第3話 あくがる魂

 想い人である式子しょくしに会いたい気持ちはやまやまだったが、

なぞの女から渡された薬を飲むことを定家さだいえはためらっていた。

しかし女が言っていた、式子が誰かに片思いをしているという

一言をふと思い出し、定家は激しい焦りを感じた。

「ええい!どうにでもなれ!」

と半分やけになった定家は、皆が寝静まった晩、丸薬がんやくを飲み干し、

白目をむいてその場に倒れた。椿つばきの花びらのような赤いチョウが

定家の胸のあたりから飛び出して泡のように闇に消えた。

 ふわふわと秋風にのってさまよっていくと、前斎院さきのさいいん

御所ごしょがみえてきた。庭はちり一つ残さずき清められ、

整然としていた。赤いチョウは閉ざされた蔀戸しとみどをすっと通り抜けて

暗い寝殿造りの中に迷い込んだ。

 夜もだいぶ更けたというのに、式子は眠れないでいた。10年に及ぶ

斎院時代の規則正しい生活に慣れていた

式子には今の無為むいな生活は苦痛だったが、それ以上に

母や体の弱い末の妹、休子内親王きゅうしないしんのうのことが心配で悩んでいた。

「わたしが幼い頃の父上と母上はいつもぴったり寄り添って

 ご一緒に今様の稽古けいこに励んでおられた。わたしたち兄弟も

 時々仲間に入れてもらってそれは楽しかった。それなのに今では父は

 今上帝(高倉天皇、式子にとっては8才年下の異母弟)の母である、

 若い平滋子たいらのしげこに夢中で、長年そばに仕えて尽くしていた

 わたしの母のことを忘れ去ってしまったようだ。」

 と式子は嘆いた。

 式子は母の実年齢を知らなかったが、

父より1つか2つ年上らしい母は

式子含む5人の子供を続けて産んだせいか、最近めっきり老け込んだ。

父、後白河帝は仲の良い同母姉である上西門院統子内親王じょうさいもんいんむねこないしんのうのもとで

若く美しい平滋子(平清盛の妻時子の妹)という女房を見そめたのだった。

 上西門院は女神のように美しく、やさしい伯母であった。

「筋違いかもしれないけど、あの女と父が知り合ったきっかけになった

 伯母様をうらんでしまうわ。伯母様のように賢く美しい女性になりたいと

 ずっとあこがれていたのに。」

 そのうえ式子は体調を崩して 賀茂の斎院をやめてしまった

ことで世間に忘れられた過去の人になってしまったと思い、

知らず知らずのうちにうっぷんがたまっていた。


  日に千たび心は谷に投げ果ててあるにもあらず過ぐるわが身は


(一日に千回も心を谷に投げ捨てて、生きているのか、いないのか


もわからないで過ごすわたしは…。)


という和歌が式子の頭に浮かんできた。

「どうしよう。起きて書き留めようかしら。いや朝になるまで待とうかしら。」

そんなことを考えているうちに、いつの間にか寝入ってしまった。

 チョウになった定家少年は、闇を漂いながら、

式子の美しい寝姿をうっとりして見つめていた。



 

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