第三話 良くきく薬は苦いもの

 診察室の隣には、診察用のほかに休憩用のベッドがいくつかある。部屋には窓があり、陽の光だけで結構明るい。診察室と同じ薄い緑の壁が光を反射して眩しいくらいだ。

 ライラは診察室に一番近いベッドを指差す。

「上半身の服を全部脱いでここに寝て。あおむけでね」

「あ、はい」

 ライラが腰に手を当て待っていると、バーンズが恥かしそうにちらちらと視線を送ってくる。ライラはふぅと肩を落としてぐっと空気を吸い込む。

「男の裸は見慣れてるから、さっさと脱ぐ!」

「ぼ、ぼくが女性の前で服を脱ぐことに慣れてません」

「なんだい、王都に女医はいないのかい?」

 業を煮やしたライラがむんずとバーンズの服の裾を握る。そして一気に捲り上げた。

「じ、自分で脱ぎますから!」

「早くしないと下もひん剥くよ」

「は、はいぃ!」

 助手のくすくす笑う声が診察室から漏れてくる。

 ちょっと育ちのいい文官などは女性の前で服を脱ぐことに抵抗があるのか、恥ずかしがったりもするのだ。

 そんなこともあって、助手の女性たちは彼らのギャップを楽しんでいた。

 ライラにせっつかれたバーンズは、それでも丁寧に服を脱ぎ、綺麗に畳んでベッドの隅に置いた。

 ――育ちがいいと、ピシッとしてるねぇ。兵隊とは大違いだ。

 ライラは初めて接する騎士の振る舞いに感心していた。あのバーでの出来事はなんなんだったんだ、と思いつつも。

 肌着まで脱ぐと、昨晩堪能したその肉体美が露わになる。

「ほぅ、綺麗だねぇ……」

 暗くて感触だけ楽しんだ細マッチョな肉体が、惜しげもなく開陳されている。

 余計な肉のない、引き締まった身体。

 見せかけの筋肉ではなく、鍛えあげられ、絞られた肉体。

 彫刻でもお目にかかれない美形マッチョに、ライラの目は釘づけだ。

 ライラのみならず助手の女性数人も、診察室の扉にかぶりつきで眺めていた。ライラ自身も、それに気が付かないくらい、見惚れていた。

「あああの」

「おっとごめん、見惚れてたよ。あんまり見事だったからさ」

 身体を隠すように腕をクロスさせるバーンズは、性別が違うが、見紛うことなく乙女だった。

 ――いやいや、たまらないね。このまま見ていたいくらいだ。

 ライラは自然とにやけていく頬を何とか正常に保ち、覗き見している助手を「ほら、持ち場に戻って」とたしなめる。

 未練で後ろ髪を引かれまくりの助手たちが散っていくのを確認して「バーンズ君、寝て」と彼を促した。

「なんか違う意味に聞こえます」

「勘違いする方のことを考えてるから、そう思うのさ」

 釈然としない顔のバーンズを「ほらほら」と幼児をあやすように寝かせ、そのベッドの脇に立つ

「痛かったら教えて」

 言うなりライラはバーンズの下腹部に手を当てる。ちょうど腹筋がパックリ割れている下だ。腹痛であれば腸が怪しいとの判断だった。

「ちょ、そこは!」

「病人は黙って!」

 色々と勘違いをしたのだろうか、焦るバーンズをライラは一喝する。両手の指二本ずつ添えて、強めに腹部を押していく。

 くすぐったいのか腹筋が盛り上がってくるのを、ライラは体重をかけて押し返す。徐々に胸のほうに移動し、ちょうどみぞおちのあたりでバーンズが「そこ、痛いです」とうめいた。

