満月の少年たち

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満月(つき)の少年(こども)たち

 ──美しい夢を、見た。


 煌々こうこうと輝く満月の夜空のもと。私はあたかも妖精のような少女と、愛をわし続けている。


 彼女のまるで月の光のようなしろがね色の長い髪の毛が、私のむきだしの上半身にからみついてくる。


 陶器のように白くすべらかな肌は、あえぐほどに上気していき、彫りが深く端整たんせいな顔立ちの中のサファイアみたいな青の瞳は、更にそのあやしい輝きを増していった。


 小柄で華奢きゃしゃ肢体からだ。いまだあどけなさの残るおもち。まだまだ十代なかばの年ごろであろうか。


 しかし彼女はまばゆい月明かりを背に、まるでいどむようなあおじろく燃える瞳で私をつらぬき、けしてその愛の営みからのがれることもこばむことも許してはくれなかった。


 私はもはやすべての道徳観も倫理観も忘れ、その快楽と背徳はいとくの海へとおぼれていった。


 ──そう。すべての行為が終わった果てに世にも恐ろしい『しょくざい』の瞬間ときが、私を待ちかまえていることを知りながら。 




  一、失楽園システム・エラー



「……本当にこれが、私の家なのか?」


 都心でも指折りの高級住宅街の一角にそびえたつ、コンクリートうちっぱなしのモダンで豪奢ごうしゃな四階建ての『大邸宅』を見上げながら、私は途方にくれていた。


「何度もそう言ってるじゃないですか、

『先生』と言う割にはまるで子供に言いさとすように、そのいかにも関西商人風の小太りでな中年男は言った。

「しかし少女小説家というのは、そんなにかせぎがいいものなのかい?」

「まさか。先生はたしかに我がレーベルきってのベストセラー作家ですが、残念ながら我が社ではそれほどの原稿料も印税もお支払いしてはおりません。何でも先生のご実家が、旧家の大地主であらせられるそうです」

 そうなのだ。実はこの『はらやま』という名の男は業界随一の少女小説誌の副編集長であり、しかもこの私の担当者だと言うのだ。

「しかし驚きましたよ。徹夜明けのホテルに迎えに行ったら、いきなり『記憶喪失』になっているなんて。どうせ作家お得意のきょうげんかと思ったらちゃんと作品は仕上がっていて、別に嘘をつく必要もないし。まあ、次回作までまだ三ヶ月の余裕がありますから、その間ゆっくりとようじょうなさってしっかり元通りになってくだされば、何も問題はありませんがね」

 一階の吹き抜けのエントランスから透明なガラス張りのエレベーターで三階へと上がる道すがら、ほんの少しの同情心のかけらもない口ぶりで副編集長様はのたまった。

 まったく。こんなやつが担当だなんて、記憶喪失にもなろうというものである。

 いや、そんなことを言っている場合ではない。今の私は住処すみか生業なりわいはおろか自分の名前や性格すらおぼつかない状態なのだ。この目の前のいやな男だけが唯一の『頼みのつな』なのである。

「この部屋です」

 まさに『勝手知ったる他人の家』といったところか。原山はわが物顔でおどおどとし続けている私を、その部屋へと招き入れた。


 うわっ、何だこりゃ。一応予測はしていたつもりなのにその『私の仕事部屋』というものは、想像を上回る有様ありさまだったのだ。


 これぞ『小説家の書斎』といったぜいであつらえられている機能的でシックな机と椅子。そして今や幻のパソコンとも呼ばれている『オーエスナイン』専用のプロ用デスクトップ一式。しかし何よりも圧巻なのは壁面へきめんいっぱいに設けられた書棚しょだなおおいつくしている、無数の文庫本のカラフルな背表紙であった。

「……これ全部、少女小説なのか?」

「ええ、そうです。まさしく我が『マリン文庫』の歴史そのものが、この本棚に凝縮されていると言っても過言ではないのです。ほら御覧ください。初期の名作『三重苦の少女むすめたち』に、マリン・ブームの起爆剤『右大臣の姫が通る!』、BLボーイズ・ラブマニア層を席巻せっけんした『ファントムのはんごん術』に、今世紀初頭の大ヒット作『ピエタたちの放課後』。いやあ、まさに歴史的名作の数々、少女小説界の至宝!」

