第35話桃源郷でお花見

 以仁王もちひとおうが都を出発する日が迫ってきた。

「近々、息子(菅冠者すげかじゃ)を連れて

 里帰りする予定があるのですが、

 わたしの故郷に皆さんをお招きしたいと存じます。

 宮様(以仁王)の送別の宴を開きましょう。」

と妖狐が言った。

「お狐さんが住むところってどんなところなの?

 人間が住むところと違う仙境なのかな?」

と定家は妖狐に尋ねたが、

「着いてからのお楽しみ。」

と言われ教えてもらえなかった。

 さて、その日の夜が来ると、

一同は迎えに来た空飛ぶ船に乗せられた。

「わお!すごい!家が豆粒みたい!」

と伯父の守覚法親王しゅかくほうしんのうに弟子入りして

まるこめになっている若宮が

下界を見下ろしてはしゃいでいたが、

「お疲れになるといけないから

 みなさん、一休みしてください。」

と言いながら、妖狐が赤い花を

袖から取り出した。その香りをかぐと、

全員ぐっすり寝込んでしまった。

 しばらくして藤原定家ふじわらのさだいえが一番先に目を覚ました。

船はまだ暗闇の中を疾走していた。

「あれ!?いいにおいがすると思ったら!」

と定家は自分の肩に式子内親王しょくしないしんのう

もたれかかっていることに気づいて赤面した。

「なんて幸せ!うれしくて天にも昇る心地!」

と定家はつぶやいた。朝夕思い描き、夢にまで見た

端正な美しい顔が目の前にあるのだから

興奮するのも当然だった。

「今、まさに空を飛んでいるのですからね。」

と妖狐は笑って言った。

 ふと定家があたりを見回すと、

定家の姉の竜寿御前りゅうじゅごぜんが菅冠者の肩に

かわいらしい頭をちょこんと

のせて寝息を立てていた。

「あれま!お似合いだこと!」

と妖狐はくすりと笑った。

 若宮と姫宮を両脇に抱えて

以仁王はぐっすり寝入っていた。

「ちくしょう!三位局さんみのつぼね(以仁王の妻)

 は誰にも渡さない!」

と寝言を言いながら。

「宮様(以仁王)がもっと早く戻ってこれたら、

 宮様は奥さんとよりを戻せたのかな。

 悪左府の怨霊に取りつかれなければ

 九条殿(九条兼実くじょうかねざね)は三位殿と

 付き合ったりしなかったかな?」

と定家は妖狐にきいてみた。

「いいえ。あの二人はお互いひかれあって

 結ばれた仲です。運命は変えられません。

 現に、あの怨霊が退散してしらふに戻った後も

 九条殿は三位殿にぞっこんですからね。」

と妖狐はため息をついた。

 守覚法親王のすごいいびきが聞こえてきて

定家は妖狐と顔を見合わせて笑った。


「ここは極楽浄土のようだ!」

と守覚法親王が目を丸くしてあたりを見回していた。

「いいえ。ここは桃源郷とうげんきょうでございます。」

と妖狐が笑みを浮かべながら答えた。

「お花がとってもきれい。桜の花でしょ?」

と姫宮がかわいらしい目を輝かせて言った。

「桜じゃないわ。桃の花よ。」

と式子は青空に向かって伸びている

枝に咲いた薄紅の花を見上げて幼い姪に教えてやった。

「桜や梅じゃないのは残念だけど

 桃の下でお花見もいいものだな。

 桃がこんなにたくさん

 生えているのをみたのは初めてだ。」

と定家は咲き乱れる桃の花を見つめながら

歌を詠もうとしたが、

「あなたって素敵な人ね!」

という姉の竜寿の華やいだ声を耳にした途端、

せっかく頭に浮かんだ言葉を全部忘れてしまった。

 竜寿は目をキラキラさせながら、

菅冠者が語る冒険の数々に聴き入っていた。

「姉さん!いくら美男子とはいえ、

 相手は狐だよ!ずいぶんうれしそうだな。」

と定家があきれていると、

「ふん!面白くない!今までまろが

 もてていたのは、皇子である身分が目当て

 だったのだ!名前も身分も失って

 生きながら死んだ身となった今は、

 おなごに相手にされなくなって当然なのだ!」

とぶつくさ言いながら、以仁王が

しきりにやけ酒をあおっていた。

 守覚法親王は酔いつぶれて寝てしまい、

若宮と姫宮はあたりを駆け回り始めた。

「昔の自分を見ているようだわ。」

と兄である若宮になついている姫宮を見て

式子は思った。同じ屋根の下で一緒に寝起き

するようになってから、兄である

以仁王を過度に理想化することはなくなっていた。

「テイカ、これからもよろしくね。」

と式子は定家に話しかけたので

定家は真っ赤になってもじもじした。

「お2人とも、悩みのないこの世界で

 不老不死になって、ずっと一緒に

 暮らしたらいかが?」

と妖狐がからかったが、

「いいえ!」

と二人は声をそろえて叫んだ。




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