第四話 白馬の王子は規格外

「おぉ、今日はどうした?」

 ライラの前には坊主頭でおでこに青い丸を張り付けたように腫らせた、八歳くらいの男の子。口をまっすぐに結び目をうるうるさせ、痛いのを我慢しているようだ。

「ぶつけた?」

 男の子はコクンと頷く。脇にはあきれた顔の母親。ライラよりも若いお母さんだ。

「隣に住んでるミィちゃんが猫を探してるって、手伝ってるうちに壁に思いっきりぶつけたんですよ。前も見えないのかね、この子は」

 母親がげんなりという顔でライラに説明してくる。ちなみにこの男の子は診療所のお得意様だ。つまり、怪我が絶えない腕白坊主だ。

 ライラは男の子を見て「好きな子にはいいとこ見せたいよね」と、にっと笑う。

「ち、ちげーし!」

 ぷいっと横を向いた男の子に、ライラの目元も緩るむ。

「で、見つかったのかい」

「見つけたにきまってるじゃん!」

「やるじゃないか」

 ライラは自慢げに鼻息荒げる男の子の額にそっと手を触れる。軽く押し、骨に異常がないのを確かめる。

 ――うん、骨にまではいってなさそうだね。

 大したことはなさそうだと、心の中で胸を撫でる。

「いってぇ! 触るなって!」

 男の子が暴れるタイミングですっと手を引き、ライラはわざと驚いた顔をして「おっと、痛かったかい?」とやりかえす。

「へん、これくらい、なんてことねーし! いたくねーし!」

「痛くないんならライラさんの世話になるんじゃないよ!」

「いってー」

 強がる男の子は母親にぺしっと頭を叩かれた。

「ま、骨にまではいってないし、腫れただけだろうから消毒だけしとこっかね」

 ライラがそう告げると、男の子の顔が引きつった。助手が消毒液の入った瓶と綺麗な布を持ってくる。

「……しみる?」

「裂傷じゃないからしみないさ。多分ね」

「たぶんかよ!」

 ライラと男の子が言い合う間に、助手が布に消毒液を染み込ませ、それを手渡してくる。ライラは左手で慄く男の子の手をそっと抑え、布をすっと彼の額にあて、しゅしゅっと拭う。

 痛いからか、男の子が反射的に身を引いた。

「強く押しすぎたね。痛くしてごめんよ」

「いた、くなんかない!」

「そっか、そりゃよかった」

 にこっと笑顔を見せるライラに男の子はふっと頬を染める。

「さ、終わったからもういいぞ」

 ライラがポンポンと男の子の頭を撫でると「もう子供じゃないやい!」と彼は乱暴に立ち上がりさっさと診察室を出てしまう。

 いつもありがとうございます、と頭を下げる母親を「元気が一番さ」と手で制し「様子がおかしいと感じたら真っ先に来るんだよ」と念を押す。頭を打っているので経過を見ろと告げたのだ。

 出ていく母親の背を見つめ、ライラはふぅと安堵の息を吐いた。


 遠くで響くカラーンという音に、ライラは顔をあげた。昼を告げる鐘の音だ。

 レゲンダの街では時を告げる鐘は軍が担っている。統治機構が軍なので当然なのだが。

「ん~もう昼かぁ~」

 ライラは両手をあげ「うーん」と背伸びをした。座りっぱなしで身体がコリコリだ。

 助手たちの中には昼食をとりに、いったん帰る者もいる。パタパタと忙しそうだ。

 一人暮らしのライラは帰宅しても食事があるわけではない。よって毎日どこかで食べるのだ。

「おっと、バーンズ君を忘れてた。バーンズ君、調子はどう?」

 ライラは隣の部屋に向かい声をかけた。彼はレゲンダに来たばかりだ。放置されてしまっては、どこに行けばよいかわからず困るだろう。

 そう思ったライラは、体調が回復してれば食事にでも連れていくか、と思ったのだ。

「あの、お腹がすきました」

 バーンズの、なんとも情けない声を聴いたライラの頬がゆるむ。


「さすが、タフそうな身体してるだけあって回復も早いねぇ。お昼食べる予定がなければ、一緒にどう?」

「あ、どこに何があるのかさっぱりなので、教えてもらえると助かります」

 そう言いながらバーンズがのっそりと姿を見せた。

 詰襟がやや乱れて服装がだらしなくなっているが、持ち前の美形がナイスサポートで誤魔化していた。ただ、これはこれで婦女子の黄色い声が聞こえてきそうな格好ではある、とライラなりに思った。