 ……ったく、一人で鼻高々になって。いったい誰の本棚だと思っているんだよ。

 しかし、何なんだろうねえ。当然仕事の参考資料用としても使っているんだろうけど、『私』ってよくよく少女小説が好きなんだろうなあ。

「ふうん。作者ごとに背表紙の色がちがうんだ。冊数だとこの作家のが一番多いよね。私、この人のファンだったのかな」

 すると原山が、さもふんぱんきわまりないように口元を押さえた。本当にかんさわるやつである。

「何をおっしゃいますやら。それ全部、あなたの作品じゃないですか」

 ええーっ!? このド派手なピンクの背表紙のやつがあ? ちょ、ちょっと待ってよ。作者名が『あいはらみゆ』ってなっているぞ?

「ああ、ペンネームのことですか。なあにこの世界じゃ珍しいことじゃありませんよ。やはり作者が女性の方がよりソフトな感じがして、読者に受けがいいようなんです」

 ……私って、いったい。何だか頭が痛くなってきた。もうこれ以上自分の過去について、知る勇気がなくなってきた。

「先生、本当に何も覚えていらっしゃらないんですねえ。まあいいじゃないですか、ここにあるご自分の著作を読んでいるうちに、何か思い出すかも知れませんし。そうそう、今日いただいた最新作もゲラをだい、すぐにでもお届けいたしますので」

 たしかに、一般的なミステリーでは記憶を失った小説家がまず頼りにするのは、自分の著作や日記といったところであろうが、果たして『性別をいつわって書いた少女小説』が、どれほどの役に立つというのであろうか。

「そうだ、先生、今朝けさはどんな夢を御覧になりました? 夢ってのは案外、ご自分の過去や深層心理をく鍵にもなるそうですよ」

 うっ、それはちょっと。まさか「夜空のもとで月の妖精のような美少女と×チョメ×チョメしていました」なんて、とても言えないからなあ。

「いやあ、何かそっちの方も、すっかり忘れちゃってさあ。あはははは」

「……そうですか。それは残念ですなあ」

 しかし相手は何といっても、作家の嘘を見抜くことの専門家エキスパートなのである。私は原山の視線からのがれるようにして、慌てて天井の方へと振り仰いだ。

 するとまさにそのとき私のじょうで、何かゆかを打ちつけるような音が響いたのだ。

「この家、他に誰かいるのかな?」

「四階ですな。行ってみましょう」


 彼のやけに落ち着いた態度が気になったが、私にはその言葉に従う以外すべはなかった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 最上階は仕事場や応接機能が一切いっさいはぶかれた、一階ワンフロアまるごとの生活専用空間になっていた。


「この部屋が、先生の寝室になります」

 そう言いながら素通りかよ。まあたしかに音がしたのは、もっと奥の方だったけど。

「ここです」

 何となく気になる笑みを浮かべながら一番奥の部屋の扉を開け、入室をうながすはらやま

 やだなあ、いかにも何かありそうな展開だよ。私は恐る恐るその部屋の中をのぞき込もうと──おいおい。どういうわけだ、これは!?

 私は『それ』をひと見るやいなや我を忘れ、ぼうぜんとその場に立ちつくしてしまった。

 まるで月の光のようなしろがね 色の髪の毛。陶器のように白くすべらかなる素肌。彫りが深く端整な顔立ちの中で輝いているサファイアみたいな青の瞳。


 そう。まさにあの夢の中の妖精のような少女が、その場に忽然こつぜんと現れたのだ。


 いや、ちがった。その小柄で華奢きゃしゃたいにいまだあどけなさの残るおもち、そしておそらく十三、四歳ぐらいの年ごろであるところは、あたかもあの夢の『少女』そのものではあるが、今私の目の前にいるのは間違いなく、『少年』であった。

 ……えー、何でわかったかというと、私は夢の中の『少女』の方は、身体からだ隅々すみずみまで知っているわけであって……いや、何だ。まあとにかく、目の前の『少年』の方は白いワイシャツに黒いズボンという男物の服を着ているようだし、それに何といってもその身にまとう雰囲気というものが、まったくちがっていたわけなのだ。

