第10話身の程知らず

「おねえさま、今度お仕えする姫宮さまにこのお手紙差し上げてくれない?」

と、定家が差し出したのは恋文だった。

「あんた!何考えてるの!

 あんたと宮様では身分が違いすぎるでしょ!

 恋文なんか出したらどんなお咎めをうけるかか

 わかったものじゃないわよ!」

と竜寿はうろたえて声を荒らげた。ことによると、

自分や両親にも災いの火の粉が降りかかるかもしれない。

「わたしより年上の宮様があんたみたいな

 お子様を相手にするはずないじゃないの。

 それに自分の顔をよく見て目を覚ましなさい!」

と興奮した姉は鏡を弟の鼻づらにつきつけた。

「いいんだ。どうせぼくなんて誰にも相手にされない

 ぶ男ですよ。でもこの思いは真剣なんだ。 

 折にふれてぼくに興味をもってもらえるように

 ぼくのことを姫様にお話してみてくれない?」

と涙目で定家は甘えた声を出した。

「なんてばかなんでしょう。顔もさえない、

 身分も低いのに一生相手にされるはずないじゃないの。

 つい興奮して怒鳴ってしまったけど

 雲の上の人である宮様に定家は

 近づくこともできないでいるのだから

 今のところ何かやらかす心配はないわね。」

と竜寿は考え直した。大それた望みを定家がそのうちあきらめるだろうと

竜寿はたかをくくり、適当に返事をしてごまかしておいた。

 その夜、つれづれに式子が月を見ながら物思いにふけっていると、

例の灰色の犬が現れた。

「あれっ、この犬、今気づいたけど影がないのね。

 もしかしたら悪霊の類かもしれない。」

と式子は急に犬が怖くなった。

「でもわたしは生きながら死んだような毎日を送っているのだから

 怖がるのはばかげているわ。もしこの犬が入道の

 兄上(守覚法親王)のいうようにわたしを惑わす

 悪いやつで、わたしが取り殺されたって

 悲しむ人など誰もいないでしょうし。」

と考えながら、式子は犬を手招きした。

 式子が犬をひざにのせてやると、犬は顔に笑みを浮かべて

短い尾を勢いよく振りながら頭をこすりつけてきた。

式子が首筋をなでてやると、犬はとろんとした目つきで

うっとりしていた。

 突然犬が少年の姿になったので式子は仰天して振り払った。

「そうだ。兄上が訪ねてきた晩に小童に変化したのを

 すっかり忘れていた。一体どちらが本当の姿なのだろう。」

と式子は変化のものを招き寄せた自分のうかつさを呪った。

「ぼくは怪しいものではありません。」

とその場にひれ伏しながら、定家はなんとも説得力がないいいわけをした。

「ぼくはこんなにみにくくてみすぼらしい小童です。

 でもぼくは心底からあなたをお慕いして、

 あなたのおそばにいて一生お守りしたいと思っているのです。」

という告白には、誠実さと真実味がこもっていた。

 まさかこれを聞いて式子が定家にほれたといったら

大ウソになるが、基本的に臣下との恋愛が禁じられている内親王とはいえ、

年頃の娘である式子がいくらか心を動かされたのは事実であった。

「あのね、あなたはずいぶん年が離れているようだし、

 動物だか人間だかわからない魔性の者じゃないの。それに

 そもそもわたしは神に仕える斎王だから、たとえ退下した後でも

 恋も結婚もしてはならないさだめなのよ。恋をするなら、

 もっと大人になってからあなたと同じくらいの女の子に

 言い寄った方が幸せになれると思うわ。」

と式子はやさしくさとすように言ったのだった。

 定家は妖の類だと思われたことがもどかしく、

自分の名を名乗りたいと思ったが、

父に迷惑がかかるのではないかと恐れてためらっていた。





 


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