第12話 隆哉との勝負

 水曜日、今朝は早朝のバイトもないので、美桜から着た朝の挨拶で目を覚ました。

 こちらも、おはよう、とメッセージを返してから瞼をこすりつつ洗面台に向かう。

 いつも通りの朝食を済ませてから、出掛ける前に髪型を整えた。今日は学校でも使うため、ワックスは鞄に持参する。やり始めて三日が経ち、だんだん慣れてきたのも実感していた。


 今日は休み明け最初の体育の授業がある。そこで新しい選択種目になるのだが、僕はそれに使う荷物を持っていかなければならなかった。

 コレがけっこう重たい事もあり、自転車のキャリアにゴムロープで固定し、やや早めの時間に家を出る。

 秋晴れのカラッとした風を感じながら、普段より少しばかり重いペダルをこいで、高校までたどり着く頃には、額に軽く汗が滲んでいた。

 駐輪場に自転車を止め、辺りを見回したが、美桜の自転車はまだ見受けられない。どうやら彼女よりいくらか早く着いたらしい。

 約束をした訳ではないので、しばらくここで待つか? とも考えたが、昇降口にやってきた朝練後の隆哉を見付けたので、ちょうど用事もあり、声を掛けて一緒に教室に向かった。

 今日の三、四限が連続で体育の授業だった。今回の選択肢は、剣道、柔道、創作ダンス、水泳の四つ。

 同じ学年のAからD、EからHクラスの四クラスづつが合同で授業を行い、生徒は各々、四種目から好きな種目を選択することが出来る。

 もちろん人気が偏れば抽選になるが、部に属していたり、経験者であれば指導役を兼ねて優遇される。

 かく言う僕も中学は剣道部だったし、段審査も二段まで取得しているので、剣道を選んでいた。

 朝の自転車に積み込んだのも中学時代に使っていた、防具と道着だ。

 竹刀は高校になると長さが変わるので、隆哉の練習用を借りる事になっている。

 中休みの十五分を使って、隆哉や剣道部の面々二人と、彼らの部室を借りて道着に着替え、防具も垂れと胴までは付けておく。

 昨年の同じ授業で付けた時以来、一年ぶりの防具は、きちんと消臭をしたこともあり、以前みたいな異臭がすることも無かった。

 一緒に着替えた剣道部のメンバーも、中学時代に試合や合同練習で何度も顔合わせしている二人だけに、気兼ねすることが無いのがありがたい。

 以前は先輩達にかなり入部を勧誘されたが、既に別の目標を持っている為、それを断っているのも分かってくれていた。

 普段の隆哉達が練習している武道館は、今だけ畳が敷かれ、これから柔道の授業が行われる。そのため、僕らは着替えたらそのまま体育館へと移動だ。

 竹刀と小手を突っ込んだ面を抱えて、隆哉達と武道館横の砂利道を歩いていると、ちょうど渡り廊下を歩いていた美桜がこちらに気付いた。そのまま手を振って呼び掛けてくる。

「あ、春樹くん!」

 体育用のシャツとハーフパンツ姿の美桜は体育館シューズを片手に、小走りにこちらにむかってくる。

 いつもはハーフアップにされている長い髪が、今ポニーテールに纏められていて、美桜が歩を進める度にゆらゆらと揺れる。

 僕は健康的なスポーツ少女といった体の美桜にまた少し見とれてしまった。

「うわー、剣道着似合ってるじゃん! なかなか見れない、レアな春樹くんだね!」

 美桜は息切れもなく僕の元まで来ると、そう言って顔を綻ばせた。

「僕の部屋で写真見てたじゃん。これが中学の頃は毎日だったんだよ」

 はしゃぎ気味の美桜を周りに見られるのは少し恥ずかしい。

「噂では聞いてたけど、東雲って本当に夢咲さんと付き合ってたんだな」

「正直かなり羨ましいよなぁ」

 剣道部の二人、宮田と榊原が肩を落とすのをよそに、美桜はスマホを取り出した。

「体育館シューズの袋に入れとけばバレないかなって、こっそり持ってきちゃった。写真撮っていい?」

「それこそ恥ずかしいって!」

「えー、ならわたしも入るから、飛鳥君はカメラマンよろしく!」

