呪われた龍にくちづけを 第一幕 ~特別手当の内容がこんなコトなんて聞いてません!~

1 雇われる前にクビですか!?(三人称)

《龍》の皇家がひとつ、龍華国。

 その王都から二、三日と離れた深山を行く娘の姿があった。


《龍》は変じて万象の気を成す


 龍華国の伝えでは、白銀しろがねの《龍》と人の娘の間に生まれた子が国を開いた祖であり、娘の灯す火に導かれ再び戻った《龍》が人の願いを叶えるという。


 灯す願いを持ち 《龍》天に昇る 

 が君の世はさかんなり


 あらゆることわりの頂にいる《龍》は、さまざまかたちとなり、《むし》と呼ばれる。《蟲》を、《蟲語むしご》を理解する才に恵まれた者は、蟲招術ちゅうしょうじゅつを用いて《蟲》をび出し、常人にはできぬ様々のことを成し遂げた。


 娘が向かっているのは、蟲招術師が最高峰、蚕家さんけの邸宅である。


 流れるような黒髪をさっぱりと結い上げ、あり余る元気を瞳に宿した楊 明珠よう めいじゅは、村に帰る途中だからと荷車に乗せてくれた農家の祖父と孫に連れ立っていた。

「ねーちゃんは、あの蚕家に行くのかい?」

「そうよ、奉公人として雇ってもらうの」

 年老いた農夫の孫は楚林そりんという少年で、生き生きとした目で明珠の顔を覗き込む。少年の口の端についた握り飯のお土産を明珠は取ってやりながら、十一歳になる父親違いの弟、順雪じゅんせつのことを思い出す。

(二年くらい前の順雪もこんな風に好奇心いっぱいの目で、かわいかったっっ……)


 郷里を離れてから二日しか経っていないというのに、すでに弟恋しさで胸が張り裂けそうな様子である。

 奉公人になれば次に弟に会えるのが、いつになるかはわからない。

「すげー、ねーちゃんは術師様が怖くないのか?」

 明珠自慢の大根の梅酢漬けを小さな歯でかじりながら、楚林は声を上げた。

 楚林の祖父は牛の手綱を握りながら昼食を済ませているので、もっぱら少年の相手を明珠がしている。

「怖くないわよ、術師は不思議な力を使うけど、悪い人はいないもの。もし、悪い術師がいたとしても、蚕家はね、そういう悪い術師を取り締まる家なんだから」

 常人にはできない偉業を成すことから、術師は尊敬されるものだが、同時に目に視えぬ《蟲》を使役するということは恐れの対象ともなった。


「ふぅん」

 上の空で答えた楚林が「でもさ」と声を潜めながら身を寄せ、明珠に耳打ちした。

「蚕家の庭にある御神木は、血を吸うんだよ!」

「御神木が血を吸うぅ?」

「人間の生き血が養分なんだ、ヘマをした奉公人は生き埋めにされちゃうんだよっ?」

 明珠を脅すように楚林が声を上げる。

「コラ! なんてこと言うんだお前っ」

 さっきまで穏やかに手綱を繰っていた農夫の祖父が血相を変えた。


「っとに、子供がふざけてることなんで、とり合わないでくだせぇ」

「いえ……蚕家ほどの名家になると色々な噂がありますね」

 明珠の目には蚕家の威光を気にして、楚林の祖父が神経質になっているのが見て取れた。

「信じてないのかよ、ちぇー。十日前だって蚕家に入った賊が、みぃんな捕まって御神木の根元に埋められたんだ」

 ぷぅと楚林は頰を膨らませた。

 少し気味の悪い話に、明珠は楚林の祖父に視線を送る。

「十日前に、この近くに賊が出たってのは本当です。身分の高いお方の馬車が襲われやしてね、蚕家の方が間に合って助かったとか、助からなかったとか……賊はまだ捕まってねぇから、ぼうずが言った生き血を吸う御神木の話は嘘だ」

