第10話妖鳥現る

「姫様、誰ぞ来ているのですか?」

と突然女房が声をかけたので、

定家さだいえは慌てて家に逃げ帰ってきた。

しかし恋文はしっかり渡してきたのだった。

「僕は姫様よりも年下すぎて相手にされなかったけど、

 一番心配していた、不細工だから嫌いだといわれる

 という事態にはならなかったぞ。」

と都合のよいように解釈してほくそえんだ。

「根気強く思いの強さを訴え続ければいつかは・・・。」

と考えていると、

「今から出かけるので一緒についていらっしゃい。」

となぜか黒ずくめの装束しょうぞくで男装した妖狐が現れて言った。

「え~。もう夜中だよ。今から寝ようと思ったのに。」

と定家がごねたが、

「いつもあなたのためにいろいろ尽くしてあげてるのに

 恩を忘れたのですか。」

となじられ、有無をいわさず定家は伴をさせられた。

 月の明るい晩だったので、

以仁王もちひとおうは愛用の笛、小枝を吹きながら八条院の

御所の縁側にすわってくつろいでいた。

「なあ、宗信。平家の盛んな勢いはいつまで続くのであろうか。」

と乳母兄弟の六条宗信ろくじょうむねのぶに話しかけた。

「はあ、わたしごときにはとてもわかりかねます。

 ですが、宮様には帝王の相がございますので

 いつかは宮様がお位に上り、平家を蹴散らす日がやってくるでしょう。」

と宗信はお世辞をいって王を喜ばせた。

 妖狐が庭に忍び込んで木に上り、

その様子を緊張した面持ちで見ていた。

定家はその妖狐の袖の中に隠れていた。

 急に黒い影のようなものがどこからともなく現れて、

以仁王に襲い掛かった。小さな鳥のようだったが、不気味な

姿の生き物は、以仁王の目を鋭いくちばしでつつこうとした。

「このお化け鳥め、なんだ、いきなり!

 化け物が襲ってきた!助けてくれ!宗信!」

と以仁王は悲鳴をあげた。

あわてて宗信は鳥を素手で殴りつけて追い払おうとしたが、

脳天をつつかれてその場に伸びてしまった。

 すると、鳳凰ほうおうの姿に化けた妖狐が現れて、

空中で大きく羽ばたきながら、黒い鳥と激しく足で蹴りあった。

爪が体に食い込んで鳳凰は今にも地面に蹴落とされそうな勢いだった。

 定家は庭で呆然とその様子を見ていたが、

「早くお狐さんに加勢しなきゃ。」

と張り切って、変化していない人間の姿のままで飛び出して乱入した。

「こら!バカ鳥!人間を傷つけたら承知しないぞ!」

と叫ぶと、鳥は定家の方に向かってきたではないか。

「ひえー。化け物がこっちにくる!」

と定家は慌てて外に逃げ出した。そんな情けない定家を

追いかけて鳥も出て行った。死に物狂いで定家は

庭を駆け回って逃げたが、頭を何回かつつかれて

痛くてたまらなかった。しばらくすると、

急にざあざあ雨が降り出してきて

定家も鳥もずぶぬれになった。

 すると突然、鳥はへなへなとしなびて地面にぐにゃりと落ちた。

「あれ?どうしたんだ。いきなり死んだみたいだけど。」

と定家は驚いて恐る恐る近づいて目を凝らしてみると、

鳥はただの黒い紙切れになって雨水に溶けかけていた。

「あんなに手ごわい化け物がこんな薄っぺらな紙でできていたなんて!」

と定家はあきれつつ、それを拾い上げて以仁王のもとに戻った。

「おお!いつぞや妹の御所をたずねた晩に出会った小童こわっぱではないか!

 先ほどは助かったぞ。」

と平伏する定家に以仁王は声をかけた。

「もったいないお言葉をいただいて恐れいります。

 ですがわたしは逃げ回るばかりで

 なんのお役にも立てませんでした。」

と定家は恐縮した。

「なんのなんの。そなたは自分からおとりになってくれたではないか。

 これぞ勇敢な男のふるまいじゃ。」

というと、以仁王はからからと笑った。

「こちらこそ、いつかの晩に助けていただきありがとうございました。」

と定家が頭を下げると、

「これで貸しは返したわけだな。ところで最初に戦った

 鳳凰はそなたの使い魔か?」

と以仁王が尋ねると、

「はあ、さようでございます。」

と手柄を全部自分のものにしてしまった定家であった。

「さて、えわたしはそなたの名をまだ知らぬが何と呼ばれているのか、

 教えてはくれぬかの?」

という以仁王の言葉に定家はどう答えようか迷ったが、

「テイカでございます。」

と定家を音読みに変えていった。以仁王は

「僧侶でもないのに、音読みの名前とはめずらしいな。」

と首を傾げたが、変化へんげの者には人間界の常識が通用しないのだろうと

解釈したのだった。

「心配させるといけないから今宵こよいの出来事は

 叔母上には内密にしておこう。そなたも口外するでないぞ。」

と以仁王は言ったのだった。


 帰り道、妖狐は

「まったく。わたしがわざと負けてみせてあなたの

 出番を作ってあげたのに、なんですか。あの情けないありさまは。」

とにやにや笑いながら定家をからかった。

「あんなに強い鳥となんの武器もなしでいきなり戦うなんて無理だよ。

 ところで紙でできたあの鳥もあなたの自作自演なの?」

と定家がたずねると、

「ばかおっしゃい。宮様を傷つけるなど、このわたしが恐れ多いことをする

 はずないでしょうが。あれは平家方が味方につけている

 黒狐の一族の親玉が呪術を使って

 送り込んだ使い魔の一種ですよ。」

と苦々し気に妖狐は種明かしをした。

「へえ、狐の世界にも敵対する勢力がいるの?」

と定家は驚いた。

「ええ。わたしは白狐の一族ですよ。黒狐の一族とは

 何百年もの間、戦っています。」

というので、目の前にいるこの女は、三十路くらいの年頃

にしかみえないが、もしや何百年もの間

生きているのではないだろうかと定家は思った。

「ところで、先ほどの騒ぎのときに、

 どうしてほかの家族や召使たちは

 助けにこなかったのでしょうか。」

と定家は疑問を口にした。広大な領地をもち、権勢を振るう

八条院暲子内親王はちじょういんしょうしないしんのうの御所には警護の武士も大勢召し抱えられている

はずなのに誰も駆けつけてこなかったのは不審であった。

「ああ、それは黒狐の妖術でみな前後不覚になっていたのですよ。」

と妖狐はこともなげに答えたのだった。

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る