 美桜は隆哉にカメラを起動したスマホを渡すと、もっと寄ってよ、とか言いながら、僕の横に並んだ。

 学校内で互いの体温を感じる程に近付いたのは初めてだったので、いけないことをしているみたいな気分がして、そわそわと落ち着かない。

「ハル、昼休みにジュースな」

「なんで俺?」

 不機嫌を装いながらも、隆哉はちゃんと写真を撮ってくれた。考えてみれば、まだ僕らはお互いの写真を撮ったことが無い。

「今の、春樹くんのLINEにも送っておくね〜」

 美桜の言葉に、ありがとう、と平静を装って答えたが、彼女の写真を手に入れられたのは正直喜ばしかった。

 待ち受けにしちゃおうかな? と上機嫌な美桜を見て、そういうのが好きなのであれば、出かけ先でふたりで記念に自撮り写真を撮ったりするのも楽しいかもしれないと思った。

「なぁ、夢咲さんってあんな感じに笑う人だったっけ?」

「俺も思った。もっとクールなイメージだったけど、東雲と居るとキャラが違う気がする」

「今までも可愛いかったけど、今のほうが磨きが掛かってるよな?」

「笑い方から違うもんな、ぶっちゃけ悔しいけど」

 剣道部二人の会話が聞こえてきて、僕は改めて恥ずかしさを覚える。

 けれど、今の美桜の笑顔は僕だけの物で、僕だけの為に向けられていると言う事が、傍から見てもわかるというのだから、彼氏としては嬉しくてたまらない。

 隆哉にも以前指摘されたが、どうやら僕の独占欲はかなり強いようだ。

「さっ、早く行かないと遅れちゃうね!」

 美桜はダンスを選択していた為、同じ体育館へ足を向けるので、僕らも後を追う。

 剣道部の二人が、このこのっ、とか言いながら肘で突っついてきたが、僕は笑って受け流すに留めた。


 授業が始まると、まずはくじ引きで四チームに組分けをした。剣道を選択した生徒は四十人。

 隆哉を含めた剣道部の三人に加えて、有段者の僕も組のリーダーとなり、残り九人づつのメンバーに指導する。

 剣道という特殊なスポーツは体育教諭が指導するのが困難な故、中学の頃から授業の時はそういう役回りだった。

 今回の防具と道着持参も体育教諭からお願いされての事だ。

 僕の担当する九人によろしくと挨拶を交わしている時だった、

「ちっ、なんでお前なんかから習わなきゃならねぇんだ」

 一人だけ悪態を付いたのはDクラスの迫田だった。確かに現役剣道部ではない僕が指導役になるのに、納得が行かないのも分かる。

「悪いんだけどくじ引きばかりは勘弁してほしい」

 再び舌打ちをした迫田だが、生徒指導教諭を兼ねている今回の体育教諭に目を付けられ、不承不承という体で、渋々と引き下がってくれた。

 最初の一限はまずは防具の付け方だ。

 体育のジャージの上から垂れと胴と言う間抜けなスタイルは致し方ないとして、昨年も剣道を選択した者でも、一年ぶりにやるとなかなか難しいらしい。

 次いで、すり足と、素振りを指導し、竹刀で素振りを受ける所までやっていたら、チャイムが鳴って休憩になった。

「それじゃ一旦解散で」

 ここまで無事に指導役をこなせた事に安心していると、隆哉が僕の肩を叩いた。

「ハル、付き合え!」

 ニヤリと笑った隆哉に嫌な予感を覚える。

「待て待て、僕は防具を付けるのすら一年ぶりなんだぜ」

「んなもん、身体で覚えてるだろ?」

 隆哉の言葉に同調したのは剣道部の二人だった。

「おっ、中学の地区大会の決勝戦の再来かよ?」

「飛鳥と東雲の同門対決か。それなら俺ら審判するわ」

「んな、無茶な!」

 僕の話はいざ知らず、体育館の端に置いてあった審判旗を取ってきた宮田と榊原に逃げ道は塞がれた格好だった。

「ほら、面付けてる間に休み時間無くなるぜ?」

 隆哉の言葉に押され、結局僕は現役剣道部長の隆哉と一本勝負をする事になった。


 休み時間の喧騒の中、体育館を半分に区切ったその真ん中に、審判旗を持った二人と、防具を完全装着した僕と隆哉が立った。互いに礼をしてから三歩進み、蹲踞(そんきょ)をする。