 髪の毛はいわゆる『ベリー・ショート』と呼ばれる極端に短いものであり、体つきも女性らしい丸みはほとんどなくひょろひょろとせ細っており、特にまったくちがうのはその『目つき』であって、あの少女のいどむような感じはじんもなく、ゆかに尻もちをついたまま焦点の定まらない目をくうに向け続け、こうして部屋に人が入ってきたというのにいまだ何の反応も示そうともしなかった。


「……この子は、いったい……」


 あ、原山さんたら。人のことを、そんなあわれむような目で見なくてもいいじゃないの。

「何だか私、疲れてきましたわ。いくら何でもひどすぎますよ、ご自分の息子さんのことまでお忘れになるなんて」

 む、息子だと!? うっそー!

 私はとても信じられず、まじまじとその少年を見つめた。

「あのう、私って、外国人だったの?」

「先生はしょうしんしょうめい日本人です。まさかご自分の顔もお忘れになったんですかあ。ホテルでも帰りの車の中でも、あれほど何度も鏡をご覧になって確かめていたではありませんか」

「それじゃ、この子の、このルックスは……」

「いくら担当編集者だからって、作家のプライバシーのすべてを知っているわけじゃないんですからね。まあ、聞くところによるとこの子は『ご養子』のようですが、もうすでにちゃんと戸籍にも入っているみたいですよ」

『私』ってば国際結婚かなんかしていて、奥さんの連れ子だったりするのだろうか。でも今現在妻がいる気配もないし、その程度のことならば原山も知っていたはずだし……。

 ──ええい、やめたやめた。これ以上自分の家族構成をに聞くのは、あまりにもまぬけ過ぎる。

「まあこれで、あらかた『御説明』も終わったことですし、そろそろ私の方はおいとまさせていただきますかね」

 そ、そんな、こんな状態でひとりにするつもりなの? それでも担当と言えるのか! 

 しかし私のその慌てようを見るなり、原山はふき出すように目を細めた。

「これは驚きました。愛原先生が、まるで子供がすがりつくような目をするなんて」

「な、何だよ。それじゃ普段の私は、そんなに冷酷非道な男だったとでも言うのかよ!?」

 ……ちょっと原山さん。何なのそのいかにも意味あり気な、毒気に満ちたほほみは?

「いやあ、『記憶喪失』って、本当に便利なものですなあ」

 どこかの映画解説者か、おまえは。


 その皮肉っぽいコメントだけを残して原山副編集長様は、哀れな記憶喪失の作家をひとり置いて、無情にも立ち去っていったのである。




  二、玩具マリオネット



 まさにその少年はあたかも魂を持たない、一体の美しき人形のようであった。


 とにかく一人になってから何が大変だったかというと、あの『少年』の世話であった。

 五感の方は別に異状はないようなのに、何が起きようともまったく反応というものを示さず自分からも言葉すら発さず、自立的な生活能力が完全に欠けていたのだ。

 まるで『ヘレン=ケラーか人形か』といったところであり、結局こっちが『サリバン先生』にならざるをえず、食事の世話からお手洗いまですべて面倒をみる羽目はめとなった。

 しかし、まいるよなあ。身の回りの世話をするということはずっと一緒にくっついているわけであり、しかもその相手というのが何度も夢の中で愛をした人物とそっくりなのである。いくら同性で義理の息子とはいえ何となくおかしな気分になってしまうのも、いたしかたないところではなかろうか。

 だってあれだよ、こんな神秘的な容姿に加えてまるでじゅんしん無垢むくあかのようなありさまだし、何か倒錯とうさく的なんだけど、生きた『西洋人形』の世話をしているみたいなんだ。


 けれどもそんな私のひそやかなる葛藤かっとうも、すぐに冷や水を浴びせられることになった。

 それはまさに食事が済んだあと、彼を初めてお風呂に入れようとしたときのことであった。


 ──こ、これは、いったい。


 すべての衣服を脱ぎ捨ててあらわになったその少年の素肌は、まさに夢の中の少女そのままに白くき通るようにすべらかであり、どこか『はくじゃ』を思わせるようなみだらであやしげな雰囲気をかもしだしていた。

