最後の猶予に

スパイシー

最後の猶予に

 ここは都会の地下デパート。

 僕は、妻と娘と三人で買い物に来ていた。

 荷物もち兼お財布として連れてこられた僕は、ショーケースに並べられたケーキとか和菓子とかを見て、微笑ましく飛び跳ねる妻と娘の二人を傍らから眺めていた。

 こき使われるのは少しだけ不服だったけれど、僕はそれだけで満足だった。


 そう、満足だったのに。


「お前。こっちに来い」


 地面が震えそうなほど低い声を発した全身黒ずくめの大男が、睨むようにして僕を見ていた。

 僕は、震える足を鎮めるために、強く歯を食いしばって拳を握る。そんな僕の痛いくらい握り締めた手に、驚くほど冷たい何かが触れた。


 隣にいた妻が、顔を真っ青にして僕の手を握っていた。それで逆に力が抜けた。

 そうだ。もしかしたら、僕ではなく妻が選ばれた可能性もあった。最悪の場合、娘が選ばれる可能性だってあったんだ。なら僕でよかったじゃないか。


「早く来い!」


 動かない僕に気が立ったのか、大男は怒鳴るようにして言った。

 僕は妻に笑顔を向けて、少しかがむ。


「大丈夫だよ」


 娘に笑いかけて、頭を撫でてあげる。娘はくすぐったそうに目を細めた。僕はそれを見てから、立ち上がる。

 大男に指定された場所へと移動し、言われるままに地面に伏せた。


「さっきも言った通り、5分毎に一人ずつ殺していく。もうカウントは始まってるからな。さっさと金を用意しろ」


 大男は見たことの無い通信機にそう語りかけ、僕に向き直って言う。


「喋るなとは言わないが、騒いだらすぐに殺す」


 それはテロリストなりの慈悲なのか、僕は最後に妻と話す猶予が与えられた。

 僕は妻と何を話すべきか。改めて好意を伝える? 愛を囁く? 僕がいなくなった後のことを話す?

 考えながら妻を見て、決めた。


「僕実は、他に付き合っている女性がいるんだ」


 淡々と僕は震える妻にそう告げた。

 妻の表情が、不安から驚きに変わる。


「その人のことを愛していて、子供ももういる」


 娘にちらりと視線を送り、ゆっくりと言葉を続ける。


「僕も悪いとは思ってるよ。ごめんね」


 出来るだけ軽く、最低に見えるように。

 そう意識して、顔を醜く歪ませて見せる。


 そんな僕を見て、妻は微笑んだ。

 そして、あまりの出来事で声が出なくなっていたのか、妻は僕に向かって口ぱくで言葉を伝えてきた。



『――あ、り、が、と、う』



 涙があふれた。

 僕の言葉が嘘だと気づいていても、さっきみたいな事を言われたら普通は不安になる。

 それなのに、妻は微塵も不安な様子を見せずに笑顔だった。

 それだけ僕のことを信頼してくれていたと、僕は自惚れても良いのだろうか。ははは、いらない気を使った僕はただのバカじゃないか。


 改めてわかったよ、僕は世界一の幸せ者なんだって。


「時間だ」


 硬くて冷たい鉄の固まりが頭に当たる。

 でも、もう心残りは無い。いつ死んだとしても大丈夫だ。


 僕は最後に、妻の顔見た。


 そして、後悔した。












 ――妻の顔は、醜く歪んでいた。

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