 そんな事をしていれば、気付いた生徒達がなんだなんだと注目し始めるのが、事の道理というやつだ。

「場外反則はなし。一本勝負、始め!」

 主審を引き受けた宮田の掛け声と、僕と隆哉の「「ヤァァァ!!!」」という気合が体育館に響く。そして一歩踏み出した所で剣先が交わる。

 それまで事の成り行きを見守っていた連中もこちらに注目したらしく、ザワついていた周囲が静まり返るのが分かった。

「あの時と同じだなー」

「延長で一本勝負になったからな」

 試合ではありえない会話だが、今は構わないだろう。それに隆哉の言わんとする事ははっきりとわかった。

 練習中の地稽古を除けば、中学の地区大会の個人戦、決勝戦で延長一本勝負にもつれ込んだ一戦以来の隆哉との試合という事になる。

「「ヤァァァ!!!」」

 再び互いに気合いを入れ合い、右へ右へとゆっくりと周る。

 剣先は常に激しくぶつかり、カチャカチャと音を立てながら、中央を取らんとせめぎ合う。

 しばしの剣先の攻防の末、隆哉の竹刀が僕のそれを抑えてから巻き込んだ瞬間、彼は動いた。

「メンヤァァァ!!!」

 隆哉が得意とする、鋭い面打ちが僕を襲う。

 身体が鈍っているならば初手で終わらせてやると言う意思すら感じる必殺の一撃。

 それを感覚を頼りに、ギリギリのタイミングで竹刀を盾にして右へと受け流し、鍔迫り合いの格好になった。

 間近で見た隆哉の顔は本気になっている時のそれだった。

「シャァァァ!!!」

「オラァアア!!!」

 隆哉の本気の気合いに僕も気合いをぶつけ返す。互いのギアが一段階上がる感覚。久しぶりの試合の緊張感が僕の心を踊らせた。

 ただ、そんな所で楽しくお遊びに付き合ってくれるほど隆哉は甘くない。すぐに態勢を崩しに掛かり、隙を見て引き面を狙って来る。

 それを読めるのは、長年同じ場所で練習を積み重ねた間柄だからだ。

 竹刀の鍔と首を右に傾ける事で、隆哉の鋭い一撃を逃れると、下がる隆哉にすぐさま追い打ちを仕掛ける。

 ここで単純な面を打ちに行くと、出鼻小手を繰り出された時に弱いので、相小手面を狙った連続攻撃を選択する。

「コテェィヤァァァ!」

「コッ、メンヤァァァ!!!」

 崩れた体勢から出せる技は限られるので、隆哉の動きは予想通りだったが、久しぶりの足裁きが上手くいかず、小手からの面打ちの踏み込みがやや弱かった。仰け反った隆哉が面金で受け流し、一本とはならず。また鍔迫り合いになる。