 だがこれはどういうことなのだ。そのいたいけな若者の柔肌やわはだには見るも無残な『刻印』が、無数に焼き付けられていたのだ。


 その四肢、胸、腹、背中、下腹部を問わず、少年の体躯からだ中をじゅうおうじんに走っていたのは、傷痕きずあとであり、みみずれであり、やけどのあとであり、青あざであった。


 これっていわゆる『児童虐待』ってやつ? こんなとしもいかない少年に何たることを!

 そうか、だからこの子は自閉症みたいになってしまっているのか。くそう、いったい誰なんだ、こんなひどいことをしやがったのは。


 幸せなことにもそのときの私には、『犯人』の目星がまったくつかなかったのである。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「何だか、おかしなことになってきたなあ」


 時はすでに真夜中過ぎ。私は自分の寝室のベッドの上で、一人ため息をついていた。


 しかし『私』って、趣味がいいのか悪いのかよくわかんないよな。この部屋ひとつとってもそうだ。何と天井のほとんどが円形の大きなガラス窓で占められていて、こうやって寝そべって見上げていると、あたかも夜空のもとにいるような気分になるのだ。

 ちょうど中空にはふくらみかけた弓張月ゆみはりづきが輝いている。ふいにそのとき、あの少女の青いほうぎょくのような瞳が脳裏をよぎった。

 いかんいかん、月を見るたびにその気になっていたんじゃ、身体からだがいくつあってもりはしない。今日は疲れてるんだ、さっさと寝てしまおう。

 私は雑念ざつねんを振り払うかのようにごろりと身を横たえ、毛布を頭からかぶろうとした。


 その刹那、思わず身体からだが固まった。何かが自分の足元で、うごめいていることに気づいたのだ。


 何だ何だ!? 思わず毛布を引っぱがしたとたん目の前に飛びだしてきたのは、たった今妄想したばかりの、あの青い瞳であった。

「……おまえ、いったい、いつの間に……」

 その一糸まとわぬせ細った身体からだはけして少女のものではなく、おうとつや丸みのほとんどないすらりとした少年独特のものであった。

 しかし、月明かりを背に私の方をおおいかぶさるように見つめているその瞳は、昼間のようなせいのないガラス玉ではなく、まさにあの夢そのままに私の心臓を直接ぬくがごとく、いどむようににらみつけるようにあおじろく輝いていたのだ。

 いったい私は何をしているのだ、寝込みを襲われているんだぞ。なぜしかりつけようとも起き上がろうともしないのだ。


 ──そうか、あの瞳だ。あの瞳に見据みすえられて動けないのだ。


 まるで月明かりの夜空のような、わたった青の瞳。

 その神々こうごうしくもあやしくみだらな輝きが、私をとらえて放さないのである。


 すると、まさにその二つのせいぎょくが、あたかも月が落下してくるように勢いよく迫ってきた。


 思わず目を閉じた瞬間私の口元は、何かにふさがれてしまう。

 うわっ、何だかなまあたたかいへびのようなものが口の中でうごめき始めた。ああっ、たった今舌にからみついてきた。ちょ、ちょっと、今度はどこをさわろうとしているんだよ!?


 その少年は、唇、舌、指、ひざ、そして股間と、自分の身体からだのすべてをこすりつけるようにして、私をあいし始めた。


 心の中では理性が「だめだだめだ」と叫んでいる。しかし、彼の花のつぼみのような唇がすでに我慢の限界に達していた私の『最も敏感な部分』に触れた瞬間、とうとう頭の中が真っ白となり、そのとしもいかない義理の息子のきゃしゃからを組み伏せるようにしてかきいだいたのである。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 次の日。私の気分はあたかも底なし沼のように、果てしなく深く落ち込んでいた。


『義理の息子』の方はというとまるで昨夜の出来事が夢だったかのように、いつも通りの『お人形さん』へと戻っていた。

 ああ、あれが夢ならばどんなにいいであろうか。しかしその望みはけしてかなうことはない。なぜなら私は情けないことにも、息子から一睡いっすいもさせてもらえなかったのだ。

