第20話 君の天気予報は多分当たるから駅まで泳いでいこう

 バーを出て、駅に着く頃にはもう雨が降り出していた。初めは小雨だったそれも、次第に雨足を増していく。僕は観念してコンビニでビニール傘を購入し、帰宅した。


 雫間しずくまさんは元CTHPのアルバイト。OBであり、僕の先輩になるはずだった人であった。僕と同じく小説を選んでいた。同期には瓦来さんと鎌富さんが居て、最初は仲良くやっていたらしい。だが、自分だけが何かこの会社の本質に気付けていない気がして、モヤモヤした状態で研修期間を過ごした。そんな時、自分が書いた全ての小説がすべて2次選考止まり、落選したことを知る。CTHPの社員からはプロットから本文まで称賛されていた。素晴らしい才能だと。君が居てくれればCTHPの未来は明るいと。そこまで言われたのに2次選考止まりとはどういうことか。それを上司に問い詰め、返ってきた言葉に落胆し、雫間さんはCTHPを辞めた。自分が追い求めていたものとはあまりに違い過ぎていた。ショックだった。そうして1年が過ぎ、ショッピングパークの一角で開催されていた歌のコンテストに、CTHPの文字を見た。僕らCTHP社の人間は、皆エントリーネームの最後にカッコ書きでCTHPと書かれるのだ。それを見た雫間さんはふらふらと立ち寄り、僕の歌を聴いた。その時に感じたのだそうだ。「この男はまだCTHPに毒されていない。こちら側の人間だ」と。そうして黙っておられず、僕に連絡先を渡してきた次第なのであった。


 しかし忘れてはいけないのは、僕は雫間さんと今日会ったばかりだという事。

 今日会ったばかりの人間がどれだけ核心を突いた事を言っても、拭いきれない猜疑心さいぎしんがある。だから確かめようと思う。今の僕にならできるはずだ。本業の会社に3日間の有給休暇を申請し、部屋にこもって新作を書き上げる。そして僕がCTHPの名義で送った新人賞と同じ賞に、自分の名義で出す。瓦来かわらいさんにはNGを出された案を作品化するのだ。これによって何らかのアクションがあれば、雫間さんが言っていることが事実であるという証明になる。CTHPの出勤は、子頼こよりさんが来ているか確認しなくてはいけないので、出勤する。今日は日曜日。水曜日の夜までに書き上げられれば、大丈夫なはずだ。




 3日間で書き上げた作品を郵便局へ持っていき、郵送する。その後でCTHPへ向かった。


 子頼さんの言った通り、彼女は出勤していた。どういうからくりで彼女のクビが取り消しになったのかわからないが、どうあれ彼女が部屋にいるという事は今後それについての心配はしなくて良いという事である。ただ、自分自身が会社に対して反抗するような事をしてしまっているので、複雑な気持ちにはなる。


 それからいつも通り仕事を終え、帰りに子頼さんとご飯を食べた。

 たった1日彼女が会社に居ない日があったというだけなのに、もう一週間以上も会ってないような気分だった。そもそも僕なんかは週に4回しか来てないのだから、実際3日以上会わなくなることがスタンダードなのに。不思議なものだ。


「守一さん。この前はお疲れ様でした」


 ビールのグラスを手に、子頼さんが労いの言葉をかけてくれる。そのまま乾杯。

 僕はビールを半分ほど飲み、彼女に頭を下げる。


「わざわざ来てくれてありがとうございました」

「いえ、ずっと楽しみにしていましたから。それにしても人前で唄えるなんて凄いですよね」


 それから注文した食べ物を食べつくすまで、子頼さんは僕を褒め称え続けた。嬉しいとありがとう以外の言葉が思い浮かばず、否定もせず身に余るお言葉を頂戴し続けた。


 終ぞ、子頼さんのクビの件や、雫間さんとのやり取りは話せなかった。彼女の話は彼女自身のプライドにも関わる問題であるし、雫間さんの件に至っては、僕がただ騙されているだけの可能性もある話なので、早急に話さなければいけないというわけではない。だから何もかもが憶測ではなく、真実に変わった時に僕から話そう。それまでは今まで通り、子頼さんが居る日常を満喫するのだ。


 店を出ると、外はもわっと咽返る様な空気に包まれていた。店の扉も外気の湿度により曇っている。よく見るとコンクリの壁にも水滴がついており、まるで雨に打たれたようになっていた。


 ここ数日の雨が、今日の晴れ間に蒸気に変わり、街中をべっとりと包んでいる。霧に包まれているようだ。その所為か、空には星がなく、ただ街の光を反射するばかりで、夜とは思えぬほどの明るさであった。


「昼間はぽかぽかしていて良かったですけど、夜になったらなんだか急にべとべとしていて、嫌な感じですね」

「そうですね。それに、天気予報では今週中に春の嵐が来るみたいですから、気を付けないといけませんね」


 そうなのか。テレビもつけずに籠りっ放しだったから、全く天気のことなど気にしていなかった。


 灰色に霞む街を、2人は泳いで駅へと向かった。

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