エピローグ 約束は無くとも

 西暦2130年2月現在、AIとロボット技術は更なる向上によって人々は、機械に頼るべきものは頼り、本当に人がやるべき事だけを吟味して仕事をするのが当たり前になっていた。肉体労働や危険な仕事はもってのほか。いまや戦争ですら自動制御或いは制御遠隔操作のロボットによって行われるようになっていた。

 辛い事は可能な限り機械に代替させばいい。

 しかしこれは強者の理屈でしかなかった。「クリーンな代替戦争」ができるのはアメリカやロシアといった一部の先進国に限られて、物資もなければ技術も持たない新興国には未だに「血塗られた戦争」を続けていた。

 そんな悲しい現実が、世界にとっての共通認識となっていた。

 そんな世の中で世界中を飛び回る日本人がいた。

 星宮緋色。

 緋色は大学を卒業してからもプロの芸術家として現在も活動しており、その名前は多くの国で知られているところとなっていた。特に十代後半の頃に描いた作品群は非常に高い人気を誇っていながらその多くは殆ど流通していない。

 オリジナルは本人が名誉館長を勤める日本の美術館でしか見る事ができず、これがまた観光地として一斉を風靡していた。

「凡作ね。こんなつまらない絵でいいの?」

 新たに描き終えた絵を見ながら緋色は非常につまらなそうな表情をしていた。

「審美眼の無い金持ち達には相応しい絵だと思うわよ」

 如月に皮肉も混じった評価に「その通りね」と緋色も表情を変えずに同意した。

「・・・・・・やっぱりやる気出ない?」

「出ないわね。今は一枚描くのだって辛いわ」

 そうは言うが、緋色の絵は新しいものを出すたびに常に大衆から一定の高評価を取り続けていた。専門家や評論家達の誇張した感想はもはや緋色にとって最悪の賛辞でしかなかった。

「・・・・・・引退しようかな」

「本気じゃないくせに」

「別に貯金だって一生遊べるくらいにはあるし、美術館だってあるし」

「お金じゃないわ。熱意や衝動、魂の乾きがあるもの」

「非科学的な」

「純然たる事実でしょ。今の緋色に足りないのは、その心を滾らせるだけの刺激よ」

 そんな事は分かっていた。いくら有名になろうとお金が手に入ろうとも緋色の心は満たされる事はなかった。

 昔はあんなに純粋な気持ちで描けていた筈なのに、いつの間にか筆の乗りが悪くなっていた。

 十年前の失恋を引きずっているつもりは無い。むしろあれはあれで、しっかりと踏ん切りはつけた筈だった。

 しかしそうなると今度は別の問題が出てきた。

「ほんと、何処かに転がってないのかな?」

 今度は逆に、昔みたいに魂を震える様なモノを見つけられずにいたのだ。

 一際強い輝きを知ってしまったが為に、それに勝るとも劣らない刺激を心が求めてしまう。

 それこそ一目惚れをしてしまう程の強烈なものを、彼女はあの時から見つけられずにいた。

「だったら今度一緒に合コン行きましょうよ」

「却下。どうせ碌でもない男しかいないんでしょ?」

「そんな事ないわよ、今回は営業の咲本君が色々人を集めてくれるって言ってから」

「・・・・・・そんな事してるから婚期を逃しかけてるんですよ」

 アラフォーの胸に突き刺さる一言に如月は、たじろぎながら言い訳をペラペラと並べるが、緋色はそれを完全に無視した。

(本当、私を楽しませてくれる人はいないのかしらね)