 農夫は恐ろしそうに首をすくめて、再び手綱を振って前を向いた。

 大きな領地を構える蚕家は、近隣の村から離れ、民家も人の気配も絶えた林の中にあるという。


 木立が密集し鬱蒼とした林になってきた頃、道が二手に分かれた。


「すまんが、乗せてやれんのはここまでだ。わしらは村に続く道をこのまま行くが、蚕家に行くのは、もう一方の道だ。ここは裏門に近いから、その道をたどって行きゃ正門まで着く。まだまだかかるけんど」

「わかりました。ありがとうございます。ここまで案内してもらえて本当に助かりました」

「こっちもな、あんたの昼めし美味かったよ」

 ぺこりと頭を下げた明珠は、分かれた道の脇にうっすらと走る、もう一つの道のようなものを見つけて、農夫に尋ねた。

「これは、獣道ですか? どこへ?……」

「蚕家の裏門に続く道だ。見ての通り人が歩く道じゃねぇ」

「裏門は近いんですか?」

「近いよ! でも裏門のすぐそばに御神木が生えてるよ〜」

「こら、おめは黙ってろ」

 祖父の代わりにおどろおどろしい振り付けで口を挟んだ楚林がどやされる。

「いいわよ、御神木っていうからには、きっと大きな木なんでしょ? それなら丁度いい目印になるわ」

 明珠は胸をそらして楚林に答えた。


 農夫は娘の肝の太さに感心して、渋々ながら獣道の方が四半刻(三十分)と、正門までかかる一刻(二時間)に比べ短いことを教えた。

「大きな壁で囲まれた屋敷だからな、間違っても通り過ぎることはねぇ」

「ありがとうございます!」

 もう一度丁寧に頭を下げ、ぶんぶんと手を振ってくる楚林に手を振り返した明珠は、自らの足音しかしないような道なき道に踏み出した。


 日はまだ高いというのに、林の内は暗かった。


(これはっ……失敗したかもっ!?……)


 背の高い下草が邪魔して、進むほどに獣道は見えにくくなって行く。鋭い葉が明珠のたくし上げた裾から覗く鹿のように瞬発力のある足にかすり傷を増やしていったが、彼女は進み続けた。

 生い茂る山気に手こずりながら、四半刻が過ぎようという頃、異変は起きた。


(壁?……あれ、壁じゃない?)


 林の先が途切れ、その先が灰色に塗り潰されているのを、陰った白壁だと気付いた明珠は、視界の端で何か黒いものが動いたことに気がつく。

 そちらに目を向けると、五、六人の体格のいい男たちを見つけた。頭から爪先まで黒い装束に身を包んだ者共は、明珠がこれから進もうとしている蚕家の壁際に集いつつあった。


(まさか、賊!?……まだここにいたってこと!?)

 同じ賊とは限らないが、それにしても己の不運さを明珠は呪いたくなった。

(逃げなきゃ……)

 後ずさろうとして、よろけ、思わず盛大に草を揺らしてしまった明珠は、男の一人が彼女に顔を向けたことに気づく。

 明珠の顔から血の気が引いた。

 身を翻して草の道を駆け抜けて行く明珠を、無言の黒装束たちが追いかけた。


(マズイ、なんでよ、このままじゃ、追いつかれる――!!)

 明珠はそれでも荷物を手放さない。それは今の自分の全財産だ。


 蚕家への奉公を勝手に決めてしまった明珠の義父は言ったのだ。

『支度金なら使い切ってしまった』――と。


 蚕家とは因縁のある亡き母、麗珠れいしゅが『決して蚕家に関わってはいけない』と理由まで告げて娘に忠言していたのにも関わらず。

 明珠は酔いどれの父のため、何より母が同じ血を分けた弟のため、蚕家に雇われることを決めた。


 それもこれも、


(これから私はしっかり稼ぐの! 順雪のために何がなんでも。ここで死んだりして雇ってもらえなくなったら――支度金なんて返せないんだから! もうそんなお金、どこにもないんだからっ!!――お願い! 母さんっ)


 首から下げている守り袋を肌身から引っ張り出すのももどかしく、明珠は合わせに手を突っ込むと、母の形見の守り袋を強く握りしめた。


(力を、貸して――!)


