第22話 一次選考通過おめでとうございます

 それから僕はプライベートの小説とCTHP用の小説を書き分けながら、日々をこなしていった。僕の事を知らない人から見れば、普通の日々だ。何も変わっていない。変わると誓ってバイトを初めて、仕事とバイトをただ両立しているだけの人。変われなかった人。だが僕が見る僕は違う。変わったのだ。どうせ自分には無理だとか後ろ向きな言葉で目隠しをする人間ではなくなったのだ。僕は書いて、書いて、書いて、救う。瓦来かわらいさんを、子頼こよりさんを、僕を。


 その原動力は今までにはなかったものであった。何せ、今まで救おうと思って書いたことはない。自分自身ですら作品に救われたことはない。なのに今こうして、人を救おうというだけで、驚くほどにすらすらと文章が紡ぎだされるのだ。

 かつて無い昂揚感に確信すらあった。

 この作品は間違いなく受賞する。佳作、いや大賞も取れるはずだ。


 CTHPでは瓦来さんがOKを出したネタの作品を書きだす。瓦来さんの良否の判断基準が良くわからない。僕にしてみればNGのネタも十分魅力的で、これを書いたら恐らく前人未到の作品ができるに違いないのにとさえ思った。だから、NGを出されても全く平気だった。このネタはプライベートで使えるぞ。と内心ほくそ笑んでいた。


 そうして半年間書きに書いて、会社用に3点、プライベートで3点、トータル6点をそれぞれの新人賞に送った。

 結果が待ち遠しい。

 その結果を待つ間にも新しい作品に着手していった。

 そして夢にまで見た結果発表がなされた。


多楽多たらくた君。おめでとう。1次選考通過だよ。吾忍辺あしのべさんもおめでとう。さあ、今日は俺が驕るから飲みに行こう!」


 瓦来さんの明るい表情とは真逆に僕の表情は恐らく深い悲しみに満ち溢れていたに違いない。


守一しゅいちさん、具合でも悪いんですか?」

「あ、いや、大丈夫」


 僕はその日生まれて初めて味のしないビールを飲んだ。

 まるで水を飲んでいるようだった。

 こんなものお酒じゃあない。


 気付けば僕は酔いつぶれ、公園のベンチで子頼さんに膝枕をされていた。

 僕は起き上がり、子頼さんに謝った。

 と、同時に頭痛がして、頭を押さえる。子頼さんは僕の頭を優しく撫でてくれた。子頼さんも少し酔っているのであろうか。顔が赤い。


「水買ってきたよ」


 そこに瓦来さんが登場し、僕に水を差しだす。


「すみません」

「いいよいいよ。俺も楽しくてつい君が飲みすぎていることに気付かなかった。悪かったね」

「いえ、自己責任ですから」


 言いながら、キャップを開け、水を飲む。

 ああ、これこれ。これが水だ。

 さっきまで飲んでいたシュワシュワの液体は水なんかじゃあなかった。不味かったなああれは。


「本当は二人っきりにさせてあげたいけど、女性一人じゃあ多楽多君を家まで運べないだろうから、俺も同行するよ」

「いえ、僕は大丈夫です」


 立ち上がった瞬間地面がなくなり、片足がスカを食らう。

 近寄ってくる地面。

 接触寸でのところで、瓦来さんが抱き留めてくれた。


「言ってる傍からこれなんだからなあ。家まで付き添うよ。俺が嫌ならトミーに電話するけど」


 僕は激痛の走る頭を乗せた首を全力で横に振った。


「冗談だから頭を振るなよ。痛いだろう?」


 なんだか瓦来さんはとても楽しそうである。

 結局、瓦来さんには僕の自宅まで付いてきてもらうことにした。子頼さんは僕が降りる駅より前で降りるが、瓦来さんはそれよりも先の降車になるので、ついでとのことだ。


 足に力が入らない僕にずっと肩を貸してくれていた瓦来さんが、坂道の階段を登りきったところで遂に音を上げた。


「ギブアップ! ちょっと一回休ませてくれ」


 肩で息をしながら、近くの公園のベンチに僕を何とか引き摺って行ってくれて、そこにドサリと座り込んだ。


「本当にすみません」


 瓦来さんは掌を僕に向け、いいよ。と小さく呟いた。

 瓦来さんは息を整える為、大きく深呼吸をする。しばらくしてから立ち上がり、近くの自販機でコーヒーを買った。


「君も飲むかい? いや、飲めるかい?」

「あ、頂きます」


 投げられたコーヒーのプルを開け、飲む。

 冷たくて甘い、そして少しだけ苦いコーヒーが、頭の奥のぼやぼやとした部分に爽快な風を吹かせる。

 瓦来さんも隣に腰かけ、コーヒーを飲んだ。


「一仕事終えた後のは格別だなあ!」

「瓦来さんも実は酔ってます?」

「ああ、久しぶりに酒を飲んだからね。楽しいなあ。飲み会は。ここ最近は飲むって言っても、トミーと二人でだから、普段の会社の愚痴とかが多くてね。あんまり楽しくないんだ。いや、彼が楽しくないってわけじゃあなくて、前向きで明るい話があんまりなかったって事。でも今日は晴れて二人とも、いや俺も含めると三人が1次選考通過だ。楽しく……」