 若いとはいえ何という体力なのか。昼間ぼんやりしているふりをしながら実は目をけたまま眠っていて、ひそかに体力を温存していたりして。しまった、だまされていた。

 いやいや、冗談を言っている場合ではない。問題は昨夜のことだけではないのである。少なくとも私たちが『肌を合わせた』のは、あれが初めてではないはずだ。それほどまでに彼の身体からだは、私にんでいたのだ。


 だんだんと不吉な考えが、私の脳裏を支配していく。

 おさな身体からだに刻み込まれた無数の傷痕。まるで入念に仕込まれたペットのように、父親に『ご奉仕』をする義理の息子。


 ──ホラ、キレイニぱずるガ、ハマッタヨ──。


 ちがう、ちがう、ちがう、私じゃない。私はけして、そんな『ケダモノ』じゃない!

 私はその不安を振り払うかのように書棚から自分の著作だけをつかみ出し、むさぼるように読み始めた。


 そうだ、私は『少女小説家、あいはらみゆ』なのだ。見よ、この名作の数々を!


 そこには現実社会の『けがれた欲望』や『絶望に満ちた日常』なぞは、じんも存在してはおらず、ただ夢と希望だけでつくられた美しくて肌触りのいい『空想の世界』だけが、読む者を優しく包み込んでくれた。

 だからこれは何かの間違いなのだ。『児童虐待』? 『性的倒錯者』? 冗談じゃない。心優しき少女小説家であるこの私が、そんなことをするわけがないのだ。


『いやあ、「記憶喪失」って、本当に便利なものですなあ』


 そのとき突然よみがえったのは、はらやま副編集長の皮肉に満ちた声であった。

 ──うるさい、だまれ!

 私はたまらず両手で耳をふさぎ、ゆかの上へとうずくまってしまう。


 しかしその声は何度も頭の中でこだまして、まるで鋭利な刃物のように、私の心をえぐり続けた。


 そう。たとえ性別をいつわって少女小説家になっても、記憶を失って人間になった気がしても、『過去ほんとう』の自分自身を消し去ることなんてできやしないのだ。

 なぜなら私の『背徳のあかし』は、今ここに厳然げんぜんと存在しているのだから。


 私のうつろな視線の先にはあの青い瞳の少年が、まるで人形そのものみたいな無垢な顔つきで、ただぼんやりと立ちつくしていた。




  三、狂宴ルナ・シー



「何か思い出されましたかな、先生」


 はらやま副編集長が約束通りゲラ刷りを持って現れたのは、それから一週間後のことであった。


 相変わらずの思わせぶりな笑顔が、今日はやけにかんさわる。

 もしやこいつには、すべてがお見通しなのではなかろうか。

 この一週間の出来事も、私自身が忘れてしまっている秘められた『本性』のことさえも、本当はみんなわかっていて素知らぬふりをしながら、面白がっているのではないだろうか。

 私はそんな邪推じゃすいを振り払うかのように原山から乱暴に原稿を奪い取り、架空の物語に没頭することで現実からのがれようとした。

 しかし、そこには更におぞましい『事実』が、私のことを待ちかまえていたのだ。


 その、『少年こどもたち』と名付けられた小説は、何とも奇妙な物語であった。


 その昔。ロシア北方のとある王国に、『』と呼ばれる不思議な部族がいた。

 なぜだかその数十名ほどの部族には成人は女性だけしかおらず、彼女たちは人里ひとざと離れた山奥にある神殿の中で外界とはほとんど関わることなく、ただひっそりと暮らしていた。

 彼女たちは人にはない『神の力』を有しており、特にそのうちの『予知能力』が時の権力者からちょうほうがられ、王国から常に手厚い加護を受け続けていたのだ。

 彼女たちが神殿に入る前に産み落とした子供たちは、これまたなぜか男の子ばかりで、神殿から離れた集落の中で、巫女みずからが神託で選んだ他の部族の男たちに育てられていた。