 ようは、今のバーンズを連れまわすとライラが恨まれそうだ、と感じたのだ。

「シャキッとしなさいな、騎・士・様」

 ライラはそう言ってバーンズに近寄り、乱れ気味の襟をちょいちょいと直した。頭のてっぺんから足先までずずいっと眺める。

 ――王子様っていっても、違和感ないねぇ。

 を引き連れるとか、ちょっと避けたいな、と思ったライラが診察室を見渡したが、すでにもぬけの殻だ。なすりつける相手もおらず、ライラは眼鏡のブリッジを押し上げた。

 ――今日は我慢するとして、明日は参謀閣下になすりつけよう。それがいい。

 現在ライラは独身だ。ありえないことだと断ずるのは簡単だが、周りからの目はそう思わない可能性もある。調査で来ているだけの騎士イケメンに、うつつを抜かすほどライラも馬鹿ではない。

 バーンスといると目立つうえに女性から邪推されても面倒だと思うライラは、そう固く誓うのであった。


 ライラの目の前のバーンズは、テーブルに並べられたモノを、ひたすら食べていた。

 わしっとパンを手づかみで取ったと思えば、そのままがぶりとかじりつく。黒パンで硬いのにもかかわらず、あごの筋肉でパンを打ち負かしていた。

 右手のスプーンで具の少ないスープをすくっては口に流し込む。鳥の串焼きも、かぶりついて横に引っ張る野獣スタイルだ。

 騎士の素敵成分はどこかに追いやられたらしい。ライラが呆気にとられる程のワイルドっぷりと健啖家っぷりである。

「いやー、気持ちのいい食べっぷりだね、バーンズ君」

 ライラは手に小さくちぎった黒パンが握ったまま、ぽけーっと口を開けてバーンズの流れるような食べ方に魅入っていた。

 もぐもぐと咀嚼しきってハンカチで口を綺麗にしたバーンズがニッと歯を見せてくる。キラリと光らんばかりの白い歯が眩しい。

「えぇ、お腹すいてました」

 王子様でも通用しそうな好青年は、屈託のない笑顔で答えてきた。

 ライラとバーンズがいるのは診療所の近くにある、昼間は込み合う食堂だ。夕刻を過ぎればアルコールが飛び交う酒場になる、レゲンダでは一般的な食堂だが、王都から来た騎士様をお連れしていい場所では、断じてない。

 国境の街レゲンダにそんな上流階級向けの店などなく、ライラも行ったことはない。

「騎士様の口にあって良かったよ」

 ライラは口もとにゆるい弧を描く。

 レゲンダとは違って王国でも一番栄えているはずの王都から調査に来た騎士を相手にしているのだ。ミューズにも丁重にと念を押されてしまったから気を使っているつもりだった。

 ――それでもあたしが接待しなくたっていいはずだ。

 給金だって飛び抜けて良いわけでもない。とある用途に給金の半分ほどを使ってしまうため、カツカツの生活を送っているライラにバーンズの食費を賄う余裕はなかった。

「王都でも色々なところで食事はしますから」

「へぇ、そうなんだ」

 へらっと笑うバーンズにそう答えたライラだが、王都に行ったことなどない。よほどの用事でもなければレゲンダから出ることもない。

 国の端にある小さな街での人生は、そんなものだった。

 ――ま、嘘でもそう言ってもらえりゃこっちも助かる。

 貴族がどんな食事をしているかなんて想像もつかないライラは、そう考えながら小さく千切った硬いパンをスープにつけた。

「訓練でトカゲとか食べたりしますし、大抵のものは食べられちゃいますね」

「ト、トカゲェ!?」

 素っ頓狂な声を上げたライラが手に持っていたパンをぽろっと落としてしまう。バーンズが「おっと、危ない」と言いながらそのパンを掌で受け取った。そしてそのままパクッと食べてしまう。

 あんぐりと開けたままのライラの口に、目じりを下げたバーンズが手を添えてくる。それに気が付いたライラは口をむぎゅっと閉じた。

 ――さ、さすがに、みっともなかったね。

 恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じたが、そこは軍医。眼鏡のブリッジをあげることで平常心を保った。

「鳥肉みたいで、あっさりしてるんですよ」

「はぁ? 騎士様は普段なにを食べてんだい?」

「訓練の一環で、ですよ。いかなる環境でも王族を守れないとダメなんです」

 バーンズは自慢気にそう言いつつ、最後の黒パンを口に放り込んだ。

 白い騎士服には清潔感ある青の縁取り。

 端正な顔に金髪碧眼。

 涼しげな雰囲気の王子様と評しても過言ではない。

 目の前で黒パンをモグモグするバーンズのそのギャップに、ライラは目を白黒させるばかりだった。

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