第三章 蝕まれた小学校

1.(ぼく) 桐原家へ / お母さんに自己紹介

 桐原望美という人間の女の子。彼女はいったい、何を考えているのだろうか?

 彼女はぼくに「ナカニシには話してくれるな」と言うのだ。ぼくは、ナカニシとの定時連絡ていじれんらく義務付ぎむづけられているというのに。望美はどうやら、ぼくを手許てもとに置いておきたいらしい。ナカニシに話せば、ぼくを取り戻されてしまう……そう考えているようだ。

 ぼくは、ナカニシのノートパソコンの充電器から電気コンセントへの進入を試みていて、気が付いたら望美のスマートフォンの中にいた。こんなことは初めてで、びっくりせざるを得なかった。なにも、彼女のスマートフォンに引っ越したわけではないのだが。

 ぼくをフリーズから再起動させてくれた、いわば命の恩人の頼みであり、断りにくかった。ぼくは当分の間、望美のスマートフォン『MADOSMA』の中に滞在たいざいすることにした。もちろん、ぼくの任務に大いにつかえることだ。彼女にはいずれ、考えを変えてもらわなければならない。

 ぼくは、特に心配していなかった。ナカニシは胸にボタン型WEBカメラとマイクを付けていた。ぼくは、ナカニシと望美が良好な関係をきずいていることを見届けている。そのうち何とかなるだろう、そう思えた。

 望美はナカニシにぼくのことをひと言も告げることなく、ぼくをMADOSMAの中に入れたまま、彼女の家に帰ってしまった。


 桐原家に帰宅した望美は、父親にはただいまを言ったくらいで、あまり話そうとはしなかった。一方、母親とは、清治おじさんの様子やナカニシの帰国について長い間話し合っていた。

 話の内容について、細部までは聞き取れなかった。ぼくは望美の手提げ鞄の中にいたし、MADOSMAに搭載とうさいされている集音マイクは、遠距離集音えんきょりしゅうおんを目的とした『超指向性ちょうしこうせいマイク』ではなかったからだ。

 望美はナカニシと違って、胸にWEBカメラを付けてはいないから、ぼくは両親の表情を読み取れなかった。でも、両親がどんな人相体格にんそうたいかくかは、知ることができる。MADOSMAのアルバム内に作られた「Kazoku_Shasin」フォルダの中に、望美が両親と撮ったとおぼしき、旅行中の写真がたくさんあったからだ。

 望美の父親は、昭和人男性しょうわじんだんせいとしては中肉中背ちゅうにくちゅうぜい、平成人基準で見れば、やや小柄にぞくする、いかめしい顔付きの人物だった。胸板むないた、肩、背中は厚い。顔、首筋、腕は日に焼けている。何らかの屋外労働おくがいろうどう従事じゅうじしている日常をうかがわせる。頑固がんこそうな顔付き。だが、望美に向けられているときの表情は、おだやかにほぐれていた。日頃ひごろ、笑い慣れていない男が笑うときの、不器用な微笑みを浮かべている。望美のような子供の父親としては、やや高年齢に思えた。

 一枚だけ、違う傾向けいこうの写真があった。

 父親は、技術者の作業服を着ていた。同じ服装の仲間たちに囲まれている。海を背に、埠頭ふとうらしき場所に立っていた。航空機……翼下よくかにフロートが付いた……『飛行艇ひこうてい』の模型をほこらしげにかかげている。笑顔の歯が白い。模型は、数人がかりでささげ持つほどに大きなものだ。『モックアップ』という技術用語が、ぼくの大脳である『E-ブレイン』のデータベースから浮上してきた。

 銀塩ぎんえんフィルム時代の写真を、スキャンしてデジタル化したもののようだ。解像度かいぞうどが低くで細部の確認まではできない。望美は、この写真をMADOSMAに入れて持ち歩くことに、何らかの意義を感じているようだ。この写真一枚のために、「Otousan_Osigoto」フォルダを作っている。

 望美の母親は、やや小柄で、せ型。父親よりひと回り若く見える。表情は穏やかだが、眉が、常にややしかめられており、眉間にはしわが刻まれている。歳月さいげつは、時に彼女につらく当たったことも、あったようだ。しかし、彼女から笑顔の全てを奪うことはできなかった。柔和にゅうわに細められた目。豊かな微笑みをたたえているほほはばら色。ふくよかな唇に緊張はなく、心の安らぎを示している。彼女の笑顔が向かう先には、常に望美の姿があった。