 つかんだ手の平から不思議な力が湧いて、明珠の心を満たしていく。


「《大いなるかの眷属よ 

   その姿を我が前に示したまえ》」


 明珠は《蟲語》と呼ばれる不思議な言葉で呪文を唱えた。


「《板蟲バンチュウっ!》」


 術師に呼び出された《蟲》が走る速度に合わせて、空気中から揺らぐようにして明珠の足元に現れる。


 まな板のように薄く平たいのが胴で、長辺の両側に何対もの細く長大な羽がひらひらとはためく。

 板蟲――明珠の知る限り、宙に浮く以外に特殊な力を持たない《蟲》の一種である。温和な性質と頑丈で力持ちのため、荷運びには便利な《蟲》であった。


 まるで独りで走っているような不気味な沈黙を背負ったまま、背後で膨らむ殺気に本能的な怖気おぞけを感じて、明珠は板蟲に飛び乗った。


「《飛んで!》」


 戸板の半分はある板蟲は、明珠の言葉でふわりと浮かび上がる。

 黒装束の賊らしき者たちは、《蟲》が見えないのだろう、突如、空中に浮かび上がった娘の姿に息を飲む。

 その気配に安堵しかけた明珠は男たちが短刀を手にするのを見て、慌てる。


「《板蟲、あの塀を乗り越えてっ!》」


 明珠の指示に従って、板蟲は羽をはためかせてみるみる高度を上げ、真っ直ぐに御殿造りの塀に向かった。

 ゆるやかな速度がもどかしかったが、今更になって明珠は胸をなでおろす。

(よかった、うまく発動してくれて……)

 塀の向こうに樹冠が見えていた、太く立派な大樹がぐんぐんと目の前に迫った。白壁を乗り越えた板蟲が生い茂る枝葉をかいくぐろうとした瞬間、「ぐじゃり」と脆く泥団子を潰すような手応えがして、明珠の足下から板蟲がほどける。


「!?きゃぁっ」


 今度は何が起こったのかと思う間もなく、支えをなくした身体は、大樹の枝葉を突き破って凄まじい葉擦れと枝の裂ける音を響かせた。

 かばいたくてもその身体に力は入らず、術が解かれた瞬間、力まで奪われた明珠に地面が迫った。

(落ちる――――!)

 固く目をつむった明珠は、衝撃の替わりに自分のものではない声を聞いた。


「うっぐ!?」


 盛大なうめき声は誰が発し、どこから聞こえたものか……?

 覚悟した固さとは違う衝撃を覚えて、明珠はうっすらと目を開けた。

「……!?」

 黒い吸い込まれるような深い瞳と目が合う。

 驚いた表情かおを明珠は見降ろしていた。

「ごっ……」

 それが、尻もちをついている青年だとわかって、その上に自分が倒れ込んでいるのだと気がついた。どうやら明珠は運よく(?)木の下を通りかかった青年の真上に落ちてしまったらしい。

「ごめんなさいっ! その、えと、これはっ、く、黒い賊がいてっ!?」

 急いで青年の上から降りようとするが、明珠の体は全身の力を抜かれたように言うことをきかない。しかも、悪寒までが襲い始めた。

 打ち所が悪かったのか、突然、術が解呪された反動かもわからぬまま、明珠は目を回した。


 まさか頭上から降ってきたのが人だとは思わなかったのだろう。半ば呆然としていた青年は、娘の言葉の中に「賊」という単語を聞きつけ、素早く動いた。

 明珠を抱いたまま、機敏に立ち上がり、大樹と塀から距離をとる。

 見上げた大樹の枝葉は、まだ明珠がぶつかった衝撃にざわついている。周辺の塀をわずかな異常も見逃すまいと険しい視線が走る。


「賊は、侵入していないようだ」


 やがて静かに断言する。その迷いのなさとしなやかな動き。

 明珠はめまいにかすむ意識のまま、自分を横抱きに抱えた青年を力なく見上げた。

 引き締まったおとがいと、その輪郭にかかるまっすぐな黒髪が見える。明珠の鼻をわずかな香がくすぐった。


 神仙郷に住まう若木の精がいたなら、きっとこのような姿かもしれない。これから雄々しく伸びてゆく若木を連想させるしなやかな身体つき。そう思わせる凛々しい顔立ちは、もう少し柔らかければ、女性と見まごうほど整っている。黒曜石を散りばめたがごとき長い髪は背中で一つに束ねられていた。


(私は……頭を打って、幻を見ているんじゃないかしら……?)