「なんだよ、久しぶりにしちゃ試合感が鈍ってないじゃないか?」

「それだったらもう一歩踏み込めてるってのっ!」

 鍔迫り合いから、今度は互いに強く押し合い、いったん間合いをはかった。

『今度はコッチから攻めてやるからな』

『やれるもんならやってみろ』

 言葉は無くても剣先を通じた意思の疎通がそこにはある。

 僕は再び右へ、右へと周りながら、徐々に間合いを詰める。隆哉と自分のギリギリの間合い、それが詰まった瞬間だった。

「「メンヤァァァ!!!」」

 二人が同時に面を打ち込む。おぉっ! とギャラリーが沸いた。

 今の僕に出来る最速の出鼻面。隆哉もそれを読んでいて、先の先になる出鼻面で挑んできた。

 もしかして取ったか? お互いがそう思ったのか、残心をのこしてから審判を見る。二人の審判旗は別々の色が上がっていた。

 今回は審判が二人、その一対一の判定により、今の一本は無効となる。

 互いにそれを認識して、再び向かい合うと、中央を取るせめぎ合いはますます激化した。

「マジかよ、今のは俺が取ったと思ったぜ」

「僕もだ。」

 再び、竹刀の先が触れカチャカチャという音がはっきりと聞こえる。

 そして隆哉の剣先が上がる瞬間にフェイントを入れ、二歩目で前へ踏み込む。

「コテェッ!」

 僕の小手打ちは隆哉が巻き込んだ竹刀によって余裕を持って防がれた。

 そして鍔迫り合いに持ち込む瞬間だった。隆哉が思い切り振りかざした拳で態勢を左に崩された。そのまま高校生から許される引きでの逆胴打ちが僕を襲った。

「ドオォォォ!!!」

 慣れない方向からの打ち込みに、焦りが生じたが、痛みを伴った衝撃と鈍い音。それは隆哉の打ち込みが下にズレ、垂れに当たって直撃を免れた事を告げている。

 左右どちらを狙うにしろ、引き胴は最も崩れた態勢のまま引くことになる技だ。ならば、即座に面で追い打ちを掛けようと、竹刀を振り上げたタイミングだった。

 狙いを済ませた様に隆哉の竹刀が左下から跳ね上がり、僕の竹刀を側面から叩く。

 気付いた時には僕の手から竹刀は無くなっていた。そして遅れてガチャンガチャンと、竹刀が床に落ちた音がする。

「止めっ!」

 そこで主審である宮田の止めが掛かり、試合が止まる。

 以前は竹刀を落とすなどほとんど経験が無かった故に、呆気に取られたまま竹刀を拾いに行く。屈んで竹刀を掴んだその時だ。

「春樹、負けないでぇ!!!」

 体育館に美桜の叫び声が響いた。

 そこに居合わせた全員の視線が一人の少女へと向けられた。

 僕も驚いたが、竹刀を片手に美桜と互いの視線を交わし合ったら、不思議と気持ちが凪いでゆく。

 美桜に小さく頷き、もう一度隆哉と相対した。

「反則一回。始めっ!」

 竹刀を落とした事により、僕に反則が一つ付き、試合が再開する。

「「ヤァァァ!!!」」

「春樹、頑張れ、ファイト!」

 僕らの気合いの後に美桜の声が続いた。すると、周りからも声が掛かり始める。

「飛鳥君頑張れー」

「飛鳥、負けんじゃねぇぞ! 剣道部の意地見せてやれ!」

 美桜たちのいる、創作ダンスのエリアからの黄色い声援や、隆哉の友達の声がした。

「ハルも負けんなぁー!」

 何故か柔道を選択しているはずの浩介の声も聞こえてきた。

 そこからは無我夢中で隆哉と打ち込み合い、緊迫の試合展開が繰り広げられた。正しく両者譲らず。

 やいのやいのと周囲を巻き込み、声援合戦の様相を体した試合に、ケンカと間違えた体育教諭が、何してるんだ! と飛び出してきた。

 しかし、キョロキョロと周囲を見渡してから、状況を把握したらしく、すまん、続けてくれ、と言ってからは何も言わず、むしろ腕組みをして観戦に加わっていた。

 そして何度か激しいぶつかり合いを伴ったせめぎ合いの後、終局はあっけなく訪れる。

『キンコンカンコンー♪』

 始業のチャイムに宮田が止めを掛け、僕らは試合を始めた最初位置へと戻る。

 そのまま主審が両旗をクロスさせて掲げ、引き分け、がコールされた時だった。

「待った待った」

 声を上げたのはまさかの先程の体育教諭だった。

「武道には見取り稽古という物があると言いますね。ここで試合を止めるのは勿体無いでしょう。このまま勝負を付けなさい!」

 その言葉に、周囲のギャラリーは、ウォォォ!!! と、沸き立つ。

 主審となっていた宮田は上げていた手を下ろし、僕らにそれぞれ視線を送り、確認を取る。

 僕と隆哉もこの立ち合いからの一本で全てを決めると頷きあった。

「延長、始めっ!」

 今までで一番気合いが入った宮田のコールと同時に僕らは動いた。

 長々とした気合いは不要だ、「「ッヤァ!!!」」と言う短い気合いもそこそこに、すかさず一歩を踏み出し、互いに相手の面を狙う。一部で、ハジメンと呼ばれる『先の先』の最たる攻撃だ。