 窓の外を眺めながら輝いていたあの頃に思いを馳せる。こんな感傷に浸ってしまうのは自分も年を取ったという事なのだろう。

 自分は何時までも、何にでも感銘を受けられる純粋な少女だと思っていたが、所詮は自分も人の子なのだと、しみじみと思い知らされる。

「・・・・・・今日はもう上がるわ」

「え、別にいいけど、明日は」

「美術館の方でしょ?わかってるわ」

 これ以上は何も話す事は無いと取り付く島も持たず、そのまま緋色はアトリエを出て行ってしまった。

 如月は少し困った表情をしながらも、追いかけようとはしない。

 ここ数年はずっとあの感じで、当初は何とか状況を打開しようとあれこれしたのだが、今は必要以上にとやかく言わないようにしていた。

 何故なら、それは自分自身で見つけるべきものだからだ。

 他人から与えられたものは所詮は借りもの、メッキの様なものだ。

 表面的には綺麗に見えても少し傷が付けば簡単に剥がれてしまう上辺だけのものでしかない。

 地金となる本心に刻み込まれたモノは一生消える事は無い。それは時として辛い記憶になる時もあるだろう。だが、それだって人の心を作る糧にする事は出来る。

「大丈夫。ヒイちゃんにだって、今の燻りだって絵の具できる日がくるよ」

 ならば如月がするべき事は、緋色がそうやって見つけたものを自由に表現できる様にキャンバスを準備しておく事だけ。

 それ位でいいのだ。

 画商として、星宮緋色のファン第一号として、彼女の才能が最大限に発揮される舞台を作り続ける。

 それが彼女の生き甲斐なのだから。


 アトリエから出てしばらく、緋色は一人寒風吹きすさぶ街を歩いていた。

 特に行く先も決めておらず、これからどうするかも考えていない。

 家に帰ってしまっても良かったが、帰っても一人でボーっと呆けるだけだったのでその案は棄却する。

 ならば何処に行こうか?

「そういえばマスターのとこは大分ご無沙汰だったわね」

 ふと、かつて毎日のように通っていた喫茶店のことを思い出す。今でも定期的には行っているものの学生時代と比べたら、行く頻度は少なくなっていた。

 社会人になってからは単純に芸術家としての活動以外にも、講演会やイベント等で様々な仕事に追われ、世界中を飛び回る様になっていた。

 そうなると、どうしても昔ほど時間の余裕が無い。

「最後行ったのは・・・・・・確かパンプキンケーキ食べた時だったからハロウィンの時以来かな」

 そうなると彼此三ヶ月近く行ってない事になるだろう。

 他に行く宛てもなかったので、素直にあの喫茶店に行ってみる事にした。

「そういえば随分と雲が厚いわね」

 空模様はずっしりと重そうな曇天。こんな日に雨男が近くにでもいたら、自分までずぶ濡れになってしまいそうな重圧を感じながら、それでも緋色が思う事は一つだけだった。

「面白くない雲ね。もっと面白い形の雲にでもなったら創作意欲も湧くんだろうけど」

 ネタになるか否か。ただひたすらにその視点でしか物事を見る事ができなくなっていた。

 常に創作の為に続けてきた習慣であり、ある意味芸術家として正しいあり方であろう。

 しかし、過ぎたるは及ばざるが如し、ということわざが有る様に、何事も度が過ぎると様々な弊害が出てきてしまう。

 観察をやりすぎた結果、様々な事柄が既知なものになってしまっていた。眼に映るものは全て一度見た事があるか、類似したもの。そんな風に世界を捉えてしまっていると、面白さや感動を感じられなくなるのは当然の事だろう。

「つまらない」

 ポツリと呟いた感想は誰の耳に入る事は無く、街はいつもの喧騒だけが木霊している。

 毎日変わらない光景。

 人の営みや技術、時代そのものは進んでいるはずなのに、自分の周りは何も変わらない。

 いや、変わってないのは私だけ?

「潮時かな?」

 本当に金銭的には困らないだろうし、後は適当に遊んで余生を過ごすというのもありなのかもしれない。二十六で余生というのも可笑しな話ではあるが。

 喫茶店に着くと、以前と変わらず店員の宇佐美が出迎えてくれる。

「いらっしゃいませー。ご無沙汰だねー緋色ちゃん」

「ご無沙汰ね、宇佐美さん。一人だけど」

「ゴメンねー、今満席なんですよ。合席でよかったら多分案内できるんですけど」

 タイミングが悪かった。店の中を見渡してみると確かに全てのテーブルにお客が入っていた。

「・・・・・・いいわ、また今度にする」

「ちょ、ちょっと待てよ、今チョロっと聞いてくるから」

 踵を返そうとした緋色を半ば無理矢理引き止めて、宇佐美が大急ぎで他のお客の確認を取りに行ってしまった。

 このまま待たずに店を出ることもできただろうが、無下に帰ると次に顔を出しにくくなる。

 仕方なくこの場は待つ事にした。

 そういえば今まで合席を了承した事はあっても、お願いする側になるのは初めてかもしれない。

 なるほど、ここ最近では味わった事のない感覚だ。なんというか申し訳ない感じと不安感、あとはどんな人と合席になるのか?というワクワク感。

 あの人も始めて来た時はこんな事を思っていたのかな?