 青年の言葉に安堵していた明珠は、そこではっと我に返る。

「……お、降ろして下さいっ、すみませんでした本当にっ。ごめんなさい、降りますっ!」

 慌てて青年の腕から降りようともがいた途端、明珠の視界はぐらりと回り、離れようとした腕の中に再び倒れこむ。

 突然、力を失った娘に驚いたのは青年の方だ。

「どこか怪我を!? ひどい顔色だ。紙のようだぞ」

 明珠としては、そのまま地面に放り出してほしいくらいのみっともなさなのだが、青年の行動は違った。


 ちっとも力の入らない明珠が不安定にぐらつくのを、青年は力強い腕で抱き寄せた。

(ん……?)

 その拍子に明珠の頬が触れた布ではない感触。さっきより焚き染められた香の匂いが強くなる。

(ななななななな……なんで素肌!?)


 自分の頬が当たっているのが、あろうことか男の胸板だと知った明珠は、上げそうになった悲鳴を飲み込んで、心で絶叫する。

(ちょっと待って、ちょっと待って、きゃーっ、なんではだけてるの、なんっ、私のせい!? 私を受け止めたせいではだけてるの!?)

 明珠とて十七歳の子女である。母を亡くしてから、一家を支える大黒柱として、たくましく生きてきたとはいえ、恥じらいはある。


(っていうか、――この人の着てるのって、絹織!?)

 頬以外が触れている艶やかな手触りと、波打つ光沢に明珠は震えた。

 貴族の習慣の中には、伏籠を使い着物に香を焚き染める風情なものがある。そうした深衣の中でも最上の素材は絹のみで織り上げられる。

(貴族……なの? このひ……)


 もう一度、青年のかんばせに目を向けた明珠は、今度こそ悲鳴を口から出した。


「いや――――っ!!」


「どうしたっ!?」


 いやいやをするように首を振る娘に、青年は真剣な眼差しで答える。

 力の入らぬ手をどうにか持ち上げて、明珠は震える指先を青年の胸に置いた。すがるような涙ぐんだ目を黒曜石の瞳に向ける。

 近づいた青年の顔はとんでもなく整っていたが、それどころではない。


「ふ、服……絹の、絹がっ……」


 いつの間に明珠の手荷物がひっくり返っていたのか、自慢の大根の梅酢漬けが漏れ出し、青年の着物の一部をべっしょりと鮮やかに濡らしていた。

(あやまりきれないっ、絹のお召し物がっ、ハッ、これって一体、いく……ら?)

 明珠の顔から音を立てて血の気が引いていく。

 守り袋を握りしめたままの指先まで一気に凍えて、守り袋の方が温かいくらいだ。

「なんだ、何を言ってる? おいっ……」


(気持ち悪い、だめ、吐きそう……)


 少しの間遠ざかっていた、めまいのする感覚が明珠に襲いかかる。頭でもお腹でも全身で濁流が暴れまわるような不快さだ。

 絹の着物を汚してしまった衝撃のせいばかりとは思えない、不調の波。

「震えているな、ひとまず屋敷へ――」


(やめて。揺らさないで。おおお願い)


 明珠の願いもむなしく、青年はしっかと彼女を横抱きにしたまま、駆け出す。

 吐いてなるものか! と明珠が身体に最後の力を入れた瞬間、腹の中で何かがビクリと反応し、恐ろしいほどの悪寒が全身を貫いた。


 まるで底なし沼に捕らわれたように力を使い果たし――、明珠の意識は沈むように途切れた。


 ◇ ◇ ◇


 ちょうどその頃、御神木――桑の木の大樹がある離邸の裏庭近くにいたのは、二大臣下が一人、張宇ちょううであった。


 優秀な武人である彼は、常ならぬ気配がわずかでもあれば、真っ先に駆けつける。今一人、書斎にこもる朋友ともに知らせる間を惜しんで、邸外へと躍り出た。


おれが動けば、季白あいつも直に来る――)