 瓦来さんが僕の表情を見て、尻窄しりすぼみに声を弱めた。


「君が深酒をした理由はわかっていたつもりだったんだが、すまない」

「あ、いえ。こちらこそ。楽しい酒の席で一人落ち込んでしまっていて」

「君の気持ちもわかっているつもりだったんだがなあ。つもりはつもりで、本当にわかってはいなかったんだな。自分がプライベートで送った方は落ちたのかな?」

「はい。名前が載っていませんでした。まだ他に3つも送っているので、気持ちを切り替えれば良かったんですけど、なんだか上手くいかなくて」

「調子良く書けている時ほど辛いよな。その分気持ちも乗っかっているから。それは俺も味わったことがあるからわかるよ。しかもCTHPの作品として送った作品が落ちたこともあった。前にも言ったけど、1次選考通過させるだけでも、実は凄い事なんだよ。それを何発も打ち続けるなんて、なかなかできるような事じゃあない。たまたま100点満点を一回取るより、クラスの平均点を入学してから卒業するまでずっと取り続けていく方が格段に難しいだろ? いくら給料をもらっていたって、できないものはできないんだ。でも俺たちはプロだ。やらなければいけない。だから君が落ち込むのもわかるんだけど、CTHPとしての仕事は一つ成し遂げたんだから、そこは自信を持ってほしいな」


 そう。瓦来さんはこの仕事に遣り甲斐を持っていて、かつ仕事への責任感もある。僕とは立場が違う。日々感じているプレッシャーも相当なものだろう。何せいつも僕らの前では明るく振る舞っている鎌富さんが愚痴を言うというのだから。


 それでもなお、心の整理がつかないのは、僕の心が狭すぎて、その割に片付かないものが多いせいだろうか。


「その様子だと、プライベートで書いている事を吾忍辺さんには言ってないようだね」

「そう、ですね」

「いや良かった。この前の件は彼女に口止めされていたからね」

「口止め?」

「そもそもプライバシーにかかわる問題だし。何より自分がプロ作家にならないのは君のせいだと思われたくないんだと思うよ」

「まあ、ストレートに話を聞いたら僕のせいだと思いますしね」

「でも、今回素晴らしい作品が出来上がったのも君のおかげだと言っていた。吾忍辺さんは君のように勘違いして入社したわけじゃあないが、君の勘違いにはさすがに途中から気付いていたようだ」

「どうして言ってくれなかったんでしょうね」

「君の情熱に水を差すのが悪いという思いはあっただろうね。ついでに言うと、勘違いしているというのも確定的ではないし。その上、もしも君がCTHPの事を全く知らなかった場合に説明が面倒だ」

「確かに」


 初見では複雑怪奇過ぎる。会社の全容が。


「彼女がここに残ると決めた時、ちょっと考えてみたんだよ。彼女の立場になって」


 子頼さんの立場か。

 いつも子頼さんの事を欲するばかりで、彼女の思考回路に立ち入った事はなかったな。


「自分は中途半端な作品でお金を稼げればいいやと思っていて、君は全力で受賞するために作品を書いている。二人は仲良し。そんな中自分だけが受賞。しかも、君のおかげで書けるようになった作品が、だ。君にこそ読んでほしい作品だろうよ。それが恐らく君の心を砕くことになるだなんて……考えただけで怖気おぞけが走るね。もう話すどころか、目も合わせてくれないかも知れないよ。そんな言い知れぬ不安と恐怖を抱えたまま、果たして晴れて授賞式に向えるかね」

「僕の心はそんなに狭く見えますかね」

「申し訳ないが見えるね。だって今だってそうだ。1次選考通過したのは俺や君だけじゃあない。彼女だってそうなんだ。もしも彼女が書いた作品が1次選考で落ちてしまったら、彼女が自分の夢を諦めてまで縋り付いた職場から解雇を宣告されるんだよ?」


 曇天が更に裂けた。


「そんな彼女の今後の人生を掛けた作品の1次選考通過を喜ばず、自分の個人的な作品の落選に落胆し、揚句ヤケ酒。しかしそんな君を見ても彼女は献身的に介抱してくれたんだぞ? そこで気付くべきじゃあないのか。彼女のマリア染みた慈愛に。なのに君はまだ君を見ている」


 瓦来さんの言葉にぐうの音も出ない。全く持ってその通りだ。


「と、すまない。いや、君を傷つけたくてこういうことを言っているんじゃあなくて」

「吾忍辺さんの事を思えば、至極当然です。僕が甘ったれていました。すみません。なんだか目が覚めたようです」

「そ、そうかい。なら良かった」


 僕はゆっくりと立ち上がり地面を踏みしめた。

 まだ覚束おぼつかない部分はあるが、大丈夫そうだ。


「ここからは何とか一人で帰れそうです」

「無理しなくていいよ」

「大丈夫です。途中下車までして送って頂いてありがとうございました。それから、遅れましたが、1次選考通過、おめでとうございます」


 瓦来さんはふっと笑って、片手を上げた。

 僕はよたよたとまるで生まれたての小鹿のような足取りで家路についた。

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