 スッっと、右足を前に出し、左足で床を蹴ったその瞬間、僕は全てを察した。しかし身体はもう止まらない。

 右足を出したタイミングは同じだった。左足で前へ出るタイミングだけ、それが零コンマ何秒か遅れた。それが全てだった。

「「メンヤァァァ!!!」」

 僕の竹刀は確かに隆哉の面を捉えた。しかしそれよりも確実に早く、隆哉の竹刀は僕の面を捉えていた。

 二人の審判が同じ側の旗を上げた。そして、「面あり!」とコールされる。

「「「うぉおおお!!!」」」

 試合の趨勢を見守っていた創作ダンスの方のギャラリーまでが歓声を上げた。

 美桜には悪いが僕の完敗だ。

「勝負あり」

 宮田のコールに、再び蹲踞をしてから三歩下がり、互いに礼をすると、体育館に拍手が沸き起こった。

「はーい。こっちも始めるよー!」

 創作ダンスの指導をする女性教諭の声でネットの向こう側に陣取るギャラリーも散ってゆく。

 僕ら剣道を選択した仲間たちも、改めて先生から面を付けるようにと指示が出て、それぞれが作業に入ると、さっきまでの騒ぎが嘘のように体育館は静かになっていた。

 今日が最初の授業とあり、面の付け方と、基本の打ち込みだけを教えると、あっという間に残りの時間は過ぎ去った。

 面、小手、胴、そして小手面。僕が打ち込み方を見せて、同じ様にやってもらう。

 どのチームも始めはぎこちない動きだったが、回数を重ねる事で、徐々に様になってきていた。

 先程の試合のお陰か、剣道部では無くても多少認めてもらえたようで、質問なんかも良くされた。もし隆哉がそこまで考えていたのなら頭が下がる思いだ。

 ただ、僕としてはひとつだけ懸念が残った。

 それは迫田がまったく言うことを聞かない事だ。

 面紐の結び方ひとつでも、経験者だからってチョーシのんな、と言ってきたり、僕と組んで打ち込みをさせると、わざと大振りに竹刀を振り回してきていた。

 手首を使うよう言っても振り上げた竹刀を叩きつけるだけで、一向に聞きはしない。

 何をそこまで恨まれたかは知らないが、授業として竹刀を持ってるのをいいことに、僕を痛め付けたいと言わんばかりだ。

 こちらとしては、あんな打たれ方をされても手首のスナップは効いていないし、踏み込みも甘々なので、痛くないし全く構わないのではあるが……面金に当たる打ち方になる為、一度竹刀が割れてしまっていた。