「お待たせしました、緋色ちゃん。お連れ様が迎えに来るまでだったらいいですよって」

「そうですか。ではお言葉に甘えて」

 どちらかといえば断られた方が、気持ちが楽だったかもしれないが、受け入れてもらえたのなら創作意欲の足しになる事を期待してお言葉に甘えよう。

 そうポジティブに考える事にして、宇佐美にブレンドコーヒーとケーキのセットを注文し、その合席を許してくれたテーブルに向かっていた。

 だが、緋色はそこで座っているお客を見て面食らった。

「・・・・・・こんにちは」

「え、あ、ああ、はい、こんにちは」

 そこに座っていたのは六歳くらいの男の子だった。わりと何処にでもいそう、けれども眼つきは少し大人びているような感じの子。

 だが、それ以外は本当に特徴が捕らえにくい子だった。

 しかしどうしてこんな子供だけ一人で座っているのだろうか?

「座らないの?」

 何時までたっても席に座ろうとしない緋色に男の子は足をバタバタさせながら聞いてくる。

 その問いかけに、ハッと我に返り「そ、そうね。お邪魔するわね」と平静を装って対面の椅子に腰かける。

 思わず立ち尽くしたまま、あれこれ考えてしまっていたが、男の子も機嫌を悪くしたというよりは、退屈しているだけみたいなので、ここは差しさわりのない範囲で少し詮索してみる。

「えっと、僕、今日は一人なのかな?」

「ううん、パパと一緒。でもお仕事のお話があるから、ここで待ってるの」

 手に持ったジュースから目線をそらさないまま男の子はそう答えた。

「そうなんだー。偉いねー」

「パパやママと出かけるときはいつもこんな感じだよ」

「え?そ、そうなんだ」

 それは倫理的にというか、教育的にいいのだろうか?と少々疑問に思ったが、あくまで人様の家庭問題。深くは突かない方が無難か?

「うん。パパもママも色んな所でお仕事してるんだー。アメリカでしょー、中国でしょー、ロシアでしょー。この間はみんなでケニアに行ったんだー」

 最初は詰まらなそうにしていた男の子だったが、そこはやはり年相応なのか両親の自慢となると生き生きとした笑顔で語る。

 その表情に少し安堵しながらも、先程の大人びた感じは、そういった海外渡航の多さから来ているのかもしれないと緋色は思った。

「パパとママはねー、海外で食べ物を沢山作れるようにしてるんだって。それでねー、僕くらいの子供達がお腹一杯ご飯が食べられるようにするのが夢なんだってー」

「凄いねー。みんながご飯を一杯食べれるようにかー。それはとっても良い事よね」

「良い事?パパとママ良い事してると思う?」

「うん、立派だと思うよ」

「そっかー、良い事してるんだー。えへへ」

 照れくさいのか顔を隠すような仕草をしながら男の子は笑う。

「そうだ!お姉ちゃんは何かお仕事してるの?」

「え?う、うん、まぁ一応ね」

 突然自分の事について質問され、つい先程まで頭を過ぎっていた引退の言葉が一瞬出そうになった。だが今はまだ画家である事には違いないので一応肯定した。

「本当!?何々、どんなお仕事?」

 男の子も初めて珍しいものを見たかのように眼をキラめかせながら身を乗り出すように食いついて来る。

「え、えーっとね、お姉さんはね、絵を描くお仕事だよ」

「お絵かきをするお仕事ー?」

「そう。絵を描いて、それを売るお仕事」

「僕それ知ってる。げーじゅつかって言うんでしょ?」

「そうそう、よく知ってるね。えーっとね、あ、ほら、あそこに飾ってある絵有るでしょ?あれはお姉さんの描いた絵なんだよ」

 そういって壁にかけられている絵を指差す。十年前からずっと飾られる続けている作品で、緋色の作品としては、かなり最初期の頃に描いた絵。

 まだ何の迷いもなく筆を走らす事ができた頃の絵。

 正直にいって小学校に上がっているか、いないか位の子供が「上手い」とは言わないであろう作風。多分、よく分かんないとか下手糞とか言われるんだろうなと諦めていたが、帰ってきた反応は予想外の反応だった。

「うーん、僕、似たようなの見た事あるよー」

「え?」

「パパのお部屋にねー、一枚だけ飾ってある絵と似てる。ママが言ってた。無趣味なパパがその絵だけはどうしても欲しいって言って、買ったんだって」

 自分の絵を無趣味の人が買った?