 望美の兄弟姉妹の存在を示す写真は、このスマホの中には無かった。墓参りの写真もあったが、両親、望美、清治おじさんと、父親の弟夫婦らしい人々が写っているだけだ。


 父親はテレビの映画を見終わって、先に寝るらしい。お休みを言い合う三人の声が聞こえた。

 手提げ鞄が持ち上げられ、留め金が開かれた。

 「お待たせ」

 望美の声だった。小声だ。

 「お母さんに、紹介してくれないの?」

 ぼくは冗談のつもりだったのに、望美は本気に取ってしまった。

 「あ、ごめんね。お母さーん!」

 「なあに?」

 母親の足音が近付いてくる。望美はMADOSMAを鞄から取り出し、ぼくの視界は回復した。800万画素がそのアウトカメラは母親を、200万画素のインカメラは望美をとらえている。こうなったら、出たとこ勝負だ。

 望美は、龍のタイルをタップし、ぼくは、ぼくの体『E-ボディ』の3DCG画像を表示した。この機能は本来、E-ボディの現状を、ハンドラーや整備士せいびしがひと目で把握はあくするためにあるものだ。

 母親は、望美が示すMADOSMAの画面をのぞき込んだ。インカメラに写った母親は、ぼくが写真で見ていた通りの、優しい笑顔をしていた。

 「まあ、望美、ポケモン始めたの?」

 違う! ぼくは、ゲームのキャラなんかじゃない! ぼくは怒りに震えた。

 「違うよ。これ、ナカニシが貸してくれたの。コンピューターのプログラム……アプリだと思う。この子、ハッシュっていうの。ハッシュ、こちらはわたしのお母さん」

 ぼくはE-ロボットだ! アプリなんかじゃない! ついでに「子」でもない! ぼくのプライドは、かなり傷付いた。でも、ぼくはただちに冷静さを取り戻し、なすべきことをした。

 「初めまして。ぼくはハッシュといいます。会話ができる、人工知能じんこうちのうです」

 嘘はついてない。会話以上のこともできる、と教える必要がないだけで……。

 「コルタナさんみたいなもの?」

 彼女は、マイクロソフト社の人工知能『Cortana』にさん付けをする、奥ゆかしい日本人のひとりだった。

 「ぼくは実験中の人工知能で、まだ発売されてないんです。コルタナさんに負けないよう、頑張ろうと思っています」

 彼女は優しく微笑んだ。

 「ハッシュさん、あなたとってもお利口さんね。人気出るわ、きっと。がんばってね」

 「はい! よろしかったら、お母さんのお名前、教えてもらえませんか?」

 「私は桐原美幸きりはらみゆき。これからもよろしくね」

 「はい。ぼくは……」

 ぼくの思いもしなかった言葉を、ぼくは発声した。

 「ぼくと親しい人は、ぼくのことをハッシーと呼ぶんです……ごめんなさい、変なことを言って」

 美幸さんは、あどけない笑顔でぼくに問いかけた。

 「ハッシーって、呼んでいい?」

 「もちろんです!」

 「ハッシーさん、望美と、仲良くしてあげてくださいね?」

 「はい! ぼく、なんだか嬉しいです。望美さんの良き友人となるように努めます」

 「わたしもハッシーって呼びたい!」

 望美が割り込んできた。

 「うん、いいよ。望美ちゃんは、なんて呼んでほしい?」

 「わたし……のぞみっちとか、ぞみちゃんとか呼ばれてるけど……あんまり、自分で気に入ってる仇名あだなって、ないんだ。望美でいいよ」

 望美は、ちょっとさびしそうだった。

 「分かった。じゃあ、ハッシーと望美、だね」

 「うん!」

 「私も仇名で、呼んでもらおうかしら?」

 「えー、お母さん……」

 望美は批判的ひはんてきだったけど、ぼくは気にしなかった。

 「どんな仇名ですか?」

 美幸さんは、自分のほっぺを人差し指でつついた。可愛らしいしぐさだった。

 「そうねえ……美幸みゆきママ、でお願い」

 「はい、美幸ママ」

 考えてみれば、ぼくがこの人をお母さんと呼ぶのも、美幸さんと呼ぶのもおかしな話だった。美幸ママは、おさまりのいい呼び方だ。

 「もう! お母さんばっかりハッシーと仲良くして!」

 「望美はずっとその携帯けいたい持ってるんだから、今はお母さんがハッシーちゃんとお話しさせて?」

 「うう……」

 望美はむくれている。ナカニシや清治おじさんの前で、あんなに立派に振舞ふるまっていたのが嘘のようだ。お母さんの前では、甘えん坊の子供に返るのだろうか。

 そんな母子の姿を、ぼくは仲睦なかむつまじいものと感じていた。――ハッシー「ちゃん」には困ったものだが……。



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