 圧巻なのは物語中盤において巫女の子供たちが、十四歳の満月の夜に神殿の近くの『聖なる泉』でのみそぎの最中に、少年から大人の女性へと一斉に変化していくシーンである。


 美しい月明かりのもと、数十名の少年たちのいまだ性的に未分化な中性的でおさな肢体からだが、文字通りの『月のしるし』とともになまめかしく丸みをおび始め、腰はくびれ、乳房はふくらみ、更には一族のあかしであるしろがねの髪が滝に水落つように伸び始め、その青の瞳も一段とみ渡るように輝きだした。


 まさにそのさまはこの上もなく禍々まがまがしく、そして狂おしいほどに美しかったのだ。


 しかし物語はこれ以降一転して、とめどもなく血なまぐさく変わり果てる。


『彼女』たちは女性化するとすぐさま集落へと立ち返り、何と自分の育ての親である他の部族の男たちとまじわり始めたのだ。

 そのきょうらんうたげは男たちが精根尽き果てるまで続けられ、そのあとに女たちの『巫女』としての初めての儀式が行われた。

 それは眠り続ける育ての親の首をはね、その血を飲み干し死体を神殿の神にささげるという、恐るべき『生贄いけにえの儀式』であった。


 こうして一夜にして、しょちょうの血、破瓜はかの血、にえの血を、その身に浴びた彼女たちは、更につきとお後にしゅっしょうの血を流すことによって、『』としての『血の洗礼せんれい』を終え、初めて神殿へ入ることを許されるのだ。


 そして、彼女たちもまた選ぶのである。自分たちの子供を育てあげそのにえとなってくれる、哀れな他の部族の男たちを。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……な、何なんだ、これは。こんなもの少女小説じゃない。単なるりょう趣味のエログロばなしだ。──狂ってる。こんな作品を書くなんて、私は狂っていたんだ。おかしいのは実生活だけじゃなかったんだ!」


 私はもはや、わめき続けるしかなかった。


 何かが変だ。自分のことを知れば知るほど記憶が戻るどころか、更に入り組んだ迷宮の深みへとはまっていくように感じられるのだ。


「そうですかな。これは見ようによってはまさに、きよらかなる『しょくざいの物語』とも読むことができるのではないでしょうか」

「『しょくざい』、だと?」

 何を言い出す気なのだろうか、この男は。私はいつしか目の前の小太りの男のことが、自分の命運をその手でもてあそんでいる『悪魔』のように思えてきた。

「巫女たちがその神託で選んだ男たちは全員が全員、同性愛者ホモセクシャル小児性愛者ペドフィリアといった性的異常者ばかりであり、しかも暴力的性格すら兼ね備えていて、俗世において数々の罪を犯した者たちだったそうなのです。当然極刑に処せられる身だったのを神殿に拾われ、あまつさえ神聖なる生贄いけにえとして世に貢献できたわけですから、これはもう人助けだと言っても過言ではないでしょう」

「それじゃ、なおさらおかしいだろう。なぜ巫女たちは犯罪者などという危ない男たちを、自分の子供たちの養父に選んだりするのだ? それに男たちだって、神殿で代々行われてきた『生贄いけにえ』の噂ぐらい聞いたことはあるはずだ。周りには女子供しかいないのに、なぜ逃げようとも戦おうともしないのだ?」

 それは私にとって、あまりにもうかつで命取りの質問であった。はらやまの口元がこれまでになく、不気味な形へとゆがんでいく。


「男たちの記憶を奪うんですよ。──今のあなたのようにね」


 そのとき突然足下の地面が、音をたてて崩れていくような錯覚を感じた。

「だから男たちはまさにじゅんしん無垢むくな善人のようになり、巫女の子供たちとも本物の親子のように暮らせるのであり、少年たちが女性に成長したあかつき には自分の哀れな末路に気づくこともなく、ただ快楽と絶頂感エクスタシーの中で文字通り『く』ことができるのです」

