第三十話 姉御は故郷を後にする

 あれから数日。新しい軍医の到着と速やかな引継ぎが終わり、とうとうレゲンダを出立する日になった。

 ギリエムと結婚してから何年も住んでいた家。ライラはがらんとした部屋の中で煙管を燻らせていた。

 もともと家具は少なく、荷物と言っても着替えが主なありさまだ。備え付けの棚は埃をかぶっている。残っているのはギリアムの肖像画だけだ。ライラは手を伸ばし、その絵を取った。

 絵の中で楽しそうに笑うギリアムの顔。懐かしさと寂しさに胸の奥が痛む。


「持っていきましょう」


 背後からバーンズの声がした。振り返ろうとしたライラの肩が抱かれる。見上げれば、笑顔の彼。


「いいのかい?」

「ギリアムさんの墓は持っていけないので、せめてこの絵だけでも」


 バーンズは真剣な表情でその絵に見入っている。彼はライラの中に生きているギリアムを認め、その上で、勝とうとしているらしい。

 真面目というか、堅物というか、頑固というか。

 ライラはそう思いながらも、そんなバーンズに、コイツなら大丈夫かな、と頼もしさを感じていた。


「ひとり置いていかれちゃ寂しいだろうしね。夢で泣かれると、こっちも寂しくなる」


 ライラは彼の絵をそっと胸に抱いた。まだまだそっちには行けないけど、待ってておくれよ、と声をかける。絵を持つ手にバーンズの手が重ねられ、ぐっと顔を寄せた彼の息が耳にかかる。


「ライラさんがそっちに行く頃には、僕を選ぶと思いますよ」

「さーて、それはどうかな?」

「そんなこと言って、昨晩は僕に抱きついてたじゃないですか」

「……朝っぱらからそんなことを言うな!」


 お仕置きとして、ライラは空いてる手でバーンズの鼻をつまんでムニムニした。躾を間違ったのか甘えすぎたのか、身体を許してから夜は負けっぱなしだった。きちんと教育を施さねばならない。これは飼い主の義務だ。


「姐さん、あとは何を積めばいいっすかって、まーたベタベタイチャイチャしてやがるっすね! 朝っぱらから目の毒過ぎるっす! 場所と時間をわきまえるっす!」


 むすっとした顔のフェーニングが扉から覗いていた。ここで照れを見せると追撃を許してしまう。ライラは何でもないという顔で言い放つ。


「バーンズ君がピッタリくっついてるだけさ」

「フェーニングは知らないだろうけど、ライラさんは暖かいんだよ? 離れたくなくなるくらい」


 ライラの首にバーンズの腕がまわされ、背後から抱かれる形になった。優しくだが力強く身体を引き寄せられ、彼女の頭にバーンズの頬がスリスリとあてられる。さながらご主人様に甘える忠犬だ。


「ちょっとバーンズ君?」

「はぁ、天にも昇る心地よさ」

「そのまま昇ってギリアムと遊んでるかい?」


 座った目のライラは無表情のまま腕を頭上に伸ばし、ペシペシとバーンズの頭を叩いた。躾けは初期が大事なのだ。

 そんなふたりの様子にフェーニングのそばかす顔は紅潮していく。


「くっ、ふたりして俺を虐めるんすね! 桃色カップルなんて滅べば良いんす!」

「ちょっとまて、どうしてそう見える?」

「それにしか見えないっす!」


 くっそーーと叫び、泣き真似をしたフェーニングが部屋から逃げ出したのだった。





 王都まではバーンズ配下の商隊の幌馬車でいく。既にレゲンダへの門の前に止められ、ライラ達を待っていた。待っていたのは馬車だけでなくミューズもだ。怜悧な目つきで幌馬車を見つめ、何か物思いにふけっているように見える。


「閣下、職務中じゃないのかい?」


 ライラが声をかけると彼はゆっくりと振り向いた。左腕の裂傷はまだ治っていない。ライラの言いつけを守って養生しているのだ。どこぞのワンコ騎士とは大違いで、よく躾けられていた。意外に素直なんだな、と感心すらした。


「……なんだ、その色気のない恰好は」


 ミューズは呆れたと言わんばかりにため息をついた。ライラの服装は、緑の軍医の折り襟の上着に同じく緑のパンツ。ミューズが贈ったワンピースを着ていると思っていたらスパッと裏切られたのだ。愚痴も言いたくなるだろう。


「いやこれ、軍医としての正装だよ?」


 ライラは腰に手を当て胸をはった。膨らみの足りない胸ではあるが、ないわけではない。僅かばかりのなだらかな双丘くらいはある。干しブドウじゃないし、バーンズだって文句は言ってない。心で不満を持っているかもしれないが、何をどうしたってたわわに実ることはない。男装が似合うこれがあたしだ、とライラは意に介さない。

