第23話若紫誘拐

 幼い式子しょくし女王を誘拐したのは色白の少年だった。

人気のないあばら家に少年は幼女を連れ込んで隠れていた。

「捕まえた♪僕の若紫♪なんてかわいいの。

 この子は憧れの上西門院じょうさいもんいん様にそっくりだ。

 光君がやったように、僕もこの子を

 自分好みの女性に育てて成長したら妻にするのだ。

 しかしこれほどあの方に顔かたちが似ているなんて、

 もしや血縁があるのだろうか。でもそれほど身分が高かったら

 夜道をたった一人で歩いているわけないか。」

 恐怖のあまり、気を失ってしまった式子の

かわいらしい顔を少年はうっとり眺めた。

ちなみに上西門院とは、式子の伯母(後白河法皇の姉)、

統子内親王とうしないしんのうのことである。

 ところでなぜ式子がこの少年に若紫と呼ばれているかを説明しよう。

源氏物語の主人公、光君は父の后である藤壺宮に片思いしていた。

ある日、光君は藤壺宮ふじつぼのみやめいである少女(若紫)が瓜二つであるのを見つけ、

父親に引き取られる寸前にこの美少女を誘拐して成長後に妻とした。

そのまねをしようというのである。

 そこに突如、ばたばた音を立てて定家が乱入してきた。

「見つけたぞ!誘拐犯!さあ、大人しく姫様を返しなさい!」

と定家は自分よりも年下にみえる少年に向かって叫んだが、

少年は式子を抱えたまま、ひらりと身をかわした。

「くそっ、なんてすばしこいのだ。」

と定家は悔しがった。そこで相手を言葉で説得できないかと試みることにした。

「返しなさい。その子は高貴な身分の姫宮様で、

 親御さまが悲しんで探しておられるよ。

 もし見つかったら、厳罰に処されるぞ。」

「いやだ。これほど美しい、天女のようなおなごはほかにはおらぬ。」

と少年はごねたが、幼い式子は目を覚まして激しく泣き出した。

「そなたはなぜ、それほど姫宮様に執着するのだ?

 たまたまお父上に連れられて、お忍びで外に出ておられたが、

 本来、我々ごときが触れてはいけないお方なのじゃよ。」

と定家はさとした。少年は

「いやだ!返さない!」

と言い張ってその様子に式子はおびえきっていた。

定家はふと、あることに気が付いた。

「そなた、さっきから、あの美しい宮様(上西門院)

 のことを院号で呼んでいるな。」

「ああ、それがどうした?」

「あのお方が院号を宣下されたのはこの小さな姫宮様が

 賀茂の斎院に卜定ぼくじょうされたのと同じ年だから、

 まだ先のことじゃよ。そなたも俺と同様、

 過去の世界に流されてしまった者なのだろう。」

定家の言葉に少年は動揺した様子だった。

「斎王に選ばれるとは、この子は宮様だったのか!」

 少年は驚きのあまり、手を放したので、

式子は素早く定家の後ろに隠れてしがみついた。

少年はため息をついて、

「やはりこの子は上西門院様にゆかりのある方なのじゃな。

 あの美しいお方(上西門院)に蔵人くろうどとして仕えるようになって、

 初めてあの輝かしいお姿をかいま見た途端、

 身の程知らずにもすっかり恋にのぼせてしまったのだ。

 だが身分が低く、小童にすぎない自分など、

 相手にされるはずもないと思い悩むうちに川に落ちて

 しまった。岸にはいあがると、あたりの様子は

 今まで住んでいた都とどこか様子が違っていた。

 戸惑っているところに思いがけず、恋しい面影に生き写しの

 幼い姫君を見つけて、何の考えもなしにかどわかしてしまったのじゃ。

 主君の姪御とあらば、あきらめて返すしかないのか。」

と少年はがっくりとうなだれた。定家はすかさず

「源氏物語の読み過ぎだよ。誰かの代わりにするために

 年端もいかない少女をさらうなんて、

 本当の愛じゃない。親元から引き離した上に

 正式な手続きをせずに結婚したら、

 姫様が不幸にしてしまうよ。

 さ、早く姫様をお父様の手にお返しして、

 僕らはもといた時代にそれぞれ帰ろう。」

と説得し、3人はぞろぞろとあばら家をあとにした。

「道を踏み外さずに済んでよかったよ。おれは武士の棟梁、

 源義朝みなもとのよしともの子、源三郎頼朝みなもとのさぶろうよりとも

 ところであなたは何という名前なの?」

と少年に言われ、定家は見知らぬ相手に名を名乗るのは

気が進まず、困ってしまい、

「すまぬ。一応、藤氏とうし(藤原氏)の端くれだが、

 名乗るのは勘弁してくれ。」

とごまかした。

「ああ、お公家さんは呪いとか気になるものね。」

と少年はそれ以上追及しなかったが気まずい雰囲気がただよった。

 そこに妖狐が現れ、

「わたくしはまず姫宮様をお父様の元に送り届けます。

 わたくしがいつも召し使っている小狐たちが

 お二方を元いた世界に連れ戻します。」

と告げた途端、利発そうな童が二人現れてうやうやしい

おじぎをした。

「さ、行きましょう、姫様。お父様やお兄様にお会いできますよ。」

と妖狐が言って定家の裾をつかんでいる式子に

一緒にくるよう促すと、

「ねえ、あなたも一緒にきてくれなきゃいや。

 これから御所で一緒に暮らしましょう。」

と式子は定家にすっかりなついてしまって離れない。

「うれしいな。お言葉に甘えて家来にしてもらおうかな。」

と定家がにやけていると、

「この世界ではあなたはまだ生まれていないんですよ。

 いつまでもとどまっていたら、そのうち消滅してしまいます。」

と妖狐にたしなめられ、断念せざるをえなかった。

妖狐は催眠術で式子を眠らせると抱きかかえて連れて帰った。

「ではお互い達者でな。」

とそれぞれ先導の童について

少年と定家は川に飛び込んだ。

 

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