 お世辞にも自分の絵は美術品等に興味がある人でないと、手を出しづらい絵だと自負していたが、その一枚だけ欲する人がいたとは。随分と珍しい人もいたものだと、思わず驚きの感情が表に出てしまった。

「それは珍しいお父さんだね」

「そうなの?」

「うーん、僕はお姉さんの絵、上手だと思う?」

「ううん、よく分かんない。グチャグチャな所は僕でも描けそうだけど、綺麗な所は難しいそう」

 この点は緋色にとって当たり前の総評だったが、別にそれで悪く言われているとは思わなかった。むしろ、これぐらいの年頃の子供がここまで言えたのは十二分に賞賛すべきだろう。

「やっぱりそう思うよね。凄いといってくれる人は凄いって言ってくれるんだけど、下手糞だって言う人も沢山いるんだよ」

「だから売れないの?」

「いいえ。ただ本当に欲しいって思った人しか買ってくれないのよ。だから君のお父さんは本当にその絵が欲しかったんだなーってね」

 自分のどの作品が、どのような方に買われていたのか?

 疑問は尽きないが、もしかしたら後でこの子を迎えに来たご両親の顔も見る事ができるかもしれない。それならば、わざわざここで悩む必要はないだろう。

「そうなんだー。じゃあ僕も大きくなったらお姉ちゃんの絵を買ってあげるね」

「ふふ、ありがとうね。そしたらお姉さんも、僕がどうしても欲しくなるような絵を頑張って描いてあげるね」

「わーい、やったー」

 他愛のない約束ではあるが、目の前でキラキラと眼を輝かせる男の子の純粋な笑顔は、風前の灯だった緋色の心に、少しの痛みと燃料を加える。

 この子の期待に応えられないかもしれないという罪悪感と、応えたいという気持ち。

 ああ、こんなに気持ちが揺れ動いているのは、久しぶりかもしれない。

 でも、まだ足りない。

 もう少し、後一押しが欲しい。

 カランカラン

 店のドアに付いてある古ぼけたベルが鳴る。その音に先に反応したのは男の子の方だった。

「あ、パパだー」

「え?」

 男の子が父親を呼ぶのに少し遅れて緋色は振り返った。

 入店してきたのは一人の男性。

 かなり着古しているのかヨレヨレのロングコートの下にスーツ姿。

 だが服装以外の特徴を緋色は見出せなかった。

 人間大なり小なり何処かしらに差異というものがある。でもこの男性にはそういった差異が非常に少なかった。身長、髪の色、体格、顔。どれをとっても特筆すべき内容が思いつかない。

 まるで特徴が無いのが特徴。そう感じさせるような。

「待たせたな、緋之環ひのわ。ん?そちらの・・・・・・かた」

「お店が一杯だったから一緒にお喋りしてたんだー。お姉ちゃん凄いんだよー」

「お兄・・・さん?」

「星宮・・・緋色?」

 二人の再会は偶然だった。

 たまたま同じ日に同じ喫茶店に入って満席で、合席を店員が提案してきて、彼の子が快諾し、彼女も迷惑でなければと応じて、一緒にコーヒーを飲むことになった。

 切っかけは本当に些細な事だった。

 ただ会うたびに話すだけだった。

 話すテーマはいつも同じ。

 働くとは何か?

 二人は会うたびに、ただその事だけを話す。

 理由なんてない。

 強いて言うなら互いの状況や環境で、その話題にしやすかっただけに過ぎない。

 けれども幾ら話しても互いに納得できる答えには至らない。

 だから二人は話し続ける。

 一人は自分の道を見つける為に。

 もう一人はより人生を楽しむ為に。

 二人は語り合う。

 しかし答えは未だに見つかっていない。

 だからこの先も何度も二人は語り合うだろう。

 特に約束もせず、偶然あった再会した場所で。

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ワーカーレスホリック ~働くって、何ですか?~ 赤鷹 熊 @akataka

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