 たしかに私は最初のもくみ通りに『過去の自分』が書いたというこの小説によって、狂気と渾沌こんとんに満ちた記憶の迷宮を抜け出すことができた。


 しかし、現実と虚構がないまぜになったすえにたどり着いたそこには、こうしゅだいの刑場が口をけて待ちかまえていたのだ。


 そう。もはや『最終判決』はくだされたというのに、無駄な悪あがきをするように、私はえつをあげながら無様に原山にすがりついた。

「嘘だろ、嘘だと言ってくれ。こんな馬鹿げたことなんて、作り話に決まっている!」

 しかしその男はまるで駄々っ子をあやすかのように、やさしく言いさとした。


「何を言っているんですか、これはあなた自身の血と汗と努力のたまものではないですか。もちろん今のロシアには『』なんて部族は影も形も残っちゃおりません。けれどもあなたは、かつて王国のあった地域に今も語り継がれている不思議な『銀の髪と青い瞳の少年』の伝説を頼りに、わざわざ一年間も休暇を取ってロシアに取材旅行に行き苦労に苦労をかさねた結果、『あの少年』を見つけ出し連れて帰ってきたんじゃないですか」


 何だって!? いったいどういうことだ? すべては私が仕組んだことなのか? 私自身の望んだことだったのか?

 なぜだ、なぜなんだ? なぜ私はみずからを『生贄いけにえ』にするようなことを、願わなければならなかったのだ!?

 しかし、そんな大混乱におちいっている私なぞ少しも気にとめずに、原山はあくまでもマイペースに言葉を続けた。


「いよいよ今夜は、待ちに待っていた満月ですなあ。まあ何事もじっくりと焦らずに、慎重に取り組むにしくはないでしょう。とにかく先生が長年の『ご悲願』を達成なされますように、心からお祈りいたしておりますよ」


 そして彼はいつもながらの思わせぶりな笑みだけを残して、夕暮れ迫る街中へと立ち去って行ったのである。




  終章リセット、──そして『新たなるエンドレス・伝説ゲーム』の始まりリスタート



「……『しょくざい』、か」


 私はベッドの上で煌々こうこうと輝く満月の夜空をながめながら、ため息まじりにつぶやいた。

 今もなお、はらやまの意味深な言葉やあの不思議な物語が、脳裏に焼きついて離れない。


 ──もし。そう、あくまでも『もしも』という仮定の話であるが、本当に私が『性的倒錯者』で『暴力主義者』であり、これまで人知れず数々の犯罪を犯してきたとしたら、いったい何を望もうとするであろうか。


 そうだ、きっと私は良心のしゃくえかねて、こう願うにちがいない。──人生をやり直したいと。別の誰かになりたいと。

 たとえば名前と性別をいつわって、虫も殺さぬような善良なる『少女小説家』になりすまし、架空の世界に逃げ込むとか?

 いや、なまぬるい。結局それはただの一時しのぎに過ぎない。いっそのこと今までの記憶を一切いっさい捨て去り、真に『新たなる自分』を手に入れたいと望むのではなかろうか。

 もしそんなときに、あの『』の伝説のことを知りえたならば、私はいったいどうするであろうか。

 考えるまでもない。たとえどんなにおろかなことだとそしられようが私はすぐさまロシアへとおもむき、その『まぼろし たみ』の末裔まつえいを──そう、自分自身のための『死刑執行人』を、まなこになって探し回ることだろう。


 ふふふふふ。この『馬鹿げた妄想』が仮に事実であるとしたら、今夜私を待ち受けているのは、世にも恐ろしい『しょくざいの儀式』だということにほかならないわけなのだ。

 なのに私は何をのんきに寝ているのだろう。なぜ逃げ出そうともあらがおうともしないのか。相手はとしもいかない子供なのである、力でねじ伏せるぐらい造作もないのだ。


 いや、そうじゃない。これはこの上もなく光栄なことなのである。

 私は『』に選ばれて安らかなるさいのときを約束された、『聖なる生贄いけにえ』なのである。


 ──そうだ、これこそ私自身が望んでいた、この物語じんせいの『結末』なのだ。


 まさにそのとき、入り口の扉が静かに開き、華奢きゃしゃな人影がゆっくりと入ってきた。


 その、あおき瞳の『月の子供』のつややかなる髪の毛は、ゆるやかなウエーブをえがきながら足元まで流れ落ち、まばゆい月明かりの中で鮮やかなしろがね色に輝いていたのである。

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