 そこに、娘を抱えた青年の姿を見て……息を、飲む。

「これは、いったい……」

 我知らず、張宇の声はかすれた。

 驚きの内より湧き起こる感動に押されて、ひざまずかんとする。

 もう一度会いたいと願ってやまぬ御方おんかたがそこにいた。もう決して会えぬと思っていた張宇の主人あるじ


「わたしも驚いている。いったい何が起きたのか、一切わからん」

 威を含む青年の言にハッとし、張宇は主人が胸に抱く娘の存在に目を留めた。

「その者は、どこから?」

 張宇の手が腰に佩いた剣の柄に伸びる。


「突然、神木から降ってきた。下にいたわたしがこの者に触れた途端……」

 秀麗なかんばせが腕に抱いた娘のおもてを丹念にあらためている。

 張宇は秀でた武人らしく、素早く娘を観察した。病でも持つのか、青白い顔を苦しげに歪めて気を失っている娘は、十代も半ばを過ぎている。小さく整った顔立ちは、みすぼらしい身なりに似合わず、苦しげな顔でそれがわかるのだから、目を開けば、ひとかどの姫に見えるかもしれない。


 だが、


「その娘は、わたしが預かりましょう」

 張宇は警戒を解かない様子で、きっぱりと言い切った。


「娘一人くらい、わたしでも運べる」

「主上!」


 かすかな憤りと焦りをにじませて、張宇は静かに声を強くした。

 己が主人の意志の強さを彼は心酔するほどによく知っている。

 大の男の焦燥など意に介さず、青年は娘を見つめていた。

「聞いたことのない、素っ頓狂な悲鳴を上げていたぞ」

 娘の顔を眺めながら、楽しげに喉を鳴らす。


「とにかく、離邸の中へ戻りましょう。季白きはくなら、何かわかるかもしれません。お身体に触りはありませんか?」

「いや……特に悪くはない、と思う」

「わかりました。お召し物の替えも、すぐに用意致します。さあ、その娘をこちらに」


「……」


 張宇が手を伸ばすと、青年はなぜか不愉快そうな表情かおをした。

 一瞬の根比べ、武人なれば耐えることに慣れた張宇は、どれだけその身を案じているか、沈黙の中に己が心が伝わるのを待った。


「どうしてもか」


「どうしてもです」


 あまり食い下がられると。


「しかしな」


 負ける、と張宇は思った。


「得体の知れない者をおそばに置くことは承服できません。――季白に言いつけますよ」


 不承不承、青年が差し出した娘の身体を受け取った瞬間、青年の姿が見えなくなる。

「!?っ」

 驚愕に目を見開き、虚空を凝視する張宇の足下で声がした。


「もう一度、その娘をよこせ」

 言い方は不遜なれど、幼い子供の声が響く。


「ああ、よかっ……よくはないか」

 一喜一憂、肩を落とす張宇に、しかめ面をしたがずいと両腕を差し出してみせる。

 張宇は慌ててかぶりを振った。

「無理ですよ! 無体なことを言わんで下さいっ、抱えきれずお倒れになってしまいます!」

「大丈夫だ」

「根拠なく断言されても譲れません!」


 娘を遠ざけようと、避けるように身をひねった張宇に、しず、と歩み寄り、それでも少年は娘に手を伸ばした。

 腕に触れ、ひし、と抱きつく姿はけなげにすら見える。

「……戻らんな」

 ぽつりと少年は呟いた。


「なぜだ。先ほどのアレは、どうしたらもう一度見せてくれる?」


 娘は落ち着きを取り戻し、白い気色ながら静かに寝息を立てている。そのあどけない顔に少年は問いかけた。



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