失恋未満のチューリップ・ラブ

ゆうびなぎ

失恋未満のチューリップ・ラブ

 中央後ろから二列目。その席が僕の定位置で、だから今日というちょっと特別な日でも、僕はそこに腰掛けた。

 カバンを机の脇のフックに引っかけるのも一緒。ちょっと錆びていて、触るとコキコキとフックの根元が動いてしまうのも慣れたものだ。

 それほどまでに馴染んだ場所だから、なおさら、取り急ぎ机に置いた一輪の花がひどく浮いて見えた。

 卒業式。紅白幕で覆われた体育館から出る時に在校生から渡された花は、桃色のチューリップだった。

 花なんてもらったこともなければあげたこともない僕にとって、それの扱い方は至極わからないもので、チューリップに申し訳なくなってくる。

 文芸部の部員は僕一人だった。卒業式を終え、最後の別れにと思い、僕はふらりと部室を訪ねたのだ。ちょうど時計の秒針と短針がてっぺんで交差している時だった。

 部室の隅には、製版したもののまるで捌けなかった、文化祭向けの部誌が詰まった段ボールが置いてあった。

 しばらく席に座ってぼうっとした。三分くらいだろうか。飽きてきたので、離席して窓のほうまで移動してみた。

「あっ……」

 下を見る。二階の文芸部の部室からは、一つの人影を発見できた。

 木村さんがいた。

 僕と同じチューリップを左手に持った木村さん。ボブ風の姫カットが特徴の彼女は、部室棟と教室棟の連絡通路に落ち着きなく立っていた。意味もなくスマホのケースを開いては閉じ、開いては閉じ――。開いたときに登場する内側の鏡が太陽光を捉え、僕の瞳にまで反射してきた。

 するとやにわに、死角だった場所から男子が出てきた。その男子は手に持っていた二本の缶飲料の一本を、木村さんに放り投げた。

 ちょっとばかり慌ただしくそれをキャッチした木村さん。優しく男子に微笑み、カツンと慣れた手つきで乾杯を交わす。

「ははっ、何それ!」

「だよな。俺もびっくりしたんだけど――」

 寒かったけどこっそり窓を開けてみると、二人の会話が漏れ聞こえた。中睦まじげな声音だったせいで、僕の唇は乾燥する。

 その唇を舐めようとした僕。けれど卒業式という今日の世界のほうが、僕の行動の速度を上回った。僕は今日に敵いそうがなかった。

「ねえ、やっぱり私さ――好き」

 木村さんは、僕の知らない優しさを男子に向けた。

 男子はそれに応じた。それを僕がわかったのは、男子が木村さんを抱き寄せ、キスをしたからだ。

 ばさりと小さな音を立てて木村さんの持っていたチューリップが落下する。僕のチューリップはまだ机の上だ。

 気まぐれ以上の理由はなかったと思う。まるで配れなかった部誌を、たまたま展示に来てくれた木村さんが持って帰ってくれたのは。

 僕と木村さんにそれ以上の接点はないし、だから木村さんが今日キスをしていることに何か思う資格も、うっかり目撃する役目を担う資格もありはしなかった。

 だからこれは失恋ですらない。

 それでも――。


 僕は木村さんのことが好きでした。


 十二時五分。少し遅れて、僕もどこかに告白してみた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

失恋未満のチューリップ・ラブ ゆうびなぎ @enamins_pp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る