 どうしたものかと、考えを持て余した僕は、授業のあと、剣道部の部室で制服に着替えながらその話を持ち出してみた。

「あのさ、Dクラスの迫田って分かる?」

「東雲のチームになったガタイの良い金髪だべ?」

「俺は一年の時同じクラスだったけど、あまりいい噂は聞かないよな」

「そうなんだ、東雲は厄介なの受け持ったな?」

 そう言ったのは榊原と宮田だった。

 榊原がA、宮田がB、僕と隆哉がCクラスなので、ここにいるメンバーだと、Dクラスのことがよく分からない。

「あー、あいつも前に夢咲さんにフラれたんじゃなかったか?」

 隆哉の言うことが正しければ、もしかして先程の態度は、彼の逆恨みなのだろうか。

「気を付けた方がいいんじゃないか? アイツ何するかわからねーぜ?」

 去年、迫田と同じクラスだった宮田の言葉に、ふとトイレでの一件を思い出す。

 そう言えば……と、僕が聴いてしまった内容を三人に告げると、宮田が、間違いないな、と言って頷いた。

「迫田の下の名前はタケシだからな。いつも取り巻きと三人でつるんでるし」

「なんかヤバそうだな。ハル、なんかあったら俺たちに言えよな?」

 隆哉の言葉に、ありがとう、と伝えると、僕らは制汗スプレーをたっぷりと全身にかけてから教室へと戻った。


 自販機で買ったジュースを片手に教室へ戻るなり、内田が僕と隆哉の元へやってきた。

「おまえら、すっげーじゃん! 特に東雲、おまえあんなに強えぇなら何で剣道部に入らないんだよ!」

 どうやら彼もさっきの試合もどきを見ていたらしい。内田の騒ぎを聞きつけた男子が徐々に集まってくる。

「なになに、なんかあったのかよ?」

「飛鳥と東雲が休み時間に剣道で一騎打ちしたんだよ!」

「俺らルールとか分からねぇけど、隆哉は県大会の個人でいい所まで行ったんだべ?」

「けど、東雲もまともにやり合ってたよな」

「おうおう、最後なんかどっちの竹刀が先に当たってるとかうちらにわかんねーし」

「うっわ、見にいきゃ良かったな!」

 試合を観たもの、話に聞いたもの、それぞれが思い思いの言葉を口にする。

「待った待った、僕はもう剣道やめた身だからさ…….」

 僕は隆哉にヘルプの視線を向けた。

「俺も勿体無いとは思ったけどな、ハルは別の目標があるんだよ。てか、俺たちに飯くらい食わせてくれよ。さっき着替えてきたばかりで腹ペコだ!」

 隆哉の腹ペコ発言で笑いが起きて、クラスの男子が解散していく。四十分程ある昼休みも残りは半分程になっていた。

「今日はハルたちと食べようかな」

「いいんじゃない? 美桜と浩介も待っててくれたみたいだし」

 僕と隆哉が連れ立って二人の元へ向かうと、美桜は僕の席に座って浩介と話しながら待っていたようだ。

「おっ、一躍人気者になった春樹どんだ」

「春樹くんおかえりー」

 二人に、ただいま。待たせてごめんね、と言うと美桜は僕の椅子を空けてくれた。そして横の席から別の椅子を借りてくる。

「俺も一緒にいいかな?」

「もちでしょ」

「どうぞっ!」

 浩介と美桜の言葉に、隆哉もそばにあった椅子を借り、四人でのお昼となった。

「そう言えば、さっき応援してくれてありがとう」

「ごめんね、なんか見てたら思わず声に出ちゃった……」

 照れ笑いしている美桜の頭を、ポンポンと撫でる。

「こっちこそ、応援してくれたのに、負けちゃってゴメンな」

「あ、もしかして俺、ここではアウェーなんじゃね?」

 隆哉のおちゃらけた発言にみんなして吹き出す。

「いやー、あれ見たらふたりのことみんな認めざるをえないんじゃない?」

「あ、それ俺も思った!」

 浩介の言葉に隆哉が即座に同意する。

「タカさぁ、反則貰った後、構え合った時に笑ったっしょ?」

「そりゃそうだろ。ハルは愛されてるなぁーって」

 隆哉の一撃で、今度は僕と美桜がアウェーになった気がして縮こまる。

「飛鳥君のが黄色い声援は受けてたんじゃね?」

「いや、俺を応援してくれるのはひとりだけでいいから」

 隆哉は浩介のからかい口撃をイケメンの余裕? というやつでサラッといなす。頭に過ぎった『僕もひとりだけでいいや』という言葉は、僕が言うにはあまりにキザすぎて、口から出る事は無かった。

 その後も談笑しながらお弁当をつついていたら、昼休みはあっという間に過ぎ去ってしまったのだった。


 放課後になり、何処かに寄り道でも……との考えは、美桜にバイトが入っていた為、実現ならず。僕は致し方なく家に直帰して、釣り針を結わえながら、テレビを観て過ごした。

 ここ最近、身の回りがやたらと慌ただしかったためか、ひとりの作業は妙に寂しく感じる。

 夕飯と風呂を済ませ、美桜がバイト上がりになるタイミングを見計らって、『バイトお疲れ様〜』と、メッセージを送った。

 いつもと違い、なかなか返信は来ないが、自転車にでも乗ってるのだろうと思い、ベッドに転がりながら、流行りのマンガアプリを流し読みして待つ。

 すると、LINEでのメッセージでは無く、美桜から通話が掛かってきた。

『あ。もしもし、今って通話平気だった?』

「うん大丈夫。ベッドに転がってただけだから」

『そっか、なら良かった』

 そう言う美桜の声は妙に覇気が無かった。そもそも通話してきた時点で何かおかしいと気付いていた。

「どうしたん、なにかあった?」

 努めて優しく話し掛けたが、美桜はしばらく言葉を口にしなかった。

「ねぇ、美桜。いま何処にいる? もしかしてまだ帰ってなかったりする?」

『あ、えっと、まだバイト先……』

「分かった、すぐ行く。十五分くらいそのまま待ってて!」

『えっ!?』

 美桜が驚いた様な声を出したが、僕は通話を切ると、上着だけ羽織り、慌てて身支度を済ませる。

 おふくろが、あんた、こんな時間から何処行くのよ? と、目を丸くしていたが、買い物! とだけ告げ、バイクのヘルメットを持つと、すぐに玄関を飛び出していた。

 

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