名も現状と合っておらぬ気がする……。ガブリエル、リベンジまでにお前ので最適な解を導き出すが良い。頼んだぞ」



 おしまい

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