 ライラは顎に手をあて、ちょっと首をかしげた。

「ふーん、胃のあたりか。朝食をとってないってことは、昨晩の酒かな? 他に心当たりはある?」

「ない、です……」

「んー、体も丈夫そうだし、ほっときゃ治るかな。一応痛み止めを出しておくよ」

 ライラは診察室に向かい「コトリネだして」と声をかけた。わかりました、と元気な声が返ってくる。

「コトリネってなんですか?」

「うん? コトリネ草を煮詰めたものを乾燥させて粉末にしたものさ。鎮痛作用があるんだよ」

「そう、ですか」

 痛みで言葉を切ったのかと思ったライラは、バーンズに顔を向けた。彼のなまなざしは真剣であり、しかとライラを捉えているようだった。

 ライラは目を数回瞬かせ、初めて見るバーンズの真面目な顔に魅入った。

 ――美形の真剣な顔ってのは、ご褒美だね。

 ライラが、良いものを見た、と思っていると、真摯な顔のバーンズが口をはさんできた。 

「それって、良く扱うんですか?」

「鎮痛剤はね、よく使うんだ。治療ったって、結局は自然に治るのを少しだけ早めてるだけさ。治るまでの間に、少しでも痛みを和らげるための鎮痛剤さね」

「なるほど……」

 ライラの説明を聞いても、バーンズの額には深刻そうなしわが刻まれている。何を気にしているのだろうか、とライラは思ってしまう。

 それにつけても。

「いい男が台無しだ」

 ライラはバーンズのおでこにデコピンをお見舞いした。脇では、濃い緑色粉が入った小瓶と木の匙を持った助手がクスクスと笑い声をもらしている。

「持ってきました」

「あぁ、ありがとさん」

 ライラは助手から小瓶と匙を受け取りバーンズに向き直った。寝ているバーンズに「ちょっと起きてくれるかな」と声をかけながら、小瓶の蓋を取る。

 コルクのポンという軽い音が部屋に響いた。

「ちょっと苦いけど、我慢の子でいておくれ」

 子供に話しかける口調を使われたバーンズが顔を顰める。

 ライラは小瓶に匙を入れ込み、擦切り分すくいだした。匙の緑の粉は、あからさまに苦そうな色だ。バーンズの視線はその禍々しい粉に吸い寄せられていた。

「これを飲めと?」

「それ以外になにがある?」

「いえ、ないですけど……」

「じゃあ飲んで」

 眉を寄せるバーンズに、ライラはにこっと笑いかける。口をもごもごさせ躊躇している様に見えるバーンズを、ライラは辛抱強く待った。強制で飲ませことはしない。特に子供には自ら飲むという決心ができるまで待っていた。

 何故なら、それほど苦いのだ。

 ゆっくり開けるバーンズの口にさっと匙を入れ込んでくるっと回転させ粉を落とした。ひゅっと匙を引いた瞬間、バンズの目がくわっと開かれる。

「げふっ!」

「水持ってきて! あ、バーンズ君、吐き出さない!」

 ライラは右手をばしっとバーンズの口にあて、左手で彼の頭を撫でた。

「良い子だから我慢ね~」

 涙目のバーンズが何か言いたそうに訴えてくるが、ライラの左手は彼の頭を撫でまくっている。バーンズは助手が持ってきた大き目なカップを口に当て、ごくごくと喉を鳴らして飲んでいく。

 そんな様子を、ライラは目を細めて見ていた。

「ゲホッ、に、にがっ……こ、これなら、訓練でしごかれている方が、ましです」

「おぉ、そこまで苦かった?」

 そんなバーンズの訴えを、ライラは彼の頭を撫でながら聞いている。バーンズがもの言いたげな瞳を潤ませ、上目遣いで見てきた。

「僕、子供じゃないんですけど」

「ここいらの子供と同じ反応してるからさ、ついね」

 ライラは、可愛いもんだ、と思ってしまった。明らかに歳が下で、どこかあどけなさも感じるバーンズを子供扱いしてしまうのは職業病か。

「苦い分、効き目はばっちりなはずさ」

「そうでないと詐欺です。王都の痛み止めはこんな色もこんな味もしてませんでしたよ?」

 未だ涙目で訴えるバーンズ。ライラはふふっと笑ってまたバーンズの頭を撫でる。

「コトリネはね、この辺でしか取れない薬草なんだよ」

「効き目が抜群なら、何で王都には無いんですか?」

「王都のエリート医師さん達は、見栄えも気にするのさ。真っ白で綺麗な薬じゃないとお貴族様は飲んでくれないって言うじゃないか」

 ちょっと嫌みを混ぜたら、バーンズはむっとむくれてしまう。

 ライラはバーンズを下級貴族か中級か、いずれにせよ貴族と睨んできた。バーにいたことから上流階級ではないと察したが騎士である以上貴族だと認識している。その上での嫌みだった。

 騎士は軍人と違い、王家の身に仕える存在だ。数も少ない上にほぼ貴族の子息で占められている。よって質もピンキリだ。

 ただ騎士の上位十三人は知力体力を兼ね備えた近衛だった。王族の警護を主任務とし、王族が出ない限り王都から出ることはない。

 バーンズを見たライラは、騎士もピンキリってのは本当だねぇと、心の中でうんうんと頷いていたのだ。

「……確かに貴族には我が強い方が多いですが、そればっかりというわけじゃないんですよ」

「少なくともバーンズ君は、我慢できる、良い貴族なのかもね」

 貴族というのが図星だったのか、バーンズが口を噤んでしまった。ライラはヤレヤレと思いつつ「鎮痛剤が効くまで、そのベッドで横になってるといい」と言って、バーンズの頭を又撫でた。

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