 だがミューズは盛大なため息で返答した。


「栄えある円卓の騎士の隣を歩む女性が、それでいいのか?」

「あたしが着飾ったところで綺麗な貴族令嬢には到底敵わないだろうし、軍医である方があたしらしいだろ?」

「お前な……」


 売り言葉に買い言葉である。ライラは襟元をぎゅっと正し、そんなこと百も承知だと言わんばかりに口角を上げた。

 ミューズはガクリと肩を落としてバーンズに視線を移した。


「バーンズ殿にも立場があろう。彼と一緒に王太子殿下と直接会話ができる場所に行くかもしれぬのだぞ? もう少し女性らしい服装をだな――」

「おっとミューズ参謀閣下、そこまでで許してあげてください。ライラさんの服装に関してはご承知の通りなのですがこちらの都合もあります。殿下はすでにライラさんと会って話もされています。それに軍医として宮殿に上がるわけですので当然宮殿側で相応の衣服をご用意させていただきます。ご安心を」

「そ、そうか、それならば――」

「えぇ、ばっちり大丈夫、問題なしです!」


 お小言が続きそうな空気にバーンズが割って入った。らしくない早口で捲し立て、ミューズを押し切ってしまった。


 ――へぇ、閣下を押しこめたよ。やるねぇ。


 見直した、というライラの視線を感じたのか、バーンズがドヤ顔で微笑んだ。ドヤ顔でもイケメンは爽やかに見えるのはずるいところだ。


 ――なんか見透かされてるみたいでむかつく。あのバーンズ君にだ。


 イラっとしたライラはバーンズのむこう脛を蹴った。





 先に幌馬車に入り込んでいたバーンズに手を引っ張ってもらい、ライラは乗り込んだ。馬車の中は商品が売れた分だけスペースができており、そこに藁を敷き布をかぶせ、仕上げにクッションを敷き詰めてあった。ライラとバーンズのための空間で、振動が激しく椅子が設置できないための苦肉の策だ。

 周囲には馬車の壁に寄せて整然と並べられた木箱が積みあがっている。万が一襲撃にでもあった時は盾にできるような配慮だと、バーンズが説明していた。軍属ではあるが軍人ではないライラには考えもつかない。よく考えたもんだ、と素直に感心した。

 馬車の後方の幌の隙間からライラが顔を出したその前で、ミューズが腕を組んで寂しげな顔をしていた。彼も別れを惜しんでいるのだ。


「じゃ、閣下。ケイシーたちを頼むね」

「任せておけ。今回派遣された軍医が男前だと、彼女らが騒いでいたくらいだ、問題なかろう。お前も息災でな」

「なんだ、あたしよりもいい男が嬉しいってか。まったく、しょうがないねぇ」


 ライラはからからと笑った。

 彼女がレゲンダへ戻る可能性は低い。今生の別れが湿ったものにならないよう、ミューズが柄にもなく軽口を叩いているのだ。ケイシーの件とて、真実かはわからない。

 そのことだって、ライラはわかっている。ミューズが参謀であるならば王都で会う可能性はある。涙は不要だった。


「ライラさん、出発します。中で座っていてください」

「あいよ。じゃ閣下、


 御者席にいるランサーが馬に鞭を入れれば、ゴトリと車輪が動き出す。徐々に加速し、ゴトゴトと揺れだした馬車はレゲンダの入り口を潜り抜ける。今でもレゲンダの外に出たことはあった。だがそれは街のすぐ外周部で遊んでいたりしただけで、必ず帰ってこれた。だが今回は違う。

 ライラは後部の幌を揚げ、流れゆく景色に意識を向けた。レゲンダがゆっくりと遠のき、見えなくなった。緑で覆われた草原を、街道が切り裂いていく。森を避けるルートで走る街道のその草原の先は、レゲンダではなく、真っ直ぐ伸びて蒼い空へと消えていた。

 寄る辺なさに襲れ、ライラは俯いた。


「あたしはどうなっちまうのかねぇ……」


 ライラの呟きは、草原の風に吹かれて消えた。

 宮殿で軍医になる、と聞けば昇進ととれるだろうが、実質は危険な状況から脱するための措置であり、その宮殿内も安全である保障はない。守ると言ってくれたバーンズだけが頼りになってしまうだろう。彼は今もライラの隣に座り、彼女が大きな振動で転ばないように肩を抱いているのだ。

 この瞬間は、安全だった。先が見えない不安はあるが、ひとりで王都に行くのではなく、バーンズという頼れる、近い将来伴侶になる予定の男がそばにいてくれるのだ。ライラはその腕に身を任せ、彼の肩に頭を乗せた。もはや自分の運命はこの男と共にあるのだ。これくらいは許されるだろう。

 ライラが抱える懸念が彼に伝わったのだろう、ぎゅっと抱き寄せられる。


「大丈夫です。生涯をかけて貴女をお守り致します」

「まぁ、期待しないで期待しておくよ」

「どっちなんですか?」

「その内わかるさ」


 御者席で耳を澄ませて馬車の中の様子を窺っていたランサーが決意したように目を光らせ、馬に鞭をいれた。




第一部完

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夜間診療お断り~姉御軍医とお気楽の騎士~ 凍った鍋敷き @Dead_cat_bounce

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